コカトリス・フリッター 1


 シャンデリアを壊した罰掃除の最終日、アーネストは生ごみで一杯になったカゴを、半ば引きずるようにして運んでいた。

 厨房で出た生ごみは肥料にするため、数百メートル離れた菜園まで持っていく。それは大変な重労働で、罰掃除の花形と呼ばれる仕事だった。

 厨房の裏は学校を取り囲む森と近接している。森と校舎の隙間は子どもが四、五人手を繋いで歩けるほどで、そんなに狭くはない。けれど、深い森の威圧感や、そちらから漂ってくる魔性ませいの気配が、なんとなく道幅を狭く見せていた。


(はぁ……寒っ……重たい……)


 吐いた息が白く凍る。持ち手が指に食い込んで痛い。

 日はほとんど落ちて、オレンジの残滓がわずかに夜色のドレスの裾を染めている。真っ暗になる前に菜園へ着けるだろうか。カゴに両手を塞がれているせいで、杖を持てないから、灯りを点けられないのだ。この辺りに外灯はない。うっかりウィル・オ・ウィスプについていってしまったら、取り返しのつかないことになる可能性もある。


(急がないと……)


 唾を飲んでカゴを持ち直す。

 その時だった。


「「『ふんわり浮遊floating』!」」

「えっ、うわっ!」


 校舎の陰から声が響いたと思ったら、カゴがふわりと持ち上がった。そしてそれが、バランスを崩して尻餅をついたアーネストの頭の上で、くるんとひっくり返った。

 鼻を刺す悪臭。まとわりつくべたついた液体。野菜の皮やら肉の切れ端やら、いろんなゴミが全身にくっつく。


「うえっ……最悪……」

「あっはははは! きったないなぁ!」


 大きな笑い声と一緒に陰から出てきたのは、ジェフリー・ネイピアだ。いつものように、自慢のお伴たち・・・・をぞろぞろと引き連れている。普通にしていれば綺麗な海色の瞳を醜く歪めて、挑発するように杖をぶらぶらと振っていた。


「しかし、もう少し面白くなるかと思ったけど、やっぱゴミとゴミは相性がいいな。組み合わせても大差なかった。あっはははっ!」


 ネイピアの笑い声に周りが追従する。

 アーネストは拳を握りしめ、頭の生ごみを振り落としながら立ち上がった。指先は袖口の中、いつでも杖を抜けるようにしておく。そうしながら――口で勝てる内は手を出すな、だよね、師匠――口を開く。


「確かに俺は肥料として一級品かもね。君みたいに、脳みそスッカスカじゃないから」

「は?」

「君に向いているのは鳥の巣かな? 空っぽの頭蓋骨は鳥にとっていい寝床になりそうだ。それに、フンがたくさん詰まって生きてるときより利口になれるかもしれないよ。良かったね、ウィンウィンの関係じゃないか。君なんかでもお役に立てるなんて世界は寛容だな」


 ネイピアの浅黒い肌がかぁっと赤くなった。


「生ごみだらけのクズが、生意気なこと言うな!」

「生ごみを馬鹿にするのはやめた方がいい。俺たちの食べ物を作るのに重要な――」

「『雷撃ビリビリblitz』!」


 バチンッ、と紫電が走って、咄嗟に飛び退いたアーネストの影を焼いた。


「次は当てるからな……。まぁ、威力は絞ってやるよ。意識はあるけど動けない、ってぐらいに。生ごみの中でのたうち回ってろ」


 きっと彼にとっては、人数で勝っているのにまったく怯えてみせないことが気に入らないのだろう。アーネストは冷静に分析しながら、杖を抜き出した。油断なく構える。『防壁』を張りながら逃げれば――


野蛮人・・・の弟子が、まさか逃げようなんて思ってないよな」

「っ!」


 考えたことをぴたりと言い当てられて、アーネストは口を歪めた。

 ネイピアが勝ち誇ったような顔になる。


「まぁ、そう考えるのも分かるよ。お前はやり返せない・・・・・・もんな」

「はぁ?」

「僕に何かしてみろ。すぐに連絡して、お前の師匠を降級させてやる」

「っ」

「弟子の不祥事は師の不祥事だもんな。あっという間に銅貨階級ブロンズだ」


 残忍な笑みを浮かべたネイピアの前で、アーネストは下げてしまいそうになる杖先を必死に支えた。でもその葛藤を隠し切れずに、杖はぶるぶると震える。それでネイピアを満足させるのがこの上なく嫌だった。楽しそうに鼻を膨らめて!


「なんにせよ逃がさないけどな。ほら」


 ネイピアがちょっと指先で命じると、従順なお伴たちがぐるりとアーネストを囲んだ。

 アーネストはフリーズしそうになる頭に鞭を打って、少しでも場を長引かせようとした。戻るのが遅くなれば、厨房の人が気付いて来てくれるかもしれない――それか先生の見回りがくるかも――どちらも、望み薄だけど。


「この辺りは先生も滅多に来ないし。うっかり風邪ひいて死んじゃったらごめんね?」

「人数が揃わなきゃ何にもできない臆病者め。たまには一人で活動してみたらどうだ?」

「さすが、人数が揃ったって何もできないクズはよく吠えるな。犬の真似してごめんなさいしたら許してやらないこともないけど」

「犬の真似してごめんなさい、って何それ? 君って犬の謝罪を受けたことあるんだ。それはとっても珍しい貴重な体験だね。ぜひ俺にも教えてほしいな、どんな感じだったの?」


 ネイピアが唇をぎゅっと引き結んで、アーネストを睨んだ。百パーセントの敵意。それから杖がびしりとアーネストを指した。


(来る!)


「『水流バシャバシャwaves』」

「わっ」

「うわあっ」


 頭上から突然落ちてきた水の塊が、その場の全員に降りかかった。アーネストは二つのことで驚いた。ネイピアが『水流』なんて撃つわけがない! それに、悲鳴は俺だけじゃなくて、周りの全員――ネイピアの声もした! じゃあいったい誰が、今の魔法を?


「おっと、すみません。簡単な魔法は加減が難しくて」


 なんて涼しげに、白々しくうそぶく声。

 アーネストは救われた気分になってパッと目を開いた。その真っ赤なコートは、真っ暗の空が背景でもよく映える。


師匠マスター!」

「こんばんは、アーネスト」


 彼はネイピアのすぐ後ろでにっこりと笑ってみせた。そしてアーネスト以外に誰もいないかのように「どうやら罰掃除の最中のようですね。ちょうどよかった、終わったら厨房の横の小部屋へ来てください。話があります」と言いながら、ネイピアの脇を抜けた。


「話って?」

「それはまた後程。『乾かせdry』」


 師匠がひょいと杖を振ると、金色の光がふわりと広がって、アーネストから冷たい水を吹き飛ばした。「これぐらい複雑な魔法なら調整しやすいのですけど」と笑う師匠の向こう側で、誰かが小さくくしゃみをした。


「では、私はこれで。他人ひとの喧嘩に口を出すつもりはありませんし、仕事の話がありますから」


 アーネストは引き留めたくなったのを必死にこらえた。本当は思いっ切りやり返してほしい。けれど、ここで師匠がやり返したらそれこそ問題になるし、明日からの生活に関わってくる――師匠におんぶにだっこの弱虫だ、って! それを察したネイピアが静かに笑っていた。

 厨房の方へ向かって三歩ほど行って、師匠は唐突に振り返った。


「一つだけ教えておきましょう、アーネスト」

「なに?」

銀糸階級シルバーまでならともかく、金枝階級ゴールドの降格は長官一人では決められません。長官か協会長か校長の誰かから降格が提言され、それが評議会の三分の二以上の賛成を得て初めて決まります。これは魔法法に定められています」


 そうだったのか。アーネストは目をぱちくりさせた。あとで魔法法もきっちり読み込んでおこう。無知は時に毒となる。


「ですから、君の不祥事・・・誇大に・・・報告されたとしても、長官にできるのは提言までですし、提言だけならこれまで何回もされてきましたから、どうぞご心配なく」

「されてきたんだ」

「何十回、だったかもしれません」


 おどけた調子で言いながら、師匠はネイピアのお伴たちが作った輪をあっさり通り抜けた。お伴たちはスリム・ウルフの登場のせいか、全身ずぶぬれになったせいか、ガタガタと震えて素早く道を開けたから、師匠がそこに突っかかることはなかった。


「やり返し方は以前教えたとおりです。実践の機会をいただけてラッキーでしたね、アーネスト? この場所に先生が来ることはありませんから、思う存分やるといいですよ。あとでどうだったか聞かせてください。それでは」


 ひらりと手を振って、師匠は背を向けた。

 最強の味方が遠ざかっていくにもかかわらず、アーネストはまったく不安にならなかった。師匠は降格なんてされない。俺はネイピアと対等に戦える! それが分かっただけで憂いはなくなった。

 それに、濡れた体を夜気に冷やされて、唇を青くしているネイピアなんかに、負ける要因など一つも見つからない。


「じゃ、続きをやろうか?」


 アーネストは今度こそしっかりと杖を構えた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る