4 オーケー、マスター!
アーチは三人が横並びになったその隣に座った。テーブルの一番端だった。
座るが早いか、金髪の少年が身を乗り出してこちらを向いた。サファイアの瞳がきらきらと輝いている。
「なぁ、なんで平気なんだ?」
「何がです?」
「だってさっき、ネイピアの『
「ああ、それは――」
「――アーチの体質なんだよ」
冷ややかな声が背後から浴びせられた。
アーチはそれが誰なのか分かっていたから振り返らなかったが、三人の少年は全身を使って機敏に振り返った。
「ヘンウッド先生だ」
「おはよう!」
「おはよう」
「おはよう、ボーイズ。こら、笑うなアーチ。君も今からそうなるんだからな。そんなことより!」
フィルの拳骨がどん、と頭の上に乗った。
「ついさっき言ったことをもう忘れたのか、アーチ? 君の脳味噌は鶏以下か?」
「鶏よりは上ですよ。三歩以上歩いたので」
「そういうことじゃない! 無茶をするなと、僕は確かにそう言ったよな? 君だって、怪我をしたくてするわけじゃないと、そう言っただろう。なのにさっきは、真っ先に怪我をしに行ったじゃないか!」
「間に合わなかったんだから仕方がないでしょう。それに、僕が学生の魔法にやられるとでも?」
「やられるかどうかじゃない。自分の身を盾にする選択肢を採るなと言ってるんだ」
「変身魔法が得意だったらよかったですね。自分の身を“盾”にしたって、それなら文句ないのでしょう?」
「……教員になってよく分かった。君の軽口は度を超えている」
「お褒めにあずかり光栄です」
フィルの溜め息を無視して、アーチはテーブルに並べられているパンへと手を伸ばした。学校の食事は少し変わったようだ。在籍していた当時よりずっと柔らかいパンになっていて、アーチは少しだけがっかりした。硬い方が好きなのだ。
「ねぇねぇ先生、体質って?」
茶髪の少年がそっくり返って尋ねた。それに対して、フィルは柔らかく微笑んだ。
「アーチは、生まれつき魔法が効きにくい体質なんだ。魔力のみの
「へぇ!」
「すごーい」
「なるほど……」
「で、も――」
唐突に首根っこを掴まれて、アーチは危うく窒息死しかけた。ちょうど昔から変わっていないスコーンの粉っぽさを懐かしく味わっていたところだったのだ。慌てて紅茶を流し込み、事なきを得る。
怖い顔をしたフィルがアーチを睨んだ。
「魔力が別の形に変換される
「ジャケットぐらいは焦げるでしょう。加護にも限界がある」
「加護?」
アーチは黙って、ネクタイピンを外し、フィルに向けて放り投げた。
フィルはそれをしばらくの間ためつすがめつしていたが、やがて驚いた声で言った。
「これ……龍鱗?」
「正解」
「……よく加工できたね」
「やってくれるって言う人がいたんですよ」
龍の鱗は加工に向いていない。ただ硬いだけでなく、強い弾力を併せ持っているからだ。およそ現実的な刃物では傷一つ付けることが出来ない。おかげさまで倒すのにも非常に苦労した。アクセサリーにすると持ち主に強い加護をもたらしてくれ、悪意ある痛みのほとんどを吸収してくれる。
アーチはネクタイピンを回収し――目論見通りフィルの気を逸らすことに成功した、と内心ほくそ笑みつつ――元通り着け直すと、席を立った。
「さて、それではボーイズ。三日分の服をトランクへ詰めるのにどれぐらいかかりますか」
うーん、と首を傾げて、少年たちはぼそぼそと話し合った。
「一時間くらい?」
結論を報告したのは金髪の少年だ。彼は溶けたバターのような光沢のあるブロンドがさらさらと流れて目にかかるのを、うるさそうに耳に掛け直した。透明度の高いロイヤルブルーの瞳は、サファイアだったらかなり高額で取引されることだろう。どうやら彼が三人のリーダー格であるらしい。
アーチは胸ポケットから懐中時計を出して、時間を確認した。八時五分前。魔法列車のダイヤを思い返し、それから彼らに対して大量の宿題が出されるであろうことを推測して、計算する。
「では、十時発の列車に乗ります。それまでに仕度を済ませて駅舎へ来るように。今日の依頼は、今のところありませんので、まずはロンドンで生活の状態を整えましょう」
一方的にまくし立ててしまってから、アーチはふと自分があまりに不親切であることに気が付いた。
かと言って、どうすれば親切になるのかも分からない。
アーチは少しだけ考えて、結局バロウッズ先生の真似をすることにした。
「……何か、質問は?」
「はい」
真っ先に手を挙げたのは紺色の髪の少年だ。
「ローブは着ていかない方がいいよね?」
「そうですね。荷物の中に入れて持って来てください」
「必要なの?」
「仕事の時には、着ていた方が箔が付きます。印象操作は重要なので」
「はいはい!」
次に手を挙げたのは茶髪の少年だ。毛足の長いテディベアのようなふわふわのカールは、天然もののようである。他二人に比べれば短髪のように見えるが、ボリュームは随一で、湿気の多い時期になったら苦労しそうである。エメラルドの瞳はくりくりで、本当に宝石が嵌め込まれているようだった。
「何て呼べばいいの?」
「……何を、です?」
「
「あー……」
アーチは答えあぐねて、フィルに助けを求めた。
しかしフィルの目は冷たかった。自分で決めなよそれくらい、と汲み取るまでもなくハッキリ語っている。どうやら、さっき笑ったり散々軽口を叩いたりしたことを根に持っているらしい。
顔が赤くなりそうなのを我慢して、アーチは出来るだけさりげなく聞こえるように言った。
「……師匠、でいいのでは?」
「了解です師匠!」
無邪気に言われて、その響きのこそばゆさに、今度こそアーチは頬をほんのりと赤く染めた。悪意がないから余計にたちが悪い。かと言って怒るようなことでもないから、アーチは隣で口を押さえて肩を震わせているフィルの脛を蹴り飛ばした。「いでっ!」それで少しだけすっきりする。
「はい」
最後に手を挙げたのは金髪の少年だ。真っ直ぐにこちらを見上げて、彼は根本的なことを聞いた。
「俺たちの名前、聞かなくていいの?」
「……そういえば、聞いてませんでしたね」
まだ聞いてなかったのか、信じられない! という顔をしたフィルは、アーチが足を浮かすのを見て慌ててそっぽを向いた。
「遅くなりましたが、ボーイズ。あなたたちの名前は?」
「アーネスト」と、金髪の少年。
「ダニエル」と、茶髪の少年。
「ヴィンセント」と、紺色の髪の少年。
なぜか全員ファミリーネームを名乗らなかった。むしろ名乗りたくないとでもいうかのように、三人が矢継ぎ早に名乗って、最後に紺色の髪の少年――ヴィンセントが、張り付けたような笑顔で「よろしく、師匠」と手を出した。
一瞬だけ不審に思った。が、追及するのはやめた。何かしらあるのだろう。たった一ヶ月間だけだ、深く知る必要はない。そう判断してアーチも手を出した。
「ええ、よろしく」
魔法使いの握手――軽く握った手の甲同士を、コンコン、と二度ほど合わせる特殊な挨拶――を三人と交わす。
「では、時間に遅れないように、気を付けて」
「
この呼ばれ方に慣れる日はきっと来ないだろう。アーチは産毛の逆立った首筋を撫でながら、食堂を後にした。
待っている間が暇だったのでアーチは守衛室に入り込んだ。
バートンも暇にしていたらしく、広げていた新聞『Magic TIMEs』を脇に放り出して紅茶を淹れてくれた。もっとも、彼の場合は暇でない時の方が珍しいのだが。
バートンはやけにニヤニヤしながら、アーチを見上げた。
「早速載ってたなぁ、ウルフ」
「何がです?」
「ほれ、見てみろ」
バートンが新聞を取り上げて、放って寄越した。
アーチはそれにざっと目を通した。
――『貴族院議員キャベンディッシュ氏、魔法使いの特権制限を主張、ネイピア魔法庁長官が真っ向反論』
『魔法庁文化財保護課ケルトの秘宝を汚損、ドルイドの総長ブルーノ・ドゥルイット氏が抗議』
『動画で人気の魔法使いジェイド・ブレイディ氏に警告、魔法規則に抵触か』
『危険生物の大量発生に要注意。すぐに魔法庁魔性生物課へご連絡を』――
「おや、またネイピア長官はキャベンディッシュ氏に突っかかってるんですね」
「そりゃ突っかかるだろ。生粋の
とバートンは鼻を鳴らした。
「それに、キャベンディッシュもキャベンディッシュだ。魔法使いに魔法を使うなって言ってんだからな」
「雑な要約ですね、バートン。それでは彼の主張の真意が――」
「って、それじゃねぇよ。こっちだ、こっち。この小せぇの」
「……『スリム・ウルフ、アンブローズ・カレッジの問題児を弟子に』」
アーチは思い切り眉を顰めた。さすがに生徒の名前までは出ていないが、一般人に向かって魔法を撃った罰として停学となり、その間スリム・ウルフの元に弟子として預けられた、と詳細にわたってしたためられていた。
「いったい、どこから情報が?」
「さぁ」
そんなことはどうでもよさそうに、バートンはニタニタしている。
「どーよ、師匠になった気分は。ええ? スリム・ウルフさんよぉ。アンブローズ・カレッジ史上最高の問題児が、問題児を弟子にするなんてなぁ……人生、何が起きるか分かったもんじゃないな! アッハハハハハ!」
「他人事だからって、笑いすぎですよ」
「だって、なぁ! ひははははは! あー、腹痛ぇ! おかげさまで朝から笑いっぱなしだ! アッハハハハハハハハハハ!」
アーチは痛み出した頭を抱えて、新聞をばさりと脇にのけた。バートンの淹れる紅茶は、相変わらず茶葉をケチっているようで、アーチの頭痛を癒すには不味すぎた。
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