第27話 オーナーパティシエール

「もう一度やり直せるとしたら、生き返りたいですか?」


 私は見覚えのない場所に一人立たされているのだけれど、その声の主が誰なのかさっぱりわからなかった。ここがどこなのか、今は一体何をしているのか状況を理解出来ないでいた。説明してもらおうと思ったのだけれど、なぜか私は声を出すことが出来なかった。


「あさみさんは洋菓子店のオーナーだったんですね。それは素晴らしい。その若さで自分の店を持つなんて尊敬しちゃいますよ。でも、そのお店もオーナーがいなくなってしまったらどうするんでしょうね?」


 この女は私からあの店を乗っ取ろうとしているのだろうか。そんな事は絶対にさせるわけにはいかない。色々とあった苦労を乗り越えてやっと軌道に乗ってきたところなのに、そんな時に横から奪い取られるような事を許してはいけない。そもそも、私はオーナーでありパティシエールでもあるのだ。私の店の味は私にしか出せないのだ。レシピは全部頭の中に入っているし、誰にも教えるつもりなんてないんだ。


「それにしても、あさみさんって本当に運の無い人ですよね。元婚約者の人に刺されるなんて可哀想ですよ。でも、こっちに来れたのは運がいいのかもね。それで、新しい人生をやり直すかこのまま天国か地獄に行くか選べますけど、どうします?」


 どうしよう、この女の人の言っていることが本当に理解出来ない。私が刺されたと言っているけれど、どこにも刺された後なんて無いし痛みだってないのだ。それで刺されたと言われても反応に困ってしまう。


「普通はそうですよね。今の状況を瞬時に理解出来るわけもないんですよね。時々なんですけど、こちらの言いたいことを少しのワードで理解してくれる人もいるんですよ。そういう人って、察しがいいだけじゃなくて先を読む力もあるらしくて、私の望まない答えを選んじゃったりするんですよね。一度死んで辛い思いをしているのにもう一度生き返って同じような辛い経験を繰り返したくないって言ってたりするんですよ。でも、やり直せるのは同じ場所じゃないですし、違う事をやればいいんじゃないかって思うんですよね。そういう人って中途半端に頭がいいせいか、同じことを繰り返しちゃうんですよ。別の事をやらないと違う結果にならないってわかっているのに、同じことを繰り返した方が失敗しないと思ってるみたいなんですけど、最後の選択肢だけが自分の運命を決めているわけじゃないってのは気付いていないんですよ」


 私が反応しないのを良い事に好きな事を言っているみたいだけれど、やり直せるならやり直してみたいとは思う事がたくさんあった。どこからやり直せばいいのだろう?


 私の店がオープンした時からだろうか?

 そこからだと何も変わらない気がしていた。


 店の場所選びからだろうか?

 それほどお金に余裕があったわけではないので、選択肢は限られているし、あの条件で今の場所より良いところを見つけられる自信がない。そもそも、あの場所を見つけられたのだって奇跡だと思うのだ。そんな奇跡が何度も起こるとは思えない。


 前に働いていた店選びからだろうか?

 いや、これは一番変えてはいけないところだろう。この店のオーナーに出会えなければ私は自分の店を持つことも、今のような技術も磨けなかったと思う。専門学校の講師の方や他にも色々と教えてくれた人はいたけれど、あのオーナーに出会えたことで私は人間的にも成長することが出来たと思う。


 専門学校選びからやり直すべきなのか?

 ここも変えてはいけないところだ。あの学校に入って講師の方にオーナーを紹介してもらえなければ今の私はいないと思うのだ。他の学校にもあのオーナーとつながりのある方はいるかもしれないけれど、あの店で働くことは出来なかったかもしれない。


 では、パティシエールになる夢を持つべきではなかったのだろうか?

 この夢を諦めることは簡単だけど、あれほど充実していた時間を捨てて新しい夢を持てるのだろうか。きっと、それは無理な話だろう。


 私の人生をやり直すうえで一番変えなくてはいけないのは、婚約しない事ではないだろうか。あの時は気付かなかったけれど、今にして思えば元婚約者に不審な点はたくさんあったのだ。外面が良かったあの人は誰にも気付かれないようにしていたけれど、結婚する前にそれがわかったのはせめてもの救いだった。それが無ければ私の夢である店も持つことが出来なかったのだと思うから。


「それにしても、あなたの元婚約者の人って凄いですね。詐欺に横領に傷害に脅迫、最後に殺人までするなんて恐ろしいですよね。でも、殺人はあなたに対してだけですし、あなたの死体はあの世界には残らないのですよね。死体も見つからず、あなたを刺したナイフには血痕すらついていない。その状況で警察は殺人事件として取り扱うでしょうかね?」

「……ちょっといいですか?」

「あ、喋れるようになったんですね。もう少し時間がかかるかと思ってましたけど意外と早いですね」

「私を刺したのが元婚約者って事みたいですけど、刺された記憶も無いし傷だって見当たらないんですけど」

「それはそうですよ。あなたを刺したナイフは人を殺すための物ではなくて、刺された人をここに移動させるための物ですからね。あなたが今こうしてここにいるってことは、元の世界にあなたはいないってことですからね」

「こういう状況だと魂だけじゃなくて体ごと転生させるんですか?」

「安心してくださいね。今はここに転送されただけですし、転生するのはこれからですよ。その時は今よりももっと若々しい肉体に戻れますからご安心してくださいね」

「いや、まだ転生すると入ってないんですけど。私は元の世界でやり直したいんですよ」

「あ、それは無理ですね。元の世界に転生って出来るわけないじゃないですか。あの世界は私達の管轄外ですし、きっと辛い事しか待ってないですからね」

「それなら、天国に行きたいです」

「天国ですか。あなたならその資格があるかもしれないですけど、私はその審判をする資格がないんですよね。もしかしたら、地獄に落とされるかもしれないんですけど、それでもいいですかね?」

「でも、私ってそんなに悪い事してないと思うんですけど、それでも地獄に落ちる可能性があるんですかね?」


 私は女の人が差し出してくれた冊子を受け取ると、その表紙に書かれたタイトルに目が惹かれた。


『最新版 地獄に落ちるのはこんな人』


 図解入りで丁寧に説明しているらしい。軽くページを捲ってみたけれど、私はたまたま開いたページの項目に絶望した。


『肉食を行った者は地獄に落ちる』


 私はベジタリアンではないので当然肉は食べている。こんなのは誰でも地獄に落ちてしまうだろう。もしかしたら、天国なんて無いのかもしれないと思い始めていた。これなら新しい人生をやり直した方がいいのかもしれないと思った。


「わかりました。新しい人生をやり直します。そっちの方がいいと思いますので」

「そうですか、それは良かった」


 私の言葉を聞いた女の人の表情は一気に明るくなって、その声も先ほどよりは明るく軽快に感じた。


「最後にもう一度聞きますけど、それで後悔は無いですね?」

「ええ、地獄に行くよりはマシですからね」

「そうですか。それでは、転生の為の準備を始めますね。そうそう、その間にあなたの元婚約者がどうなったか見てみますか?」

「いや、それは見なくても大丈夫です。大体察しがつきますからね」

「見なくてもいいですけど、あなたが刺されてからの記録があるのでそこのモニターに映しておきますね。見なくても結構ですけど、準備には相当時間がかかると思いますので暇潰しになるとも思いますよ。見終わっても準備が終わってないようでしたら、その冊子を読むこともお勧めですね。ここには娯楽はその二つしかないですからね」


 女の人が部屋から出て行くと、その少し後にモニターに私の姿が映し出されていた。店に入る前なので私服なのだけれど、鍵を取り出す前に私の背後に元婚約者が走り寄ってきて、そのまま体当たりをしてきていた。私はその衝撃をもろに受けているはずなのに微動だにしなかった。その瞬間、私の姿が消えると、元婚約者は何を言っているかわからない言葉を叫びながらどこかへ走っていった。

 次に映し出されたのは交番にいる元婚約者の姿だった。警察の人に事情を説明して私を刺した現場に行っているようだけれど、そこには私の体も血痕も無く、ただ慌てている元婚約者の姿が映し出されているだけだった。警察の人もナイフを調べたりしているけれど、特に事件性も見られないと思ってその場から戻ってしまった。

 元婚約者はその場から逃げるように走り出すと、そのまま国道に飛び出してトラックに跳ねられていた。

 モニターに新しく映し出されたのは私の両親が店の前で立ち尽くしている姿だった。私はその様子を見てから初めて自分があの世界からいなくなったのだと思えた。実感はまだ薄いけれど、あの世界にはもう自分がいないのだというい事は何となく理解していた。

 映像はそこで終わっていた。

 準備もまだ終わりそうになかったので、私は渡されていた冊子を見てみる事にした。

 こんなことをしている人は地獄に落ちますよと書いてあるのだけれど、そのほとんどの事は普通に生きていれば日常生活で行われているような事ばかりだった。これじゃあ天国に行く事なんて不可能だよなと思っていたのだけれど、最後のページに恐ろしい言葉が書いてあった。

『念仏を三回唱えたものは極楽浄土へと導かれるでしょう』

 これは最初に書いておけよと私は思ったのだけれど、最後まで読まなかった私が悪いのかもしれないと少しだけ思った。でも、この冊子の制作者は意地が悪いと思う。


「準備も整いましたので始めましょうか」

「あの、私がこの冊子を読み終わるタイミングを伺ってましたよね?」

「そんな事無いですよ。じゃあ、あなたはあの世界に転生する五人目の地球人なんで頑張ってくださいね。そうそう、あの世界ではあなた達転生者の方は死んでも生き返らせてもらえますから、安心して何度でも死んで平気ですよ」

「はあ、何度も死にたくないですけど、出来るだけ頑張ります」

「じゃあ、転生の旅をお楽しみくださいね」

「元に戻る条件とかってあるんですか?」

「そんなもの、無いですよ」


 女の人は嬉しそうに微笑んでいたのだけれど、私はもしかしたら睨んでいたかもしれない。そんな事もあったのだけれど、私は気が付くとどこかもわからない部屋の中にいた。書いてある文字も読めないし、周りの人が話している言葉もわからない。わからないけれど、私は近くにいた人に手を引かれて謎の小部屋へと案内された。

 そこでも何を言っているのかわからなかったけれど、どこからか聞こえてきた声が私の役割を説明しているようだった。しかし、私はそれを一言も理解することが出来なかった。


 案内された部屋を出て、そのまま建物から外に出ると、それほど大きくない街のようで端から端まで見渡すことが出来た。


「この世界に転生された五人目ってことだけど、他の四人を探した方がいいのかな?」


 私がそう独り言をつぶやくと、後ろから肩を叩かれて変な声を出して驚いてしまった。


「あ、ごめんごめん。日本語が聞こえてきたから話しかけてみたんだけど、君も転生させられたの?」

「はい、そうなですけど、ここの言葉が理解出来ないし文字も読めないので苦労していたんです」

「だよね、俺もいまだにこの世界の言葉はわからないんだけど、転生させるならその辺もわかるようにしろよって話だよね。そうそう、君って何か武器を持ってるかな?」

「いえ、何も持ってないです。異世界に来たってことは、戦わないといけないってことですかね?」

「どうなんだろう。俺は何回か町の外に出てみたんだけど、外にいる怪物達って俺から攻撃しないと襲ってこないんだよね。もしかしたら、そういう種族なのかもしれないけど、他に好戦的な種族とかいたら困っちゃうからさ。何か武器を持っていた方がいいと思うんだよね」

「でも、私はお金を持ってないと思うんですよね」

「それなら何か特技があればソレで稼ぐといいと思うよ。俺は格闘技をやっていたんで演武をしてみたんだけど、それでいくらかは稼げたからさ」

「私は特技とかないんですけど、前の世界ではパティシエールをやってたんでお菓子作りなら自信ありますよ」

「お菓子作りは材料がいるから難しいかもね。素材を集めて調理器具も集めてからなら良いかもしれないけど、それを集めるためにも何か特技は無いかな?」

「強いて言えば、歌うのは好きです」

「歌ならいいと思うよ。きっとこの世界の人達にも喜ばれると思うよ」


 私はそのアドバイスに従って、人の多くいる広場の一角で歌を歌ってみる事にした。この街の人達は歌が好きなのかわからなけれど、私が歌っていると手拍子をしたりギターで演奏をしてくれたり一緒にコーラスをしてくれたりしていた。こんなにフレンドリーな人達なのだと思っていたのだけれど、五曲ほど歌い終わると色々な種類の硬貨と紙幣が私に手渡された。


「これでいい武器を買えますかね?」

「どうだろうね、でもさ、君に相応しい武器を買えるといいね」


 私はそのまま武具屋に案内してもらったのだけれど、店主が私に勧めてきたのは武器ではなく楽器類だった。楽器で戦う文化でもあるのだろうか?


「この店って、その人に相応しい武器を選んでくれるみたいなんだけど、楽器ってことは戦闘職じゃないのかもね。それに、歌だけであんなに人を巻き込んで楽しめるのは歌を歌う職業なんじゃないかな。もしかしたら、吟遊詩人なのかもね」

「そういう職業もあるんですね。やっぱり、向こうの世界でも職人だったからそういう影響もあるんですかね?」

「そうかもしれないね。じゃあ、これからこの世界で頑張るんだよ」

「え、一緒に行動してくれないんですか?」

「あ、そうだね。俺もまだこの世界に来てそんなに過ごしているわけじゃないんで何とも言えないけど、出来る事なら戦える人がいいかなって思ってるんだよね。申し訳ないけど俺も戦闘の負担は減らしたいって思ってるからさ。戦ったことはないんだけどさ」

「……そうですよね。お金の稼ぎ方とこのお店を教えてくれてありがとうございました」


 私はこの男の人と別れると、もっと楽に稼げる大きな町が無いか尋ねてみた。言葉はわからないけれど、何となく伝わることが出来たみたいで、その町の方向を教えてもらうことが出来た。何故かはわからないけれど、私は馬車に乗せてもらうことが出来て途中まで一緒に行動していた。


 小さな教会のような場所で親切な人達と別れると、私はそのまま見えている大きな街に向かう事にした。それほど離れているようには見えないのだけれど、実際に歩いてみると二日経っても近付いている気配すらなかった。少しだけ後悔していると、私はなぜか怪物に囲まれていた。襲ってくる気配こそなかったものの、私は怪物にジロジロと見られているのが怖くてたまらなかった。

 あまりの恐怖に私は歌を歌ってしまったのだけれど、あの時の街の人達と同じく、怪物達も私の歌に合わせて歌を歌ってくれているようだった。

 私は怪物たちを引き連れて街へと向かっていたのだけれど、ある程度近付くと怪物たちは元居た場所に戻って行った。どうやら、ある程度街が近付くと怪物たちは近寄れないようになっているらしい。


 私が街について唖然としたのだけれど、この街も私の知っている言葉が何一つなかったのだ。

 言葉は通じないけれど、泊まる場所は確保できたので、明日からはどこかで歌を歌って生活費を稼ぐことにしよう。


 異世界生活は元の生活よりも厳しそうだと思った夜だった。

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