18 世界一簡単な魔法

 少年たちはよく働いた。

 根が真面目であることを証明するかのような働きぶり、といえば聞こえはいいが、単純に雪を掘ってその中から小さな若芽を見つけ出すのが楽しくなったらしい。宝探しに熱中する子犬のようだった。


「これ、何になるの?」

「いろいろだよ。強めの幻覚薬とか麻酔薬にも出来るし、神経炎の治療薬にもなるし、美容液にもなる。普通のスノードロップより強いアルカロイドが含まれているから、取り扱いは難しいんだけどね。この希少種でしか出来ないものと言ったら、仮死薬かな」

「仮死薬?」

「肉体だけを一時的に死んだことにする薬さ。……いや毒かな。放っておけば目を覚ますんだけどね。効いてる間は傷も停滞するから、傷を受けて死んだと見せかけたいような非常時に役立つ、らしいよ。そんな非常時に陥る人間、そうそういないと思うけれど――」


 ダニエルは植物に興味があるらしく、フィルを質問攻めにしていた。

 アーチは彼らの抱えている篭が段々いっぱいになっていくのをぼんやりと眺めながら、背筋にまとわりつく寒気を堪えていた。

 中天を越して西に傾き始めた太陽は、雪の銀色をいっそう煌びやかにしていたが、それでどうにかなるような寒気ではない。

 森に棲みつく精霊たちの呪いが、銀の鈴の音色を目印に、アーチ一人に集中しているのだ。敏感な人間がじっくりと見れば、影のようなものが彼の全身を包み込んでいることに気付くだろう。

 実際、アーネストはなんとなく察したようで、時々心配そうな顔をこちらに向けた。


(僕に“体質を過信するな”とか言う割には、こういうことを平気でやらせるんだよな、フィルは……言動が一致していないことに、気付いているんだろうか)


 指先の感覚が薄くなってきた。耐性にも限界がある。

 雪が落ちる音もかなり・・・・・・・・・・近づいてきた・・・・・・

 アーチは溜め息をついて、ゆっくりと木から背中を離した。

 話と採取に夢中になっているようで、珍しく時間の経過を忘れているフィルへと声を掛ける。


「フィル。そろそろ切り上げてください。限界です」

「あ、了解!」


 フィルはパッと立ち上がって振り返った。

 そしてアーチの顔を見て、瞬時にバツの悪そうな顔になった。そこからアーチは自分の今の血色を察した。相当悪いらしい。


「ごめん、無理させたね。急いで出よう」

「是非そうしてください」


 言いながら、アーチは背後を窺った。


レディ・・・もすぐ近くまで来てますから」

「そういうことはもっと早く言ってくれないかなぁ?!」

「予定の量に達していなかったようなので」

「走るよ! 急いで!」


 アーチの言い訳をすっぱりと無視し、フィルは篭を抱え直すと、少年たちに向かって言った。

 少年たちは何が何やら分からない顔をしていたが、アーチが「後ろは守ります。走って」と言うと、すぐにフィルの背中を追って走り出した。

 ドサッ

 雪がアーチの真後ろで落ちて、雪の欠片が首筋に当たった。途端に、右肩がずしりと重くなり、足が動かなくなる。

 アーチは鈴を外しながら、首だけで振り返った。

 やつれた女性の空っぽの眼窩と目が合った。

 本能的な恐怖が、キュ、と胃の真ん中あたりを縛って奥歯を食いしばらせた。が、そんな感覚にはもう慣れっこだ。こんな世界、慣れなければ生きていけない。


「アアアアーーーーーーーッ!」


 彼女が金切り声を上げた。呪われた怨嗟の声。呪いの効果は大したものでないが、耳元で叫ばれるとさすがに厳しく――単純な音圧に聴覚が負ける――足元がぐらりと揺れた。

 黒衣の淑女ブラック・レディ

 ブライドリーの森をさまよう精霊の中でも、最も厄介な存在だ。自分を捨てた恋人の代わりに、森へ来た男の魂を抜き取るのである。


「師匠!」

「魔法は駄目です!」


 いち早く杖を取り出していたヴィンセントが、ぴたりと動きを止めた。


「駄目って……でも……っ!」

「いいから早く行きなさい。大丈夫ですから」


 精霊に魔法を撃つのは危険だ。精霊とは、かつての人間だった魂が自然界の魔力を吸い込んで現世に固着したものである。ブラック・レディほど長くこの世に留まっている精霊が相手だと、中途半端な威力では絶対に倒せない。むしろ変に刺激すれば、怒りが彼女の力を増幅させる。

 だが“かつては人間の魂だったもの”である。その本質は変わらない。その執着は消えていない。

 だからこそ、周囲の魔力を取り込んでまで留まっているのだから。

 少年たちがフィルに引きずられていく。

 それを視界の端に捉えながら、アーチはブラック・レディに向き直った。黒いドレスが茨のように広がって、アーチの首や腕に絡みついてくる。そこから流れ込んでくる冷気と呪いが、少しずつ意識を削っていくのが分かった。

 目を瞑る。


(役柄は女たらしのお人好し――『よーい、スタート』)


 開く。

 アーチは、彼女のやつれた頬にそっと手を添えた。凍えるほど冷たいのに、涙のように頬を伝っている血は生ぬるく、べっとりと指先にこびりつく。

 だがアーチはそれらの不気味さを何も感じていないかのように柔らかく微笑んでみせた。


「レディ、私はあなたの愛しい人ではありません」


 茨がぞわりとうごめいて、駄々をこねるようにアーチにしがみついた。


「レディ、私はあなたの恋い焦がれる人ではありません」


 ぎりぎりと締め上げられるのが物理的な痛みに変わった。しかしその方がアーチにとってはありがたかった。龍鱗のタイピンが痛みを和らげてくれる。

 アーチはレディの頬を両手で包み、額を寄せた。


「レディ。あなたが、あなたの想う人と、正しく結ばれることを、どうか私に祈らせてください。……許されるのならば、私は、あなたのために涙を流したい――」


 言いながら、本当に涙を流す。

 黒曜石のようなアーチの瞳から落ちた一粒の涙。それがブラック・レディの茨に当たった瞬間――

 ――彼女は塵となって消え去った。

 緩やかな風が残滓を吹き飛ばす。

 それを、アーチはしばらくの間噛み締めるように目を細めて見詰めていた。

 が、やがて完全に解放されたことを確認すると、


「よし、上手くいった」


 ころりと表情を変えた。その顔には涙の跡すら残っていない。

 ――すべて演技だったのか! と驚愕する観衆は残念ながらいなかった。

 アーチは銀の鈴を雪に向かって放り投げると、即座に踵を返した。


 真っ赤なコートが翻るのが見えたのだろう。少し先を走っていた少年たちが、パッとフィルから離れてこちらに駆け戻ってきた。


師匠マスター!」

「大丈夫なの?!」

「どうやって退治したんだ?」

「あまりくっ付かないでください、走りにくい。退治ではなく一時的に遠ざけただけですから、早く出なければならないことに変わりはありません。ほら、急いで」


 子どもは風の子とはよく言ったものである。赤く染まった頬は寒そうに見えるが、それは体温が高いという証拠であり、寒さなど気にならないほどテンションが高いという証拠でもある。彼らがいるだけで雪が溶けていきそうだ。

 呪いに侵食されて重たくなっていた手足がフッと軽くなるのを感じた。


「精霊は核になっている執着心に注目すれば、追い払うのはそう難しくありません。あとは、一般人オーディナリーでも使える世界で一番簡単な変身魔法を使っただけです」

「何それ?」


 興味津々に聞いてきたヴィンセントに向かって、アーチはわざとらしく笑いかけた。


「演技ですよ」

「演技?」

「ええ。求められる役柄になりきる。今だけ自分は違う人間だと思い込む。それが、世界で一番簡単な、誰にでもできる変身魔法です」

「それって――」


 ちょうどそこでフィルに合流したから、ヴィンセントは質問を飲み込んだ。

 フィルは微笑ましげに眉尻を下げて、四人の問題児と並走した。


「アーチ、君、どうやってブラック・レディを? 君のことだから、てっきり大火力で吹き飛ばすものだとばかり思ってたんだけど、すごく静かだったから……心配した」

「人を爆弾のように言わないでもらえます? あの状況じゃ間に合いませんでしたし、そんなことをすればレディ以外の恨みも買って、どちらにせよ詰みですよ」

「じゃあどうやって」

「失恋した女性は優しく慰めるのが定石でしょう」

「……はぁ?」

「そんなだから君はもてないんですよ」

「はっ、あああぁ?」


 フィルは顔を赤くして、頬を引き攣らせた。


「べ、別に、もてなくたっていいし……」

「女性の影、まったくないですもんね」

「君だってないだろう?!」

「フリーランスにはそんな暇も余裕もありません」


 反撃をあっさりと躱されて、フィルはぐっと押し黙り、視線を尖らせた。そして、


「……君のように、人間の女性以外からもモテモテにはなりたくないからね」


 さらなる反撃をアーチは避けられなかった。冷たく睨み返す。


「……その話はやめません?」

「やだね、君が蒔いた種だ。だいたい人狼ウェアウルフと殴り合って引き分けた話だってそりゃ自分の貞操が懸かってたら誰でも必死にっ、痛いっ! 蹴るなよ!」

「それ以上話したら、君の五年の時の修羅場を蒸し返しますよ」

「修羅場なら君の方が多いだろう? 毎年何かしらあったの覚えてるからな」

「そんなにはありませんでしたよ。それに教師に言い寄られたことはさすがにっ、痛っ!」

「黒歴史! マジでやめろ!」


 二人は立ち止まってしばし睨み合ったが、やがてどちらからともなく手を差し出し、


「傷が浅い内に和平を」

「そうだね」


 と魔法使いの握手をした。


 そろそろ入ってきたところが見えてきた。

 ダニエルが「出口!」と言って駆け出し、それを追っていったアーネストが途中で雪に滑って転んだ。ヴィンセントが溜め息混じりに駆け寄って助け起こす。

 それを見ていたアーチは、ふと口を滑らせた。


「ですが、本当に不思議だとは思いますよ。何か原因があるんですか?」

「何が?」

「君にパートナーがいないこと」

「……珍しいね。君が他人の話題に食い下がるなんて」


 アーチは途端に照れくさくなった。首の後ろをこすりながら「別に興味はないんですが」と言い訳じみたことを呟き、そっぽを向く。

 だから、


「カレッジの養護教諭だって暇じゃないんだよ。……それだけさ」


 そう言ったフィルがどんな顔をしていたのかなど知る由もないのだった。

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