ヴィンセント・ボイルの回想 3
自分の生い立ちをぺらぺらと喋るつもりなんてこれっぽっちもなかった。気が付いたら話してしまっていたというだけで。(嘘だ。今でもちょっと恥ずかしいけれど正直に言う。本当は俺のことを聞いてほしかった。師匠なら馬鹿にすることも同情することもない、って思っていたし……もっと正直に言うことはまだ恥ずかしいので伏せておく。)
「色々と腑に落ちたような気がします」
「何が?」
「……卵、焦げますよ」
お茶を濁されたとは分かったが、卵が焦げそうだったのも事実だったので追及をやめた。
それから師匠は、フリーランスのことをいろいろと教えてくれた。
「根本的に人助けが好きなんだな、師匠って」
このところずっと思っていたことを言ってみたら、師匠はきょとんとした顔になって、「え?」と首を傾げた。
「そうじゃない? でなきゃ出来ないだろ。おかげで俺らもこの通り、体よく押し付けられてるわけなんだし」
わざとそんな風に言ったのだが、師匠はきょとんとした顔のまま、「そうですね……」とぼんやり呟いて、キッチンを出ていってしまった。
二人を起こしてきます、と言いながら寝室に向かった師匠は、首の裏の辺りを片手でごしごしとこすっていた。あれはどういう仕草なんだろう? 観察しておこう。(観察の結果、あれは照れたり恥ずかしくなったりした時の仕草だということが分かった。)
バロウッズと電話でやりとりした後、師匠はダニエルと買い物をしに行った。
俺は師匠が出していった本をパラパラとめくりながら、さっき思い付いた恐ろしい想像をいつ言葉にしようか迷っていた。本を置いてテレビを点けて、それからようやく切り出す。
「……なぁ、あのさ」
「なに?」
「これは俺の想像なんだけど……ヘンウッドさ、ちょっと怪しくないか?」
「はぁ?!」
予想通り、アーネストは眉を吊り上げた。
「怪しいって……何言ってんのお前?」
「だって考えてみろよ。ヘンウッドは宝物庫への入り方を知ってるんだぜ? しかも、ダニーから【ハンプティ・ダンプティの黄身】をしれっと持っていって……そう、そのことを、師匠に言ってないのも気になるんだ。どうして言わなかったんだろう?」
「知らないよ、そんなこと。やめろってそんな邪推」
「ヘンウッドなら全部出来るんだぜ。たとえば俺たちが魔法を撃ったのだって、ヘンウッドならすぐカレッジの生徒だって気付くだろうし――」
「しつこい!」
アーネストはペンをテーブルに叩き付けると、立ち上がって声を張り上げた。
「そんなの絶対にありえないね! ヘンウッド先生が――師匠の親友が、そんなことするわけないだろ!」
その調子につられて俺も怒鳴り返した。
「どんな友人にも隠し事の一つや二つはあるもんだろ?!」
「だからって先生が
「なんで断言出来んだよ! それに、団員じゃなくても協力者ってことはありえるだろ?!」
「くどい! お前そういうところ本っ当に最低だよな! 人を信じるってことを知らないのか?!」
「はぁ?!」
その言い草にカチンときて、思わず掴みかかった。
「ろくに考えもしないであっさり
「ムッ……カついた、この野郎!」
そのまま取っ組み合いになる。暴れた拍子にテーブルにぶつかって本とノートが落ちたが、知ったことじゃない。
顔を真っ赤にしたアーネストがクッションを投げながら吠えた。
「っていうかそう思ったら直接師匠に言ってみろよ!」
「っ……!」
「どーせそんな勇気もなかったんだろ、この臆病者!」
図星を指された。
「っせぇーな、黙れこの馬鹿!」
「うるさいアホ!」
「馬鹿バカばぁーかっ!」
「馬鹿しか言えないのかよ馬鹿! 語彙力最弱!」
「黙れスタミナゼロのお坊ちゃま!」
「そっちこそ黙れ教養ゼロ!」
「んだとこらっ!」
「――今度は何が原因ですか」
いつの間に帰ってきていたのか、師匠の冷たい声が差し込まれて、俺たちはピタリと固まった。その隣ではダニエルも呆れた顔をしている。
「あ、や、別に……」
「大したことじゃないんだけど……」
さすがに言う気にはなれなくって、俺も言葉を濁した。(この時もしかして疑念を伝えていたら、なんて、後からはいくらでも言える。けど、この時点では証拠がなかったし、さすがの師匠もそんなことを言われたらきっと怒るだろう、怒らなかったとしても信じないだろう、と思って、口をつぐんだのだ。)
そのあと、突然訪問してきた魔法使い(テディ・エディスン)に師匠が殺されかけた衝撃で、そんな疑念吹っ飛んでしまった。(俺がもう一度このことを思い出した時には、すでにネタばらしされた後だった。)
爆発音が響き渡って、爆風と閃光に目を瞑った。悲鳴を上げたのはダニエルだろう。
パッと目を開けると、血まみれになった師匠が床に倒れていた。
それから、杖を構えたままがたがたと震える魔法使い。
「ひっ……ふっ、はぁっ、や、やった……やっ、て、しまっ……あ、うわあああああああっ!」
「あっ、おいこら待てっ!」
俺は咄嗟にソイツの後を追ったが、おどおどした態度とは全然違ってソイツはすごく足が速かったし、外へ出た瞬間箒にまたがって一瞬で空の向こうに消えてしまった。
「くそっ!」
玄関先で地団太を踏む。
部屋の中からアーネストが俺を呼んでいた。慌てて駆け戻り――
――改めて見て、言葉を失った。あの一瞬で人の体ってこんなに壊れるものなのか? 特に上半身が――ひどい。ぐちゃぐちゃだ。濃い血のにおいが押し寄せてきて、頭がくらりとした。
「ヴィンス!」
アーネストの悲鳴のような声にハッとした。
「ダニエルと一緒に『治癒』やって! 俺はあれ出来ないから……魔法庁に連絡する!」
真っ青い顔のアーネストはスマホを取り出し背を向けた。(アーネストはグロイのが大の苦手だから、この時相当無理していたと思う。)
「よし、やるぞダニエル! ――ダニエル?」
ダニエルはソファの上で膝を抱え、涙をぼろぼろ流しながら、歯をカチカチと鳴らしていた。
「ま、ますたーが……しんじゃう……しんじゃう……」
「しっかりしろダニエル!」
俺はダニエルの背中を思いきり叩いて、無理やりソファから引きずり下ろした。
「一番『治癒』が上手いのはお前だろ?!」
「で、でも……だけど……こんな、こんなひどいの……」
どんどん広がっていく血の海に膝を溺れさせながら、ダニエルはまだぐずぐずめそめそしていた。
「いいかダニエル、何もしなきゃ師匠はマジで死ぬ。今の俺たちに出来るのは、魔法庁の治療師が来るまでどうにかしてもたせること、それだけだ。完璧に治すなんて絶対無理だけど、ちょっと息を繋げるくらいは出来るだろ? ――いや、出来るだろってか、やるんだよ! いいな、ほら、早く!」
そこまで言って、ようやくダニエルは覚悟を決めたらしかった。まだ涙は流したままで、でも杖をしっかり構えた。
「喉から頭にかけて、ピンポイントに掛けていってくれ!」
「わ、分かった……っ」
そちらをダニエルに任せて、俺は太い血管の裂け目を探して『治癒』をかけようとした。が、
「……そっか、そういう体質だったな! くそっ」
かけた瞬間に思い出した。『治癒』は
「ダニエル、作戦変更だ。同時にかけるぞ!」
「うん!」
魔法の効果を倍増させる一番簡単な方法は、同じ魔法を同じタイミングで撃つことだ。『援護』もあるけれど、あれはまだ使えない。(本当は『治癒』も三年生から習う魔法なんだけど。こっそり練習していたことをこれほど感謝したことはなかった。)
医務局の治療師たちが来るまでの三分間は、気が狂いそうなほど長かった。その間にも師匠の呼吸はどんどん弱くなっていったし、血の海の拡大は止まらなかった。緊張のせいか喉が渇いて仕方がなくて、いっそこの海の水を飲んでしまおうか? なんて狂ったことを思ったくらいだ。
治療師たちは入ってくるなり、
「おわっ、ひっでぇなこりゃ。これで死んでないのか?」
「【じゃじゃ馬ジョーンの癇癪玉】ね。よく人の形が残ってたじゃない」
「相っ変わらず、悪運の強い奴……」
などと口々に言いながら、あっと言う間に魔法をかけて血を止めて、三人がかりで(というのも迂闊に持つと手足が千切れそうになっていたからだ)師匠を担架に乗せて、運び出していった。
「大丈夫だよ、坊主ども。スリム・ウルフはあれよりもっとひどい怪我を何度も負って、そのたび生き残ってきたんだからな。四年前にアイツが吸血鬼を倒した時に比べたら、これぐらい掠り傷みてぇなもんだよ」
と、最初に入ってきた髭面のおっさんが、師匠の血をフラスコに回収しながら、なんてことないようにそう言った。(魔法使いの血や髪の毛は呪いの触媒になるため、放置しないのが鉄則なんだそう。一、二滴、あるいは一、二本なら問題ないらしい。)
俺たちは部屋を閉めて、そのおっさんに付いて魔法庁へ行った。そこから師匠が目を覚ますまでが、また地獄みたいに長かった。
アーネストは無理して血を見たのがこたえたらしく、さっきまで壁に背中を預けてぐったりしていたが、やがて俺の肩を枕に寝落ちした。ダニエルはずっと飽きずにぐずぐずめそめそして、時折鼻を啜っている。
俺はずっと怒っていたのだが、さすがにもう怒り疲れて、
(師匠が死んだらどうなるんだろう)
と、縁起でもないことをぼーっと考えていた。
(師匠が死んでも罰は終わらないよな。そしたら、別の人のところにやられんだろうな。魔法使い第一主義者だけは嫌だな……)
このまま師匠が目を覚まさなくて、別の誰かのところに連れていかれる想像をする。最初はきっと落ち込んでいるし、慣れないだろう。けれどその内立て直す。アーネストは引きずるかもしれないけど、無理やり気を張ってどうにか耐えきるだろう。ダニエルはしばらく寝込むかもしれないけど、三日後ぐらいに二人がかりで引きずり出せば、最後にもう一度だけ大泣きして、それで切り替えるだろう。簡単に想像できる。
でも、その“別の誰か”を“師匠”と呼ぶところだけは、想像が出来なかった。
(……死ぬのかな、師匠。本当に?)
ふいに心臓が恐怖に飲み込まれて、俺は叫びだしたくなった。叫ぶのと一緒に泣きそうになったのを、奥歯をグッと噛んでこらえると、代わりに静まっていたはずの怒りがまた再燃してきた。
(なんだってあの人は俺たちなんかを庇って……! 庇うにしたってもうちょいやり方があっただろ?! 爆発の一番近くにいたのは俺だったんだし……うまい具合に半々にするとか出来なかったのかよ! そうすれば、俺が半分背負えれば……!)
「ヴィンス……?」
「あ?」
思わず睨みつけるようにしてしまって、ダニエルがびくりと怯んだ。けれど、その真っ赤に腫れた目は俺を見たままだった。
「あんまり歯ぎしりすると、歯がなくなっちゃうよ」
「……そしたら師匠に慰謝料払ってもらう」
「へへ……それ、いいかも」
「お前も目の腫れが治らなかったら、慰謝料貰えよ」
「うん。そうする」
気を遣ったような弱々しい笑みを浮かべて、ダニエルはふいと廊下に視線を落とした。
「……大丈夫だよね、師匠」
「……さぁ」
「そこは嘘でも大丈夫って言ってよ」
「俺、効率悪いこと嫌いだから」
「苦手じゃなくって?」
ふんっ、と鼻で笑ってしまった。師匠が“苦手”と言わない理由があまりに子どもっぽすぎたのを思い出したからだ。
ダニエルもへらっと笑った。
「ね、大丈夫だよね」
「うん。大丈夫だろ」
「そうだよね。師匠だもん。絶対に大丈夫だよね」
「うん。大丈夫さ」
気休めだとお互い分かっていながら、言わずにはいられなかった。(気休めも案外悪くないんだな、って、俺はこの時初めて思った。)
病室の扉が開いて治療師が出てきた瞬間、俺たちはソイツに飛び付いた。
少しだけしゃべって、師匠はすぐに寝てしまった。アーネストもだ。さっきまで意味不明なことを泣きながら話していたのに。
血の気のない顔をこれ以上見ていたくなくて、俺はアーネストを引きずるようにしながら病室を出た。少し遅れて追ってきたダニエルが、反対側からアーネストを支えた。
「良かったねぇ、師匠。生きてた……」
「……だから大丈夫って言っただろ」
「え~、最初は“さぁ”とか言ってたくせに」
「そうだっけ?」
とりあえず生きていたことに安心して、気を抜いた俺たちは、笑いながら隣の病室のベッドに寝転んだ。
まさかそのすぐ翌日に師匠が動き出すとはまったく思っていなかった。
>大学は一般の大学 その中でフリーランスになると決めた ある依頼がきっかけ(アーネストの兄、つまりキャベンディッシュ家の長男からの依頼だったと後から聞いた。内容は不明)
>赤いコートは印象操作のため 別のコートだと誰だか分からなくなる
>苦手ではなく嫌い 「苦手と言うと負けた気分になる」(ガキかよ)
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