22 The Dynamite Guest

 玄関を開ける前から、少年たちの声が外に漏れ聞こえていた。


「……何やってんですかね」

「ヴィンスとアーネストは大体こうだよ。ちょっとしたことですぐ喧嘩するんだ。むしろ最近は少ない方だったんじゃないかなぁ」

「君が喧嘩っ早くなくて助かりました」


 アーチは溜め息をついた。


「三人ともこうだったら、私は仕事を放り投げてましたね」


 鍵を開けて中に入る。

 リビングに繋がる扉を開ければ予想通り、二人の少年がぎゃんぎゃん言い争いながら取っ組み合って床に転がっていた。椅子は倒れ、クッションは投げつけられ、本やノートがその周囲に散らばっている。


「今度は何が原因ですか」


 アーチの冷たい声が届いた瞬間、二人はぴたりと動きを止めてこちらを見た。

 そしてなぜか二人とも「あ、や、別に……」「大したことじゃないんだけど……」ともごもご言いながら、やけに素直にお互いを離した。


「大したことじゃないのにここまで派手に喧嘩できるとは、一種の才能ですね」

「はは」


 とアーネストが乾いた声で笑って、そっぽを向いた。


「まぁね」


 ヴィンセントも反対の方に視線を振って、肩をすくめた。

 アーチが冷たく微笑んだまま「片付けなさい」と言うと、二人は大人しく「「はぁーい」」と返事をして片付けに取り掛かった。あまりにも従順で喧嘩が尾を引いていない。

 アーチは少し首を傾げたが、あえて追及するのも面倒に思えてキッチンに向かった。


「ダニエルは昼の用意を手伝ってください」

「うん!」


 テレビがつけっぱなしになっていた。

 ニュースは五年前の脱線事故のことを報道している。

 聞くともなしに聞きながら、アーチはリンゴにナイフを入れた。


『二〇一五年二月十日、午前十一時二十分頃にこの惨劇は引き起こされ――原因は整備不良によるもので――同乗していた国家公認魔法使いのリネット・ジョンソンさんが――犠牲者は彼女一人で――救われた人々が花を手向けに――』


 ふと、アーチは画面に目をやった。一瞬、知っている顔が映ったような気がしたのだ。


(……気のせいだったか)


 色とりどりの花束が線路脇に並べられている。

 インタビューを受けた少女の声は、ちょうど通り過ぎた電車の音に掻き消されて何も伝わってこなかった。

 代わりに「自己犠牲なんて、馬鹿らし」と呟いたヴィンセントがアーネストに叩かれているのが聞こえた。


 依頼がない日の少年たちは、たいてい真面目に宿題を片付けている。

 今日はどうやら『浮遊』の魔法の練習をしているようだった。あれは一番初めに教わる長距離ロング不可視性魔法インビジブルで、習得にはかなり苦労したことをアーチは思い出した。


「だから、イメージすんだよイメージ。唱え終わった瞬間フワッときて、そのままぐーんてなる感じ」

「黙れ感覚派!」

「あぁ?! せっかく人が教えてやってんのに!」

「だって参考になんないんだもんヴィンスの説明!」

「他に言いようがねぇんだから仕方ないだろ!」

「ダニー、助けてくれ!」

「えっ、僕? うーん……何て言ったらいいのかな……こう、グッってきた瞬間にひゅっとやるとぐーんて」

「大差ないじゃん!」

「だから魔法は感覚でやるもんなんだって! 考えるな、感じろ!」


 ヴィンセントに言われ、アーネストはぐっと黙り込んだ。

 杖を握り直し、ソファに置いたクッションに向き直る。

 そしてそれを親の仇のごとく睨みつけ、


「『汝は雲、ぽっかり浮かべ、賛辞は湯気、天まで昇れ、ふんわり浮遊floating』!」


 杖を突きつけた。

 が、クッションは手前の角をぴくぴくと動かしただけで、それはまるで人差し指でする挑発の仕草によく似ているのだった。


「だああああああ、もう! 全っ然、駄目じゃん! なんで?!」

「不思議だな……『ふんわり浮遊floating』」


 頭を掻きむしるアーネストの隣で、ヴィンセントが軽く杖を振ると、ふわりと浮かんだクッションが彼の杖先に従ってくるくると天井付近を飛び回った。


「そんな大変なやつじゃないのにな、これ」

「うるせー、俺は不可視性魔法インビジブルが苦手なんだよ」

師匠マスターに聞いてみれば?」


 ダニエルの声を聞いて、デスクに向かっていたアーチは振り返った。ちょうど魔法薬が完成したところだった。ヴィンセントが「今日は無事か……」と溜め息混じりに呟いた。


「『浮遊』ですか」


 すっかりむくれてしゃがみ込んでしまったアーネストが頷いた。


「一度やってみてください」


 ヴィンセントがクッションを下ろして、アーネストはさっきと同じように正しく魔法を唱えた。結果もさっきとまったく一緒。

 アーネストは重苦しい溜め息をついた。

 その様子をじっと見ていたアーチは、おもむろに立ち上がるとキッチンに向かった。

 午前中に買ってきたばかりの卵を一つ取り上げ、リビングに戻る。そしてそれを胸の前に掲げ、不審げにこちらを窺っている少年たちに向かってにっこりと笑った。


「アーネスト。これは君の明日の朝ご飯です。落としたら抜きになりますから、落ちる前に『浮遊』させてくださいね」

「えっ?」


 驚きを露わにするアーネストの前で、アーチは無慈悲に手のひらをひっくり返した。


「ふ、『ふんわり浮遊floating』!」


 床に向かって真っ直ぐに落ちていった卵が、床スレスレのところでぐんっと持ち上がった。

 アーチは自分の胸の高さにまで戻ってきたそれを掴んだ。

 ダニエルとヴィンセントが、おおー、と歓声を上げて手を叩いた。

 が、当の本人はまだびっくり顔のまま、肩で息をしている。


「出来たじゃないですか」

「あ、あ、あ、荒療治にもほどがない?!」

「その感覚を忘れない内に、クッションでもう一度やってみなさい。忘れたらもう一回生卵チャレンジをしますからね」


 顔を引き攣らせたアーネストが慌ててクッションに向き直った。杖を振る。と、クッションは見事に浮かび上がった。ヴィンセントのように自由自在にとはいかないが、それでもしっかり宙に浮かんで、落ちないのだから上出来である。

 それでようやく出来るようになったことを実感したらしい。


「やった! できた! できたぁっ!」


 と喜色満面で跳び上がった。

 アーチは卵を元の場所に戻した。


「魔力も充分。詠唱も合っている。それで出来ないという時は、“自分には出来ない”と思い込んでしまっている場合が多いんです。思い込みを外すのは厄介なので……どうせ思い込むのなら、“自分なら何でも出来る”と思い込んでおきなさい。その方が魔法使いには向いています」

「あ、だからか」


 とヴィンセントがふいに手を叩いた。


「師匠って“嫌いだ”とは言うけど、“苦手だ”とはめったに言わないなって思ってたんだ。思い込まないようにするため?」

「……そういうことにしておきましょう」

「違うのかよ」

「そこまで深くは考えていませんでした」


 アーチは正直に言って、首筋を擦った。


「ただ、苦手だと言うとなんか負けたような感じがするので……」

「どんだけ負けず嫌いなんだよ」


 冷たい突っ込みを聞き流して、アーチはデスクに戻った。


「まぁ、あとは練習あるのみですから――」


 椅子を引いた瞬間にドアベルが鳴った。


(来客? 珍しいな)


 直接家まで依頼をしに来る人間など今のご時世にはいない。そもそも住所は公開していないのだから、一方的に呼びつけられるのが基本だ。

 アーチは一応ネクタイを締めてタイピンを着け、


「そこにいて構いませんが、静かにしていてくださいね」


 と言いつつ玄関に向かった。

 覗穴の向こうに立っていたのはテディ・エディスンだった。

 少し意外に思いながら扉を開ける。


「こんにちは、エディスンさん。何かご用ですか」

「あっ、あ、あ、あの……う、ううう、ウルフくん……た、頼みたいことが、ああああ、ある、あるん、だけど……そ、外じゃ、はな、話しにく、にくくって……」

「どうぞ。狭いですが」

「ご、ごごめ、ごめん……」


 エディスンは肩を縮めて、異様にびくびくとしながら中に入ってきた。

 リビングの戸のところで彼は立ち止まった。

 ソファにまとまって大人しく座っていた少年たちが、彼を遠慮なく見詰めた。彼はその視線に怯えたかのようにふいと顔を背けて、がたがたと全身を震わせた。


「あ、あの、あの、あの……ご、ごめんなさい……僕、僕……」

「とりあえず、座ったらどうですか。落ち着いて話を」


 と食卓の椅子を指した瞬間、アーチの携帯が鳴り出した。

 ちらりと画面を見る――交通局だ。

 珍しいことというものはなぜか重なるものである。


「出てもよろしいですか?」


 確認を取ると、エディスンはがくがくと頷いた。


「はい、ウルフ」

『はぁい、ミスター。交通局のハズラムだけどぉ』

「こんにちは。今来客中ですので、手短にお願いします」

『じゃあさっそくだけどぉ、依頼よ、ウルフ。魔法管理部違法魔法課の捜査官、テディ・エディスンを捕まえてちょうだい』

「……は?」


 アーチは思わずエディスンの方をまじまじと見てしまった。

 彼は震えを止めて、ぴたりと固まっている。


『前に頼まれたでしょお、魔法列車の扉の座標をずらした奴。あれ、エディスンだったのよぉ。それがさっき発覚してぇ、だけど事情を聞こうと思ったら、アイツってば逃げ出してぇ。でも違法魔法課は今忙しいからぁ――』

「ぼ、僕は何も知らなかったんだ!」


 突然エディスンが叫んだ。どうやら何らかの魔法を使って電話の内容を聞いていたらしい。

 少年たちがびくりと全身を跳び上がらせ、『えっ、まさか、そこにいるのぉ?!』とハズラムが甲高い声で言った。

 面倒なことになったぞ、とアーチは思いながら、ゆっくり両手を上げた。


「落ち着いてください、ミスター・エディスン。とにかく一度魔法庁へ――」

「い、嫌だ、いやだ! ぼ、ぼぼぼ、僕は、僕は絶対に捕まらないからな!」


 そう言うが早いか彼は左手に杖を取り出し右手をポケットに突っ込んで小さな石を取り出しこちらに向かって放り投げて呪文を唱えた――それらを一息にやってのけた。普段の態度からは想像もつかない素早さだ。


「『弾け飛べexplode』!」


 【じゃじゃ馬ジョーンの癇癪玉】だ、とアーチは瞬時に見て取った。『爆破』の魔法をかけると指定の方向に破裂しすさまじい破壊力を見せるアイテム。

 そんなものをくらったら、少年たちの命が危ない!

 アーチは本能が取らせようとした回避行動を無理やりキャンセルして、石と少年たちの間に入った。

 頭と心臓の前に腕をやるのがギリギリ間に合ったかどうか――

 ――爆発音。

 全身に衝撃がきて、意識が吹き飛ばされた。


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