第40話 屋敷探索

「月が隠れると怖いの」


 少女はそれ以来何も話はしなかったのだ。テラスからずっと月を見ているのだけれど、少しずつ雲が出てくると急にそわそわし始めて、僕の手を引いて屋敷の中へと戻っていった。

 一階にある暖炉の部屋へ戻ると、僕をソファーに座らせて少女は食堂の方へと歩いて行った。ついていこうかと思って立ち上がると、少女はこちらにそこで待っていろというような感じで手をバタバタさせていた。僕はそれに従って黙って待つことにしたのだけれど、いつまで待っても少女が戻ってくる気配はなかった。それどころか、先ほどまで聞こえていた物音もしなくなっていたのだった。

 それを不思議に思った僕はゆっくりと立ち上がって食堂に向かった。食堂は相変わらず大きなテーブルが置かれているのだけれど、僕達が先ほど食事をいただいた後の様子と何も変わっていないように見えた。窓から見える外の景色は暗くてわからなくなっているのだけれど、空を見上げると月が厚い雲に隠されていたのだった。月も星もない夜の世界は少し先にある塀ですらはっきりと見えないような暗い世界だったのだが、テーブルの上にある燭台をもって外を見てみると、ほんの僅かではあるが外の景色がわかってきた。

 何も変わった様子はないのだけれど、僕は食堂に来たはずの少女の姿が見えないことが気になって、テーブルの下や柱の陰など少女が隠れられそうな場所は探してみたのだけれど、この食堂には少女はいないようだった。他の部屋を見てみようかと思ってみても、食堂から廊下へ通じているだろう扉は固く閉ざされており開けることも出来ない。ほかに行ける場所も無いようだし、隠れる場所も無さそうなのでいったん暖炉の部屋へと戻ることにしたのだけれど、なぜか手に持っている燭台の蝋燭が激しく燃えだしてしまって、一分にも満たない時間で燃え尽きてしまった。

 僕は燭台をあった位置に戻して明かりになりそうなものを探してみたのだけれど、他の燭台は手に持って動かせるようなものではなく、僕は食堂に入った時と同じく手ぶらのまま暖炉の前に戻った。少女は当然そこにいるわけもなく、部屋から見える中庭は相変わらず暗いままで、そこに中庭があることを知らなければ何もわからないように思えた。そんな時、僕は視界の端に誰かがいるような感じを受けた。慌ててそこを見てみても誰もおらず、気のせいだと思っていたのだが、廊下を走っていくような物音が聞こえてきた。僕は急いで廊下に向かって音のした方向を見たのだけれど、明かりの消えた廊下は暗すぎて何も見えなかった。

 僕はそのまま廊下に出て一階をくまなく調べようと思ったのだけれど、自由に出入りできる場所は暖炉の部屋と繋がっている食堂だけだった。それ以外の部屋は全て鍵がかかっているのか扉が開くことは無く、一応ノックをしてみたものの反応はなかった。一階にある部屋のどこにも入ることが出来なかったのであきらめて階段を上がって二階を調べてみたのだけれど、二階には階段以外は窓しかなかったのだ。当然窓は開くこともないのだけれど、そこから見える外の風景は完全な闇の世界だった。中庭を挟んで向こう側にある窓すら見えない程の闇夜は僕に少しだけ恐怖感と圧迫感を与えてきた。

 何もない二階を抜けて三階へ上がったのだけれど、三階にある部屋も当然のように中に入ることはできず、僕はテラスに出ることしか出来なかった。テラスに出た時も外の様子がはっきりと見えていなかったので、手すりがあるとわかってはいたのに一歩だけしかテラスに踏み出すことはできなかった。先ほど見えていた月も隠れていたし、テラスから見えていた集落も今は完全に明かりが消えているようだった。

 今が何時なのか知ることもないのだけれど、先ほどまでの月の位置で考えると夜が明けるまではしばらく時間はかかりそうだった。そんな夜中なのだから集落の住人が寝ていても不思議はないのだけれど、一人くらいは明かりを消し忘れている者がいても不思議ではないのだろうと思った。むしろ、全ての家が完全に明かりを消しているこの状況の方が不自然に思えて仕方なかった。

 僕はそのままテラスにいるのが不安になってしまい、とりあえずは廊下へ戻ることにしたのだけれど、先ほどまではついていなかったはずの蝋燭に灯がともっており、その灯りをもって再びテラスへ出ると、光の端に手すりを見つけることが出来た。恐る恐る手すりに近づいてみると、そこにはしっかりとした丈夫な手すりがあったのだけれど、いつの間にかその向こうに見える集落の中の数軒に灯りがともっているのが見えた。

 先ほどまでは何もない闇夜だったと思うのだけれど、不思議なことに灯りが見えていた。なぜ先ほどは何も見えなかったのか原因はわからないのだが、いくら暗闇だとは言えあれだけ明るい光が届かなかったのは異常に思えた。この屋敷は何か不思議な力が働いている、僕にはそうとしか思えなかった。

「月が隠れると怖いの」と言った少女の言葉には、単純に夜の闇が怖いという言葉だけではなく、それとは違う事情があるのではないかと思ってしまったのだが、僕にはこれ以上この屋敷で何か出来ることがあるとは思えなかった。閉まっている扉を無理やり開けることも出来ないだろうし、壁を壊すことも無理だろう。今できることを考えて見ると、僕にできることは今行ける範囲で何か変わったことがないか調べるだけだった。といっても、暖炉の周りも食堂も少女が隠れていないか念入りに調べてあるし、二階や三階はテラス以外に行ける場所がなかった。僕はとりあえず暖炉の前へと戻ることにしたで、蝋燭の火が消えないようにゆっくりと廊下を進み慎重に階段を下りて行った。


 一階に戻った僕は食堂に行こうと思って一瞬立ち止まったのだけれど、立ち止まっている僕が持っている蝋燭の火が少しだけ揺らめいていた。歩いていれば火が揺らめくのは当然なのだけれど、室内で立ち止まっているときに蝋燭の火が揺れるのに違和感を覚えた。僕は手に持っていた蝋燭を床に置いて火を安定させようと思ったのだけれど、蝋燭の火は横から弱い風にあおられているように少しだけ揺れていた。僕は蝋燭の近くに手を添えると、蝋燭の火の熱を感じて熱くなる手のひらとは対照的に、手の甲にあたる生ぬるい風を感じた。立ち止まらなければわからないような微風ではあったけれど、窓も開かず扉も全て閉まっていて誰も動いていない状況で風を感じるのはおかしいと思い、そのまま風を感じる方へ近づいてみると、そこには階段があるだけだった。

 蝋燭を階段の前に置いてみたのだけれど、蝋燭は静かに燃えているだけで火が揺れることは無かった。

 風は二階から来ているのではないとすると、階段ではないどこかに風の出入り口があるということになるだろう。僕は蝋燭を色々な場所に置いては風の出所を探してみた。それを見つけるのに朝までかかってしまうと嫌だなと思っていたのだけれど、思いのほかあっさりとその場所を特定することが出来た。階段脇にある小さなスペースに蝋燭をもって入ると、その蝋燭は今までにないような激しい揺れを見せていた。

 僕は自分の肌でも風を感じることが出来たのだけれど、それがどこから来ているのかわからなかった。とりあえず、蝋燭を近くにあったテーブルに置いて壁や床を調べてみたのだけれど、どこにも怪しいものは見られなかった。勘違いではなく風は確かに吹いているのだけれど、風の出所がどこなのかわからなかった。階段を挟んで反対側にあるスペースも確認してみたのだけれど、わずかに風が流れているのかとテーブルが置いているか置いていないかの違いしかなかった。


 僕は風を感じた場所に戻り、テーブルを移動させてそのあたりを調べたのだけれど、そこには何もなく、僕は蝋燭の火が頼りなく揺れているのを見ることしか出来なかった。テーブルに置いた蝋燭の火は先ほどよりも安定しているようで、それほど大きく揺れることは無かったのだけれど、床を調べようと思って蝋燭の灯りを地面に向けるとその火は大きく揺れていた。

 地面に手をついて何かないかと探しているときは風を肌で感じているのだけれど、何もにつけられなかったので蝋燭をテーブルに戻そうと思って立ち上がった時には風が感じられなかった。

 壁にも床にも不審な点は見られなかったのだけれど、こうなると壁と床の境目が気になってしまう。それほど広くないスペースなので全てを調べることは難しくなかったし、踊り場と廊下を結ぶ階段下の壁を見ると、床との隙間にほんの少しだけ何かをかけることが出来る隙間があるのを発見した。蝋燭の灯りで確認しようと思って蝋燭を近づけると、今まで以上に激しく蝋燭の灯りが揺れたのでここで間違いはないだろう。

 壁と床の間にある隙間に指をかけてみるのだけれど、僕の指では太すぎるのか隙間には爪が少し引っかかるだけだった。そこを叩いてみても反応はなく、引いてみることは当然出来なかった。何かないかと思ってあたりを見回してみても、僕が持っている蝋燭とテーブル以外は何も動かせそうなものはなかった。テーブルには何も乗っていないし引き出しも備わっていない。蝋燭は蝋燭台についているのだけれど、それを外してみたところで隙間に入れるのは難しそうだった。

 僕は急にあることが思いついて食堂に戻ったのだけれど、そこには僕が予想していた通り必要なものが置いてあった。僕はそれを乱雑にとると、そのまま階段脇のスペースへと戻った。

 先ほどの隙間にそれを差し込むと少しだけ壁が動いたような気がした。ちょっとずつ隙間に詰めていくと、わずかにではあるのだが壁が浮いているように見えた。今だと指を入れる事も出来そうなのだが、何かの拍子で外れて壁が落ちても嫌なのである程度壁を持ち上げてから丈夫そうな蝋燭台を挟むことにした。

 この時点で食堂から持ってきたカトラリーセットは必要なくなったので食堂に戻しに行ったのだが、暖炉の横に置いてある火かき棒が使えそうに思えたのでそれをもって階段脇へと戻ることにした。


 僕は少しだけ浮いている壁を持ち上げてみようと思って力を込めたのだけれど、壁はびくともしなかった。上には動かなかったのだけれど、壁が浮いた状態だと体重をかけて押すことで壁がくるりと動くことに気付いた。動いた壁が階段に対して直角になった位置で止まると、下にかませてあった蝋燭台が転がり落ちてきた。壁はそのまま固定されていた。


 壁の中の様子を見ていると、そのまま階段が下へと続いていた。僕は他に行くこともないので中に入ることにしたのだけれど、少しだけ湿度が高いように感じるけれど不快なものではなく、気温も若干低いように感じたが寒いというほどではなかった。歩いていても埃が舞うようなことは無く、一番下まで階段を降りると目の前に大人なら屈まないと通れないような大きさの扉が現れた。

 その扉に鍵はかかっていないようで、僕はその扉を開けて中へ入ることにした。

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