14 スリム・ウルフ

 アーチはバッと振り返った。

 屋根の方から降ってきたらしいブラッディ・キャップに頭を掴まれて、ダニエルが慌てふためいている。完全にパニックに陥って、首をブンブン振り回しているが、あれでは逆効果だ。爪が額にぎりぎりと食い込んでいるのが見えた。

 きゅ、と心臓を握られたような感覚がしたのをアーチは確かに感じた。

 が、それを無理やり振り払って、意識的に視野を広げる。


「ダニエル!」

「よそ見しない!」


 暗誦を途中で切り上げたアーネストを注意しつつ、アーチはポケットから聖水の入った小瓶を取り出すと、ブラッディ・キャップ目がけて投げつけた。

 薄いガラス製の瓶は当たった瞬間割れて、中身をぶちまけた。


「ギャンッ!」

「わあっ!」


 唐突に重みが外れたせいか、ダニエルは首を振っていた勢いのまま尻餅をついた。

 聖水は一瞬だけ相手を怯ませ爪を溶かすが、それ以上の効果はない。

 アーチの方に憎しみのこもった目を向けて、そいつは改めて飛びかかってきた。アーチはそれを一節で消し飛ばした。


「ダニエル、『防壁』を!」

「えあ、は、はい……っ!」

「アーネスト、彼と協力して、防御に専念!」

「わかった!」

「ヴィンセントは――」


 唯一、ヴィンセントだけは冷静かつ着実に、ブラッディ・キャップに対処していた。周りに目をやる余裕すら持っているようだった。

 そして、一番の強敵を理解したブラッディ・キャップたちが一斉にアーチの背中へ殺到するのを見、切迫した声を上げた。


師匠マスター、後ろ!」


 その様子を見て、アーチは微笑んだ。


「大丈夫そうですね」


 言うが早いか、腰を落として、スーツケースを真後ろに振り抜く。

 何体かの骨を砕いたような感触があって、吹き飛ばされた連中が壁をぶち抜き外に転がっていった。

 無造作な大振りに当たらなかったものたちは、空中から、あるいは足元から、アーチ目掛けて爪を伸ばす。

 その十数対の爪がアーチに刺さった。


「『紅焔メラメラblaze』!」


 次の瞬間、そいつらは全員火達磨になった。

 金属をこすり合わせたような声を上げながら地面を転げ回る。

 彼らの全身を包んだ炎がぼうぼうに生い茂った草木に移るのを見て、「しまった、炎はよくなかったですね」とアーチはさして気にしていない風に呟いた。

 それから、袖口から取り出した杖をひょいと振る。


「『風刃ズタズタblast』!」


 風の刃が周囲の草を刈り取って、ついでに外から戻ってこようとしていたブラッディ・キャップたちの目を潰した。当然狙ってやったことである。

 そこからは聖書の続きをひたすら唱えて一体ずつ消していく。その合間合間に、まだ元気な連中が飛びかかってくるのを、スーツケースで殴っては消し、消してはまた殴る。

 基本は『防壁』を使え、と言った自分の言葉をまるきり無視して、アーチはスーツケースを振り回しながらずかずかと群れに突っ込んでいった。


「浅はかな者は座して死に至り、愚か者は無為の内に滅びる!」


 魔法使いらしからぬ戦闘スタイル。これこそが、彼にあのあだ名をつけさせたのだ。


「スリム・ウルフ……」


 誰かがしみじみと呟いた。


 ものの数分で場は片付いた。

 一部が焼け野原になり、一方の壁が崩れたが、もともと廃墟なのだし延焼は防いだのだから良しとしよう、とアーチは一人頷いた。


「ダニエル、怪我は平気ですか」

「うん、平気!」


 彼は自力で怪我を治していた。みるみるうちに裂けた額が塞がって、わずかな傷痕も残さずに閉じ切った。残ったのはすでに乾いている血だけである。

 彼は思いの外へらへらとしていて、あまりショックを受けていないような様子だった。

 その様子にアーチは内心ほっとしていた。精神的なフォローの仕方など想像も出来ない。


「治癒が得意なようですね」

「うん、一番好きなんだ」

「では、今後の治癒は君に任せますね」

「えっ?」

「私は治癒が嫌いなので」


 アーチは平然とそう言った。


「自己治癒はともかく、他人の怪我はどうにも……そういうわけですので、アーネスト、ヴィンセント、怪我をしたら自力で治すか、ダニエルに頼んでください。いいですね」


 ヴィンセントは、まったく理解できない、という顔をしていた。


「……師匠マスターってなんか……なんでそんなに素直に、出来ないとか、苦手だとか言えんの?」

「苦手ではありませんよ、嫌いなだけです。出来ないわけでもありません。やれと言われればやりますし、やれます。ですが、得意不得意は誰にだってあるでしょう。それを隠したところで良いことは何もありませんから」

「恥ずかしいとかないの?」

「昔はありましたが、最近はどうでもよくなりました。“スリム・ウルフ”とかいう変なあだ名が独り歩きした結果、多少の奇行やわがままは黙認されるようになったので」

「ふーん……」


 ヴィンセントは腕を組んで、なにか考え込むように頷いた。


「さて、それでは、簡単な結界を張って――」


 戻りましょうか、と言いかけたその時だった。


「わ、わ、ヴィンス――『水流バシャバシャwaves』!」

「うわっ!」


 ダニエルが突然魔法を放って、ヴィンセントに頭から水をぶっかけた。


「っにすんだよ、ダニー!」

「ご、ごめ、でも、今、蛇が――!」

「蛇?」


 アーチがさっと目を走らせると、枯葉色の小さな蛇が水を避けるように飛び退いて、アーネストの方に鎌首をもたげたところだった。


「『雷撃ビリビリblitz』!」


 当てるつもりで放った雷撃はひらりと躱された。だが、アーネストの方へ行くのは阻止できた。

 蛇は形勢の不利を悟ったのか、そのまま逃げ出そうとそっぽを向く。

 その首をアーチは捕らえた。

 持ち上げると、蛇はしゅーしゅー唸りながら、細い体を前後左右に振り回した。牙からどろりと垂れてきた紫色の液体は、蛇の毒というよりは呪いの類のようだった。それがアーチの手に掛かった瞬間、皮膚がびりりと痛んで白い煙を上げた。普通の人間の体内に入ったら確実に死に至るだろう。アーチだってどうなるか分からない。

 だが、蛇自体は悪霊ではない。使い魔だ。

 白い腹に焼き印のようなものが押されているのが目に入った。

 デフォルメされた大きな眼が一つ。その中に、逆さまになった十字架が斜めに突き刺さっている。

 知っている紋様だ――魔法使いで、これを知らない者などいない。

 アーチは背筋にぞくりと悪寒が走ったのを、誤魔化すように溜め息をついた。


「君たちはなかなか厄介な連中に目を付けられたようですね」


 少年たちに呪いが掛からないよう気を付けながら、アーチは蛇の腹を見せた。


「嘘、これって……」

「……一つ目とmono-eye逆さ十字団and SSORCだ」

「何それ?」


 ダニエルは顔面を蒼白にし、ヴィンセントはぎゅっと顔を歪め、アーネストだけが呑気に首を傾げた。

 アーチは「後で説明します」とアーネストに向かって言いながら蛇を凍らせると(「『凍結カチコチfreeze』」)、山に向かって投げつけた。氷は蛇ごと砕け散った。こうしておけば、再生するにしても数日かかる。


「これで敵が明確になりましたね。一歩前進、と見るべきでしょう。――ああそうだ、ダニエル」


 アーチはふと思い出して、ダニエルの方に向き直った。


「先程は良い判断でした。君が蛇に気が付かなかったら、ヴィンセントが死んでいたかもしれません。よくやってくれました」


 それは思いがけない褒め言葉だったようで、ダニエルははにかんだように笑った。

 その横で、アーネストとヴィンセントも少し誇らしげにしていたが、ヴィンセントが出しぬけに「っくしゅんっ!」大きなくしゃみをしたので、アーチは慌てて彼のために魔法を使った。


 山を下りていくと、戦闘音が聞こえていたのだろう。テューダー婆さんが貧乏ゆすりをしながら、庭先をうろうろと歩き回っていた。

 本当に地獄耳だな、と思ったが、アーチは何食わぬ笑顔で声を掛けた。


「マダム。終わりましたよ」

「っ! おお! 帰ったかい!」


 パァッと笑顔になって、それから即座に――まるで笑顔を恥じるかのように――しかめ面になった。


「随分とまぁ手間が掛かったじゃないか、ええ? まったく、これで本当に全部終わったんだろうね? また今夜同じように音が聞こえたら、どうしてくれようかねぇ?」

「その時はもう一度お電話いただければ、何度でも参りますよ。料金は、聞こえなくなったことが確認できてからで構いません。振り込んでくださるか、郵送か、あるいは呼んでくだされば受け取りに参りますので」

「ふんっ、そりゃ、金のこととなりゃどこへだって来れるだろうよ」


 テューダー婆さんはアーチの手から請求書をひったくるようにして取ると、「ちょっとそこにいな!」そのまま屋敷の中に消えていった。

 少しして出てくると、彼女はアーチに現金を押し付けて、それから少年たちひとりひとりに、小さな包みを投げるようにして渡した。


「マダム、一枚多いようですが」

「はんっ、野暮なこと言ってんじゃないよ! 多くて文句言うなら返しな! それからガキども、あんたらは別に大したこたぁしてないだろうから、余り物で十二分だろ。マズくても喚くんじゃないよ、ただで貰えた物なんだ、文句言ったら罰が当たるからね!」


 そう吐き捨てて、テューダー婆さんは屋敷の方へ踵を返した。


「あの!」


 アーネストが唐突に一歩前に出た。


「なんだい。何か文句が――」

「ありがとう、マダム!」


 とびきりの笑顔と一緒にそう言ってから、アーネストはちょっと振り返った。その目はダニエルとヴィンセントに、“お前らも続けよ!”と命じていた。


「ありがとう!」

「……ありがとう」


 ダニエルは素直にそう言って、ぴょこんと頭を下げた。ヴィンセントは渋々、斜め下を見ながら呟いた。

 テューダー婆さんは虚を衝かれたようにまじまじと少年らを見詰めていたが、やがて「そんな程度、サルでも言えるわえ」と鼻を鳴らすと「うちの孫も、これだけ素直ならいいんだけどねぇ……」溜め息混じりに呟いて、背を向けた。

 痩せた背中がドアの向こうに消えるのを、アーネストはじっと見守っていた。

 アーチはあまり考えない内に、アーネストの肩に手を置いていた。


「行きますよ」

「うん」


 何も気にしていない様子で、アーネストは頷いた。

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