15 一つ目と逆さ十字団

 テューダー婆さんの家から降りてきたアーチたちを、パブの主人は目敏く見つけて呼び込んだ。真っ赤なコートが格好の目印になっていたことは言うまでもないだろう。

 彼らがカウンターに並んで座ると、気の好い主人は、焼いたソーセージとか卵とか、子どもが好きそうなものをどんどん出してくれた。

 少年たちは歓声を上げて飛び付いた。気が滅入っている時は美味しいものに限る。パンだけはひどく硬かったが、硬いパンを好むアーチは頬を緩めた。


「あそこの婆さんはたいへんだったろ? 大丈夫だったかい? 何しに行ってきたんだ?」

「野暮用ですよ。それと、もう山へ入るなとは言われないと思います」

「ふぅん? ……あれ?」


 主人はアーチの顔をまじまじと見つめて、ふと首を傾げた。


「あんちゃん、誰かに似てるって言われない?」

「おや、誰でしょう?」

「うーん……誰だろうな……っと、電話だ」


 店の奥で電話が鳴り始めたのを聞きつけて、主人が引っ込んでいった。

 それを見送ってから、アーチは少し声を落とした。


「さて、先程の一つ目とmono-eye逆さ十字団and SSORCについてですが」

「ふぉう、ふぉれ」とヴィンセント。

「やふぁいおえ」とダニエルも頷いた。

「君たちは食べるのに集中していてくれていいですよ」


 アーネストは口の中のものを飲み込んでから尋ねてきた。


「それ、何? そういうグループ?」

「ええ。昔からある、魔法使い第一主義のグループです。結成は……いつなんでしょうね。詳細は不明ですが、かなり古くからあって有名ですよ。悪い方面で、ですが」

「悪い方面?」

「そもそもが、国家魔法使いの免許を取得していない、あるいは取った後に放棄した連中が集まった一団なのです。魔法使いは社会に縛られないものである、とかなんとか、そんな理由で。闇医者ならぬ、“闇魔法使い”というやつです」

「へぇ」

「で、裏で好き勝手なことをしている、と。研究一筋な者が多く、自分の研究のためなら人も平気で殺します。特に一般人オーディナリーに対する差別が酷く、数え上げればキリがないほどたくさんの人を殺しています。行方不明者の九割、迷宮入りした殺人事件のほとんどは彼らの仕業だと言われていて、学校では絶対に近寄るなと教わるはずです」


 アーネストが“やべっ”という顔をしたので、アーチはちょっと笑ってから付け加えた。


「いえ、習うのは三年生year 3になってからのことです。きちんとアンブローズ・カレッジに入った学生には、普通関わる機会はありませんから。――ああ、ですが、脱走・・するのが得意・・でしたら知っておいた方がいいでしょうね」


 そう言った瞬間、三人は揃って肩を震わせ、目線をよそにやった。


「普通の魔法使いのフリをして接触してくることもあります。校外での魔法の使用を禁じているのは、そういう理由もあるんですよ」

「なるほど……」

「それならそう言ってくれればいいのに」


 とダニエルが頬を膨らませると、


「『駄目です! 禁止です! 校則です!』」


 ヴィンセントがミル先生の声音を上手に真似た。


「って、まくし立てるだけだもんな、あのクソババア」

「ヴィンセント、口が悪いですよ」


 アーチは水代わりの薄いエールを傾けて、しれっと


「象足香水お化けとかそれぐらいにしておきなさい。悪口で汚れるのは自分の舌ですから」

「象足香水お化けって悪口だろ」

「単なる事実の列挙です」


 平然と言ってのけられて、ヴィンセントは二の句が継げなくなったようだった。納得がいったようないかないような、そんな微妙な顔で、ソーセージにフォークを突き立てる。


一つ目とmono-eye逆さ十字団and SSORCが相手ということは、君たちが見たという殺人現場、現実味が帯びてきましたね。彼らならやりかねません……」


 不意にアーチは言葉を切った。

 電話を終えた主人が戻ってきたのだ。それも小走りに。

 彼は妙にすっきりした笑顔で戻ってきて、


「思い出した思い出した、あれだ、あれだ、あの人だ!」


 カウンターの裏に立つなり両手を叩きながら言った。


「あんちゃん、あれだ、俳優の――エイブラハム、そう、エイブラハム・ウルフにそっくりなんだ!」


 予想通りの言葉ではあったが、体の反射は抑えきれなかった。アーチの指先がかすかに震えた。「そうですか?」と言いながら顔を隠すようにジョッキを持ち上げる。


「あっ、確かに!」


 とダニエルがアーチを見上げた。


「そっくりだ。全然気付かなかったよ。言われてみればあれだねぇ、真っ赤なコートもエイブラハムみたいだ」

「お、よく知ってるなぁ、坊主」

「ママが大ファンなんだ。エイブラハムが出てるDVDは全部家にあるよ」

「顔も演技もアクションも最高だったもんなぁ、あの人は」


 うんうん、と何度も頷く主人を前に、アーチは冷ややかに微笑んでいた。


(似てても当然だ。だって僕は、その人の実の息子なんだから……)


 父親に似ていると言われて、普通は喜ぶのだろうか。それとも嫌がるのだろうか――アーチは“似ている”と指摘されるたびに考えることを、性懲りもなく脳内に巡らせた――少なくとも、こんな風に冷たくてざらりとした塊を胸の底に転がしはしないはずだ。

 こうなるのは、父が有名人だからだろうか。

 それとも、魔法使いに殺されたからだろうか……。

 不意にアーネストがアーチの方を振り向いて、しかしすぐにパッと顔を背けた。

 そんな不審な動きを気にも留めずに、ダニエルが頬杖と溜め息を同時につく。


「死んじゃったって話をするたび、ママは今でも泣きそうになってるよ」

「だろうなぁ。もう……十年か?」

「ううん。十二年。ちょうど僕が生まれた頃だったんだって」


 彼が死んでから経った年月は生まれたばかりの子どもをこんな大きさにさせたのか、とアーチは内心で息を呑んだ。光陰矢の如し、だ。

 パブの主人はアーチよりもずっと一般的な顔で、素直に故人を偲んでいた。


「はぁー、もうそんなに経ったのか。俺も歳を取るわけだよなぁ。あの人もまだ若くって、これからだって時だったのに、なぁ」

「『ヴァルプルギス・ナイト』は二部作の予定だったんでしょ?」

「噂じゃそうらしいがね。本当に残念でならねぇよなぁ。ニュースを聞いた時はうちも驚いたよ、俺も家内も大ファンだったからさ。しばらくショックで仕事になんなかったね。結局犯人も捕まらねぇままだし、やるせねぇよなぁ。――お! 珍しいもん持ってんねぇ!」


 しゃべりながら空になった皿を引き上げていた主人が、少年たちの持っていた小さな包みを見て目を丸くした。(アーチは話が逸れてくれたことにこっそり胸をなでおろした。)


「その包み、テューダー婆さんのだろ?」

「うん、貰ったんだ」


 アーネストが代表して答えた。


「いいねぇ」


 と主人は相好を崩し、


「テューダー婆さん、口は汚いけどお菓子は美味いんだ。昔はここのためにもいくつか作ってもらってたんだけど、もういい歳だし大変じゃないかと思って気遣ってやったらさ、『老いぼれは引っ込んでろってことかね! ああそうかい、じゃあもういいよ!』なぁんていじけちゃって。それっきりさ」


 やれやれ、と主人は首を振った。


「また声かけてみてあげたら」


 アーネストがやけに大人びた声で言った。


「テューダー婆さん、きっと待ってるよ。まだまだ元気そうだし――それに、オジさんに頼られたら、きっと嬉しがると思う」

「そうかねぇ」

「素直に喜ぶ前に、百個ぐらいは悪口を言うだろうけど」

「あっはっは、それは間違いないな!」


 主人は快活に笑って、大きな手でアーネストの頭をぐしゃぐしゃにした。


「そうさね、罵られる時間と体力がある時にでも、行ってみようかね。……あの婆さんが孤独死したら、化けて出てきそうだし」

「うん、それも間違いないね」


 アーネストは髪を手櫛で整えながら、真剣な顔で頷いた。


「絶対ゴーストになって、毎晩枕もとで罵ってくると思う」

「そいつは勘弁してほしいなぁ! じゃあ、死ぬ前に行ってやらないとなぁ」


 主人は改めてそう言って、噛み締めるように何度も何度も頷いた。

 すっかり空になった皿を前に、四人は席を立った。サービスなのか土地柄なのか、食事代は随分と割安だった。アーチがそれに少し色を付けて支払って、四人は店を出る。


「気を付けてなぁ! また来てくれよ!」


 主人に向かって、少年たちは愛想よく手を振り返した。


 リーチェバラの外れの外灯から再び“裏道”に下りる。

 二度目は誰も転ばなかった。不気味な空気感にも不定期的な暗闇にも慣れたようで、もうダニエルはアーチのコートを掴まなかった。

 それどころか、


「おっ、ほんとだ、美味しい!」

「マジで? ――え、本当だ」

「すごーい、美味しい!」


 少年たちはたいまつの灯りを上手く利用して、包みを開き、テューダー婆さんから貰ったお菓子を食べていた。

 子どもとはみんなそういう生き物なのか、彼らの肝が特別強いのか、アーチには分からなかった。

 ――自分はどうだったろうか。記憶は遠く薄れている。

 ひょい、とダニエルが横に並んで、アーチを見上げた。


師匠マスターも食べる?」

「おや、いいのですか」

「本っ当に美味しいから! びっくりするよ! はい!」


 差し出された小さなクッキーを口に放り込んで――

 ――しかしアーチが驚いたのはその美味しさのせいではなかった。


「っ!」

「うわああっ!」


 真横に分岐していた道から誰かが飛び出してきて、アーチの背中に激突した。

 危うくダニエルを押し潰してしまうところだったのを、アーチは咄嗟に壁に手をついて耐えた。


「わ、わ、わ、ご、ごごごごごごめんなさい! ああああああの、僕、すすすすみません!」


 詰まった掃除機のような特徴的なしゃべりが背後から聞こえてくる。これはパニックになったからではなく、普段からこうなのだ。

 それを知っているアーチは、ゆっくりと体勢を直して振り返った。


「平気ですよ、ミスター・エディスン」

「えっ、あっ――あああああ! す、すすすす、すり、スリム・ウルフ! あっ、いや、ごごご、ごめん、ごめんなさい、う、ううう、ウルフ、くん」


 テディ・エディスン。彼は魔法庁違法魔法課の職員だ。ぶつかった衝撃で斜めにずれた大きな丸眼鏡を、骨と皮しかないような細い指がわたわたと直した。レンガ色の毛先が四方八方をさしているのは、天然パーマではなく寝癖である。筋金入りの鉄道オタクで、魔法列車の格納庫に侵入しようとして痛い目に遭った、まさにその人だ。アーチより少し歳上のはずだが、そうは思えないほど卑屈な態度である。


「あ、ああ、あの、あの、僕、いいい、いそ、いそが、忙しいから! そそ、それじゃあ!」


 彼は猫背をさらに丸めて、似合っていないピアスをそわそわといじりながら――ちらりと少年たちの方を見て――あっと言う間に四人の脇を駆け抜けていった。

 アーチはちょっと首を傾げた。


「本当に忙しそうですね。いつもならもう少しまともにしゃべれるのですが」

「そうなの?」


 疑わしそうにヴィンセントが言った。


「あの感じじゃ、まとも・・・にしゃべれるとはとても思えないんだけど」

「あくまでもう少し・・・・ですから。それに、魔法使いとしては優秀なんですよ」

「あれで?」

「性格と魔法の腕とは別のものですから」


 ヴィンセントはまだ疑わしげにしていたが、何人かの魔法使いを思い出しているような間を空けて、「……ふぅん、まぁ、確かに。そういうもんかも」と頷いた。

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