第17話 好きな作家と好きな作家
いつの間にかみさきとアイカさんが仲良くなっていたのだ。何がきっかけかわからないけれど、二人はここ数日の間に急激に距離が縮まっていたのだった。時々私を見ては何か言いたそうな顔をしているのが気になっていたけれど、私が二人に話しかけようとすると二人ともどこかへ隠れてしまっていたので、理由は全く分からなかった。
仲が良いのは結構な事ではあるのだけれど、私は二人がどうしてそんなに仲が良くなったのか理由を知りたい。それを知れば私も二人と仲良くなれるような気がしているのだ。それについてはあさみも同意してくれていた。しかし、それでも二人が私達に理由を説明してくれる事は無いのだった。
私とあさみは年齢も近い事があって仲は良いのだけれど、お互いに見えない壁を作っているようで思っているよりも距離を近付けることが出来なかった。それを考えるとみさきとアイカさんの距離の詰め方は異常に感じてしまった。それだけ深い共通点があったのだろうけれど、それを知ることが出来たのならば、私とあさみも二人ともっと仲良くなれるのではないかと思った。
相変わらずみさきは私をチラチラと見ているのだけれど、ここでおかしなことに気が付いてしまった。みさきはあれほど好きだと言っている正樹の事をほったらかしにしているのである。今まで一度もこのようなことはなかったのだけれど、アイカさんと知り合ってからはみさきが正樹と二人で一緒にいるところを見ていない気がしていた。
正樹にその事を尋ねてみても、今はそれを気にする時期ではないと強がっているだけだった。
別に不仲になったわけではないので良いのだけれど、このまま気にしているのは私の精神衛生上よくないと思う。ルシファーやミカエルに聞いてもその答えは私の求めていない答えになっているし、何がしたいのかもはっきりわからないのは嫌だった。
今日も何もわからないまま一日が終わっていくのかなと思っていると、アイカさんと手を繋いでいるみさきが私に話しかけてきた。
「ねえ、アイカちゃんも先生のファンらしいよ」
「え、どういうこと?」
「だから、アイカちゃんもあげ餅味噌煮先生のファンなんだって」
「そ、そうなんだ。世間って意外と狭いのかな」
私は何となく笑ってごまかしてはいたけれど、異世界に来てまで私の同人誌のファンだと二人から言われるとは思わなかった。それも、言ってきたのは同じ仲間なのだ。
「たまたま漫画の話をしていたんだけど、アイカちゃんとは意外と趣味があってしまったんだよ。なかなか同好の士とは巡り合う事も無かったので、ここ数日は一緒に漫画談議に花を咲かせていたのだけれど、商業誌じゃなくて同人誌で同じ作家さんが好きだなんて、こんなすごい偶然を手ばないしては後悔すると思って二人でずっとお話ししていたんだよ。こんな出会いはもう二度と経験できないと思うし、これからもずっと仲良くしていこうねって話してたんだよ。その中に先生も入ってくれるよね?」
「私はファンでは無いんだけど、その中に入っても知識量なら負けちゃうかもしれないな。結構作品の締め切りに追われていて、同じ本を何回も読むってことがあまりないもので、深い事は何も語れないかもしれないんで、ファンの人はファン同士で考察と化したらいいんじゃないかな。私がそれに参加して新しいトリックを思いついたら面倒な事になりそうではあるよね」
「先生がダメならあさみさんにも聞いてみようかな。ねえ、あさみさんは好きな漫画家さんとかっているのかな?」
「好きな漫画家さんか。色々と難しい質問だよね。好きな漫画家さんはたくさんいるんだけど、こういう場で発表できるのは相当好きじゃないとハードルが高いよね」
「そっか、それもそうだよね。ちなみに、あたしとアイカちゃんは同じ作家さんが好きだったんだよ。凄くない?」
「この異世界に飛ばされて出会っただけでも奇跡なのに、その相手が同じ作家さんが好きだなんて奇跡だけの世界になっちゃうかもね。で、何て作家さんが好きなのかな?」
「同人の作家さんなんであさみさんは知らないと思うけど、『あげ餅味噌煮』先生って言うんだよ。あさみさんは知らないよね」
「いいえ、私はその作家さんの事は知っているけど、名前を知っているだけでどんな漫画を描いているかはわからないわ。二人には私の好きな作家さんの名前を聞いてもらいたいんだけど、良いかしら?」
「うん、あさみさんの好きな作家さんの事が知りたいな」
「じゃあ、言うね。私の好きな同人作家さんは『桜田三咲』先生よ。桜田先生は全年齢対象の青春物を得意とする先生なのよ。人間の体温を感じさせるような温かみのある絵柄が特徴なんだけど、どこか物悲しさを感じさせる天才と言っていい作家さんね。どこかの十八禁作家さんとは違うかもね」
「あれ、それってどういう意味かな?」
「そうですよね。あさみさんはその桜田先生を崇拝なさっているようですけど、作家デビューはあげ餅味噌煮先生の方が先なんですよね。デビューが先という事は、どういう事でしょうかね?」
「あれ、二人ともムキになっているみたいだけど、何かあるのかな。あ、あげ餅味噌煮先生は前期と後期で作風がガラッと変わているんだけど、それを考慮しないでデビュー日だけでオリジナルって言いきってるのかな?」
「十八禁作家の事は詳しくないですよ。って顔してるあさみさんなのに、あげ餅味噌煮先生の事がお詳しいんですね。もしかして、好きな作家さんが作風を似せている作家さんだから気になって読んでるんですか?」
「ちゃんと読んだこと無いけど、好きな作家さんの事を調べていたら嫌でも目に入るよね。それはそっちも同じことなんじゃないかな?」
「ええ、桜田先生の作品の事は私も存じ上げていますよ。絵柄も作風も似ているのは認めますけど、あげ餅味噌煮先生にはあるけれど桜田先生に足りないものって何だかわかりますか?」
「ちょっと、こんなとこでもアイカさんは学者ぶっているんですか?」
「ぶっているんじゃなくて、私は学者です。さあ、あさみさん、私の質問に答えてください。これは、桜田先生のファンだと言うなら避けては通れない道ですよ」
「えっと、その、桜田先生に足りなくて、あげ餅味噌煮先生にあるものと言えば、その、あの」
「ええい、じれったい。その可愛い口でハッキリ言うのが恥ずかしいというのでしたら、私が代わりに答えてあげます。桜田先生に足りなくてあげ餅味噌煮先生にあるものは。十八禁を越えたエロです。アレはもはや実写化不可能の壁をさらに分厚くしている者です」
「いや、十八禁の作品はもともと実写化不可能でしょ」
思わず突っ込んでしまったけれど、私の作品たちが実写化することはまずありえないでしょ。全年齢でも厳しいと思うのに、十八禁じゃなおさら不可能だと思います。
「おや、ここで作家さんご本人もあたし達の味方として参戦ですね。どうですか、あさみさんは作家さんご本人を目の前にしてもまだあげ餅味噌煮先生を否定することが出来るのかな?」
「え、作家さん本人ってどういう事?」
「あさみさんはご存じなかったのですね。私も先ほどみさきに教えてもらって初めて知ったのですが、サクラさんはあげ餅味噌煮先生の中の人なんですよ」
「ちょっと、中の人はやめて」
「そんな、サクラがあげ餅味噌煮先生だって言うの?」
「うん、一応そのペンネームでもサークル立ち上げてたよ」
「ちょっと、それならそうと言ってよね。私だってあげ餅味噌煮先生の事は嫌いじゃないんだけど、桜田三咲先生の作品が好きだからこそあんなことを言っちゃうんだよ。本当にあげ餅味噌煮先生の事は嫌いなんじゃないからね」
「おやおや、あさみさんは作家さんご本人が登場したらいきなり自分の信念をへし折ってしまったんですね。そんなんで桜田先生に顔向けできるんですかね?」
「それは出来るでしょ」
「お姉様は黙っていてください。今はあたしとあさみさんの大事な話し合いの場なんですから」
「でも、あげ餅味噌煮先生になくて桜田先生にしかないものだってあるよ。みさちゃんは桜田先生の漫画を読んだこと無いのかな?」
「ありますよ。普通に良いマンガだとは思いますけど、あげ餅味噌煮先生の漫画の最初の二コマみたいな漫画が続いているなって感想ですね」
「それじゃ、桜田先生の事は凄いとは思わないんだね。私はあれだけ切ないのに胸が熱くなる話は作れないと思うな。確かに、エロは見た目のインパクトもあるし売れるためには必要な要素かもしれないよ。それでも、桜田先生は安易なエロに逃げないで良く練られたストーリーとコマワリも凄いし、何より読み終わった後の充実感が半端じゃないんだよ」
「私は桜田先生の作品を全部読んでいるわけじゃないんだけど、あさみさんが言いたいこともわかるよ。あの漫画はそのまま少女漫画誌に掲載しても問題無いくらいだと思うんだ。でもね、エロが無いのに長いのよ。同人誌であんなにページ使ってあの値段って、頭がおかしいのか金持ちの道楽でしかないじゃない」
「あたしもアイカちゃんと似たような意見だけど、桜田先生は凄い作家さんだと思うよ。あげ餅味噌煮先生も凄い作家さんだと思うし、二人とも凄い作家さんで作風も画風も近いところがあるからこそファン同士が対立しちゃうんだよね。でもさ、それって凄い事だと思うよ。どっちが正しくて正義なのかはわからないけれど、どっちの漫画も間違いなく面白いんだもん」
「うん、それは桜田先生のファンである私も同じ意見だよ。どっちが作風を寄せたにせよ、二人とも凄い作家さんだってことは間違いないんだよね。もしかしたら、二人は同じサークルのメンバーで全年齢と十八禁で作家さんがわかれているのかもね。なんて、そんな話はどこの掲示板でも言われてる噂だよね」
「えっとね、それは半分あっているけど半分は間違っているかな」
「そうか、お姉様はあげ餅味噌煮先生ご本人なんですから直接聞けばいいだけの話ですよね。実際のところどうなんですか?」
「うん、その質問に答えるのは簡単なんだけど、みさきって元の世界にいた時は高校一年生だったんだよね?」
「はい、そうですけど、それがどうかしましたか?」
「えっとね、前から言おうと思っていたんだけど、あげ餅味噌煮の作品は全て十八禁なんだよね。それはわかっているかな?」
「ええ、あんなに激しくておぞましいものは全年齢では表現出来ないと思います。表情さえも黒塗りが必要になってしまうレベルだと思います」
「そうなんだよ。それって、つまり。みさきはあげ餅味噌煮の作品に触れちゃダメなんだよね。買ってくれた漫画を捨てろとは言わないけれど、大人になるまでは誰かに言わないようにしようね。誰かに言ってしまうと、委託とはいえ私も何らかの責任を取らなくなっちゃうかもしれないからさ」
「今はそんな事よりも、あげ餅味噌煮先生として桜田先生の事をどう思っているのか私にも教えてください。資料が明らかに不足していますので、学者と言えども私に詳細を調べることなどできないのです。桜田先生に対して思う事でも結構ですので」
「それなんだけどさ、ファンのみんなが時に罵り合ったりしているのは見たこともあるんだよね」
「それで、サクラはどう思ったのかな?」
「私はね、そんな事で言い争うなよって、ずっと思っているよ」
「確かにね。でもね、どっちがパクったかって大切な事だと思うの。サクラは桜田先生の作風をパクったりしていないよね?」
「うん、私はパクっていないよ。パクっていないって言うか……」
「何かな、言いたいことがあるのならハッキリ言っていいんだよ。桜田先生に伝わるとは思えないけど、ここで謝罪してもらってもあんまり意味が無いかもしれないけれどさ」
「いや、三人が熱くなって語っているのを見て、私は嬉しかったんだよ。そこまで熱い気持ちで私の作品に触れていてくれるんだなって思ったしさ」
「そりゃそうだよ。サクラが私達の仲間じゃなかったとしても、桜田先生の作品が素晴らしい事には変わりないんだからね」
「あげ餅味噌煮の作品だって素晴らしいですよ」
「そうよね。あげ餅味噌煮先生の作品には多くの愛が込められているんですから」
「あのね、さらに盛り上がっているところ悪いんだけど、私の話も聞いてもらっていいかな?」
「お姉様の話って何かな?」
「私もサクラの話聞いてみたいかも。あげ餅味噌煮先生が桜田先生に対してどんな気持ちなのかってね」
「私も学者としてではなく、一ユーザーとして聞いてみたいです」
「実はね、桜田三咲も私のペンネームの一つなんです。だから、三人で言い争いしなくていいんだよ」
私の告白を聞いた三人は目を見開いてパクパクと口を開け閉めしていた。こうなるだろうとは予測していたのだけれど、二つの絵を見ても別人だと思ている方がどうかと思っていた。
ちなみに、エロ同人で手にした利益の一部で桜田三咲名義の本を発行しているのだ。こちらは採算度外視で完全に趣味でやっているので儲け自体はほとんどないのだ。エロはそれなりのクオリティを保てば売り上げにはそれほど影響しないので良いのだけれど、桜田三咲の本はクオリティをあげて納得のいくものを気のすむまで試したりもしていた。そんなにこだわった作品もわりと売れているのだけれど、エロ同人に比べたら一割にも満たなかったのだ。
相変わらず、目の前の三人は固まったままなのだけれど、正樹とルシファーとミカエルは私達の事は一切気にしていない様子なのが心に深く刻まれてしまった。正樹がマンガにそれほど興味が無いのは意外だったかもしれない。
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