第41話 月影

 手に持っている蝋燭の光だけでは心もとないのだが、扉を閉めた薄暗い部屋の中で僕の目に最初に飛び込んできたのは金髪の少女が描かれた一枚の絵だった。先ほどまで一緒にいた少女に似ているような気もしているけれど、絵に描かれている少女とは瞳の色が違っていた。

 その絵がある以外は何もない小さな部屋だったのだけれど、手に持っている蝋燭の火が揺れていたのでどこからか風が入ってきているのがわかった。僕はその場所を突き止めようと一生懸命になって探してみたのだけれど、僕が入ってきた入口の上に通気口があるのが目に入ってしまった。こんなに簡単に見つかるのだったら気合を入れた意味もなかったなと思ってしまった。が、蝋燭の火が通気口に向かって吸い込まれるように揺れているのが気になった。通気口に向かって空気が流れていくのはおかしいことではないだろう。だが、この部屋は窓もない地下室になっているので通気口以外に空気が出入りするのは入口しかないように思えた。今は扉を閉めているので通気口以外に空気が入ってくる場所は見当たらない。だが、通気口に近づいてみると空気が入っていくのは確認が出来たのだけれど、いくら待っても空気が入ってくることを確認することが出来なかった。

 窓もないこの小さな部屋のどこかに空気が入ってくる入口があるのだろう。それを見つけ出して何かが起こるわけではないと思うのだけれど、他にやることもないので僕はそれを探すことにした。先ほどの経験をもとに壁と床の間を念入りに調べてみたものの何も見つからず、当然のように天井にもそのような痕跡は見られなかった。部屋のどこにもそのような形跡は見られなかったのだ。

 僕はこれ以上探しても見つからないとは思っていたのだけれど、まだ見ていない床そのものや天井に期待を込めようとしたその時、この部屋に入った時の違和感を思い出した。


 なぜ、地下室に一枚だけ絵を置いてあるのだろうか?


 僕はどうしてもこの絵が置いてある意味が分からなかった。この絵が必要無いのなら処分すればいいだけの話なのに、わざわざ探しても見つけにくいこの地下室に隠す必要があったのだろうか。扉の他に通気口があるだけのこの部屋に置いておかなければいけない理由でもあったのだろうか?

 蝋燭の灯りだけではこの絵をしっかりと検証することも出来ないと思って絵を持つと、なぜか入口の扉に鍵がかかる音が響いた。僕はそのまま扉を調べたのだけれど、押しても引いても上げても下げてもスライドをさせても開く気配はなかった。心なしか空気も薄くなっているような気がしてきた。蝋燭の火は少しだけ激しく揺らめているのだけれど、その火は少しずつ小さくなっていて、今にも消えてしまいそうなくらいだった。

 僕はこのままだと何もできないと思ったのだけれど、このまま手に持って絵を汚すくらいなら元に戻しておこうと思い、この絵がもとあった位置に戻すと、扉が再び音を響かせた。近づいて確認してみると、扉は再び開いていた。

 絵を持ち出すと部屋の鍵が閉まるシステムになっているようで、僕はその絵を諦めるか強い光を手に入れてここで確認するしかなかったようだ。その二択がおみ浮かんだ時に出した僕の答えは、同じ大きさと重さの絵を見つけて代わりに置いてみることだった。

 といっても、僕が今現在自由に出入りできる場所は食堂と暖炉のある部屋だけである。どちらにも絵は飾ってあったと思うけれど、この少女の絵よりも大きい物しかないと思う。僕はこの絵の大きさを測ってみると、横幅は肘から延ばした指先と同じくらいで、縦幅は僕の足よりも少し長いようだった。


 僕は食堂に戻ると壁に掛けられている絵を見て一目で大きさが違うということに気が付いた。明らかに横幅が大きい絵しかなかったのだ。何枚かある絵も全てあの絵よりも大きい物であって、僕が探している大きさの絵は食堂にはなかった。

 そのまま暖炉のある部屋へと戻ってみたのだけれど、ここにある絵は小さいものが多かった。少し大きめに引き延ばした写真くらいの絵が多く、四枚使えば同じくらいの大きさに出来そうだったけれど、この部屋には三枚の絵があるだけだった。

 部屋を出て廊下を歩きつつ、何か良いモノがないかと探していたのだけれど、どこにもいい大きさの絵は見つからなかった。結局三階のテラスまで来てみたのだけれど、ちょうどいい絵はどこにもなかった。雲の隙間から時々月が見え隠れしているので真っ暗というわけではなかったのだけれど、廊下に置いた蝋燭の光もあって暗闇に包まれている恐怖感は無かった。

 何もなかったなと思って戻ろうと思っていると、今まで気が付かなったのが不思議なくらい大きさが似ている絵が壁に駆けられていて、まるでテラスを覗くかのように設置されていた。その絵は優しそうな老婆の絵が描かれており、地下室にある少女の絵とは対照的だなと感じていた。


 どうにかして老婆の絵を外すと、測ってみると大きさはほとんど同じように思えたし、持ってみた感じもそれほど重さに違いも無いようだった。僕はその絵を両手に抱えて地下室へと戻ると、少女の絵をとってその場所に老婆の絵を置いてみた。僕の思惑通りに少女の絵の代わりに置いた老婆の絵で扉の鍵は解除されたのだった。少女の絵をもって外に出ることが出来るわけだけだが、この絵をどうしたらいいか考えてみることにした。とりあえず暖炉の前に持って行ってじっくりと見てみようと思ったのだけれど、地下室から出て部屋に向かう途中、急に絵が重くなったと思うと、その絵から少女が飛び出していた。


 少女は額縁に手をかけて上半身を出し窓から身を乗り出すような感じで絵から飛び出していたのだが、上半身をひねって僕の方を見るとほほ笑んでいた。僕は突然の光景に驚いて絵を落としそうになったのだけれど、何とか踏みとどまって絵を抱え続けた。


「ありがとう。あの部屋から出してくれて。外に、行きたい」


 少女が口にしたのはその言葉だけで、僕は外に出ようにもテラス以外に行ける場所がなかったので、少女の絵を抱えたまま階段を上って三階へと向かっていた。いつの間にかぶ厚い雲に包まれて外の様子は全く分からなくなってしまっていた。

 それでも僕は少女の絵をもってテラスへ出ると、ガラス扉に持たれかけるように絵を置いてみた。時々雲は薄い部分もあるようだったが、少しだけ月の光が漏れる程度で月の姿は全く見えなかった。眼下に見える集落も今ではぼんやりと見える程度で、どの家も灯りは消えていた。その時、少しだけ風が強くなっていたのを感じた。

 暴風とはいかないまでも、風の吹く方を向くと息苦しさは感じてしまうし、出来ることならテラスから室内に戻りたいと思ってしまうくらいだった。それでも、僕はここに残ることにしたのだった。理由はわからなけれド、ここに残らないと後悔してしまいそうだと思ってしまったのだ。


 しばらくすると、風は完全にやんでいて、空を覆っていた雲もどこかへ消えていた。空にはきれいな満月とその周りに散りばめられているような満天の星が綺麗に輝いていたのだ。視線を落とすと、先ほどまで光が全くなかった集落にも少しだけ光が灯っていた。


「ありがとうございます。おかげで私にかかっていた封印を解くことが出来ました。あのままあと数十年地下に閉じ込められていたら、完全に絵と同化していたと思うんですけど、あなたのお陰で助かりました」

「あの、絵に閉じ込められていたってどういうことですか?」

「私は悪い魔女に騙されてこの絵に閉じ込められたのですが、あのままあと何十年か暗闇の中で月の光を浴びることがなければ二度と絵から出ることは出来なかったのです。私の父や母は魔女の手によって殺害されてしまったのですが、私は父と母が殺害された悲しさに打ちひしがれている間に封印されてしまったようです。どうして私だけが封印されることになったのかわかりませんが」

「その魔女はどこに行ったか分かるの?」

「いいえ、私はずっと地下室に閉じ込められていたのでわかりません。父と母の復讐をしようにも、あの魔女が今も生きているのかさえ分からないのです。あなたは神官様のようですし、私の力になっていただけないでしょうか?」

「僕にできることならなんでも協力するよ。さっきから気になっていたんだけど、どうやって絵から出てきたの?」

「私にかけられた封印は月の光を浴びると弱まるようなんですよ。今はあれだけ大きな月が出ていますので、私も絵から完全に抜け出すことが出来たんだと思います。もう二度と絵に封印されたくないのですが、この絵を投げ捨てていただけませんか?」


 僕はこの絵を投げ捨てるのに抵抗があったのだけれど、下に落とすだけでもいいと言われたので、僕はその少女の願いに応えることにした。


 空には大きな赤い月が怪しく浮かんでいた。

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