第43話 許されない気持ち





 病室が見えなくなった途端、俺は力が入らなくなり膝から崩れ落ちた。


「大丈夫か!? ユキ!」


 一緒に病室を出た彼が、体を支えてくれたけど、上手く立つことが出来ない。


「とにかく座ろう」


 ここは病院だから、急にしゃがみ込んだ俺を心配する目がたくさん向けられる。

 ずっとこのままだと騒ぎになってしまう。

 そう考えたのか、彼が俺の体を支えたまま、近くにあった椅子に移動し座らせてくれた。


 途中で看護師の人が声をかけてくれたので、心配かけないために笑って大丈夫だと答えた。


「……顔色が悪い。これでも飲んで落ち着いて」


 そう言って差し出されたのは、ペットボトルの水だった。

 いつの間に用意していたのかと驚いたが、俺がぼんやりしている時に、自動販売機で買ったらしい。

 どれだけショックを受けて動揺しているのかと、気が付かなかった自分に呆れてしまう。


「ありがとうございます。……いただきます」


 水を貰って初めて、喉の乾きに気がつく。

 俺は蓋を開けると、半分ほどを一気に飲んだ。

 冷たい水が体に染み込み、少しだけ回復した感じがする。


「……すみません」


「どうして謝る。悪いのはユキじゃない」


「俺のせいですよ」


 初めて会った時は、気が強そうだけど悪い人には見えなかった彼女が、刃物を向けてきた。

 それぐらい俺は恨まれていたのだ。


 彼がいなかったら、今頃俺は死んでいたのかもしれない。

 随分と遅れて恐怖の感情が湧いてきて、俺は守るように自分の体を抱きしめた。


「俺がいなければ、朱鳥さんがあそこまで壊れることは無かった。俺がいなければ……」


「それは違う」


 どんどんネガティブになっていき、体温が失われていく。

 そんな俺の体を、彼が優しく引き寄せた。

 抵抗する暇もなく、腕の中に収まってしまう。


 すぐにでも離れようとしたけど、体温が心地よくて、少しだけ甘えることにした。


「ああなったのは元々だ。たぶんユキがいなくても、ターゲットは別の誰かになっただろう。むしろユキはよくやっていた。今からでも警察に突き出してもいいぐらいだ」


「それは駄目です。絶対に駄目」


 微かに首を振れば、彼が呆れたように大きく息を吐く。


「殺されかけたんだぞ。下手をすれば死んでいた。それなのに許すなんて……」


「馬鹿だと思う? それでも俺は警察に言う気は無いよ」


 彼女は望んでいないだろうけど、俺の自己満足の贖罪である。


「ユキが望むのなら、俺が口を挟むことじゃないな。もしも気が変わったら、いつでも相談しなさい。俺が全てを進めるから」


「それは心強いですね」


 彼と話をしているおかげか、寒さや恐怖が和らいできた。

 冗談を言う余裕も出てきて、俺は彼に笑いかける。


 そういえば彼だけに向けて笑うのは、ものすごく久しぶりだ。

 そのことに気がついたのは、彼がものすごく驚いた表情をするのを見たからである。


「ユキ……無事で良かった」


 抱きしめる力が強くなり、耳元で優しく囁かれた。

 その声の中にある甘さに、俺の体温が一気に上昇する。


 おかしい。

 心臓が痛い。

 飛び出るのではないかというぐらい暴れ回る心臓に、思わず胸を押さえてしまった。


「どうした? ユキ?」


 そんな俺を心配した彼が、顔を覗き込んでくる。

 でも今は、顔を見たくない。

 見てしまったら何かが弾けそうで、思わず顔を背けてしまった。


「す、すまない。あまり俺に触られたくないよな」


 それをどう誤解したのか、抱きしめていた腕が外されそうになったから、腕を掴む。


「ユキ?」


「……も、もう少し……このままで……」


 とぎれとぎれに言うと、彼は何も言わずに抱きしめ直してくれた。


 その腕の心地良さに、俺は目を閉じてしばらく堪能していた。





 最近の俺はおかしい。

 もしかして心臓の病気なのではないだろうか。

 そう思ってしまうぐらい、変なところで心臓が騒ぐ。


 原因が分かっているが、それを認めたくなくて、俺は目をそらし続けている。



 彼を見て胸が騒ぐなんて、絶対に気のせいだ。

 それは絶対にあってはならない。


 俺と彼は別れたのに。

 今の俺には、恭弥という恋人がいるのに。


 この気持ちを持ち続けることは、色々な人に対する裏切りだった。



 彼を見て心臓が騒ぐのは、命の危機に陥って、恐怖と恋愛を勘違いしているせいだ。

 吊り橋効果という言葉が世の中にはある。

 まさに、今の俺にぴったりの状況だろう。



 彼への思いを消すため、俺は完全に避けることにした。

 何か思うことがあるのか、彼も俺と関わりたくないのか、完全に避けていた。


 関わることが無ければ、気持ちも消えるはず。

 そんな俺の考えは間違っていた。完全に甘かった。


 離れれば離れるほど、俺の気持ちは強くなっていった。

 彼の姿を探すようになって、彼のことばかり考えてしまう。



 恭弥も蓮君も、俺がおかしいとすぐに気がついた。

 蓮君は彼女とのいざこざのせいだと思ったのか、土下座する勢いで謝ってきたので、何とか違うと分かってもらうように説得するのに物凄く苦労した。



 このままではいけない。

 それは分かっているのに大きくなる気持ちが止めることが出来ず、俺は一つの決断をする。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る