10 二人の脱走
夕飯を作るのをストライキした。まあスーさんはポテチ食べてたし、女神タリアも博士も人間じゃないからどうしてもなにか食べねばならないわけではない。無視だ。
部屋の窓から外に出ることにした。ベランダには鉢植えが置かれている。枯れかけのシャコバサボテンだ。もう花を付けることもあるまい。ベランダから素足で脱出した。制服に靴下なしの素足というヘンテコないでたちで、わたしは学校に向かっている。
もうすでに夜も遅い。月があかあかと輝いている。星の知識はぜんぜんないので、どれがなんていう星なのか、それすら分からない。
そのどこかから星瀬くんはやってきた。星瀬くんから見れば、わたしたちが宇宙人。
急に立ち止まる。足が進まない。涙が止まらない。まだえっくえっく言っている。でも、星瀬くんがわたしのことを好きなことは知った。振り向かせたいと思っていた。
「おい」スーさんに呼ばれた。振り返ると、スーさんは真面目な顔でわたしを見ていた。
「どこに行くんだ? 素足じゃ怪我するぞ」
「毎週痛い目に遭ってるから平気。ほっといて」
「なあおい!」スーさんはきつい口調でそう怒鳴ると、ちょっと悲しそうな顔で、
「本当に、あのダイオキシアスとかいうのが、好きなのか?」と、訊ねてきた。
「ちがう! 彼は、星瀬くん! 星瀬正義くん!」
「まあそれでもいいや。本気で、あいつが好きなんだな?」
「……うん。ごめんね、スーさん」小さく詫びる言葉が出た。スーさんはふだんの、飄々とした笑顔で、
「別にゲオルギウスが謝ることじゃない。俺も、なにか力になりたい」と、答えた。
「ちから……に?」よく分からなくてオウム返しする。スーさんは頷くと、
「人間を元にした改造兵士と戦えるようにドラゴンスレイヤー・ロゼッタストーンを書き替えられるんだ、仲良くできるように書き替えることだってできるはずだ」と、そう言って笑顔になった。
油断しちゃいけない、きっとうまいこと言い包めて連れ戻せと女神タリアなり博士なりに言われていて、ロゼッタストーンの書き替えで「新党人類の幸福を許すな」ぜつゆる人間にされるのがオチだ。ぐすん、と鼻が鳴った。
「な、悪いようにはしないから、帰ろう?」
「……いやだ」わたしはそう答えた。スーさんは困ったように目を閉じる。
「――しゃーない。行って来いよ。俺はタリア様にゲオルギウスは行方不明だ、って報告出すからな。あとこれ履いてけ」
スーさんは便所サンダルを投げつけてきた。それをつっかけて、わたしは夜の闇を疾走した。人間の出せる速度じゃない速度だった。オリンピックに出れば余裕で世界新を塗り替えて、金メダルの貰える速度だ。屠龍戦士だからできることだ。
ジブリアニメみたいに走って、学校にたどり着いた。学校は静まりかえり、しんとしている。もう夜だもんな……意味もなく学校に来たけど、まさか星瀬くんがいるわけはなし。
二年生の教室のある二階のベランダにひょいとジャンプした。いつもの教室だ。しかしそこにはいつものざわめきはなく、ただただ静かなばかり。
自分の席につく。
ここにこうしていられる、ささやかな幸せが欲しかった。転勤なんかしたくないし、星瀬くんと戦うのはもっといやだ。わたしは、普通の高校生、三峰亜心でいたかった。
屠龍戦士という仕事には、ずっと前からうんざりしていたけれど、もうそんなことはやめて、ただの高校生になりたかった。
でもわたしには元来高校生の子供を守るべき親がいない。祖父母もいない。先代のゲオルギウスに拾われたときから、運命は決まっていたのだ。わたしは――ふつうの、ただの、ありきたりな、高校生ではいられないのだ。
自分の席で、それを思い出して、喉が激しく上下した。
そのとき、からからから――と、教室のドアが開く。顔を上げる。
◇◇◇◇
「……星瀬、くん?」
「……、よっ」俺は笑顔で、亜心にそう声をかけた。
「星瀬……くん? なんで、ここに」亜心は心底訳が分からない顔をしていた。俺だってこんな偶然ビビるよ。偶然――というか、さっきカイヨ=ウプラゴ・ミ、いや月山ちひろと喧嘩して、憤りながら家を飛び出したら、真っ白い服を着てスター●ォーズに出てくるお姫様みたいなアクセサリーをつけた女に言われたのだ。学校にいけ、と。
それを説明すると、
「タリアさまだ……」と亜心は絶句した。
「タリアさま?」ピンと来なくて尋ね返すと、どうやら屠龍戦士を守護する女神らしい。世界中の屠龍戦士基地に分身がいるとかいないとかで、意識はクラウド状になって天にあるそうだ。
亜心は、そこから雪崩みたいに、屠龍戦士の実情を話し始めた。貧乏でスマホを持てないとか、まともに料理ができるのが自分だけで家事をもろもろやらされているとか。
いきなり屠龍戦士の内情を語られて、俺はただただ呆然とそれを聞いているしかできなかった。だけれど亜心にだけ喋らせるのはアンフェアだ。俺も口を開く。
「俺はさ、デャペト・シル=シアって星から来た。地球の言葉でなんて言うのかは知らない。というかたぶん、地球からじゃ小さすぎて観測できねーんじゃねーかな」
俺は、黒板にデャペト・シル=シア人の絵を描いた。完全なる出目金だ。その出目金の星は、度重なる戦争で滅びた。俺はその星の王子で、当然出目金だった。
「出目金かあ」亜心は瞬きした。涙が転げ落ちた。
戦争で滅びた出目金の星を脱出し、俺たちは地球にやってきた。地球で暮らすならば、地球に適応した体が必要だ。それがこの「星瀬正義」の体だ。病院の死体置き場からさらってきて、宇宙の超技術で生き返らせたもの。生き返らせても脳は死んでいるので、その部分は俺の出目金人格が入っている。そう説明すると、亜心は分かったような分からなかったような、微妙な顔で俺を眺めた。
それで、地球に着いたとき、父上から「新党人類の幸福を許すな」の総裁の職権を譲られ、別の星からやってきた月山ちひろ、つまりミミズ型宇宙人のカイヨ=ウプラゴ・ミと暮らしている、という旨を説明した。亜心はそれを聞いて、猫背気味の姿勢で洟をすすった。
しばらく、俺たちは沈黙した。
「あのさ」
「あのね」
全く同時にそんな声が出た。二人で顔を見合わせて、あははは、と小さく照れ笑いした。
「星瀬くん先にどうぞ」
「いや亜心から言ってくれ」しばらくそういう譲り合い精神問答をしたあと、俺が口を開いた。
「俺さ。亜心が、好きだ」素直に、正直に、そう言った。人間がなにを考えているのか、まだ俺にははっきり分からないから、これは弱みを見せることになるのかな、と考える。亜心は静かに、
「わたしも、星瀬くんが好き」
と、そう答えた。
俺たちは戦わねばならない宿命の下に生きているというのに。どうして、お互いを好きになってしまったんだろう。いや、俺の思っている、亜心を好きだという感情は、出目金の星の恋愛感情だから、人間から見たら恋愛感情とは呼ばないのかもしれない。
俺は、あくまで出目金の星の感情であることを説明した。亜心は、泣き腫らした目で俺を見ると、「出目金でも人間でも好きなのは同じだよ」と、そう答えた。
「――どうする? 二人で駆け落ちしちゃおうか?」
俺がそう提案すると、亜心は力なく、
「タリアさまは世界中にいるから、どこに行っても見つかるよ」と、そう答えた。
詰んでいる。もうどうしようもないほど、俺たちは詰んでいた。
「じゃあ、心中するか?」俺が冗談めかしてそう言うと、亜心ははっきりと首を横に振り、
「それはできない。わたしは命がけで助けてもらって生きてるから」
と、そう言って、制服の袖口で涙をぬぐった。
俺たちは、脱出口のない迷路に閉じ込められたのだ。もはや左手法も用をなさない、複雑で俺たちの知能ではどうしようもない迷路に。
俺も、ぽろり、と涙を頬に転がした。どうすればいいか、さっぱり分からなかった。
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