ヴィンセント・ボイルの回想 4


 師匠は俺たちを置いて行ってしまった。


「くそっ!」


 俺はベッドに乱暴に飛び乗った。


「なんなんだよあの馬鹿は! 馬鹿! ばぁああああかっ! ああもうっ!」


 枕を何度も殴りつけていると、後から入ってきたアーネストが背中合わせに座って、「物に当たるのはやめとけよ、ヴィンス」と諦めの混ざった口調で言った。

 素直に従うのは癪だったから、最後にもう一発だけ殴って、頭突きをするようにベッドに転がった。


「ねぇ、大丈夫なのかな……」


 さらに遅れて入ってきたダニエルが、心配そうにしながらアーネストの隣に座った。


「大丈夫だろ、たぶん。怪我は本当に治ってたみたいだし」

「そうなの?」

「そこに嘘はなかったし、不安もなかったから」


 と、アーネストは頬を膨らませた。


「でも、ずっと戸惑ってた。俺たちの言いたかったこと、本当に分かってなかったみたい」

「馬鹿にもほどがある!」


 勢いを付けて飛び起きると、三人を乗せたベッドはぎしりと軋んだ。


「でも、最悪の事態じゃない」

「どこが!」

「少なくともこうしていれば、また俺たちを庇って怪我することはないよ」

「っ……」


 アーネストの言う通りだった。それが一番の懸念だったんだ。師匠が怪我をする時は、俺たちが足を引っ張った時だろうから。


「これでいいんだ、これで……」

「――おっまえさぁ」


 俺はその口ぶりに無性に苛立った。


「そーいうのやめろって言ったよな、俺も、ダニエルも」


 アーネストは首だけで振り返って、俺を睨んだ。


「そういうのってどういうのだよ」

「何でも受け入れて諦めた振りして、これが大人だって顔するとこだよ」

「そんな風にしてない!」

「いいやしてたね!」


 胸倉を掴み合ったのは同時だった。


「ちょっと二人ともやめなよぉ」


 ダニエルが泣き声を上げたが、その程度で止まるほど俺たちは賢く・・ない。

 しばらく唸りながら睨み合って、いざ! と拳を振り上げた瞬間、


「お? 喧嘩か? いいねぇ、さっすがスリム・ウルフの弟子。血の気が多いな」


 扉の方から知らない(本当は聞き覚えがあったのだが)声がして、俺たちはパッと振り返った。

 治療師と、もう一人いる。前に魔法庁に来た時に、師匠が悪魔と契約しているとかなんとか言ってた三人組の内の二人が揃っていた。


「なんだ、やらないのか? 治療ならしてやるよ。費用はウルフ持ちで」

「あの、ギルバート……」

「分かってるって。僕はアイツほど大人げなくない」


 ギルバート、と呼ばれた治療師は、まったく似合っていないベッカムスタイルを片手でかき上げながら、ずかずかと中に入ってきた。

 俺もアーネストもすっかり毒気を抜かれて、お互いを離した。

 その前にドサッと紙袋が置かれた。乱暴に放り出されたせいで倒れた紙袋の中から、果物やらお菓子やらジュースやら、いろんなものが零れ出てきた。


「んじゃ、あとはよろしくな、ビル」

「ああ、本当に行っちゃうんだねぇ、ギルバート……」

「僕はガキのお守りなんてご免だ。誰かさんと違って昨日の徹夜で疲れてるし。じゃあな」


 とギルバートはさっさと出ていってしまった。


「えーと、ごめんねぇ? 今のはギルバート・ベンフィールド。で、僕は、ウィリアム・チアーズ。ウルフの同期で、魔法管理課にいるんだけどねぇ」


 チアーズと名乗った男は、小太りで気の弱そうな顔をしていた。部屋の隅っこに置かれていた丸椅子を引きずってきて、でかい尻をちょこんと乗っける。


「分かりやすく言うとツンデレなんだ、ギルバートってねぇ」

「ツンデレ?」


 俺たちの喧嘩が収まって、あからさまに安心した様子のダニエルが首を傾げた。


「そうそう。君たちがウルフと喧嘩してるのが聞こえて、心配になったのはいいんだけど、実際相手にしようと思ったら上手くいかないに決まってるから、慌てて僕を呼んできた、ってわけねぇ。こんなにたくさん、お菓子とか買い込んじゃっておきながらねぇ」

「師匠と仲悪いんじゃないの?」

「今は、暇だったら突っかかりに行くってぐらいかなぁ。カレッジにいた頃は最悪だったけどねぇ。でもいっつもウルフの圧勝でねぇ。なのにギルバートはずーっと突っかかってて……。とばっちりで僕らまで――あともう一人、オーガスタス・スウィニーってやつがいるんだけど、そいつと三人でまとめて肥溜めに落とされた時は、僕らも本気で殴りに行ったねぇ」

「行ったんだ……」

「あはは。若かったんだよねぇ。見事に返り討ちにされたんだけど」

「三対一で?」

「うん。三対一で。ウルフは運動神経が良いからねぇ。大学の時は、確か、ボクシングクラブに入ってて、学生リーグの全国大会で準優勝とかしたんじゃなかったかなぁ」

「え、本当に?」

「マジで?」

「嘘だろ」

「調べてみれば分かるよ。それにほら、あの性格だよ? 勝負事には強いんだよねぇ」


 チアーズはたぷたぷの腹と頬を揺らしながら笑った。


「でもねぇ、ウルフは、あの通り鈍感で強情で意地っ張りで、負けず嫌いで、頑固で大人げなくて、すぐ煽ってきて、悪戯大好きで、自分勝手で自己中で傲慢で傍若無人で、決まりなんか全部無視して、なんでも自分の都合の良いように変えて、プライドが高くて……あと、何があったっけ?」


 俺たちはちょっと顔を見合わせて、肩をすくめた。大概な悪口だったけれど、全部頷くことが出来たので腹も立たない。むしろよく言ってくれた、って思った。

 アーネストが代表して「大体言ったんじゃない?」と答えた。


「ふふ、そうだよねぇ。そんな奴だよねぇ。でもねぇ、それでも、悪いやつじゃなかったんだ。だから、いろんな人に愛されてたんだよねぇ」

「……」

「ギルバートはそこもまたムカつくところだったみたいだけどねぇ。暇だったらちょっと聞いてくれる? 不器用で優しい狼の話」


 そう言って、チアーズは学生の頃の師匠の話をいろいろとしてくれた。大体行きの列車の中で聞いた話だったけれど、師匠があえて省いていたらしい前後のことや、裏の背景とかが分かって、なんだか新鮮な感じがした。


 すっかり日が暮れて、お菓子が尽きた頃に、チアーズは席を立った。

 俺がふと思い立って、


「なぁ、なんでこんな話をしに来たの?」


 と聞いてみたら、チアーズは少しだけ考えて、やがて贅肉の中に目を埋めるようにしてにっこりと笑った。


「嫌がらせ、かねぇ。きっとウルフは、好意的に評価されるのが苦手・・だから」


 その言い方は明らかに、“嫌い”と“苦手”の違いを分かっている言い方だった。



>三人組はギルバート・ベンフィールド(治療師)ウィリアム・チアーズ(魔法管理課)オーガスタス・スウィニー(所属不明)師匠を嫌ってはいないらしい(?)

>大学時代 ボクシングクラブ 学生リーグ準優勝←マジだった。準優勝ですっげー悔しそうな顔してる写真が出てきた。

>激やせトニックウォーター 作り方を聞く(教えてくれなかった)

>師匠の悪戯は全部他人のため←? 要確認(そんなことはない、と本人談。でもまんざらでもなさそうだった。)



 次の日に起きたことを俺は思い返したくない。悪夢のような一日だった。よって割愛する。

 いろいろあったけれど最後には全部丸く収まった。結局ヘンウッドとプレイステッドが共謀していて、師匠とアーネストが死にかけたけれど、誰も死ぬことなくどうにかなった。

 俺たちに掛けられた嫌疑が濡れ衣であったことも証明された。よって、停学処分はなかったこととなり、二週間の弟子入り(仮)はおしまいになった。


 学校に戻ってきた後、俺たちは正式にアーチボルト・ウルフに弟子入りを志願した。実は戻ってくる前から三人で話し合っていて、そうしようって決めていたんだけど。

 師匠を言いくるめる屁理屈を用意して、玄関ホールで待ち構え、出てきた師匠を捕まえた。師匠はすごく意外そうな顔をしていたし、予想通りごねたけど、最後には受け入れてくれた。(めちゃくちゃ分かりやすい笑顔でね!)

 だってまだ、減らず口のラインナップを一割も教わっていないし。

 学校では教えてくれない魔法はもっとたくさんあるはずだ。

 今からそれを学ぶのが楽しみで仕方ない。


           1st-16th, Feb, 2020.



























 

(追記。事件はあの日、急展開した。ネイピア(大)が来てあれこれ余計なことを言っていったのが全体の原因である。あれさえなければもうちょっとマシな過程で解決できたかもしれないのに、と言ってももう過ぎたことだ。

 冷静になった今でもちょっと思い出したくないから、やっぱり詳細は省くけれど、そこで俺は初めて“コンプレックスを抉られる”という経験をしたのだった。驚くほど鮮烈で、強烈で、死にたくなるような衝撃だった。今までずっとひた隠しにして、見ないようにしてきたことを、他人が勝手に引きずり出して大声で触れ回った! 一生懸命描いた絵を嘲笑われた挙句に八つ裂きにされたような衝撃を百倍にした感じだった。殺してやりたい、って真剣に思った。

 ずっと、ずっとアーネストとダニエルに対して、俺は劣ってるってどこかで思っていた。育ちが悪いとか。両親を知らないとか。そういうところで。誰からも愛されていない――いや、アーネストとダニエルは友人でいてくれるけど、それはそれ――っていうのが、痛いほど骨身に染みていた。預かってくれた里親たちは、最初は優しくしてくれたのに、なぜか段々俺を嫌うようになっていった。悪いことは何もしなかったのに――家事の手伝いもたくさんしたし、生意気な口も出来るだけ封印してたのに。でも、知らないうちに失敗してたんだろう。やっぱり自分の子どもじゃない、どこの馬の骨とも知れない子どもなんて、愛せないのが普通なんだろう。それが普通なんだ――そう思い込んで受け入れて、“諦めた振り”で大人ぶってたのはアーネストじゃない、俺の方だ!


 棘のある言葉が今も抜けないままでいる。

 何者でもない雑種。

 何者でもない雑種!

 そう言った時のネイピアのあの何も感じていない冷たい顔を今でも思い出せる。あの瞬間、どうしてぶん殴れなかったのだろう? アーネストが馬鹿にされた時には殴りかかろうとしてダニエルに止められたのに。自分がそう言われた瞬間は、なぜか全身が固まってしまって動けなかった。

 怖かった? まさか。ネイピアなんて今更怖くもなんともない。

 じゃあどうして?


 図星だった?

 そうだ図星だった。まさにそれだった。自分が感じていたコンプレックスの正体。

 何者でもない雑種!

 あの一言が本当に的確に俺のことを言い表していた! ルーツが分からない恐怖。自分を構成する物質が分からない恐怖。俺は俺のことがブラックボックスみたいに思えていた。何者でもない。何が混ざっているのか分からない。だから――

 ――だから、努力してきたのに。

 始まりは分からなくても続きはどうにでもなる、って、そう思って、なのに始まりを知らないことは罪だと言われたような気がして、それで俺は動けなかった。見ないふりして置き去りにしてきた影に追いつかれて、足を掬われた。アーネストやダニエルとは生きる世界が違う人間だと、太い線を引かれたのだ。

 どうしようもなく悔しくて、けどどうすればいいのか分からなくて、ただ暴れ回った。


 そんな折に師匠が戻ってきたのだ。

 師匠は俺が逆ギレしたことにも、椅子をぶつけたことにも怒らなかった。それどころか、暴れる俺を無理に押さえつけるようなことも、むやみに怒鳴りつけるようなこともしなかった。今思い返せば、一昨日怪我をしたばかりの人の胸元をめちゃくちゃに殴るってひどい話だよな。いくら完治してるからって。

 でも師匠は黙って最後まで聞いてくれたし、怒りもしなかった――俺に対しては。

 同情するような態度も見せなかった。優しく抱きしめるなんてこともしなかった。

 師匠はただ俺の存在を認めてくれた。わずかに震えた泣きそうな声で。あの時の、師匠が俺の肩を痛いぐらい握りしめていた時の、必死な目を忘れられない。俺のことでこんなに必死になってくれる大人なんて、今まで一人もいなかった。そんな人は世界中のどこにもいないと思っていた。

 それからこう言った。「正しい怒りは正しい相手にぶつけろ」と。

 師匠も俺と同じくらい怒っていた。ネイピアに対して。それが分かった。俺の怒りにつられてではなかった。同情でもない。同情だったらあんな真剣な顔で言葉を探すことは出来ないし、そのあとネイピアにあそこまで怒ることは出来なかったはずだ。

 師匠は俺の足を掴んでいた影も、ネイピアが勝手に引いた太い線も、荒々しく消し飛ばしてくれた。師匠の言葉で、溶けそうになっていた俺の輪郭はハッキリしたのだ。

 それで、


 それで、この人はやっぱり大人なんだと――いや、ちょっと違うな。やっぱり子どもなんだ。だけど――そこがいい、っていうか。大人か子どもか、ってところを超えた、魂とかそういうもの? が、かっこいい――ううん、ちょっと俺の語彙では言い表せない。

 とにかく、この人は絶対に俺たちを見捨てない、って確信した。仕事だからとか弟子だからとか――多少はあるだろうけど――それ以上に、たぶんこの人は俺たちのことを、アーネストとダニエルと俺を、すごく気に入ってくれたんだと思う。たぶんね。ちょっとだけ自惚れてもたぶん間違いじゃないだろう。正式な弟子入り志願も断らなかったし。少しでも嫌だったら絶対に断るだろうからな、あの人の場合。

 だから、きっと俺たちが弟子入りを願っていなかったとしても、俺たちが助けを求めたら絶対に応えてくれたように思う。そういう人だ。根本的に人助けが好き。で、友人とか弟子とか家族とか、好きな人からのお願いに弱い。


 ヘンウッドがあんな真似をした理由も分かる気がする。他人のために命を削りがちなあの人を心配する気持ちも。だって、あの人が俺たちを想ってくれた質量と同じだけの想いを返そうと思ったら、どうしていいか分からなくなる。あの人がもう少しだけ“まともな自己中”になってくれれば、こっちの肩の荷も下りるのに。

 でも、そうじゃないからいいのだ、とも思うんだ。困るよな。


 とりあえず、見ない振りはいけないって分かったから、その内――余裕が出来たら――大人になったら? 俺のルーツを探ってみるのも悪くないかもしれない。探れるものなのかは知らないけれど。片親の名前だけでも分かればちょっとは違うだろう。

 俺だけじゃ限界があるから、師匠にも相談してみたいと思う。以上)




(記憶の再生を終了します)

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