第39話 月夜

 夜中に目が覚めたのだけれど、僕はずっとソファーで寝ていたようだ。若干の肌寒さを感じて暖炉の前に移動してみたのだけれど、燃えている薪はもう残り少なくなっているので暖かさも少し物足りなかった。近くに追加の薪がないかと探してみたものの、暖炉の近くに薪は見当たらなかった。部屋の中をざっと見たけれどどこにも薪はなく、食堂の方へと行ってみようかなと思っていると、背後からパチパチと薪が爆ぜる音が聞こえてきた。薪がなくなって火が消えてしまったらどうしようかなと思って振り向くと、暖炉の中に新しい薪が追加されていた。僕が暖炉から目を離したほんのわずかな時間に誰かが綺麗に薪を組んでいたようなのだけれど、誰かがやってきた気配は感じなかったし、気付いた時にはすでに薪が追加されていた。

 先ほどの食事もそうだったのだが、この屋敷には得体のしれない何かがいるのだけれど、それは今のところ僕に悪意を向けてはいないようだ。金髪の少女も僕に好意を持って接してくれているようだったし、何か望みがあるのなら聞いてみたいと思った。だが、その少女もどこかへ消えてしまっていたのだ。僕は少し迷ったけれど、少女を探しつつこの屋敷に誰かいないか調べてみることにした。よくないことだとは思うのだけれど、僕は少しだけ好奇心の方が勝ってしまっていたみたいだ。


 部屋を出ると長い廊下がどこまでも続いているようだったのだが、屋敷の内側に中庭があるので圧迫感は感じなかった。なぜか照明が一切なく、わずかに差し込む月明かりだけが頼りだった。薄暗い廊下を歩いていると、どの部屋も扉はしっかり閉まっていて中の様子を確認することはできなかった。常識人である僕は、勝手に扉を開けて人様の部屋の中に入るような真似は出来なかったのでどうしようかと思っていた。そのまま廊下を道なりに進んでいると、突き当りにぶつかってしまった。このまま戻ろうかと考えながら中庭をぼんやり眺めていた。すると、いつの間にか金髪の少女が僕の後ろからやってきた。僕と少女は目が合って微笑みあったのだけれど、そのまま少女は手を取って歩いてきた道を進みだした。その手はひんやりとしていているのにぬくもりを感じさせる不思議な感覚だった。

 少女は時折振り返って僕に微笑んでいるのだけれど、何かを言おうという様子はなくお互いに無言で歩いていた。月明かりに照らされている少女の髪は相変わらず綺麗に輝いていたのだけれど、照明のない状態で廊下を歩くことに不安を感じないのかと思ってしまった。僕は先ほど一人で歩いていた時は少しだけ不安に駆られていたのだけれど、一人ではないという安心感が僕にはあった。こんな小さな少女を頼りにするのは間違っているかもしれないけれど、この屋敷の事を何も知らない今の僕には十分すぎることだった。

 僕は少女に連れられるまま廊下を抜けて屋敷の中央にある階段を上っていた。途中にある踊り場の壁に駆けれれている肖像画は黒髪の女性で、この少女とは似ても似つかないものだった。僕はその絵が気になっていたので立ち止まってしまったが、少女はその絵に何かしらの恐怖を感じているのか、僕の方すら見ずに二階へあがろうと力強く僕の手を引いていた。

 二階から三階まではそのまま階段が繋がっていなかったので薄暗い廊下を通って屋敷の裏側まで歩いたのだけれど、このような造りにして不便ではないだろうかという思いが強かった。

 廊下を歩いていて思ったのだけれど、二階には部屋が一つもなかったのだ。中庭を見下ろすことが出来るので窓はついているのだけれど、階段にたどり着くまで一つも部屋がなかったのだった。一階にあった食堂も暖炉の部屋も天井が異常に高かったのを思い出すと、一階の部屋が二階建てくらいの高さなのではないかと感じてきた。

 三階も照明はついていなかったのだけれど、二階とは違って廊下に扉がたくさんついていた。一階の部屋数を数えていたわけではないけれど、パッと見ただけでも一階の三倍くらいは部屋数がありそうだ。しっかりと扉が占められているので中の様子をうかがうことはできなかったが、一階や二階と違って誰かがいるような感じがした。

 三階についた少女はそのまま廊下を通っていき、僕を廊下の突き当りにあるテラスの前まで連れて行った。テラスはどうやら屋敷の入口の上にあるらしく、頑丈そうなガラス扉から外の様子をうかがうことが出来た。

 少女は僕から手を離すと重そうなガラス扉を開いてテラスへと出て行った。テラスに出て僕を手招きする少女の方へと歩いていくと、そこからは集落を一望することが出来たのだ。ところどころ家には明かりがついているので誰かはいるようだけれど、さすがに夜の間は誰も出歩いていないようだった。

 高いところから見下ろすことで気付いたのだけれど、集落に立ち並ぶ家は中央の道を境に左右対称に配置されているように見えた。完ぺきに左右対称なわけではないのだけれど、偶然にしては不自然なくらいに多様な配置だったのだが、それがどういう意味なのか僕にはわからなかった。

 少女はテラスに出てそれを見せたかったのかと思っていたのだけれど、僕と違って少女が見ているのは空に浮かぶ月だった。やや青みがかった満月ではあったけれど、僕が今まで見たどの月よりも大きく見えていたし、とても綺麗な月だった。こんな月をみさきと一緒に見ていたいと思った。


 みさき?


 僕はなぜかみさきの存在を今の今まで忘れてしまっていたようだ。なぜだかわからないけれど、みさきだけではなく僕が出会った人の事も頭の中から抜け落ちていたようだった。どうしてなのかはわからないけれど、僕の中に先ほどまではみさきの存在は欠片もなかったと思う。このままではよくないと思っているのだけれど、少女は僕の前に来て抱っこをせがんでいるようだった。それにこたえるように少女を抱きかかえると、僕は初めて少女の声を聴いた。


「月が隠れると怖いの」

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