第30話 久しぶりの感覚





 この感覚は久しぶりだけど、また味わうとは思ってもみなかった。


 じゃらりと音を立てる鎖と、拘束された手首と足首。

 人一人生活するには、広すぎる部屋。

 どこに何があるのかなんて、見なくても分かる。


 1年も生活していれば、覚えていない方がおかしいだろう。

 でも、もう二度とここには戻ってこないと思っていたのに。



「いやいや、何でだ?」



 俺は鎖のついた手首を見ながら、呆然と呟いた。





 それは、いつもと変わりの無い日のはずだった。

 恭弥と一緒に学校に行って、ほどほどにいちゃいちゃして、蓮君と部室で本を読んだりして。

 そんな、いつも通りの日だった。


 でもおかしくなったのは、放課後になってからだ。


 今日はたまたま恭弥に用事があって、俺は一人で帰ることになった。

 それは本当に久しぶりのことだから、寂しさを感じつつ廊下を歩いていた。


「夕飯は、恭弥の好きなものでも作ろうかな」


 放課後は、恭弥が家に来る予定である。

 俺が夕食を作る番だから、たまには好物でも作ってあげようかという気持ちになっていた。


 頭の中で冷蔵庫の中身を思い出し、足りない食材をピックアップすると、今から行くスーパーを決めた。



 何だか楽しみになってきて、スキップしそうな勢いで歩いていると、廊下の先に誰かが立っているのに気づく。

 夕陽のせいで顔の部分が逆光になっていて、誰だか分からない。


 不気味な感じはしたけど、進行方向なのでスピードを緩めながら近づく。

 立っている人は、そこから微動だにしない。

 そこに何か用があるのか、それとも俺に何か用があるのか。


 どちらにしても近づければ、分かるだろう。

 俺はもしもの時のためように、カバンをそっとさぐって、武器になるようなものとしてペンを持った。

 心もとないけど、無いよりはマシだろう。




 そうやって近づいて、そして目の前までたどり着いた後の記憶が無い。





「何か薬でもかがされたのかな。それとも手刀? そんなわけないか」


 どこも痛いところはない、しいて言えば頭がぼんやりとする感じだから、薬という確率の方が高そうだ。

 俺は色々な意味で頭を押さえながら、大きく息を吐く。


 見覚えのある部屋は、何ヵ月か前まで生活の拠点だった場所である。

 懐かしさを感じるけど、戻ってきたくは無かった。


「どうして。……何で?」


 ここにいる理由を考えても、全く思い浮かばない。

 俺を連れてくる理由なんて、彼には無いはずなのに。


 それでもここにいるというのは現実だから、彼が何かしらの理由を持って連れてきたというわけである。


「理由が分からないから、困るんだよなあ」


 未だに閉じ込めた張本人も現れないし、どうしようもない。


「恭弥……絶対心配している」


 家の鍵は持っているから外で待たせる心配はないけど、帰ってこない俺のことをどう思うだろう。

 こうして、また拘束されているとは夢にも思っていないはずだ。


「まだ今日帰ってこないぐらいじゃ、警察には届けないかな」


 相談したところで、家出をしているとか夜遊びをしているとか言われて、そこまで真剣に対応はしてくれない。

 もしかしたら恭弥自体も、あまり心配していない可能性だってある。


 そうなったら俺がここから出られる日が、どんどん後になるだろう。

 前とは違い、明日も普通に学校があるから、出席日数的な意味でも困る。



 とにかく話をしないことには何も進まない。

 だから姿を見せて欲しいんだけど、部屋の外に人の気配が全く感じられなかった。


「すみませーん」


 こうなったら、こちらから歩み寄るべきだ。

 今回は恐怖を全く感じず、むしろ慣れた風に外に呼びかけた。


「あのー、俺起きたんですけどー」


 初めは全く応答が無かった。

 でも根気強く呼びかけているうちに、こちらへと近づいてくる気配を察知する。


「……どうも」


 ゆっくりと開いた扉の向こう側には、予想通りの人物が立っていた。

 戸惑ったようにこちらを窺う姿に、俺の態度が普通すぎて驚いているのだろう。


「単刀直入に聞きますね。どうして俺は、ここにいるんですか?」


 手錠を持ち上げて問いかければ、視線をそらされた。


「さすがにまずいですよね。まさか、またここに来ることになるとは思ってもみませんでした」


 鎖の重さを体感することなんて、そうそうないのに、2回目なんて俺の人生は波乱万丈である。


「俺を閉じこめる理由なんてないでしょう。これは犯罪ですよ。恭弥だって心配しているし、あなたには婚約者がいるんですから……」


 さすがに思い直してくれないと俺が困るから、説得するように話していれば、彼の顔が歪んだ。

 悲しそうでもあり、怒っているようでもある表情に、俺もつられて胸が痛んでしまった。


「……今解放してくれれば、このことは誰にも言いません。ここだけの秘密にします。だから外してください」


 それでも今は、解放してもらうのが先だ。

 俺は腕を振りながらアピールすると、やっとこちらに目を向けた彼が、重々しく口を開いた。


「……ここからは出さない。何を言っても……」


 それだけ言い捨てると、踵をかえしていなくなり、扉も閉められた。


「……は?」


 全く止める隙がなく、俺は呆然と間抜けな顔をしているしか無かった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る