33 次は無い

 アーチとフィルは向かい合って立つと、左右対称に杖を持った。

 一方の手を重ね合わせ、杖を魔法が行く方向に真っ直ぐ伸ばす。目線もそちらだ。

 蛇の大群を、そしてその奥にいるプレイステッドを睨みつける。

 二人は同時に息を吸い、同時に息を吐いた。

 それから、まるで一人の人間がそうしているかのように完璧に調子を揃えて、交互に暗誦を始めた。


「『暗雲立ち込め視界は暗く』」

「『四方五里にや聖句を詠ず』」

「『欄干・霧・尾根、異界は深く』」

「『三宝二神に警句を献ず』」


 一連。

 どこからともなく風が吹き始め、服の裾をふわりと持ち上げた。


「『遠方見遣れぬ老いた犬に』」

「『黎明知らせる金の鐘』」

「『展望抱けぬ乞食の目に』」

「『雷鳴知らせる金の風』」


 二連。

 ぱちっ、と静電気が発生し、髪の毛がわずかに浮かんだ。もともと乾燥しがちなヴィンセントの髪がさらに電気を含んで、左右に広がった。


「『おお、泣き喚くは小さき人!』」

「『その声を聞く人はどこにもいない』」

「『おお、愛無ければ千切れし糸!』」

「『その棘を抜く糸は解けもしない』」


 三連。

 いよいよ場は異様な雰囲気に満たされる。頭上の狐が怯えたように身を縮めて、光を小さくした。だがそれでも困らないほど、辺りは異様に明るかった――青白い閃光が空気中を奔り二人の周囲に集まってくる。

 ぱちぱち、ぱちぱちと鳴る音は、放たれる瞬間を待ち望む声。開演を急かす大衆の拍手。

 防壁を破れない、と悟ったプレイステッドが顔色を変えて撤退の構えを見せた。

 だが、もう遅い。

 二人は声を揃えて、高らかに歌った。


「「『霧を切り裂き聖句を蹴散らし雷鳴は今ここに轟く

  虹は西巻、警句は目印、雷撃よ今ここに閃け』!」」


 カッ、と閃光が迸った。

 そして間髪入れずに、耳をつんざく落雷の轟音が!


「うわああああああっ!」

「ひゃああああああっ!」


 それを真正面に見ていたアーネストが目を瞑って尻餅をつき、落雷の音にビビったダニエルが首を縮めて跳び上がった。ヴィンセントもさすがに耐え切れず、目を瞑って耳を塞いだ。

 ふらふらと降りてきた狐火がアーチの肩に乗った。アーチは彼をねぎらうように撫でて、スーツケースを開いた。

 狐を試験管にしまい、その代わりに携帯ランプを取り出して、辺りを照らす。


「う、わ……すげぇ……」

「やば……」


 照らされた惨状を見て、アーネストとヴィンセントが息を呑んだ。

 蛇はことごとく焼け焦げて黒く縮まっていた。一匹たりとも残さずに、だ。


「これ……プレイステッド、死んでんじゃね?」


 怪しむヴィンセントに、アーチは軽く答えた。


「大丈夫だと思いますよ、たぶん」

「たぶんって……」


 アーチはスーツケースから手錠を取り出すと、蛇の死体を跨いでプレイステッドがいた辺りに近寄っていった。アーネストとヴィンセントが恐る恐るついてきた。

 プレイステッドは焦げ臭くなって倒れていたが、息はしていた。


「ほらね、生きてたでしょう」

「わーすごーい」


 とヴィンセントが棒読みで言った。


「違法魔法課の捜査官は護符を大量に持っていますから、半端な火力では気絶させることも出来ません。だから本当は物理的に殴るのが一番手っ取り早くて平和なんですけどね」

「殴る方が平和、とは……」


 アーネストが悟ろうとする僧侶のような難しい顔をして首を傾げた。

 アーチはプレイステッドに手錠を掛けると、彼の首根っこを掴んで引きずりながら塔の根元に戻った。

 疲れ果てた様子で座り込んでいるフィルの隣に、ダニエルが付き添っている。


「あの程度でそのざまですか、フィル? 情けないことですね」

「あのな、こっちは普段そういうことをしてないんだよ」


 とフィルはアーチを軽く睨んだ。


「ソネットを撃ったのなんて十年ぶりだ……」

「その割にはよく出来てましたよ。やっぱり、一人でやるより威力が出ますね」

「当然だ! 最初から二人用なんだから。一人で撃っちゃう方がおかしいんだ」

「確かに。君の言う通りです」


 アーチが素直に認めた途端、ふと会話が途切れた。


「……あのさ、アーチ」

「何も言わないでください」


 アーチは冷たく遮った。

 気圧されたように押し黙ったフィルを見下ろして、アーチは続けた。


「悪いのは全部僕です。僕は、君のことを知ろうとしなかった。僕のことも話さなかった。“他人”の領域を測り間違えていたんです。ごめんなさい、フィル。君は、今も昔も、親友なのに。僕が勝手にそう思っているだけで、何もしなかった。……ごめんなさい」

「――分かった。そういうところだよ、師匠!」


 唐突に叫んだのは、アーネストだった。

 アーチは目をぱちくりさせて聞き返した。


「……何がです?」

「なんっか変だと思ってたんだ、ずっと。でも今分かった。師匠って絶対に人のせいにしないんだ! お人好しとは違ってさ、でも自己犠牲ともちょっと違くてさ、何なのかずっと分からなかったんだけど、ようやく分かった!」


 ビシッと音が聞こえそうな勢いでアーチに指を突きつけて、アーネストは言った。


「師匠はとんでもなく真面目な負けず嫌いなんだ! 誰かの邪魔も時の運も、全部ひっくるめて押しのけてこそ真の勝者だ、って! だから、だから自分のせいじゃないことも自分のせいだって言うし、どうにもならないこともどうにかしようとするんだ! 誰かのせいにした瞬間、本当に負けたような気分になるから!」


 ようやくはっきりした、と呟いて、アーネストは怒らせていた肩をすとんと落とした。

 アーチは呆気に取られて言葉を失った。

 負けず嫌いであることは自覚していた。だが――

 ――ああ、確かに、アーネストの言った通りだ。敵対するものはすべて蹴散らして、蹴散らせないならそれは実力不足。運も実力の内と言うのであれば、実力さえあれば不運すらひっくり返せるはずだ。そう思っていた。

 つまり、すべては自分の努力次第でどうにもできるはずだ、と。

 誰かのせいにして努力をやめた瞬間、本当に負けたことになる、と。

 あまりにも的確に図星を貫かれて、アーチは恥ずかしくなった。


「あー、分かる気がする」


 とダニエルが頷いた。


「確かに、そういうところあるな」


 ヴィンセントも訳知り顔だ。


「自分の非はけっこう素直に認めるもんな、師匠って」

「だろ?」


 ふふん、とアーネストは得意げに腕を組んだ。それから唐突に神妙な顔つきになって、アーチを見上げた。


「でもさ、どうにもならないこともあるじゃん? 死んだら取り返しがつかない、とかさ」

「……そうですね」


 さっき一瞬死んだ人に言われると、妙な説得力があった。


「だからさ、ヘンウッド先生にも悪いところがあるんだよ。それはたぶん、師匠にはどうにもできないことだろ? だから……えーと、何て言ったらいいんだろう……その……」

「相手の非を認めて、負けた事実を受け入れろ、ってことですね」

「そう! それだ!」


 我が意を得た、とばかりにアーネストは両手を叩いた。

 アーチも理解した。自分はあまりに極論過ぎたのだろう。誰かのせいにすることと、誰かの非を認めることとは別のことだ。

 そして、結果の原因が誰であろうと、自分が次のための努力をやめる理由にはなりえない――

 アーチはフィルに向き直った。


「フィル。どうして何も話してくれなかったんですか? 僕は君の話を聞きたかった。話すタイミングはいくらでもあったでしょう。ブライドリーの森でも誤魔化して……せめてあそこで話していてくれれば、まだ間に合ったのでは?」

「……うん。そうだね」

「それに、その様子だと、彼らが停学処分になったのが勘違いだということも知っていましたね? 君がきちんと証言すれば、彼らは余計な危険に遭う必要もなかったんですよ。それをこんな風に巻き込んで。君の学校の生徒でしょう? 生徒の安全を教師が脅かしてどうするんですか」

「その通りだ、アーチ。僕が悪かった」


 非難されているのに、フィルはどこか晴れがましい顔をしていた。これでようやく、罪を償えるのだと言うように。

 説教の最中に笑っているなんてミル先生だったら激怒するだろうな、と思いながら、アーチは他に何かないか考えて「……これだけですかね」と呟いた。

 フィルはぐっと膝に手をついて立ち上がった。


「ごめん、アーチ。君たちも――アーネスト、ヴィンセント、ダニエル。三人にも。許してくれとは言えない。僕は君たちを本当に傷付けた。謝って済むとは思っていないけれど……ごめんなさい」


 この時ふとアーチは、自分は謝られたことがなかったんじゃなくて、誰の謝罪をも受け付けなかっただけかもしれない、と気が付いた。

 そして、たぶんそれは正解なんだろう。

 自分は誰の非も認めないで、謝らせなかったのだ。

 アーチはわざとらしく厳しい表情を作ろうとして、失敗して、間の抜けた笑顔になった。


「次は無いからな、フィル!」


 フィルは歯を食いしばるようにして、声もなく頷いた。

 これですべて終わったのだ。あとは全員で魔法庁に戻って、事の顛末を話せばいい。尋問されるのは面倒だが、こればかりは仕方ない。


「さぁ、戻る準備をしましょう。アーネスト、魔法バスの経路を調べてくれますか?」

「了解!」


 アーネストがスマホを出して、ダニエルとヴィンセントが彼の肩口から画面を覗き込んだ。それを傍目にアーチはランプをフィルに預け、プレイステッドを担ごうとして、ふと彼の指輪の宝石が割れていることに気が付いた。


「……そういえば、フィル」

「なに?」

「【レディ・マフェットの瞳】は誰が持っているんですか?」

「そりゃもちろん、プレイステッドだけど」

「これだったりします?」


 アーチはプレイステッドの腕を持ち上げて、割れた指輪を見せた。

 白い大きな宝石が縦に割れ、中から赤褐色の石が覗いている。


「あぁ、そうそう、それそれ。そんなところに隠し持ってたのか……あれ?」

「……やっぱり。この石、何も入ってませんね?」

「うん……いや、でも、繋がってはいる……どこに行ってるんだ?」


 フィルは眉を顰め、見えないものを見ようとするように目を細め、じっと虚空を見つめた。

 その視線がぐるりと回って、北西の方を向いた時だった。


「……んっ? あっ、ああっ!」

「ひゃあっ!」


 フィルとダニエルの声が重なった。

 ダニエルは脱兎のごとくアーチのもとに駆けてきて、肘の辺りを掴んだ。


「どうしたんですか、ダニエル?」

「師匠! 何か今、ぞくっとした! あっちの方! あっちの方から、何か……!」

「さっすが、敏感だね……」


 とフィルが興奮を抑えた静かな声で言った。


「見ろ、アーチ。出てき始めたぞ……」


 アーチは立ち上がって、二人が指さす方を見た。アーネストとヴィンセントも寄ってきて、同じように空を仰ぐ。

 銀色の煙のようなものがもくもくと上がっていた。

 深夜の空にくっきりと浮かび上がるそれは、みるみるうちに膨らんでいき、何かの形を取り始めた。

 フィルが独り言のように呟いた。


「そうか、あそこはアーサー王の墓……グイン・アップ・ニーズはアーサー王が封じるように命じたという伝説がある。ここに彼女の魂の復活が起きたらどうなるか……」

幽霊狩猟ワイルドハントか」


 アーチの呟きを肯定するように、銀の煙の中から巨大な騎士の大群が現れた。

 少年たちがぴょんと跳び上がって、歓声を上げた。


「ゴースト・パレードだ!」

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