34 ワイルドハント
一般人には突然雷が鳴り出したように聞こえていることだろう。
もしかして敏感な人間や幼い子どもには、それが馬の嘶きや猟犬の遠吠えや甲冑の擦れる音だと
特にこの英国では、アーサー王率いる騎士団が行なうことで有名である。
彷徨う亡霊や森に住まう一部のエルフ、あるいは洗礼を受けていない者、呪われた者、そして偶然行き合ってしまった不運な傍観者の魂を狩り取り、冥界へ運んでいくという伝承は、一般人の間にも行き渡っている。
そしてその民間伝承は正しい。
幽霊狩猟が発生した夜は、伝承を信用しない迂闊な一般人たちが、狩猟団そのものに狩られるか、狩猟団に触発されて出てきたゴーストに憑りつかれるか、とにかく大量に殺される可能性があるのだ。それを防ぐために、発生が観測されると魔法庁の職員は夜通し警備へ駆り出されることになるのだが――
アーネストが花火を見る子どものように、銀の煙の騎士団を指差した。
「ゴースト・パレード!」
「俺初めて見る……!」
ヴィンセントが静かな口調の中に隠し切れない興奮を滲ませた。
ダニエルも最初の衝撃から脱したようで、
「すごーい! かっこいい!」
と丘の上に飛び跳ねていった。
役人でない魔法使いにとっては“ゴースト・パレード”と呼ばれる一種の娯楽だった。
なんならあの豪壮な騎士団が夜空を駆けていく姿を酒を片手に楽しく眺めたり、箒にまたがって一緒に走ったりすることもあるぐらいだ。
じっと夜空を睨んでグイン・アップ・ニーズを探していたフィルが、
「……ああ、いた。顕現するぞ」
と、言った直後。
ごう、と真っ黒い風が吹いて、ランプの灯りが勝手に消えた。
辺りは一瞬暗闇に包まれ――
見上げた先に、星空が浮かんでいた。
氷混じりの雨は降り続いている。だからそこに浮かんでいるのは雲の下にある星空だ。銀河を凝縮したような、無数の輝きに彩られた小さな夜が、女性の形になって空に浮かんでいる――
――ケルトの女神グイン・アップ・ニーズの魂だ。
死と闘争を司るにしてはあまりにも美しい姿だった。
ふわぁ、と誰かが溜め息のような歓声を上げた。
銀の煙の騎士団の中から、先頭に立っていたものが進み出てきた。兜の向こうの顔は見えない。見えたところで分からないに違いないが、おそらくアーサー王だろう。
彼が槍の穂先を掲げた瞬間、それに呼応して騎士たちが一斉に剣を抜き、あるいは槍を構えた。
そして王の穂先が女神に向けて振り下ろされ、
『ウオオオオオオオオオオオッ!』
『オオオオオオオオオオオオッ!』
戦士たちの咆哮が夜天に轟いた。
彼らは怒涛のような勢いで女神に向けて突っ込んでいった。
女神は彼らに相対し、臆することなく手を掲げた。彼女を中心にぶわりと星空が広がって、また真っ黒い風が吹く。夜は彼女の指先の示すがままに、刃となって騎士の甲冑を打ち砕き、茨となって軍馬の足を折った。
しかしその影の茨も星の刃も、騎士たちは打ち払い、斬り伏せ、蹴散らして、着実に押し迫り。
形勢の不利を悟った彼女はついに逃げ出そうと踵を返した。
その瞬間、隊列の中からアーサー王が颯爽と飛び出した。そして、長くたなびいた彼女の髪を掴む。
彼は女神を無造作に宙へ放り投げると、
『オオオオオオッ!』
槍で彼女の胸を貫いた。
刹那、彼女の体はパンッ、と弾け飛び――
――星屑が散らばった。
銀色の美しい小さな光が、雨に混ざってさらに輝きを増し、きらきら、きらきらと降り注ぐ。
わぁ! と少年たちの飛び跳ねる影がその光に映し出された。
その幻想的な光景を、
『ワアアアアアアアアアアアッ!』
喝采が押し流した。
王の勝利に湧き上がった騎士団が、がちゃがちゃと鎧を鳴らし、槍や剣を打ち鳴らして、次の号令を待ち構えている。それを背に受けたアーサー王は、血を払うように槍で空を斜めに切り払い、それからもう一度穂先で天を指した。
進路は北東。
槍を振り下ろす。
『オオオオオオオオオオッ!』
『『オオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』』
怒号が天を揺らし地を揺らし――そして狩りが始まった。
軍馬が宙を蹴り駆け抜けていく。
「うわっ!」
「ひゃあっ!」
雪の混ざった突風に煽られ、アーネストとダニエルがたたらを踏んだ。
ドドドドドド……と地響きのような音を立てて幽霊の軍勢が遠退いていく。
彼らはああやって夜明けが来るまで一晩中英国を駆け巡るのだ。
「はぁー……すごかったねぇ……」
とダニエルが魂を抜かれたようにぽぅっと呟いた。
それからすぐに、トーの丘の周辺は騒がしさを増した。
魔法庁の職員たちが大挙して押し寄せたからだ。
聞いた話では、エディスンの証言をもとにプレイステッドを捕まえるべく、ずっと占いで彼の場所を探っていたらしい。
だが、さすがに優秀な捜査官とだけあって、占い避けの護符が強く、なかなか居場所を見つけられなかった。ようやく結果が出たのが
見つけたと思ったら幽霊狩猟の発生が観測されて、魔法庁はてんやわんやの大騒ぎになったらしい。
真っ黒焦げのプレイステッドは護送車に放り込まれた。「焼くのはいいけど、もう少し綺麗に焼いてよね!」と捜査官がアーチに向かって文句を言った。
「……それじゃあ、僕も行くよ」
と、フィルが護送車の方へ足を向けかけ、唐突に振り返った。
「アーチ。僕はもう一つ、君に隠していることがある」
「なんですか」
「怒られたくないから言わない」
「……」
「すぐに分かるよ。悪いことでは……たぶん、ないから……そんなに睨まないでくれ」
アーチは睨むのをやめた。
代わりに手を差し出す。
少しだけ躊躇いを見せたが、やがてフィルはそれに応じた。魔法使いの握手。それから普通の握手をして「じゃあ……さよなら」と呟くと、彼は背中を向けた。
宝物庫への侵入、窃盗、召喚幇助、反社会的集団への協力――どれぐらいの罪に問われるのだろうか。プレイステッドよりかなり軽いとは思うが、それでも、もう学校にはいられないだろう。ペナルティは間違いなく課されるし、降級もされるはずだ。
「ヘンウッド先生……」
目を潤ませたダニエルが追いすがろうとしたのを、アーチは止めた。
「フィル」
軽く呼びかけると、彼はくるりと振り返った。
「また依頼があったら……何もなくても、連絡をしてください。森でも酒場でも呪われた場所でも、どこへでも行きますから」
「呪われた場所って。君はよくても僕が死んじゃうよ」
はは、と笑って、何度か頷いて――フィルは最後にもう一度だけ四人の問題児たちを見つめると、踵を返した。
彼は捜査官と二、三言葉を交わして、護送車に自分から乗り込んだ。
ばたん、と扉が閉ざされて、護送車が走り出す。それは唐突に金色の光を放って消えた。転移魔法だ。
光の残滓が闇に溶ける。
闇の中に取り残された四人を冷たい雨が濡らしていたが、もうすでに全身びしょ濡れの彼らは何も感じなかった。
「……アーネスト」
「なに?」
アーチは彼をじっと見下ろした。
「すみませんでした。謝って済むことではありませんが……私は、君を一度死なせてしまった」
アーネストはもともと大きい青い瞳をさらに大きくさせた。
「え、俺、一回死んだの?」
「はい。心臓をナイフで貫かれて。フィルが君に仮死薬を飲ませていたので事なきを得ましたが」
「うっそ、マジで? 何にも覚えてない……」
覚えてなくて良かった、とアーチは思った。覚えていないなら、彼の心に傷は付かないだろう。
だが、それと自分の責任とは別の話だ。
「師匠として失格です。本当に、申し訳ありませんでした」
「……死ななかったんだからいいじゃん、って言っても、無駄なんだよな……?」
アーチは曖昧に微笑んだ。確かに、それを言われても『はいそうですね』とはならない。だが、これ以上謝ることは彼への重圧になるだろうし、謝ったところで消せない罪は誰にもどうにも出来ない。
だからアーチは目を逸らして、話を切り上げた。
「……帰りましょうか。こんなところにずっといたら、風邪をひいてしまいます」
誰にともなくそう言って、アーチが改めて魔法バスのルートを調べようとスマホを出した、その時だった。
パァッ、と金色の光が瞬いて、車が飛び出てきた。
それは凍りかけの路面でちょっとスリップしそうになって、しかしぎりぎりのところで耐えると、アーチたちの前に停まった。
窓が開いて、分厚い眼鏡をかけた男が顔を出した。
がり勉のオーガスタス・スウィニーだ。
彼は寝ていたところを叩き起こされたようなぼさぼさの頭で、もともと腫れぼったい瞼をさらに重たそうに半ば閉じたまま、片手を挙げた。
「やぁ、ウルフ」
「こんばんは。どうしたんです?」
「どうしたんです? じゃないよ、この――」
スウィニーは悪態をつこうとしたようだったが、その前に欠伸が出てしまった。がたがたの歯並びを矯正する気は相変わらずないらしい。
「――君らからも話を聞かなくちゃいけないんだ。魔法庁でね。とにかく乗りなよ。来るのに使い切っちゃったから、帰りは転移できないけど」
「ではありがたく」
魔法庁の公用車だった。後部座席に三人が肩を寄せ合って座り、アーチが助手席に乗った。スウィニーは彼らがシートベルトを着けるのを待たずに車を発進させた。
ヘッドライトが閑静な夜道を切り裂いて、雨の降る中を進んでいく。
車内は暖房がよく効いていて、アーチは体を震わせた。寒さを思い出したのだ。
「まったく、こんな夜中に叩き起こされて、いい迷惑だよ。僕が良心的じゃなかったら、こんなこと仕事でもやらなかったね」
ブツブツとぼやきながら、スウィニーはラジオのスイッチを入れた。
ところが、幽霊狩猟が電波を乱しているらしく、強い雑音混じりの奇妙なジャズしか聞こえてこなかったので、彼は「ちえっ、最悪だ」とすぐに電源を落とした。
バックミラー越しに後部座席を見ると、すでに少年たちは寝る体勢に入っていた。疲れるのも当然のことだ。こんな冷たい雨の中で、あまりにもたくさんのことがありすぎた。
アーチは彼らに向かって杖を振り、ずぶ濡れの服を乾かしてやった。もちろん自分の分も。
スウィニーが細いたれ目を限界まで見開いて、アーチを睨んだ。
「途中で代わってくれよ、ウルフ。ここからだと四時間以上もかかるんだから」
「申し訳ありませんが、それは無理です」
「なんでさ」
「道のりが倍以上あったら代わってあげたのですが」
アーチは欠伸を噛み殺して、ひょいと頭を窓ガラスに預けると目を閉じた。
「たった四時間では眠ることしか出来ませんので」
「正気か? 寝るのか? 僕に運転させて?」
事故っても知らないからな! とスウィニーが吠えた。
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