28 家族と他人と恨みの話

 アーチは迷わず走っているように見えて、実は当てもなく彷徨っているだけだった。

 ダニエルはネイピア長官と一緒にいるだろうが、長官がどこに行ったかなど分からない。

 アーネストに至っては完全に一人でどこかに行ってしまったという。


(とっかかりになる物がないから飛び・・ようがないし……占いの道具は家だ。……悪魔……こんな短期間に二度も呼ぶのはさすがに嫌だし、彼らにマークを付けるのは気が引ける)


 つまりしらみつぶしに走り回るしかないらしい、と腹を括った時だった。


「違う!」


 曲がり角の向こうから子どもの声が響いてきた。


「無責任なんかじゃない! 違うんだ!」


 アーチとヴィンセントは立ち止まって、顔を見合わせた。


「ダニエルだ」

「そのようですね」


 声音は確かにダニエルなのだが、そのあまりの剣幕の激しさに二人は少し戸惑った。

 彼の声は続いている。


師匠マスターが僕らを置いていったのは僕らのためなんだ! えーっと……なんだかって爆発するやつ。そういうのを使うような危険なやつが相手だから、僕らがついていったら危ないからって! 無責任じゃない! 逆だよ!」


 そっと角を曲がる。

 と、ネイピアに腕を掴まれたダニエルが気丈に両足を踏ん張って、大男を見上げるために頭をのけぞらせていた。


「言い争ってたのは……それは……その……た、他人から見たらそういうふうに見えたかもね?! だってほら、なんだっけ、喧嘩するのは同レベルだから……違う違う、そうじゃなくて……あっ、そう! 喧嘩するほど仲が良い、って! 言うじゃん! それだから! とにかく……その……僕らの師匠は師匠じゃなきゃ駄目なんだよ!」

「ふっふふふふふ! すっかりウルフの弟子だね!」


 聞き馴染みのある笑い声が聞こえた。バロウッズ先生だ。


「諦めなよ、ネイピア。契約は一ヶ月で結んであるんだ。互いの合意がない限り契約は破棄されない。ウルフは絶対に音を上げないだろうし、僕だってやめさせはしないよ。第三者が契約を捻じ曲げるのはご法度だ」

「バロウッズ、お前では話にならない。そもそもどうして魔法庁に何の相談もなくこんな重大な決定をしたんだ!」

「だって彼らはうちの生徒だよ?」

「それ以前に重要な血筋の特別な子どもだ!」

「子どもはみーんな特別さ。さぁそろそろ放してやってくれ。ちょうどお迎え・・・も来たようだし」


 とバロウッズ先生はアーチの方を手で指した。


「師匠! ヴィンス!」


 ダニエルの顔がパァッと輝いた。が、それはネイピア長官に腕を引かれてすぐに曇った。

 長官は血走った眼で、近付いてくるアーチを睨んだ。


「ちょうどいいところに来たな、ウルフ。今すぐこの契約を放棄しろ!」

「断ります。ダニエルを放してください」

「身分を弁えろ。あとの二人はともかく、この子はドルイドの総長の御子息だぞ? 総長を継ぎはせずとも、いずれ魔法界を背負う魔法使いになる存在だ。お前のような立場の人間がこの子に教えられることなど何一つとして無い。間違った思想を植えこまれては魔法界の損失だ! 立場の違いを理解しろ、混血の野蛮人が!」


 アーチは彼の言葉を聞き流し、ダニエルを捕まえている手首を掴んだ。そして手に力を込める。


「立場の違いを理解すべきはお前の方だ、ネイピア」

「なんだと? ――っ」


 長官は顔を歪めた。アーチに握りしめられた手首がみしりと悲鳴を上げたのだ。

 解放されたダニエルが素早く脇を抜けて、ヴィンセントと合流したのを目の端で確認したが、アーチは手を緩めなかった。むしろこのまま骨を折るつもりで、いっそう力を込める。ぎりぎりとネイピアの手首を締め上げる手の甲には、今にも破裂しそうなぐらい青々と血管が隆起している。


「今の私の立場は彼らの師匠・・だ。長官ごとき・・・・・が口を出すな」

「貴様誰に向かって口をきいて」

「黙れ」


 まるで魔法にかけられたように、ネイピアは口をつぐんだ。張り上げたわけでもないアーチの声に威圧されたのだ。

 アーチは真正面からネイピアを睨みつけた。自分が今どんな顔をしているかアーチには分からなかったが、ヴィンセントの怒りとダニエルの叫びを――そしておそらく、アーネストは苦悩し泣いただろう。その涙を――この男に叩き付けられるならば、どんな態度であろうとも構わなかった。


「よくも私の弟子たちを傷付けてくれたな、ネイピア。自分が誰に手を出したのか、理解しているか?」

「っ……」

に喧嘩を売って、無傷でいられると思うなよ……!」

「――『弾けflip』!」


 バチンッ、とアーチの手が弾き飛ばされた。

 魔法を使って無理やり逃げ出したネイピア長官は、憎しみのこもった目でアーチを見た。

 が、すぐに「会議の時間だ。貴様の処分がどうなるか、楽しみにしているといい」負け惜しみのようにそう言うと、掴まれていた手首をさすりながら背を向けた。

 これ以上の追撃はやりすぎだ。アーチは手のひらに残った痺れを振り払いながら怒りを収め、振り返った。


「師匠!」


 ダニエルが駆け寄ってきて、アーチの胸に飛び込んだ。怒りで興奮していたからだろう、胸元に押し付けられた彼の額は風邪を疑うくらい熱を放っていた。


「ごめんなさい! 僕らずっと隠して、騙してて……でも、違くて!」

「謝る必要はありません。私も、君たちのことを知ろうともしませんでした」

「でも……僕ら、何度も言おうとしたんだ。でも言えなくって……」


 彼は必死になって言いつのった。


「最初は一ヶ月ぐらいどうでもいいって言ってたんだけど、だんだん、どうでもよくなくなってきて、でも言ったら師匠が何て言うか怖くて、ずっと三人で話してたんだ。ヴィンスはもう言っちゃえよって言うし、アーネストは嫌がるし、僕も……僕は、どうしたらいいか分からなくて……だってもしさ、もし師匠が魔法使いのこと嫌ってたらさ、僕……」

「魔法使いを嫌う? 私が?」

「馬っ鹿ダニエル!」


 ふいにヴィンセントがダニエルの腕を引っ張って、アーチから引き剥がした。


「それは秘密だって言ったろ? ただの憶測! 邪推!」


 ダニエルはパ、と両手で口を押さえたが、出ていった言葉が戻ってくるわけもなく。

 気まずげに黙り込んだ二人の言葉を、


「ああ、それは有名な噂話だよ」


 バロウッズ先生が引き継いだ。彼はひらひらと手を振りながら滑るようにこちらに来て、「君たちじゃなくても考えつくことだ。知らぬは当人のみ、ってね」とダニエルの肩を軽く叩いた。それから、いつもの締まりのない顔をアーチに向けた。


「ほら、君はお父さんを魔法使いに殺されただろう? だから、魔法使いを恨んでいるんじゃないか、ってさ」

「は?」

「フリーランスにこだわってるのも、一般人オーディナリーを助けるのも、全部魔法使いに対する復讐なんじゃないか、と」

「なんですかそれ。ばかばかしい」

「そういう風に捉える人もいる、っていう話だよ。君は自分の考えを他人に見せないから」

「別に――」

「他人にどう思われようが構わない、だろ?」


 バロウッズ先生は眉頭に呆れのようなものを滲ませた。


「だが、どこまでを“他人”とするか、それは考えるべきなんじゃないかな」


 アーチは眉根を寄せた。


「それはどういう――」

「おっと、そんな話をしている場合じゃなかった! 僕らは臨時会議のために来たんだっけ」


 バロウッズ先生はわざとらしく両手を合わせてアーチを遮った。


「実は、宝物庫への侵入経路がゴヤの絵を経由したと判明してね。窃盗が発覚する前日がちょうど水曜日で、その日偶然訪れた人が気まぐれで怪物を倒していったんだ。ほら、怪しいだろう? 誰だったと思う?」

「……クラーク・プレイステッド」


 そう答えると、バロウッズ先生は一瞬だけ笑顔を消した。そしてすぐまた「へぇえ、驚いた! どうして分かったんだい?」と満面の笑みになった。


「やはりそうでしたか……。お話ししたでしょう? 魔法列車の扉がハッキングされて、弟子たちが地下水道に落とされた、と。そのハッキングを実行したテディ・エディスンから、つい先程、クラーク・プレイステッドの指示でやったとの証言を得ました」

「おやおや、それはそれは」

「今頃は交通局で尋問されているはずです」

「なるほど。つまり、プレイステッドを捕まえればすべて解決! ということだね」


 いやぁ分かりやすくなった! とバロウッズ先生は顔の横で両手を広げた。

 その手をすとん、とまるで溜め息の代わりのように落として彼は口調を重たくした。


「そうか、しかしそうなると、本当にプレイステッドが……だとしたらマズいぞ。彼こそ本当に、一般人を強く恨んでいるだろうからね」


 首を傾げたアーチを見て、先生は儚げに微笑んだ。


「三十年前の“最後の魔女狩り”さ。彼の家は魔法使いの一族で、あの事件の時に家族を皆殺しにされた」

「っ!」

「彼自身はカレッジにいたから無事だったんだけど。当時はけっこう荒れて……今はもう平気なように見えていたんだけれど、そうだね、悪夢を忘れることなんかそう簡単にはできないよね。そうだろう?」

「……そうですね」

「方針が決まったら、君にも手伝ってもらうかもしれない。その時は連絡するから、体調をしっかり整えておくようにね。それじゃあ」


 そう言って、バロウッズ先生はアーチの肩を励ますように優しく叩き、くるりと背を向けた。

 銀をそのまま引き延ばしたかのような、硬質な光を放つ髪に覆われた華奢な背中が、来た時と同じように滑らかに去っていった。

 彼がいなくなってしまうと、「バロウッズ先生って俺よく分かんない」とヴィンセントがぽつりと言った。


「そう?」


 ダニエルがこてんと首を倒した。


「サンザシみたいな雰囲気だから僕は好きだよ」


 今度はヴィンセントが首を横に傾けた。

 アーチは心の中でヴィンセントに同意した。バロウッズ先生はよく分からない。好い人であるとは思うのだが、それ以上に不思議である。それはおそらく笑顔と話し方と話す内容のせいだ。見えないのに確実に何かを運んでくる、風のような人。

 だが今はそれはどうでもいいのだ、とアーチは頭を切り替えた。


「さて、行きますよ二人とも。早くアーネストと合流しないと」

「そうだった!」

「ていうかさ、プレイステッドが犯人ってマジ? それじゃあこの中も危ないじゃん!」

「その通りです、ヴィンセント。だから手分けをしてというわけにもいかないので、このまま三人で捜しますよ」

「アーネストは真面目だから、魔法庁を出てはないと思う」

「同感。師匠が出るなって言ったからな」

「そうですか」


 その真面目さが仇となっていなければいいのだが、とアーチは唇を噛んだ。

 彼らがサラサラの金髪を捜しながらロビーにまで来た時、


「……ねぇ、ねぇ師匠!」


 とダニエルが走りながら言った。


「アーネストってさ、スマホ持ってるよね?!」

「……そうでした!」


 三人はぴたりと立ち止まった。

 廊下の隅に固まって、アーチはポケットからスマホを取り出した。アーネストの番号をタップする。

 呼び出し音がアーチの耳元で鳴り響く。

 二人が聞きたそうに背伸びをして左腕を引っ張ってくるから、アーチは彼らのために体を傾けた。


「出ない?」

「出ませんね……でも繋がってはいるので、最悪この電波を魔法で追えば――」


 見つかるだろう、嫌いな魔法なんだが。と思ったその時、唐突にコールがやんで、


『……師匠?』


 と小さな声が届いた。

 わぁ、とダニエルが歓声を上げてヴィンセントに飛び付いたが、ヴィンセントとアーチは素直に喜べなかった。

 アーネストの背後に流れているノイズは、車が走る音だ。


「アーネスト、今どこに?」

『……あの……えっと……』


 一瞬の逡巡があって、直後。


『お願いだから来ないで! 狙われているのはし、うあっ!』


 ばしっ、がたんっ、と非常に不愉快なノイズが交ざって、アーネストが沈黙した。

 そしてその代わりに、


『あー、もしもし? お聞きの通りだ、ウルフ』

「……プレイステッド」

『やあ、こんにちは』


 彼の声は腹が立つほどいつも通り爽やかだった。自分が悪いとは欠片も思っていない声。


『今夜十一時にトーの丘へ来るように。そこにいる二人も連れておいで。おっと、他の魔法使いたちに伝えてはならないよ。君の弟子が一人減ってもいいなら話は別だけれど。それじゃあ、時間厳守でよろしく』


 一方的に通信は切られ、無機質な電子音だけを鳴らす通話口に「畜生!」とヴィンセントが吠えた。

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