19 共犯者
ブライドリーの村のパブ“黄色いハンカチ亭”は、毎年来るたびに立ち寄っている場所だ。安くて美味い料理がどんどん出てくる良い店で、村一番の人気を誇っている。それだけに、夕飯にはまだ少し早い時間の今でも相当な賑わいを見せていた。
運良く空いていた丸いテーブルに腰掛ける。
暖かい店内に温かい料理。アーチは思わず息をついた。ホットワインが体に染みわたり、最高に美味しい。
少年たちも自分の体が冷えていたことに気付いたらしく、顔を真っ赤にしてビーフシチューに飛び付いていた。
「ああ、良かった。顔色が戻ったな、アーチ」
「そんなに酷かったんですか?」
「血の気がない、どころの騒ぎじゃなかったよ」
フィルは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ここは僕が持つよ。好きなだけ注文してくれ」
「いいんですか? それは助かります。正直食費だけで大分削られていたので……ああ、君たちが気にすることではありませんよ。それぐらいの蓄えはありますし、あとからきっちり学校に請求しますから。特に今回は全部フィルが出してくれるそうなので、遠慮はまったくいりません。財布を空っぽにする勢いで食べて大丈夫ですよ。――あ、すみません、ホットワインとソーセージ、あと適当に五品くらい追加で」
「……やっぱ言うんじゃなかった。足りなかったら君にも払ってもらうからな」
「ここ、カード使えるみたいですよ」
「チッ」
フィルは舌を打って、ワインを煽った。
ダニエルが口の中をジャガイモグラタンでいっぱいにしたまま、ふがふがと何事かしゃべった。アーネストが眉根を寄せて「ダニー、口の中の物を先に処理しろよ」と言った。
ごっくん、と飲み込んで、それから改めてダニエルが尋ねてきた。
「師匠と先生って、友達なの?」
「ええ、友人です。元々、カレッジのルームメイトだったので」
「じゃ、僕らみたいな感じだ」
「ああ、君たちもルームメイトですか」
「そう!」
ダニエルはにっこりして、
「特別に三人部屋なんだ。奇数だったから」
「それは珍しい」
基本的に、アンブローズ・カレッジの寮は二人一部屋と決まっている。無論年度によって入学者数は微妙に変動するから、その都度一人部屋になったり、上級生と組まされたりすることもあるが、三人部屋になったというのは初めて聞いた。
「彼らの年は入学者が多かったんだ。それで、部屋が微妙に足りなくてね」
とフィルが補足した。
アーチは追加で運ばれてきた料理を受け取りながら言った。
「良かったですね。気が合う上に、
それが皮肉であると、フィルは耳聡く気が付いた。
「共犯はしなかったけど、協力はしたじゃないか。僕が口をつぐんでいたおかげで、ばれなかった悪事がいくつあると思ってるんだ?」
「全体の数が分からないのでなんとも」
「……君本当に問題児だよね。よく卒業できたよな」
「成績だけは良かったので」
「そこがまたムカつくね」
フィルは少年たちの方へ身を乗り出した。
「いいかい、いくら師匠だからって真似したら駄目だからな。基本は反面教師にするんだよ、いいね?」
少年たちは笑って誤魔化し、うんともすんとも言わなかった。
「すでに君の教育が行き届いてるな?!」
「私は何も教えていませんよ」
「出来ないことは言わない、言ったことはやる、これが君の鉄則だったよな?」
「そんなの当たり前のことでは?」
アーチは重ねて小言を言われる前に言葉を被せた。
「それより、一度だけ君が共犯になったことを思い出しましたよ」
「え?」
フィルは眉を顰めた。
「何かしたっけ?」
「宝物庫に忍び込みました」
「あ」
フィルは“しまった”という題名の彫像と化した。
「宝物庫?!」
「宝物庫って、あの幻のやつ?!」
「校長以外誰も場所を知らないって聞いたんだけど、マジで?」
「ええ、それです」
少年たちは見事なまでに食い付いてきた。
「あれってどこにあるの?」
と、アーネストがテーブルに覆い被さる。
「それはさすがに言えません」
アーチは首を振った。
「なんでさっ?」
ダニエルは不満げに頬を膨らました。
「人から教えてもらうより、自分で探した方が楽しいと思いませんか?」
「探せば見つかるもんなの?」
ヴィンセントは疑わしげな口調だ。
「ええ、見つかります。私が知っているルートは、ゴヤの怪物を倒せるようにならなければ無理ですけど。私が見つけ出して、フィルを巻き込んで忍び込んだんです。ねぇ、共犯者さん? 後にも先にも、君がまともに校則を破ったのはあれ一回きりでしたね」
共犯者さんは肩をすくめて、無関係を装うようにワインを口に運んだ。それから少し恥ずかしそうに「校則は破るもんじゃないからね」と呟く。
「ばれなければ破っていないのと同じです。そういえば、どうして君はあの一回だけ共犯してくれたんですか?」
「若さゆえ、ってやつだよ。幻の宝物庫なんて、見れるものなら見るさ。認めたくないけど――」
いっそう声量を落として、
「――あそこだけは、行って良かったと思ってる」
アーチは得意げに微笑んだ。
「ほら、校則を破るのも悪くないでしょう?」
「いや、悪いよ。それは悪い」
フィルは食い気味に断言した。
「バロウッズ先生はどうしてアーチを師匠に選んだんだろうね? 不思議でならないよ」
「ものを教えることより、ボディガード的な要素を重視されたのでは?」
「なるほど、それなら分かるな」
「自分で言っておいてなんですが」
とアーチは軽くフィルを睨んだ。
「あんまり素直に納得されると腹が立ちますね。形だけでも、そんなことはないよ、とか言えないんですか」
「君にそんな気を遣ってもねぇ」
フィルは馬鹿にするように笑ってから、スッと顔を引き締めた。
「まぁ、真面目な話をするとさ。師匠になれるのは
ファースト、とは魔法使い第一主義者のことを軽い侮蔑を含んで呼ぶときの言葉で、フィルの言葉の後半は少年たちの方を向いていた。
少年たちはがくがくと頷いた。
「とりあえず、そこは助かったな。ファーストなんて嫌いだ」
ヴィンセントが心底嫌そうに吐き捨てた。
「師匠が師匠で良かったよ。無茶苦茶なこと言うし、朝起きないし、魔法薬作るの失敗したりするけど」
ダニエルがあんまり無邪気に言ったものだから、アーチは「三言ぐらい余分ですね」と呟いて、頬杖をつくとそっぽを向いた。
だから、アーネストがぼそりと
「……師匠は良い人だよ」
と言った時、アーチは彼の顔を見ていなかったのだった。どこか落ち込んだような声は、パブの浮かれた喧騒の底を転がっていき、すぐに見えなくなった。
アーチが視線を戻した時、彼は普段通りの笑顔を浮かべていて、
「校則を破るのも悪くなかったね」
「やめなさい、悪いから! ああほらやっぱり、アーチは教育に悪かった!」
フィルに頭を抱えさせたのだった。
口うるさく「いいか、バロウッズ先生に連絡するのを忘れないように。それから、子どもたちに変なことばかり吹き込まないように! いいね! 分かってるのかアーチ!」とまくし立ててくるフィルを振り切って、四人は魔法バスに飛び乗った。
「ちょうどよいルートで助かりました」
魔法バスは見た目こそ普通だが、正体は妖精の一種で、そのルートは毎時間変わる。停留所も存在せず、停まるか動くかはバスの気分次第。
そんな気まぐれな運行状況を、交通局の魔法使いたちがどうにか予測して、アプリを通して知らせてくれている。
アーチはそのアプリを閉じて、スマートフォンをポケットに放り込んだ。ふかふかのクッションに体を沈める。車内は暖かくて、気を緩めれば寝落ちてしまいそうだった。
アーネストが慣れた様子でアーチの隣に座った。このバスは無人で動き、監視もないために、脱走を得意とする問題児たちにとっては救世主のような存在であった。少年たちが慣れているのはそのせいだろうし、言うまでもなく、アーチも昔からお世話になっている。
「なんで“裏道”使わないの?」
「夜の“裏道”は日中より危険なんです。急ぎでない限り、出来るだけ避けたいので」
「ふぅん」
興味のなさそうな相槌を打って、アーネストはふと黙り込んだ。
アーチは窓の外を眺めるふりをして、そこに反射して映るアーネストを見ていた。彼は何か言いたそうに口をもごもごさせながら、アーチの方を何度も窺っていた。
だが、結局アーネストは何も言い出さないまま、バスはリージェンツ・パークの東側に停まった。
四人は素早く飛び降りた。ぼーっとしているとどこまでも乗せられていってしまうのだ。
ダニエルが少しだけ遅れて連れ去られかけたが、アーチに手を引かれてぎりぎりのところで飛び出せた。
バスは流星のように走り去った。青い光が長々と尾を引いて、やがて消える。
四人は黙ったまま家に向かって歩き出した。
二月の夜はしんと冷え切っていて、ロンドンにしては珍しく雪がふわふわとちらついていた。全員の吐息が真っ白に凍りつき、ほわほわと夜空に浮かんでは雪に当たって奇妙な形に歪んだ。
シャーロック・ホームズ博物館の前を通りかかった時だった。
歩道脇の消火栓が一瞬だけ金色に煌めいた。
“裏道”から誰かが出てくる。
アーチは出てくる人に衝突しないよう立ち止まり、それに少年らが
僅かに景色が揺らいで、シュン、と男性が現れた。
「プレイステッドさん」
「おや、こんばんはウルフ。と――」
彼は少年たちの方を見下ろして、爽やかに微笑んだ。
「お弟子さんたち。奇遇だね。仕事帰りかな?」
「ええ、そうです」
頷いてから、アーチはプレイステッドに聞きたいことがあったのを思い出した。バロウッズ先生によれば、アーネストたちが一般人に向かって魔法を撃ったという通報を受けたのは彼だ。そのことを聞かなくては。
「ちょうどよかった、プレイステッドさん。少しお聞きしたいことが――」
「ああすまないウルフ、実は今少々仕事が立て込んでいてね」
彼はアーチの肩に手を置いた。
「君と話したいのは山々なんだが、またにしてくれるかい? 悪いね。それじゃあ」
そう言って、彼はひらひらと手を振りながら去っていってしまった。
ヴィンセントが腕を組みながら、その背中を睨むように見ていた。
「今の人、列車の中でも会った人だよな」
「ええ、そうです。違法魔法課の捜査官をしている方ですよ」
「……なんかあの人さ、胡散臭くない?」
「胡散臭い?」
アーチは眉を顰めたのだが、ダニエルとアーネストはうんうんと頷いた。
「なーんかヤな感じがするんだよなぁ……見てると心がざらっとする」とアーネスト。
「どっからか分からないけど、荒れた森のにおいがする」とダニエル。
「話し方とか師匠にすり寄ろうとしてる感じがしてうざい」とヴィンセント。
少年たちがあまりに敵意をあからさまにするものだから、アーチは少しだけ驚いた。
ヴィンセントがこちらを鋭く見上げて、
「師匠はそう思わないのか?」
と聞いてきた。
アーチは肩をすくめて、
「人の心の裏を見ようとするのは疲れますから」
と答えになっていない答えを言うと、先に立って歩き出した。
その時アーチは不意に、少年たちが素直に追随してくるのを当然のことのように受け止めている自分に気が付いた。
ダニエルがひょいと隣に並んだ。
「今日はすっごく寒いねぇ。師匠も耳真っ赤だよ」
「……雪が降るほどですからね」
アーチは耳を手で覆った。
「早く帰って、暖かくして寝ましょう。それがこの時期には一番幸せです」
「さんせー!」
両手を広げて飛び跳ねたダニエルに、アーネストとヴィンセントも便乗した。子犬のようにころころと走り出した少年たちの背が、アーチの目には眩しく見えた。
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