27 真っ赤な呪い

(そもそもバロウッズ先生は“内部犯の可能性が高い”って言っていたじゃないか……どうして忘れていられたんだ、馬鹿! しかもついさっきすれ違った!)


 聞いた後から考えてみればつじつまが合う。

 列車の中で会った時も、彼に引き留められたから最後尾に付くことになったのだ。アーチが先に行っていれば、ボーギーに足を縫われても少年たちだけが落ちるということはあり得なかった。

 それを見越して、プレイステッドはあんな真似をしたのだ!

 アーチは走って医務局に向かった。昨日乱暴に閉めた扉を今日は乱暴に開けて、五号室へ急ぐ。

 何事も無ければそれでいいのだが――

 ――何事か、あったらしい。

 五号室の扉は締め切られていて、その周りに数人の職員が立っている。全員戸惑ったような、対応に迷っているような顔を互いに見合わせていた。様子から察するに襲撃されたというわけではなさそうで、少しだけ気が緩んだ。が、それなら一体何が起きたのだろうか。

 観衆の一人になっていたベンフィールドがアーチに気付いて、


「おい、おい、ウルフ!」


 と手招きした。


「何があったんですか?」

「弟子どもにはきちんと付いてろよ、師匠・・だろ?」

「今は皮肉は結構。それより――」


 バンッ

 と五号室の扉の内側から何かを叩きつけるような音がして、アーチの言葉を遮った。

 ベンフィールドは肩をすくめた。


「中でガキが暴れてる。紺色の髪のやつだ。ネイピア長官が閉じ込めて――」


 言葉を全部聞き終える前に、アーチは引き戸に飛びついた。


「『開けopenゴマsesame』!」


 魔法をかけた瞬間、取っ手を掴んでいた手がバチンッと弾かれ、手のひらから血が滴り落ちた。

 かなり強く閉められているらしい。

 アーチは小さく舌を打って、血を流したままもう一度取っ手を握りしめた。


「『援護boost』――『無理にでもpry開けopenゴマsesame』!」


 すると今度はやりすぎたらしい。ガラスをハンマーでたたき割ったような音が響いて、引き戸が勢いよく真横にスライドしそのままレールを外れて廊下に倒れた。

 開いたならよし! と中に入ろうとしたアーチの目の前に。

 何か物体が迫っていた。

 ヴィンセントが投げた椅子だ。


「っ!」


 丸椅子の座席の部分がアーチの額に当たって、廊下に転がった。

 かしゃん、と鳴った小さな音は、眼鏡が落ちた音だった。

 アーチは二、三歩後ろによろめいて、どうにか踏みとどまった。額を押さえた手をそっと離すと、手のひらは血まみれになっていた――違う、これはさっき結界に弾かれた時に裂けた手の傷だ。その証拠に、顔を液体が伝っていくような感覚はなかった。


「あ……師匠マスター……」


 投げた後の格好で固まっていたヴィンセントは、アーチの裸眼と目が合った瞬間、ぎっとアーチを睨みつけて吠えた。


「遅い!」

「はあ?!」

「なんであと五分早く来れなかったんだよ! そうすれば、そうすれば、ネイピアなんかがデカい顔できるわけなかったのに! 畜生!」


 そうやって「畜生! クソッ!」と口汚く叫びながら、ヴィンセントはゴミ箱を蹴り飛ばした。

 その中からお菓子の袋に混ざって滑り出てきた雑誌がアーチの目に留まった。

 月刊『カバラ』だ。

 ヴィンセントがそれを指差した。


「それ! それのせいだ! それが悪いんだ! 好き勝手書きやがってっ!」

「これに、何が?」

「二十四ページ!」


 アーチはポテトチップスの欠片にまみれてべとべとしている雑誌をめくった。


 ――『死を告げる黒い犬現る』『謎の血だまり事件マップ』『鴉の大量発生、災厄の予兆か?』――


 などと言った怪しげな記事の先に、自分と少年たちの写真が貼られているのを発見してアーチは目を見張った。


『反魔法使い主義の筆頭議員キャベンディッシュ氏の次男、魔法学校を追放か?!』


 そんな見出しが大きく打ち出されている。

 咄嗟にライターを見ると、その記事を作ったのは予想通り、サイラス・ディクソンだった。


(そう言えばなんか言ってたな……キャベンディッシュ氏の息子がどうとか……)


 地下水道に入る直前だ。すっかり忘れていたが、まさかこんな記事を構想していたなんて。しかもこの写真はいつ撮ったものなのだろう。全然気付かなかった。


「それを見て! 持って! 来たんだ! ネイピアが!」


 ヴィンセントは喉を裂くような勢いで叫びながら、枕をめちゃくちゃに振り回した。


「それでアーネストに! ごたごたごたごた言いやがって! 何も知らないくせに! アーネストがそのことをどんだけ気にしながら頑張ってるかなんて何も、何も! それでアーネストは出ていって……」


 とすると、“キャベンディッシュ氏の次男”というのはアーネストであるらしい。アーチは己の鈍感さに嫌気がさすのを覚えた。


「その上アイツ、ダニエルを無理やり連れていきやがった! 畜生っ!」


 こちらに向かって飛んできた枕を叩き落として、ゆっくりと部屋に入りながら「どうしてです?」とアーチは尋ねた。

 息を切らしたヴィンセントは、唾を飲み込んでから声を絞り出す。


「ダニエルは……ダニエル・ドゥルイット……」


 アーチはちょっとだけまばたきをした。

 ドゥルイット家。その家を知らない魔法使いはいない。英国魔法界の半数を占めるドルイドの系統の本家で、大本を辿れば原始に繋がると言われているエリート一族である。


「今の総長の息子なんだ……だから……」


 ヴィンセントの顔がくしゃりと歪んだ。彼の場合それは涙ではなく、怒りを爆発させる予兆だった。


「だから! 魔法界のスパイ・・・と! 野蛮人・・・には! 任せておけないって! そんな勝手なこと言って無理やり引っ張ってった! 俺を閉じ込めて……何者でもない雑種は説・・・・・・・・・・明係だ・・・、って!」


 血を吐くような叫びに、アーチの目の前まで真っ赤になった。そんなことを子どもに向かって言ったのかあの馬鹿は!

 ヴィンセントはベッドの足を蹴り、窓ガラスに向かって拳を振り上げた。

 アーチは咄嗟にその腕を捕まえた。


「放せよ!」

「落ち着きなさい」

「うるさい! 黙れ!」

「闇雲に暴れたら怪我をしますよ」

「うるさいうるさいうるさいっ! なんで! なんで……っ!」


 ヴィンセントはバッと振り返ると、反対の拳を振り上げてアーチの胸に叩き付けた。


「親がなんだよ! 家が何なんだよ! ダニエルはダニエルでアーネストはアーネストだろ?! なんでそんなことに傷付かなきゃいけないんだよ! 血筋ってそんなに大切なのか?! 俺たちはただ生まれただけなのに!」


 一言叫ぶごとに叩き付けられる小さな拳を、地獄の業火のように燃えながら真っ直ぐに睨んでくる瞳を、アーチは黙って受け止めていた。


「馬鹿だ! みんな馬鹿だ! 親だって、所詮他人なのに……そんなのに、縛られて……」


 ヴィンセントの拳は言葉と一緒に少しずつ弱くなっていった。

 やがて彼は叩くのをやめた。その代わりにアーチのジャケットをぎゅっと握りしめて、深く俯く。その姿は、そのまま空気に溶けていってしまいそうなほど脆く見えた。消え入るような声がポツポツと床に落ちる。


「……それとも何? おかしいのは俺の方なのか? 親がいないから、分からないだけなのか? 俺は……何者でも・・・・ない・・、から……?」

「そんなわけないでしょう!」


 アーチは反射的にヴィンセントの肩を掴んで叫んでいた。脳味噌が一瞬で沸騰して、どうにかなってしまいそうだった。とにかく今は、彼のその言葉を真正面から否定しなくてはならないと妙な確信をしていた。


「しっかりしなさい、ヴィンセント! 君はきちんとここにいます、何者でもないなんてことはありえない!」

「師匠……」

「君の名前一つ知らない人間が、君の何を否定できると言うんですか? そんな言葉に惑わされて自分で自分を否定するのはやめなさい、ばかばかしい!」


 カッとなった勢いで言いたいことをすべて言ってしまった。嵐のような怒りが一旦過ぎていってしまうと、入れ替わりに猛烈な後悔が押し寄せてきた。


(ああくそ……っ! どうして僕はここにいなかったんだ?! いたら思い切り殴ってやったのに! ヴィンセントは正しい! 全部、全部僕が悪かったんだ……っ!)


 アーチは思わず俯いた。

 無理を強いてでも彼らを連れていくべきだった。あるいは自分が一日休むべきだった。エディスンが死ぬことと、彼らが傷付くことの、どちらがより重たいだろう? 全部終わってしまった後になってから天秤に乗せてもそれはあまりに遅すぎた。自分はエディスンの方を選んだのだ。魔法使いでも過去には戻れない。

 溜め息を一つ。失敗をそのままに泣き寝入りなんてしてやるものか。顔を上げる。

 ヴィンセントの濃紺の瞳が、縋る先を探すように揺れていた。


「君の怒りは正当なものです。私が保証します。そして正しい怒りは、正しい相手にぶつけなくてはなりません。こんなところで部屋を相手に暴れている場合ではないんですよ」


 肩から手を離す。彼の左肩にべったりと付いてしまった血を『サッパリ綺麗に』落としてやって、それからアーチは出来るだけ頼りがいのある風に見えるよう微笑んだ。


「行きますよ、ヴィンセント。君の……いえ、我々の怒りを、思い知らせてやらなくては」

「……うん」


 ヴィンセントは痛みをこらえるような顔になってから、それを両手で乱暴にこすった。そうして、はっきり頷いてみせた時には、斜に構えたふてぶてしい、しっかり者の顔に戻っていた。それを見てアーチは胸をなでおろした。


「あ、そうだった、ちょっと待って師匠」


 さっそく踵を返したアーチを引き留めて、ヴィンセントはベッドの方に行った。


「これ、アーネストが一応持っていこうってうるさくってさ。わざわざ持ってきてたのに渡すタイミングが無くって……いるだろ?」


 彼が両手に掲げ持ってきたのは、赤い――

 ――真っ赤な、ナポレオンコート。

 悪夢の象徴のような、父の形見。惰性で着続けていたはずなのに、いつの間にか、これがないと自分ではないような気になるほど体に馴染んでしまった呪い。


「ありがとうございます。助かりました」


 綺麗に畳まれていたそれをばさりと広げて手を通す。

 このコートは楔だ。

 まともじゃないオッドなのは自分魔法使いで、だからこそまともであろうとし続けなければならないのだと、何度もアーチの心に打ち込まれる楔。

 腰の辺りで軽く絞られ綺麗なAラインを描く裾を翻す。膝下まであるコートの重みは体をぐっと現実に押し付けてくれた。

 『仕事から逃げるな』と。


「やっぱ見慣れるとそれが一番良いよな」

「そうでしょう?」


 軽く言いながら眼鏡を拾った。幸いにしてフレームは歪んでいなかった。それを掛けてようやく、元に戻った、という感覚になった。


「あー……それと、師匠……」

「なんですか?」

「……椅子、ぶつけてごめんなさい。あれは、俺が悪かった」


 アーチはちょっと驚いて振り返った。

 ヴィンセントはきまり悪そうに腕を組んで、そっぽを向いている。

 人に謝罪されることなんて! とアーチは一瞬パニックに陥りそうになった。自分は謝ってばかりで謝られた記憶はまるでないのだ。まして子どもになんてなおさら!

 首の裏をこすりながらアーチは必死に考えて、ようやく言葉を絞り出した。


「次から、気を付けて」

「うん」

「急ぎますよ」


 照れたのを隠すように、アーチは小走りになった。

 ヴィンセントが後ろを付いてくる。


「おい! この部屋どうすんだよ! おーい!」


 ベンフィールドの喚き声がさらに後ろを追いかけてきたが、振り返る者は誰もいなかった。

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