37 理性を眠らせ悪夢を見る

 列車が小さな赤レンガの駅舎に着いた時、辺りはもう闇に落ちていた。

 最終列車は霧になって、森の向こうへ消えていく。

 冬の鋭い風が吹き抜けて、少年たちが首を縮めた。

 駅舎を抜けると、アンブローズ・カレッジの荘厳な構えが待っている。何度見たってやっぱり綺麗だ。ウィル・オ・ウィスプの乱舞がその姿を夜の中に浮かび上がらせ、下手なイルミネーションよりずっと美しく彩っている。

 正門脇の詰所に近付くと、ノックするより先に扉が開いて、バートンがひょっこりと顔を覗かせた。


「よお、問題児たち! おかえり!」

「ただいま!」

「ただいまぁ!」

「ただいま」

「その“たち”の中には私も入ってます?」

「当然だろ、最高の問題児さん」

「では私も、ただいまと言っておきましょう」

「ああ、おかえり、スリム・ウルフ!」


 バートンは何度も頷きながら、アーチの背中をばんばんと叩いた。

 それで彼らが詰所を出ていくまで見守っていたから、ノートに名前を書き込むのを忘れていたらしい。詰所を出た四人の背に「おぉっとあぶねぇ、書き忘れてた!」という大きな声が届いた。


 前庭を突っ切って中に入り、螺旋階段を上る。

 水曜日の門番はゴヤの怪物だ。

 アーチが“理性”に向かって「『すやすや安眠sleeping』」と呟くと、机に突っ伏している女性の寝息が深くなった。怪物たちがそっと羽ばたいて道を開ける。

 潜り抜けると、ダニエルがひょいと横に並んでこちらを見上げた。


「怪物、倒さないの?」

「毎回倒しているわけじゃありませんよ。そうですね……君たちが私の記録を抜いた時には、もう一度塗り替えに来ましょう」

「三十九秒だったよな……うえっ、二秒で五体?」


 ヴィンセントが舌を出した。


「マジかよ……」

「すっげぇ、さすが師匠マスター


 とアーネスト。


「師匠って弱点とかないの?」

「弱点?」

「ばっか、そんなの言うわけないだろ?」

「秘密ですよ」

「えっ、言っちゃっていいのか?!」

「なになに?」

「聞かせて!」

「三半規管が弱いんです」

「さん」

「はん」

「きかん?」

「はい」


 アーチは神妙な顔つきで頷いた。


「箒とかでちょっと荒い飛び方をすると、下りた時にひどい吐き気が。乗っている間は平気なんですけどね。魔法での移動もあまりキツイものは出来るだけ避けたいです。絶対に吐くので」

「えっ、じゃあ……あの、最初の、地下水道で吐いてたのも……」

「ああ。あれもそうです。無茶な移動をしたので」

「……グロイのが苦手なんだと思ってた」

「なぜです?」

「悪魔の頭を叩き潰しただろ? それで」

「なるほど。そういえばそんなことノートに書いてましたね」

「あれのことはもう忘れてくんない?」

「あのノートは一体何だったんです?」

「なぁいいだろもう」

「ヴィンスはねぇ、名探偵ホームズが大好きなんだよ」

「で、それっぽいことしてるってわけ」

「やめろよお前ら!」

「いいじゃないですか。将来は探偵ですね」

「フリーランスはやめろって師匠が言っただろ?!」

「おすすめしないと言っただけで、やめろとは」


 廊下の一番奥にあるバロウッズ先生の研究室に着くと、ノックをする前に扉が開いた。話し声が聞こえていたのだろう。

 中を覗きこむと、相変わらず満面の笑みを湛えっぱなしにしているバロウッズ先生が正面のデスクに座っていて、「入りたまえ」と手招きした。


「部屋は綺麗になったかい?」

「ええ、すっかり」


 アーチの後にアーネスト、ダニエルが続いて、最後に入ってきたヴィンセントが扉を閉め、四人は横一列に並んだ。

 バロウッズ先生は少年たちの顔を眺めて、


「さて、ボーイズ。君たちはこの二週間で何を学んだかな?」


 と聞いた。

 アーチはわけもなく緊張を覚えた。彼らが何を学んだか? ろくなことを教えていないぞ? 彼らは何て答えるのだろう?


 三人はしばらく首を傾げて考えていたが、やがてヴィンセントから順番に口を開いた。


「怒りは正しい相手にぶつけろ」

「遠慮のなさも長所!」

「悪い思い込みは厄介、かな」


 確かにそんなようなことを言った記憶はある。だがそれは学びとして正しいのだろうか? それに、改めて言われるとなんとも気恥ずかしい。アーチは首の後ろを擦った。

 バロウッズ先生は楽しそうに口角を上げた。


「思ったよりしっかりと師匠をやったんだね、ウルフ」

「彼らが優秀だったんですよ」

「おや、君なら“仕事だから当然です”って言うと思ってた」


 指摘された瞬間、なぜそう言わなかったのだろうと自分で自分を疑った。

 バロウッズ先生はそれ以上追及してこなかった。


「さて、それじゃあ契約は完了だ。良い仕事をありがとう」

「こちらこそ、ご依頼ありがとうございました。請求書はこちらです」

「おっと忘れてなかったか」

「当然でしょう? 貰うものは貰います」

「オーケーオーケー」先生はちらりと明細を見て、「なんだ、意外と少ないね。もう少し上乗せしてくるかと」

「先生は私を何だと思っているのです?」

「そういうところが“最高”の理由なんだよね」


 先生は誤魔化すようにひらひらと片手を振った。


「それじゃあボーイズ。君たちは寮に戻りなさい」

「はーい」

「はぁい」

「……」


 少年たちはちらりとアーチを見上げて、しかしすぐにパタパタと部屋を出ていった。

 思いの外あっさりと立ち去られて、アーチは二、三度目を瞬かせた。それからすぐに、わけもなく恥ずかしさがこみあげてきて、そそくさと辞去の礼を取ろうとした。


「では私も――」

「ああ、待ってくれ、ウルフ」


 バロウッズ先生の口調が切り替わっていた。見れば、彼の顔から笑みが消えている。

 何か嫌な予感がした。


「事件に加担した者たちの処分が決まった」

「……」

「プレイステッドは解雇、資格剥奪のうえ投獄された。エディスンは二階級降格、懲役五年。ヘンウッドも二階級降格で、マン島の魔法庁支部の下働きになった」

「……そうですか」

「それで、だ。ウルフ」


 ここからが本題だとばかりにバロウッズ先生は机の上で指を組んだ。


「ヘンウッドの研究室と医務室を捜査したんだ。そうしたら――」と、彼は一瞬机の裏に消えて、何か大きなガラスの容器を取り出した。「これが発見された」


 それを見てアーチは息を呑んだ。

 円柱のガラスの容器は液体に満たされていて、室内灯の光を歪ませていた。そしてその中心に、小さな丸いものが浮かんでいる。それは白くて、つるりとしていて、中央に黒い瞳がくっきりと残っていた――

 ――目だ。眼球。非常に綺麗な標本になっている。

 容器の一番下に「Abraham Wolf」と書かれたラベルが貼られていた。

 アーチの手が震え出した。膝も歯も震えて、寒気が止まらない。


「それは……父の……」

「そう。君のお父さんの奪われた目だ」


 アーチは眩暈を覚えた。


「なぜ……それが……」

「“いずれ君に渡すつもりだった”とヘンウッドは言っていたよ。彼はリネット・ジョンソン――ああ、彼女のこともよく覚えている。本当に正義感の強い、優秀な魔女だった。彼女に対しては蘇生を願ったが、君に対しては自衛を願ったんだ」

「自衛……?」

「“奪われた父親の体が戻れば、君はもう少し自分を大切にするんじゃないか”ってね。そういう意図があったそうだ」

「……まさか……そのために、一つ目とmono-eye逆さ十字団and SSORCに……?」

「半分はそうだろうね。もう半分はジョンソンのため。だがそのどちらも、ヘンウッドがヘンウッド自身のために動いたんだ」


 理屈は分かる。でも――

 アーチの内心の葛藤を見透かしておいてわざと無視したように、バロウッズ先生は静かな表情をしていた。


「さて、この眼球はまだ生きていた・・・・・。作成者の腕が良かったみたいでね。おかげで、最期の映像を音声付きで抜き出すことが出来た」と、先生はスマートフォンを机上に置いて、指先でトンと叩いた。「それが今、ここにある」


 どくん、と心臓が奇妙な音を立てて跳ねた。父が最期に見た映像が、抜き出せた? 残っていた? 十二年前のあの時、それさえ残っていればすぐにでも復讐してやるのにと息巻いて、あんなにも求めていたものが、今になって――目の前にある、だって?

 スマートフォンに目が釘付けになっているアーチを、バロウッズ先生はじっと見詰めた。


「それが証拠になって、プレイステッドには殺人の罪も課せられたんだ」

「……」

「見る?」


 アーチは音を立てて唾を飲み込み、震える手を押さえた。


「はい」


 先生がスマートフォンを操作する。アーチは街灯に吸い寄せられる蛾のようにふらふらと近寄って、机に両手をついて画面を覗き込んだ。

 再生が始まる。悪夢のような映像が。

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