5 ワープ注意

 そのまま守衛室で雑談に興じていたら時間になっていたらしい。

 少年たちがどやどやと入ってきた。両手に大きな紙袋を抱えて、息を荒げている。

 入ってくるなり、金髪の少年――アーネストが参り果てた声を出した。


「最悪だよ、バートン! 宿題が山のように――ってあれ、いたんだ、師匠マスター

「マァスタァー!」


 バートンが跳び上がって笑い出した。


「マスターって言ったのか今! アッハハハハハ、スリム・ウルフ、お前が師匠!? やっっっっぱ傑作だな!」


 アーチはしかめっ面を隠さなかった。


「まだ笑い足りないのですか、バートン」

「ひぃー、改めて聞くと最っ高におかしいな! アンブローズ・カレッジ史上最高の問題児! 優男風の猛獣! それが師匠だなんて、なぁ! 自分でも不思議じゃないのか?!」

「魔法の世界は最初から不思議だらけです。では失礼。行きますよ、ボーイズ」


 素っ気なく言って席を立つ。


「じゃあなーバートン!」

「行ってきまーす!」


 元気に挨拶をして少年たちが付いてくる。


「変なことばっか吹き込まれんなよー! 反面教師にした方がいいからなー!」


 とバートンが返した。

 外はよく晴れていて、二月にしては暖かかった。

 周りを包囲するように三人が寄ってくる。

 彼らが小走りになっているのは自分の歩幅のせいだろうか、と考えて、アーチは歩くスピードを気持ちゆっくりにした。

 すると途端に追い抜かれた。しかもそれだけでは飽き足らないようで、彼らは前に後ろにと落ち着きなく立ち位置を変える。どうやらそういう性質らしい。

 アーチは歩き方を元に戻した。

 ひょいと両隣に並んだダニエルとアーネストが、こちらを見上げていた。目の中に星屑が散らばっている。紙袋の重さもすっかり忘れているようだ。おかげでアーチの足に何度か袋が当たったのだが、当てた本人たちはまったく気付いていなかった。


「ねぇ、アンブローズ・カレッジ史上最高の問題児、って本当?」


 とダニエル。

 アーチは苦笑する。


「……そんな風に呼ぶ人もいますね」

「すっげぇ、何やったらそうなんの?!」


 とアーネスト。


「さぁ? 他人が勝手にそう呼び出しただけなので。私はただ楽しそうだなと思ったことをやっていただけですよ」

「たとえば?」

「たとえば――」


 クィルター先生の毛根を死滅させる“ハゲ魔法”を作るとか(後にこの魔法は校則の禁止事項に追加された)。バロウッズ先生のチーズケーキを盗むとか。学校で飼っている魔性生物に餌付けして悪戯用に躾けるとか。口に入れた瞬間爆発するように魔法を仕込んだウィスキーボンボンを学校中に流行らせるとか(これも禁止事項になった)。

 そんな具体例を思いつくままに話しながら、列車に乗る。

 向かい合わせの席に座ってからも、アーネストが他には、他にはと促してくるので、結局ほとんど全部を話す羽目になった。

 ネタが尽きる頃にはいくつかの駅を過ぎていて、がらがらだった車内もそれなりに賑わうようになっていた。

 この間にアーチは彼らとの話し方のコツを掴んだ。どうやら学生の頃と同じように、同級生と話すように話せばそれで良いようだった。子どもだからだろうか、彼らは何も気にしない。よく思い返してみれば、自分だって彼らと同じ歳の頃に“相応しい話し方”なんてものに気を配った記憶は無かった。


(気遣うようになったのは父が死んでからだ――)


 アーチはふと心が陰ったのを振り払うために、何気なく尋ねた。


「そういえば、あなたたちはどうして魔法を撃ったんです?」


 瞬間、彼らは示し合わせたように黙り込んだ。

 その表情が雄弁に語っている――“言いたくない”と。

 アーチは肘掛けに頬杖をついた。


「愉快犯ではないんですよね」

「それはない!」

「ありえないよ!」

「そんなことはしない!」


 口々に否定する少年たちに向かって、アーチは手をひらひらと振って「ならいいです」と言った。本当は聞くまでもなく分かっていたのだが――いくらバロウッズ先生であっても、愉快犯には救済措置など用意しなかっただろうから。

 三人は戸惑ったように口を閉じた。

 それから、アーネストがおずおずとこちらを窺った。


「いいの?」

「ええ。これだけ聞いたなら分かるでしょう? 私に、他人のことは言えませんから」


 アーネストは耐えかねたように吹き出した。それにつられるようにして、ダニエルとヴィンセントも笑い出した。

 アーチが彼らとの接し方を知ったように、彼らもまた緊張を解いたらしい。遠慮のない笑い声がその証拠である。アーチは頬杖をやめてそっと息を吐いた。

 たった一ヶ月、されど一ヶ月だ。

 己の進退もかかっているのだから、関係は悪いより良い方がいい。

 それから彼らは大量の宿題をどうやって『収納』しようか相談し始めた。アーネストがやけに苦戦していた。

 いち早く『収納』を終えたダニエルが、


「……ねぇ、あのさ、師匠が一人で吸血鬼スリムマンを倒した、って本当なの?」


 好奇心に負けたように、あるいは満を持したように聞いてきた。それを皮切りに、二人もぴたりと動きを止めてアーチに注目した。


「嘘だったら私は金枝階級ゴールドになれていませんよ」


 とアーチは素っ気なく答えたのだが、少年たちはまったくめげなかった。


「どうやって倒したの?」

「吸血鬼って不死身なんだよな?」

「一人で、ってのはさすがに嘘だろ?」


 三対の目がキラキラと輝きながら、アーチをじっと凝視してくる。


「向こうの魔力が尽きるまで何度も殺しただけです。……話せば長くなるので」


 話したくない、と言う前に、アーネストとダニエルが「いいよいいよ!」「聞きたい!」と被せてきた。ヴィンセントも前かがみになって、目で話せと訴えている。

 アーチは仕方なく記憶を掘り返そうとした。

 が、ちょうどその時に、個室のある三号車に繋がる扉が開いて知っている顔が出てきた。彼はすぐにアーチのことに気が付いて(この真っ赤なコートを前にしたら気付かない人間の方が珍しい)にっこりと笑った。


「やぁ。楽しそうだね、ウルフ」


 彼は、周りの目を惹きつける輝やかしい笑顔を浮かべて、アーチがいる座席の背に手をかけた。体型も雰囲気もスマートな男だ。ピンストライプの紺スーツに、ぴかぴかに磨かれた茶色の革靴。全身があまりに爽やかなものだから、四十歳をとうに超していることなど想像もできないし、大きな白い宝石で飾られた高そうな指輪も厭味に感じない。


「こんにちは、プレイステッドさん」


 アーチはこれ幸いとばかりに立ち上がって挨拶をした。

 クラーク・プレイステッドは、魔法庁違法魔法課のトップ捜査官で、次期課長と噂されている魔法使いだ。


「聞いたよ、弟子を取ったって。彼らがそうかい?」

「ええ。取ったというか、取らされたのですが」

「あのスリム・ウルフに弟子が付いたって、朝から話題になってたよ」


 ポジティブに考えることにしよう、とアーチは自分に言い聞かせた。説明の手間が省けたのだ。そう思えば悪いことではない。早いか遅いかの違いだ。

 プレイステッドはアーチの肩に手を置いて、まるで父親のような顔をした。


「いいことだと思うよ。これで君も、少しは落ち着くだろう」

「まるで私がいつも暴れ回っているかのような言い方ですね」

「事実じゃないか。昨日だって、ロンドンの地下水道のゴーストたちを一掃したんだろう?」

「あれは魔法庁からのご依頼でしたよ」

「おや、そうだったのか。しかし君のような優秀な魔法使いが、魔法庁にいなくて残念だよ。どうしても嫌なのかい? 君なら、人事部も二つ返事でポストを用意すると思うよ」


 彼は会うたびに同じ話をしてくる。いい加減うんざりしていたアーチは、無愛想になりすぎないよう気を付けつつ「結構です」と即答した。

 するとプレイステッドは、お約束のように苦笑して、


「本来、君がやってるような魔法界と人間界の橋渡し役は、魔法庁が果たさなければならないんだろうけどね。君一人に背負わせている現状は、よくないと思うんだよ」


 と言うのだ。

 アーチはそれ以上この話を続けたくなくて「そうですか」と簡単に相槌を打つと、話を逸らした。


「プレイステッドさんは出張ですか」

「そうさ。ちょっとグラストンベリーの方へ――っと、君たち、ロンドンならそろそろ乗り換えじゃないか?」


 アーチは懐中時計を引っ張り出した。


「ああ、本当だ。ボーイズ、行きますよ」

「はーい」

「ちょ、待って、俺『収納』が、まだ」

「乗り換えた後でいいだろ」


 ヴィンセントにつつかれ、アーネストは頬を膨らませて重たい紙袋を手に持った。

 プレイステッドが少し先に進み、席を出るアーネストたちに道を譲った。少年たちは小さく頭を下げて、三号車の方に向かった。プレイステッドは微笑ましいものを見るように目を細めて、彼らを見送っている。


「では」

「ああ、ウルフ」


 急に腕を掴まれて、ぐいと引き寄せられた。プレイステッドは笑みを消し、オリーブ色の瞳に深刻な光を宿していた。そして、秘密を打ち明けるようにアーチの耳元へ囁いた。


「気を付けろ。仮の弟子のために、命を使うなよ」


 聞き返そうと思った時にはすでに、彼は腕を離しこちらに背を向けていた。背中越しに手をひらひらと振っている。

 追おうか、と考えて――少年たちに「師匠ー!」と大声で呼ばれた。呼ばれたために、というよりは恥ずかしさのために、アーチは早足になって彼らのもとへ急いだ。


 隣の客車へ移ると、ヴィンセントが乗務員を捕まえていた。手際よく情報を聞き出してパタパタと戻ってくる。


「三〇七号室、三十四分三十二秒から五秒間だって」

「ありがとうございます。さ、それでは、行ってください。あと、」


 アーチは時計を確認した。


「一分ほどで開きます」


 少年たちが先に立って、三〇七号室の前に並んだ。

 魔法列車から一般の列車への乗り換えは、互いの扉を利用して行なわれる。魔法列車の特定の個室の扉を、特定の時間だけ、普通列車の連結部の扉と繋げるのだ。繋がっているタイミングで扉をくぐれば、互いへの行き来が可能になる。どこがどう繋がるかは、魔法庁の交通局のみが把握しており、魔法使いなら誰でも乗務員から教えてもらえるのだった。


「あと五秒……三、二、一、」

「それ!」


 アーネストが三〇七号室の扉を開け放って、中に飛び込んだ。何も見ないで――

 ――その先が車内でないことに気付かないで!

 続いたダニエルは何かおかしいと気付いたようだったが、遅かった。その足は扉の向こうの暗闇に踏み込んでいて、頭ががくんと真下に落ちた。

 ヴィンセントが踏みとどまろうとして前につんのめり――しかし次の瞬間には踏みとどまるのをやめた。扉の向こうは客室でないどころか、床すらなかったのだ。それで、


「あああああああー!」

「うわぁぁぁぁああああ!」


 一足先に落ちていったアーネストとダニエルの叫び声が、反響しながらあっと言う間に遠ざかっていくのを聞いて、むしろヴィンセントは飛び込んだのだ。

 最後尾にいたアーチは一瞬だけ混乱した。

 が、生来考えるより先に体が動くタイプなのだ。すぐに彼らの後を追って扉の向こうに飛び込もうとし、


「っ!」


 左足が動かなかった。

 縫い止められている・・・・・・・・・

 そのことに気付かず動こうとしたせいで、アーチは転ぶようにして膝をついた。

 闇の向こうに子どもたちの姿が消えていく。自分は行けない、間に合わない!

 咄嗟に、アーチはジャケットの裏に『収納』していたスーツケースを引っ張り出し「『考えてmoving動けAUTO』!」魔法をかけると、扉の向こうに放り投げた。

 三人の子どもと銀色のスーツケースを吸い込んで、扉はばたんっ、と閉まった。

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