30 ――のためなら

 アーチは試験管から狐を呼び出した。普段なら「それなに?」と食いつきそうな少年たちも、今はぐっと黙っていた。

 トーの丘は見晴らしがよく、頂上に小さな塔が立っている以外は他に何も無い。天気の良い昼間に来れば町を一望できるスポットなのだが、今は闇だけでなく雨にも覆われて凍えていた。

 狐が放つ温かな橙色の光は麓から見ればウィル・オ・ウィスプのように見えていることだろう。

 塔の少し下まで来た時、


「そこで止まってくれるかな」


 柔らかな声が三人の足を縫い止めた。


「『援護boost』」


 アーチは狐火を膨らめた。橙色の光が広がり、辺りを照らし出す。

 塔の入り口にプレイステッドが立っていた。

 彼は特に普段と変わった様子もなく、普通に微笑んでいる。それがかえって、彼が手に持っている凶器ナイフの鋭さと、身の内に秘めている狂気の濃さを際立たせているようで不気味だった。


「アーネストは?」

「先に、杖とスーツケースを出すんだ、ウルフ。そしてそれを後ろの二人に預けて」


 アーチはその言葉に従った。

 ダニエルが瞳を潤ませてスーツケースを受け取り、ヴィンセントは真っ直ぐプレイステッドを睨みつけたまま杖をひったくるようにした。


「そうしたら、君たちは十歩後ろに下がるんだ。大きくね。――そう、良い子だgood boy


 その言い草に、きっとヴィンセントは歯ぎしりしただろう、とアーチは思った。

 ちょうど、少年たちとアーチとプレイステッドが等間隔に並ぶような形になった。

 これではさすがに、アーチが何をするよりもプレイステッドの方が早い。完全に手のひらの上に乗せられていると感じて、アーチも歯ぎしりしたくなる。


「君の弟子はここにいる。少し寝てもらっているけれどね」


 彼は塔の壁の裏からアーネストを引きずり出した。

 アーネストは手首を前で縛られていた。意識が無いらしく、ぐったりと頭を揺らしている。

 それを見た瞬間、アーチは手のひらに爪を食い込ませ、頭がキーンとするほど強く奥歯を噛み締めた。

 プレイステッドはアーネストを地面に横たえて、その向こう側にしゃがんだ。


「さて、ウルフ。私もこんなものは使いたくないんだ」


 と、彼はナイフを地面に突き立てた。

 そして、空になった右手でポケットを探り、取り出した小さなガラス瓶をアーチに向けて放り投げた。

 アーチはそれを受け取った。


「君が素直にそれを飲んでくれれば、すべてが丸く収まるんだよ」


 透明なガラス瓶は青色の液体に満たされている。


「これは?」

「ちょっと魂を抜くだけの魔法薬さ」


 まるでただの頭痛薬を渡したかのような軽さで彼はそう言った。


「器に傷を付けたくないんだ。耐久力が落ちるからね。それで安全に魂を抜いて、残った器にこれで」と、小さなガラス片を掲げ、「女神の魂を固着させる。そうすれば彼女は、安定した状態で力を振るうことが出来るようになる。死と闘争の女神――冥界の主――彼女に頼めば、私の家族も、蘇らせることが出来る……!」


 血がにじむような声を聞いて、アーチはガラス瓶を握りしめた。彼の目的は復讐ではなかったのか、と知ったら、すべてがすとんと腑に落ちた。

 そういうことなら理解できなくもない。


「あなたの目的は、家族を生き返らせることでしたか」

「ああ、その通りだとも!」


 プレイステッドは両手を広げて立ち上がり、わざとらしいほどにっこりと笑った。


「ウルフ、君になら分かるだろう? 大切な家族を失った気持ちが! ある日突然一方的に殺され、奪われ、物言わぬ姿になって灰色の部屋に転がっているのを見た時の気持ちが!」


 彼の声は少しずつ激情を帯びていき、わなわなと震えた。それでも意地のように笑顔を作ろうとし続けているのが、アーチには哀れに思えて――

 ――だが一方で、そうする理由を理解することもできた。

 そうしないと自分を保てないのだ。笑顔でもしかめ面でも何でもいい、“この顔でいる”と決めておかないと、場所も時間もわきまえずに泣きわめいてしまうだろうから。


「もう一度みんなに会えるのなら、私はどんな犠牲だって払うと決めたんだ……そのために三十年間、ずっと、ずっと……忘れなかった。忘れさせてくれなかった!」

「……」

「君も、夢に見るだろう? ウルフ」


 アーチの肩が反射的に震えた。

 それを目ざとく見つけたプレイステッドは笑みを深める。


「そこまで同じならば、もう多くは語らなくともいいだろう。君の器の強さはよく分かっている。君なら、女神をきちんと収められるだろう。君の魂はきちんと保管しておく。すべて終わったら、再び女神を封印して、君を元に戻すと約束しよう」


 もったいぶるように間を置いて、彼は続けた。


「……それだけじゃない。君の父親のことも」

「っ」

「我々が責任を持って、必ず、生き返らせる」


 その言葉を聞いた瞬間、アーチは考える前に首を横に振っていた。生来考えるより先に体が動くタイプであるのは確かだが、それにしても言葉が追いついてきてくれなかった。

 駄々っ子のようにただ首を振るだけのアーチを前に、プレイステッドは困惑した声を上げた。


「なぜ? 君にデメリットは何も無い。約束するよ、必ず、必ずそうすると。契約書にサインしたっていい」


 アーチはようやく、


「駄目だ」


 とだけ言った。


(駄目だ、駄目なんだ。『死んだら元には戻らな・・・・・・・・・・』、それが父さんにとってのまともな世界・・・・・・だから。それを崩すことは、絶対に、してはいけない……!)


「絶対に、それは、駄目だ……!」


 アーチの絞り出した声を聞いて、プレイステッドは眉を顰める。


「どうして? 君はもう一度父親に会いたくないのか? あんな理不尽に奪われて、何の未練も心残りもないのか?」

「っ……」


 アーチが答えられないでいると「君がそこまで薄情だとは思わなかったよ」と彼は溜め息をついた。


「君の父は最期まで君のことを想っていたのに」

「……は?」


 アーチは耳を疑った。

 父が最期まで自分のことを――なぜ、そんなことを、プレイステッドが言える?!

 彼は酷薄に笑んでいた。


「【ハンプティ・ダンプティの黄身】を作るのに必要な十二人の肋骨。最も高名で愛されている一月生まれの男――君の父親が最適だろう?」

「なっ……えっ……?」

一つ目とmono-eye逆さ十字団and SSORCは時々ああやって材料・・を集めるんだ。人体を必要とする魔法使いが十人以上集まったら、一人殺すと決まっている。といっても、彼ほどの有名人を狩ることはめったにないから、欲しがる魔法使いが集まってしまってね。ひどい競争率になってたよ」

「……」

「生きている内から抜かないといけないモノが多くてね。だから魔法で命を繋ぎながら、一つずつ取っていった。ああ、痛みは消していたようだったよ。それで死なれては元も子もないから。それでも、部分麻酔のようなもので、不快感はひどかったろうな」

「……」

「でも彼は最期まで正気だった。魔法が解けて死に至るその時まで、まともに・・・・しゃべっていたよ。異常者オッドのくせに、すさまじい精神力だと驚嘆したのを覚えている」

「……」

「おかげで、素晴らしい純度の物が出来上がった」


 と、プレイステッドはガラス片を見せびらかすようにした。

 アーチの目の前が真っ赤になった。かぁっと全身が熱くなって、頭が割れそうなほどにガンガンと痛み出して、耳鳴りがした。

 ――こいつが父を。こいつが僕から父さんを奪ったのか!


「プレイステッドっ! お前っ!」

「おっと、動かないでくれよ」


 一歩踏み出した瞬間、彼はナイフを引き抜いてアーネストの心臓の辺りに突き付けた。

 冷や水を浴びせられたようにびくりと全身を震わせてアーチは硬直した。


「父親の次は弟子を失うか? それとも、それを飲むか?」

「っ……」


 急激な温度変化にアーチの意識は飛んでしまいそうになった。息が荒くなる。酔ってもいないのに足元がぐらぐらと揺れて吐き気がこみ上げてきた。握りしめた手のひらにガラス瓶の角がぎりぎりと食い込んだが、痛みは感じなかった。

 聞き分けの悪い子どもを相手にしているかのように、プレイステッドは「やれやれ」と首を振った。


「決心が付かないならこうしようか。……弟子の蘇生になら、素直に協力してくれるだろう?」


 ぞくり、と心臓がざわめいた。

 プレイステッドがナイフを振り上げる。


「やめっ」


 アーチは半ば転ぶようにして駆け出した。

 だが、到底間に合わない。たった数メートルなのに、その命に届かない。

 ――少年の心臓に、刃が吸い込まれていった。


「っ……!」


 ひび割れた自分の声が絶叫した。

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