13 ブラッディ・キャップ

 四十分ほど坑道を進み、リーチェバラの外れに当たる位置で地上に上がった。

 そして、四人は四人とも太陽が出ていないことに感謝した。暗がりに慣れてしまった目には、これぐらいの日差しがちょうどよい。

 パブ“青色老獅子亭”は村の中心部にあった。かなり昔からあることが分かる、古いレンガ造りの建物だ。

 人の気配はまったくないが扉は開いている。

 アーチが訪ねていって、中にいた髭面の男に「テューダーさんに呼ばれてきたのですが」と言うと、彼はあからさまに同情した声で丁寧に道を教えてくれた。

 気の良さそうな主人は、


「あの婆さんは気が触れちまってんだよ。旦那に先立たれて、子どもにも見放されてなぁ、可哀想だとは思わなくもねぇが、さすがに、近寄っただけで『山に入るな! 出ていけ! 近寄るな!』なんて怒鳴られちゃあねぇ。何の用だか知らんが、たいへんだね。済んだらここに寄んな、サービスしてやるから」


 と言った。アーチの予想通り、気難しい婆さんであるらしい。

 外に出ると、少年たちは古い土塀の上に座って待っていた。


「なんかこの辺、学校の辺りに似てるね」

「そうか? ダニエルってそういうとこ敏感だよな」

「霊脈が近いし、古い土地だからじゃねぇの」

「え、ヴィンスお前、霊脈の位置とか覚えてんの」

「それぐらい覚えるだろ。なぁ」

「うーん、ちゃんと覚えてはいないけど、感覚でなんとなーく分かるよ」

「マジか……」

「行きますよ、ボーイズ」

「「はーい」」


 段々と家が少なくなり、木々の割合が多くなっていく。道は上向きの坂になり、ちょっとした登山の気分になった。


「右に曲がったら真っ直ぐ行って、突き当たり、と……ここですかね」


 こちらもかなり古い家だった。広さはあるが、荒れた庭のみすぼらしさが目立っている。かつては綺麗な庭だったに違いない。

 大きな窓の傍に痩せた老婆が立っていた。真っ白の髪を神経質に結い上げているのが遠目にもよく分かる。

 彼女は敷地内に踏み込んだアーチたちを見て、目尻を吊り上がらせると、即座に窓を開けた。


「こらぁっ! 誰だねあんたらはぁ! うちには何もないよっ! 出ていけ!」


 向こう三軒両隣に聞かせようとしているのかと思うほど大きな声だ。

 少年たちはびくりと立ち止まった。

 アーチは構わず近付くと、できるだけゆっくりと礼をし、極力穏やかな声で言った。


「はじめまして、マダム。先程ご依頼をいただきました、魔法使いのアーチボルト・ウルフと申します」


 テューダー婆さんは大きな鷲鼻をひん曲げて、ぴたりと口を閉じた。

 それからぴしゃんと窓を閉めたと思ったら、数秒も待たない内に、今度は玄関ドアがガバッと開いた。

 アーチたちが近付いていく間に、テューダー婆さんは四人全員の姿を頭から爪先までじろじろと遠慮なく眺めまわした。ほんの少しの粗でも見つけようものなら、それを肴に食べ散らかしてやろうとばかりの目付きだ。

 案の定、最も責めやすいアーチのコートに牙を向いた。


「何だねその真っ赤なコートは。派手だねぇ、頭がおかしいんじゃないかね」

「よく言われます。ところで、お困りのことは何でしょう?」


 アーチが歯牙にもかけなかったことが気に食わなかったのか、テューダー婆さんは嫌そうに顔をしかめた。「やだねぇこれだから最近の若いのは……」と聞こえるように言って、それから腕を組んでふんぞり返った。


「この裏手を登ってったところにな、古い家があるんだが、そこから毎晩毎晩、熊の唸り声みたいのが聞こえてくるんだよ。だがあれは熊じゃないね。あたしには分かるんだ。ガチャガチャガチャガチャ、金属を打ち鳴らすような音もするし、あたしが子どもだった頃にも似たようなことがあってね。あの時見に行った男衆はみんな帰ってこなかった――そう、ちょうどこの子らぐらいの頃だったねぇ。なんだいあんたら、学校はどうしたんだね! ずる休みか!」

「彼らも魔法使いです」

「魔法使いっ? こんなチビどもが!」

「ええ。課外授業の一環として来ております」

「ほぉん、そーかいそーかい。こんなチビどもがねぇ。ふんっ、あたしでも殺せそうなガキどもだ。こんなんが行って大丈夫なんだろうね、ええ?」


 わかりやすくムッとしてみせた少年たちが何か言い返してしまう前に、アーチは素早く「大丈夫ですよ、彼らも立派な魔法使いですから」と言った。


「それで、昔同じようなことがあった時は、最後にはどうなったのですか」


 テューダー婆さんはふんっと鼻を鳴らした。


「偶然立ち寄った魔法使いが、どうにかしてくれたのさ。何をどうしたのかは知らんけどねぇ。まったく、神秘主義だかなんだか知らないが、もう少し何か教えてくれたって罰は当たらんじゃないのかい? なぁ! 魔法庁だって何度電話しても話もろくに聞いちゃくれなかったし! どうなってんだね!」

「では、私は魔法庁に感謝しなくてはなりませんね」

「はぁっ?」

「おかげでこうして、私の方に仕事が来たわけですから」


 アーチはにっこりと笑いかけた。


「ご安心ください、マダム。あなたの今夜の安眠を保証いたしますよ。では、作業が済み次第もう一度ここへ参ります」


 行きますよ、と目だけで告げて、アーチは丁寧に頭を下げてから背を向けた。

 一番嫌そうな顔をしていたヴィンセントが真っ先に踵を返した。申し訳程度に頭を下げたダニエルがその後に続き、最後にアーネストがしっかりとお辞儀をしてから付いてきた。

 敷地を出て、さらに山奥の方へ行く獣道を歩き始めた頃に、ヴィンセントが口を開いた。


「なんっなんだよあのババア! 人を小馬鹿にしやがって!」


 アーチは振り返りもせずに言った。


「よく我慢できましたね、えらいですよ」

「あんたも馬鹿にしてるなっ?!」

「ええ、まぁ」

「っ……」


 あっさり肯定されて、逆にヴィンセントは言葉を詰まらせた。


「馬鹿にされたくなければ、馬鹿にしないことですよ。子どもだ若造だと嘗められたくなければ、そういうことにいちいち怒らない方がいい。かえって子どもっぽく見えます」


 理屈は分からなくもないけど、と消え入るような声で言って、ヴィンセントは黙った。

 木々の隙間から朽ちた屋根のようなものが見えたところで、アーチは立ち止まった。

 深夜に聞こえる奇怪な声。

 行った者は帰ってこない。

 廃墟。


「なるほど、血塗れ帽子ブラッディ・キャップか」

「ブラッディ・キャップ?!」


 ダニエルが悲鳴のような声を上げた。


「知っていますか」

「あれでしょ? あの……近付いたら殺されるやつ……」

「……非常にざっくりとではありますが、要点は掴めていますね」


 アーチはどうにか褒め言葉をひねり出した。実際、近付いて良いのか悪いのか、というところさえ押さえておけば、生きていくには問題ないのだから、ある意味では賢いとすら言えるだろう。


「ブラッディ・キャップは、廃墟に住む妖精の一種です。血塗れの真っ赤な帽子を被った、小さな……そうですね、七十センチくらいの、老人のような容姿をしています。残虐で攻撃的、血を好み、廃墟に入り込んできた人間を殺して食うのが習性です。ただし、聖句に弱く、聖書を暗誦すれば歯を一本だけ残して逃げていきます」

「なんで歯を残すの?」


 アーネストの素朴な疑問に「さぁ、知りません」とアーチは肩をすくめた。


「それで、ボーイズ。君たちは『防壁』は使えますよね?」


 この問いには全員がはっきりと頷いた。


「では、聖書はどれぐらい暗誦できますか?」

「俺はけっこう覚えてるけど」

「俺も、まぁ……でも、ダニエルは――」

「うん、僕は何にも知らない」


 ダニエルはいっそ清々しいほどはっきりと断言した。

 どうやら彼は魔法使いの家庭に育ったらしい、とアーチは察した。魔法使いの家ではキリスト教を教えないことが多いのだ。むしろアンブローズ・カレッジでは、聖書など見たことも聞いたこともない、という生徒の方が多いくらいである。


「では、ダニエルを真ん中に、その周りを我々で囲むようにしましょう。ダニエルは状況をよく見て、必要に応じて魔法を使うように」

「必要に、応じて……」


 不安げな面持ちで繰り返したダニエルを見て、アーチは言葉を付け足した。


「使える中で、一番得意なものは何ですか?」

「うーん……『水流』かなぁ」

「では、使うべきだと思ったら、迷わずそれを使いなさい。いいですね。二人は聖書の文句を出来るだけ思い出して。一度使った言葉では二体目は消せませんから。あと、彼らは鋭い鉤爪を持っています。掴まれないように気を付けて。万一捕まってしまっても、慌てず、落ち着いて、聖書を唱えるように。無理に引き剥がそうとすればこちらの腕が千切れますから。基本の流れは、『防壁』を使いながら聖書を暗誦する、これだけです」


 三人は神妙に頷いた。緊張して引き攣った顔になっている。

 アーチはにやりと笑った。


「おや、何を青くなってるんですか? 言ったでしょう、私の仕事は危険だ・・・・・・・・、と」


 言外に、恨むならバロウッズ先生を恨んでくれ、とアーチは含めた。


「どうしても怖いのなら、あのババアが聞き間違えたことを祈っていてください。まぁ、あれだけの大声を出せる人なら、聞き違うこともないでしょうけれど」


 ヴィンセントが不服そうに口を尖らせた。


「ババアって……師匠マスターもムカついてんじゃん」

「心の中は誰しも平等に自由なのです。さぁ、行きますよボーイズ。気を引き締めて」


 四人は固まって廃墟に向かった。

 アーチはスーツケースを出して、それを片手に持っていた。少年たちはがちがちに固まった仕草で、杖を握りしめ、その後に続く。

 屋敷は見事なまでに朽ち果てていた。

 かつてはそれなりの広さと豪華さを誇ったであろうことがかろうじて分かるが、扉も窓も枠しか残っておらず、屋根は落ち吹き曝しになっている。蔦にまみれた壁が奇跡的に残っているが、それもいつまでもつだろうか。すでに半分以上森に侵食されていて、あともう数百年も放っておけばすっかり土に還るだろう。

 四人が扉だった穴を潜り抜けた途端、


「キシャーーーーーーッッッ!」


 小さな老人が杖を振りかぶって襲い掛かってきた。頭に真っ赤な帽子を乗せ、顔はしわしわで、白くて長い髭に覆われ、鉄の長靴を履いている。

 間違いない、やはり血塗れ帽子ブラッディ・キャップだ。

 アーチはスーツケースを盾にすると、


「これは知恵と諭しをわきまえ、分別ある言葉を理解するため」


 聖書の一節を唱えた。

 すると、「ギャアアアアッ!」と耳障りな絶叫が上がり、カツン、と黄ばんだ歯が地面の上を跳ねた。どこでどう判断しているのかは分からないが、どんなに短かろうと一節唱えた段階で消え去るのだ。


「諭しを受け入れて、正義と裁きと公平に目覚めるため」


 間髪入れずに飛びかかってきた二体目を打ち払い、ようやくアーチは周りを見た。


(……五十、くらいか)


 ブラッディ・キャップたちは、のこのこ迷い込んできた獲物を見据えてぎらぎらと目を光らせている。

 三体同時に飛びかかってきたのをアーチは軽く殴り飛ばして、さらに三節暗誦した。三つの歯が地面に落ちて、少しだけ群れがたじろいだ。


(余裕だ――)


 ――だが、それはアーチ一人の場合である。


「うわああああああっ!」


 子どもの絶叫――ダニエルの声だ。


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