24 弟子の心、師知らず

 自然に目が覚めた時、窓から見える空は橙色だった。

 アーチは起き上がり、腰を反らせて体を伸ばした。もう痛みはまったくない。細かな傷痕が一気に増えたが、治癒魔法が効きにくい自分にとってはいつものことである。皮膚の引き攣れ、骨の軋み、そういったものはないのだから問題ない。少し熱っぽいような気はするが、たぶん気のせいだろう。頭も体も重くてなんとなく気だるいが、それよりも空腹の方が気になった。

 つまり万全の状態だ。

 アーチはベッドの下からスーツケースを引きずり出して、中から替えの服を出した。手早く着替えを済ませる。

 それから、ボロボロになった服を確認して『収納』していた杖や何やらを取り出した。

 龍鱗のタイピンは無かった。おそらく壊れたのだろう。あれだけの衝撃を受けたのだから仕方がないか、とアーチは諦める。命の代償にしては安いものだ。

 誰の手か知らないが、修復されたスマホと眼鏡がサイドテーブルに置かれていた。自分を襲った【癇癪玉】の破片も。それをポケットに突っ込み、髪を結び眼鏡をかけ、スマホの電源を入れる。

 二月十一日金曜日。襲撃されてから約二十五時間。

 昨日のことを思い返すと、ふつふつと腹の奥が煮えてくるような感じを覚えた。

 それは怒りであり悔しさであった。

 ――少年たちを危険な目に遭わせたエディスンに対する怒り。

 ――なすすべもなくあっさりと己が倒れてしまった悔しさ。

 気持ちを静めるように、一度深呼吸をする。


(さて、エディスンはどうなったか……)


 アーチはベッドに腰掛けて交通局に電話を掛けた。


『はぁい、こちら交通局』

「こんにちは、ハズラム。ウルフです」

『ウルぅフ?! もぉ平気なのぉ?!』

「ええ、万全です」


 アーチは平然と答えた。


「それで、エディスンはどうなりました?」

『あぁ、えぇっとぉ……まだ逃げてるみたいねぇ。違法魔法課は今忙しいでしょお、ほら、秘石窃盗がリークされちゃったからぁ……』

「わかりました。では、二三日の内にどうにかします」

『えぇ? ちょっと、ウルフ? あなた、病み上がりでしょお?』

「はい、仰る通り病み・・から上がり・・・ましたので、もう休む必要はありません。それに、一度お受けした依頼は放り出しませんよ。では」


 一方的に通話を切って、アーチはスマホをポケットに滑り込ませた。それから、スーツケースを手に持って部屋を出る。

 そこに三人の少年が雁首を揃えていた。


「あ、おはよう師匠マスター! そろそろ起きるかと思って、サンドイッチ、持ってきたん、だけ、ど……」

「どこ行く気?」


 アーチがすっかり身支度を整えて、その上スーツケースを手にしていることから察したのだろう。

 ダニエルは語尾を濁らせ、ヴィンセントが声を尖らせた。


「君たちも仕度をしてください。行きますよ。サンドイッチは移動中に食べましょう」

「だからどこに?!」

「エディスンを捕まえに行きます」


 言った瞬間、三人が口を揃えて「「はぁあっ?!」」と叫んだ。

 その声は廊下に響き渡って、職員が何人か立ち止まった。


「ばっ、ば、ば、馬鹿じゃないのか?! いや馬鹿だろ、馬鹿だ、馬鹿!」

「仮にも師匠に向かって酷い言いようですね、ヴィンセント」

「だって馬鹿だろ! 昨日あんな大怪我負った直後だぜ?! それなのにもう行くって……いい加減にしろ! 馬鹿! ばぁぁああか!」

「馬鹿と鳴くしか能のない鳥のようですよ」

「うっせ、馬鹿! 馬鹿に馬鹿って言って何が悪い!」


 と、ヴィンセントは足踏みしながら怒鳴った。


「なんでそんなに急ぐんだよ!」

「逃亡した魔法使いはできるだけ早く捕まえるのが重要です。迎撃の準備をされたら捕まえるのが大変になりますので。そうなった場合、この程度・・・・の怪我では済まなくなるでしょう」


「この程度……?」とダニエルが首を傾げた。


「それに、エディスンは“知らなかったんだ”と言っていました。ということは、何者か・・・が彼に無理やりハッキングさせたものと考えられます。であれば、ハッキングが露見した今、彼にそれを指示した黒幕が彼を処分する可能性が考えられます。彼が処分されたら、黒幕には辿り着けません。だから急ぐ必要があるのです。分かりますね?」


 ヴィンセントは歯を食いしばった。意地でも“分かる”とは言いたくないような顔だ。


「せめてもう一日ぐらい休めよ! 死にたいのか?! この馬鹿!」

「そ、そうだそうだ……!」


 小さな声で合いの手を入れたダニエルの背中を、「もっと言えよダニー!」とヴィンセントが押した。

 押されたダニエルはおずおずとアーチを見上げた。


「だ、だって師匠、昨日の怪我本当に酷かったんだよ? 死んじゃうかと思った……。まだ動いたら駄目なんじゃないの?」

「いえ、大丈夫ですよ。もう完全に治りました」

「嘘だ!」


 と指を突きつけてきたヴィンセントに、


「こんなことで嘘なんかつきませんよ。怪我は本当に治っているんです」


 アーチは苦笑いを返す。


(まぁ体調までは整ってないけれど……この程度は誤差だし)


 そう思ったその時だった。

 それまで沈黙を保っていたアーネストがふと口を開いた。


「“体調は整ってないけれど、この程度は誤差だから”」

「っ?!」


 ぴたりと言い当てられて、アーチは目を剥いた。

 むすっと頬を膨らめて腕を組み、アーネストはアーチを睨み上げた。


「集中してればなんとなく聞こえる・・・・んだよね、師匠の思ってること」


 恐ろしいものだ、とアーチは冷や汗を流した。敏感な子どもが厄介だというのはこういうところなのだろう。

 ちょっと肩をすくめて、目線を逸らしつつ言い返す。


「体調まで万全で臨める依頼はそう多くありません。この程度は日常茶飯事です」

「駄目なものは駄目! 師匠の無茶を止めるのが弟子の務めだ!」

「「そうだそうだー!」」


 三人は結託して拳を振り上げ、アーチの前に立ちはだかり不動の姿勢を見せた。

 アーチは溜め息をついて


「弟子の務め、ですか……」


 と呟いた。

 そして、諦めてくれると思ったらしく目を輝かせた三人に向かい、反撃に出た。


「では、私の代わりに仕事をしてください」

「……え?」


 アーネストが目をぱちくりさせた。


「師匠が動けない時は弟子が動く、そういうものでしょう?」

「……で、でも……」


 ダニエルが戸惑った声を上げる。


「分かっています。君たちはまだ未熟ですし、君たちを殺そうとする輩もいる。この状況で、君たちだけを行かせるわけにはいきません。だから、私も行くのです」

「……ん?」


 ヴィンセントが眉を顰めた。


「体調が万全でない師匠と未熟な弟子。補い合えばどうにかなると思いませんか?」

「待って、待った師匠、ちょっと黙って」

「それとも、君たちはちょっとした手助けも出来ないほど役立たずなんですか?」

「そんなことは!」

「ないですよね」


 咄嗟に反論したヴィンセントの言葉尻を捕らえて、アーチはにっこりと笑った。

 アーネストがヴィンセントの肩を叩き、ヴィンセントは己のミスを悟って頭を抱えた。

 アーチは勝利を確信してニヤリと笑った。


「さぁ、分かったら今すぐ仕度を済ませてきてください。早く出ないと――」

「だ、騙されないからな!」


 素早く立ち直ったヴィンセントが頭を振り上げ、鋭く言った。

 アーネストもそれに追随した。


「言いくるめようとしたって無駄だよ! 師匠は今日は休み!」

「なぜそこまで……」


 アーチは眉を顰めて腕を組んだ。


「危険が予想されるところに行きたくない、と言うならまだしも」

「あー……」


 アーネストはぐっと言葉を飲み込んで、それから嫌そうに言った。


「じゃあそれでいいよ。危険なんでしょ? 行きたくないね! だから師匠も――」

「大丈夫ですよ。同じ手を二度くらうことはありません。不安に思うかもしれませんが、君たちを危険には晒しませんから」


 半ば遮るようにしてそう言った瞬間、ヴィンセントが苦々しげに「ほら見ろ! そう言うと思った!」と吐き捨てて、アーネストを睨んだ。


「だから言ったんだ、無駄だって! 考えてるようで実は何も考えてない奴だ、って分かってただろ?!」

「……うん、分かってた」


 アーネストは深く頷いて、改めてアーチを見上げた。


「ねぇ、師匠」

「なんですか」

「俺たちは師匠の仕事の邪魔をしたくないんだ」

「だったら素直についてくればいいでしょう。ここでごねているのは邪魔ではない、と?」

「あ、うー……邪魔、だけど……そうじゃなくて……」

「何を言いたいんです?」

「……俺たちがついていった方が、邪魔になると思って……」

「邪魔になるなら、来いとは言いません」

「でも……」

「でも、なんです? まだ何か?」


 いい加減アーチも嫌になってきて、冷たく聞き返した。

 瞬間、イライラと貧乏ゆすりをしていたヴィンセントがぴたりと動きを止めた。


「もういい、やめようぜアーネスト」

「ヴィンス」

「こんな分からず屋にかける言葉はない! 考える時間も労力も全部無駄だ! ばーか! なんでそうねじ曲がった“自己中心”なんだよ、意味分かんねぇ! 脳味噌腐ってんじゃないのか、馬鹿、ばぁかっ!」


 そう言うが早いか、ヴィンセントはパッと踵を返して部屋に飛び込んでいった。


「ヴィンス!」


 とアーネストが即座に彼を追って――部屋に入る直前にちらりとアーチを見た。その目があまりにもこちらを責めているように思えて、アーチは一瞬どきりとした。

 彼が消えていった部屋の方から視線を剥がし、溜め息をつく。

 それから、一人残っているダニエルに向かって一方的に言った。


「部屋の使用許可は取っておきます。庁内からは出ないように。明日までに戻ります。では」

「あ、ま、マスター!」

「……なんですか?」


 袖を掴まれて、アーチは仕方なく振り返った。

 ダニエルは少し気圧されたような表情になって目を伏せたが、すぐに手に持っていたサンドイッチを差し出した。


「せ、せめてこれ……持って行って……」

「……ありがとうございます。ああ、そうだ」


 アーチはそれを受け取って、代わりに財布から抜き取った紙幣数枚を手渡した。


「魔法庁の売店は五時に閉まるので――」

「うん、知ってる」

「そうですか」

「うん……」

「……では」


 あ、と小さな声が聞こえたが、アーチは聞こえなかった振りをした。

 白いリノリウムの床をカツカツと音を立てて進んでいく。

 なぜだか腹の中が落ち着かなかった。頭を掻きむしりたい気分だったが、それをぐっとこらえる。奥歯を強く噛み締めているのが自覚できたが、あえてそのままにした。むしろさらに強く噛む。

 角をひとつ曲がって医務局の入り口まで行くと、事務所のガラス越しに顔見知りの職員が呆れた表情でひらひらと手を振ってきた。


「全部聞こえてたわよ。五号室、貸し切りね」

「ええ。すみませんが、よろしくお願いします」

「ねぇ、あなたって本当に分かってないの?」

「何がです?」


 アーチは尖った声を出した。これ以上回りくどい言い方をされるのは辛抱ならなかった。

 すると彼女はひょいと肩をすくめて、


「さっすが、“その男スリム・ウルフ。掲げ持ったは合理主義”ね」


 と言うと、奥に引っ込んでしまった。

 ――掲げ持ったは合理主義。彼の前には心も神秘も両手を上げて『降参です!』


「チッ」


 アーチは小さく舌を打ちながら扉をくぐると、思いきり閉めた。

 バンッ、と大きな音が廊下に反響した。その音がかえって胸中を波立たせて、アーチはいよいよ高らかに靴を鳴らした。

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