第50話 そしてこれから





 にやにやとした2人に見送られながら、俺は彼の家に来た。

 俺の誕生日の時以来に見るマンションは、特に変わったところが無い。


 それを見上げながら、自然とポケットの中に手を伸ばした。

 冷たく硬い感触に、心臓が大きく鼓動する。



 実は仕事があるから遅くなると、鍵を彼から渡されていた。

 鍵を使って中に入るなんて、本当に久しぶりのことだから、物凄く緊張しているのだ。


 俺の体温でどんどん温かくなっていく鍵を握り締め、俺はマンションの中へと入った。



 手を震わせながらなんとか鍵を開けて、俺は部屋の中に入った。

 入った途端、懐かしさに包まれて、挙動不審になってしまう。


「ど、どこで待っていよう」


 リビングで待っていても、全く落ち着かない。

 俺はあてもなくさまよい、そしてその間に色々なところにぶつかった。


 物はたくさん落としたし、中には壊れたものもあった。

 それでも気にしていられる余裕がなくて、俺はウロウロとし続けた。




 部屋の中が酷い状態になった頃、ようやくインターホンの音が鳴った。


 俺が鍵を持っているから、彼が帰ってきた時はインターホンを鳴らすと、あらかじめ言われていたので驚くことなく玄関に向かう。

 扉の向こうに彼がいると考えるだけで、幸せを感じる。


 俺はそっと鍵を開けて、ゆっくりと彼を出迎えた。


「おかえりなさい」


「……た、ただいま」


 俺が出迎えることを分かっていたはずなのに、彼は言葉を詰まらせた。

 それはなんだかおかしくて、俺は笑ってしまう。


 緊張していたのは、俺だけじゃなかったらしい。


「ごめん。色々と待ちきれなくて、ご飯とか全然用意していないんだ」


「いや、買ってきたから、今日はこれを食べよう」


 そう言って彼は片手を上げて、紙袋を見せてきた。

 紙袋に書かれている店名は、俺もよく知っている場所だ。

 人気のあるところだと聞いているけど、わざわざ買ってきてくれたのだろうか。


 その気遣いに嬉しくなってしまい、だらしなく顔が緩んでしまった。


「ここで立ち話をするのもなんだし、中に入ろうか。家主でもない俺が言うことじゃないかもしれないけど」


「それじゃあお言葉に甘えて。中に入らせてもらうよ」


「からかわないでよ、馬鹿」


 いたずらっぽく微笑みながら、俺をからかってくるので、その背中を軽く何度も叩いた。

 手加減しているけど、全く効いていなくてムカつく。


 こんなやり取りをしていたからか、すっかりと忘れていた。


「えーっと……随分と待ちきれなかったみたいだな?」


「うわー! ごめん!」


 彼を待っている間に、部屋の中は大惨事になっていた。

 物は散らばり、壊れてしまっているのも何個かあった。


「……もしかして気づいた?」


 さすがに怒るかと思ったけど、むしろ複雑そうな顔をして聞いてきた。


「気づいた? 何を?」


「あ、いや。なんでもない。待たせすぎたみたいでごめん。片付けたら夕食にしようか」


 よく分からないごまかしかたをされたけど、怒っていないみたいだから、話を流した。

 まずはこの惨状を片付けるのが、犯人である俺の役目だろう。





 2人で何とか部屋を片付けて、少し時間が遅い夕食を開始する。

 珍しいことに彼はワインを買ってきていて、俺のためにはノンアルコールのシャンパンを用意してくれた。


「2人のこれからに乾杯」


 そんな恥ずかしいセリフで乾杯したけど、同時に嬉しい気持ちもわき出る。


 飲み物に合うように買ってきたのだろう食事に舌鼓をうって、和やかな時間が流れる。


 俺達は離れていた時間を埋めるように、たくさんの話をした。

 隠し事をしなかったせいで、恭弥接近禁止令がしばらく出されることになったけど、それも彼からの愛情だと思えば愛しさしか無かった。




 食事を終え、片付けを手伝い、今はソファに並んで座っていた。

 テレビが着いているけど、全く内容は頭に入ってこない。


 並んで座っているはずなのに、彼の距離感が近すぎるせいだ。

 俺の髪の毛を触ってきたり、首元をくすぐってきたり、とにかくちょっかいをかけてくる。


 別にテレビを見たいわけじゃないけど、くすぐったくて仕方が無い。


「もう、なんなの!」


 怒ってはいないけど、そろそろ限界だ。

 いたずらな手を掴めば、彼が嬉しそうに俺にすり寄ってきた。


「幸せを噛みしめているんだ。ユキがここにいるって。俺の気のせいなんかじゃないって」


 そう言われてしまったら、俺もこれ以上は文句を言えなかった。


「雅春さんが捨てなければ、これからもずっと一緒にいますよ」


 それでも少し意地悪をしたくて、昔のことをほじくり返した。

 でも彼は怯むことなく、むしろとろけるような表情で、俺の手を掴み手のひらに唇を落とす。


「それなら大丈夫だ。せっかく戻ってきてくれたのだから、もう二度とユキを手放すことはない。ずっとずっと俺のものだ」


 その瞳の奥の暗い感情には気づいたけど、俺はもう離れられないことを悟っているから抵抗しなかった。



 彼に捨てられた時は彼に捧げた時間を返してほしいと思ったけど、今はとても幸せだ。



 するりと手際よく薬指につけられた指輪の輝きを見つけ、俺はそっと目を閉じて彼のキスを受けいれた。




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俺の1年を返せ! 瀬川 @segawa08

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