38 悪夢のおしまい


 画面は何度も暗転と明転を繰り返した。瞬きをしているのだろう。

 明るくなった時には夜空が見えた。仰向けに倒れているのだ。

 フードを目深に被った人間が数人頭の周りに立っていて、こちらを見下ろしていた。口元しか見えない。


『終わりました』


 この取り繕ったような爽やかな声は、プレイステッドのものだ。間違いない。

 父の目が下を向いて、腹の上にかがんでいた人物が立つところを見た。

 フードの向こうにちらりと、プレイステッドの目が見えた。


『次は?』

『次は、左上腕骨だ。お前だ』

『よぉやく私の番かぁ、アッハハ。待ちくたびれちゃったよぉ』


 視界が左に振られ、腕に向かって躊躇なく刺し込まれるナイフが見えた。

 刺さった瞬間に暗転。

 微かな呻き声は父の声だ。十二年越しに聞く父の声。アーチは耳を潰してしまいたくなった――ああ、こんな声は聞きたくなかった!

 しばらく暗転が続き、次にまた世界が見えた時。

 一人がしゃがんで、逆さまに父を覗き込んでいた。フードの中は、おそらく何らかの魔法によって、黒く塗りつぶされていて覗けなかった。


『最後まで正気だったか。素晴らしいな。その魂も欲しいくらいだ』


 妙に抑揚のない口調でその人物は話した。男とも女ともつかない、奇妙にねじれた声。


『賞讃を。そして我が儘を。興味を持った。言葉を聞かせろ。お前は最期に何を遺す』

『……』

『恨みか。呪いか。蔑みか』


 父は一度ゆっくりと目を瞑り、またゆっくりと開くと、その人物を見据えた。


『予言を遺そう』


 その声の凛とした響きにアーチは一瞬聞き惚れた。

 そして、


『君たちと同じ魔法使いの、父として』


 続いた言葉に耳を疑った。

 混乱と動揺が胸の内をかき乱し、今にも破れてしまいそうなほどだった。

 だが映像は容赦なく次へと進む。


『君たちは魔法使いなど皆同じだと言ったな。私の息子もそうだ、と。――だが、彼は違う。彼は、アーチは、魔法のために他人を犠牲にすることはない。彼は魔法の正しい使い方を知っている。彼は、必ず、まともな魔法使いになるだろう』


 映像がぼやけた。それが父の涙なのか、自分の涙なのか分からなかった。

 死を目前に突きつけられておきながら、父の声は透き通った月光のようだった。


『そして君たちが、彼の前で間違いを為そうとするなら、必ず、その思惑を蹴散らすだろう。彼が君たちに屈することはないよ、私と同じようにね。覚えておくといい』

『……ああ、覚えておこう。エイブラハム・ウルフ』


 そう言って、その人物は手の中にスプーンのようなものを握り込み――父の目に突きいれた。

 暗転、するまでもなく、アーチは目を瞑っていた。とても見てはいられなかった。

 一番大きな呻き声が暗闇の向こうから聞こえてくる。そこに不気味な声が交ざる。


『最高の演技をありがとう。お前は確かに、英国一の名優だったな』


 それで映像は終わった。

 永遠の暗転――

 アーチは机のへりへすがりつくようにしながら膝をついた。胸が震えて内臓が痙攣して、頭が引き絞られるような感じがした。

 恨みも、怒りも、当然のようにある。堪えきれないぐらいに強い憎しみが心臓を握り潰す。

 だが、なにかそれ以上の、収まりきらない感情が同時にわき起こってきて、全身を震えさせていた。


「っ……嘘、だ……だって……だって……っ!」


 魔法はまともじゃない。魔法使いはまともな幸せを掴めない。そう言っていたのは他ならぬ父だ。――だから、息子が魔法使いになることなど、認めないんじゃなかったのか? 魔法使いになる子どもなど、息子とは認めないんじゃなかったのか?


「ウルフ。君はよく、“自分の目で見た事実しか信用しない”と言っていたね。今見たのは、事実じゃなかったのかい?」


 バロウッズ先生の淡々とした声が、責めるわけでなく、たしなめるわけでもなく、ただただ事実だけを並べた。


「これは現実だよ。夢じゃない。これが、君のお父さんの目が見た、最期の映像だ。最期に遺した言葉だ。――受け取らないのかい?」


 アーチは唇を噛み締めて、手で乱暴に目元を擦り、ようやく顔を上げた。

 見る。現実を見る。悪夢よりもずっと悪夢のような現実を。一条の月明かりがあるのが、かえって暗闇を濃くしているように思える現実を。


「……父さん……」


 ホルマリンの中に浮かぶ父の目は虚ろだった。あんなに大切そうに抱えていた星屑たちを、全部どこかへ落としてきてしまったみたいだった。

 瓶に触れる。どれだけその開き切った瞳孔を凝視しても、二度と元には戻らない。何かをその瞳に語り掛けても、二度と答えは返ってこない。

 ――認められた喜びを伝えようにも、もう――


「ようやく、魔法使いになれた・・・・・・・・ね、ウルフ」


 アーチは耐え切れずうずくまった。口を覆って嗚咽の声を抑える。涙が次から次へと溢れ出てきて、留めようがなかった。

 先生は黙って窓の向こうに目をやる。

 澄み切った白い月光が、星屑を柔らかく包み込んでいた。


 父の目はあとで配達してもらうことにした。割れやすいものを『収納』するのは危険だし、なによりそれは父のものだ。まともな運び方が出来るのならばそちらを選ぶに決まっている。

 研究室を出る。


「おやすみ、ウルフ。良い夢を」

「ありがとうございます。おやすみなさい、先生」


 ひらひらと手を振るバロウッズ先生が扉の向こうに消える。

 アーチは腫れぼったい目をこすりながら、音を殺して廊下を進んだ。

 頭の中がふわふわしていた。何が起きたのか、まだ充分に理解できていなかった。だが、今ここで深く考えたらまた泣き出してしまいそうだったので、あえて考えるのを放棄した。どうせ家に帰ったら一人なのだ。独りぼっちの暗闇の中に自分の輪郭を溶かしながら、ゆっくりと浸ればいい。


(埋葬し直すんだろうな……姉さんに相談しないと。ちょうどいいや、会いに来いと言っていたことだし……それなら旦那さんも文句は言わないだろう)


 絵をくぐって玄関ホールに出る。

 螺旋階段を下りていく。

 ――と。


「あっ、来たぁ!」

「遅かったな」

「すれ違ったんじゃなくて良かった」


 三人の少年が階段の麓に座っていた。彼らは素早く立ち上がって、アーチが下りてくるのを従順に待っていた。

 咄嗟のことに止めてしまった足を、アーチはゆっくりと動かした。

 階段を下りきると、アーネストとヴィンセントが気遣わしげにこちらの目の辺りを見ていた。腫れているのに気づいたらしい。

 だが、アーチが軽く微笑みかけると察したように小さく頷いて、見なかった振りをした。


「君たち、どうかしたのですか」


 少年たちはふふーんと得意げに笑い、ちょっとふんぞり返るようにした。

 代表するように、真ん中にいたアーネストが進み出た。


「お願いがあって来た」

「お願い?」

「そう、お願い」


 アーネストはサファイアの瞳をきらきらとさせながら、ぴしっと手足を揃えて直立不動の構えになり、アーチを見上げた。両脇を固める二人も同じようにした。

 そして、


「俺たちを弟子にしてください! お願いします!」

「します!」

「します」


 アーチはぽかんと口を開けた。弟子? 誰が、誰の? ――彼らが、僕の?


「お願い、師匠マスター。俺たち、師匠のことこれからも師匠って呼びたいんだ」

「……ですが、私は――」


 あの夜のことが蘇る。一時だろうが取り返しのつかない結果に導いてしまったと絶望した時のことを。あの瞬間はきっと、新たな悪夢のレパートリーとなって、一生アーチに付きまとうだろう。

 あんな失敗をした自分が、これ以上彼らに何が出来るんだ?

 アーチの心の内を見透かしたように、アーネストは胸を張った。


「俺たちは師匠が師匠失格だとは思ってないけど、まぁ百歩譲って失格になったとして。でもその失格になった師匠は仕事の上・・・・でのの師匠で、それもさっき契約終わっておしまいになったんだよな?」

「……え?」

「ってことは、全部リセットされたってわけだ」

「……」

「しかも俺たちは、の師匠だからって嘗めてかかって、正式な名前を名乗らなかった。つまり俺たちは、の師匠にの弟子、だったんだよ。仮の師弟関係の時に何が起きていようと、なんだから仕方なくない? しかも、その関係はもう完全に解消されたんだ。失格してようがなんだろうが、そんなのもう関係ないってわけさ」

「……屁理屈がお上手ですね。誰に習ったんです?」

「そりゃもちろん、の師匠に」


 アーネストは自信満々な笑顔を浮かべた。

 それからふと真剣な顔になる。


「それに、俺たちには師匠が必要なんだ。師匠からもっと学びたいことがたくさんある。……これからはなかなか会えなくなるけど。それでもさ、俺たちには師匠って呼べる大人が必要なんだ。そしてそれは、たぶん、スリム・ウルフじゃなきゃ駄目なんだよ。……というか、師匠じゃなきゃ嫌だ」


 アーチは鼻の奥がつんとするのを感じて、慌てて笑って誤魔化した。最近は涙腺が緩くなってしまって仕方ない。歳だろうかなどと思いつつ、ひとつ咳払い。

 それから改めて微笑む。


「……では、ボーイズ。お名前を聞かせてもらえますか」


 三人の顔がぱぁっと輝いた。


「俺は、アーネスト・キャベンディッシュ」

「僕はダニエル。ダニエル・ドゥルイットだよ」

「ヴィンセント・ボイル」


 三人は矢継ぎ早に名乗って、一斉に手を差し出した。


「「よろしく、たちの師匠!」」


 アーチは一人一人と魔法使いの握手を交わした。


「こちらこそ、よろしくお願いします――私の弟子たち」


 まるで魔法にかけられたかのように、胸の奥がぽかぽかとした暖かい空気に満たされていた。体も羽が生えたように軽くて、今なら吸血鬼スリムマン人狼ウェアウルフも片手で倒せてしまいそうだ。

 この分では悪夢なんか見たくても見られそうにない。


(呪いが解けたみたいだ。……いや、違うな。呪いだと思い込んでただけ、か)


 よくよく考えてみれば、父が自分に呪いなどかけるはずがないのだ。自分が勝手に、かけられたと思い込んだだけで。

 ああ、長い、長い思い込みだった――

 アーチは見送る弟子たちに手を振り返して背を向けた。

 真っ赤なナポレオンコートが軽やかに翻って、彼の歩みにそっと寄り添った。




おしまい


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