第8話 今さら、何の用でしょう





 気まずい。

 時計の針の音までもが聞こえてくる空間で、俺は自分の膝をただ見つめていることしか出来なかった。


 呼び出されて教室に連れてこられてから、特にまだ肝心の話が始まらない。


 目の前に紅茶を置かれているけど、さすがに飲むことは出来なかった。

 きっと今はもう薬なんて入れられていないだろうが、早く帰りたいから、ゆっくりティータイムを楽しんでいる場合じゃない。


「あの……話って何でしょうか」


 彼はどこかに行ったわけではなく、俺が座っている革張りのソファから、少し離れたところにある椅子に座って、じっとこちらを見ている。

 その視線に、緊張して変な汗が出てしまう。


 これから何を言われるのか。

 でも、負けるわけにはいかない。


「昼休みが終わっちゃうので、用が無いのなら教室に戻りたいんですけど……」


 負けられないと思いながらも、視線を合わせないで帰りたい気持ちを伝える。

 それでも何も言われなくて、目つぶしでもして逃げてやろうかとまで考えてしまう。


「あー、えっと、もうこんな時間だ! 俺、予習しなくちゃいけないから戻ります! それじゃあ!」


 これは言ったもん勝ちだと、俺は勢いよく立ち上がると、そのまま逃げ出そうとした。


 俺の方が扉に近かったから、勝算はあった。

 でも瞬間移動したのではないかというぐらいのスピードで、気が付けば腕を掴まれていた。


「……へ?」


 引き留めるぐらいなら、何故話をしてくれないのか。

 俺は腕を振るけど、掴んでくる力は変わらなかった。


「あの……本当、俺何したのか分からないですけど、放してくださいっ」


 物凄く泣きたい気分だ。

 意味も分からずに振られて、意味も分からずに呼び出され、意味も分からずに引き留められている。

 俺がこんなにもみじめになるような、悪いことをしたのだろうか。


「先生っ、放して!」


「…………昨日、どこにいた?」


「はい?」


 やっと口を開いたかと思えば、話の意図が見えない。

 俺は今まで彼に向けたことの無いような表情を向けてしまったけど、嫌われてもいいから放してほしい。


「昨日も、黒咲くろさきと一緒にいたよな。ラーメン屋に」


「……そうですけど。それが何か問題でもありますか?」


 放課後に友達と一緒に夕食を食べて、悪いことは何もない。

 だから俺は強気に言い返した。


「時間が……」


「食べに行ったの、6時過ぎだったと思うんですけど。さすがに小学生じゃないんだから、遅いとか言いませんよね」


 反論すると黙ってしまったから、そう言おうとしていたらしい。

 俺を小学生だとでも思っているのか。


「話って、それだけですか?」


「いや……今日、大丈夫か?」


 本当に、この人は何を言いたいのだろう。

 俺は意味が分からなすぎて、イライラしてしまった。


「はあ? 何がですか」


「いや、今日の夜……」


 途切れ途切れの言葉だったけど、何が言いたいのか分かった。

 でも、今その心配をする理由が彼にはない。


 何で今更。

 怒りが湧き上がり、手が出そうになるのを必死に抑える。


 いつの間にか緩んでいた腕を振りほどき、俺は扉へと向かう。

 今度の彼は引き留めることをせず、視線だけが追ってきた。


 扉に手をかけ、そのまま帰ろうかとも思った。

 でも、ちょっとした仕返しとして、俺は振り返って彼をまっすぐと見る。


「大丈夫ですよ。今夜も恭弥が来てくれるんで」


 ホラー番組が怖くて、彼の部屋に突撃することは、もう無い。

 そんな気持ちを込めながら、俺は勢いよく扉を閉めた。





「うあー。もう疲れたー」


「大丈夫か? 東海林先生にぎちぎちに絞られた? 雑巾みたいに」


「んあー」


「駄目だ。もう死んでいる」


 昼休み終わり時間ぎりぎりに帰ってきて、結局予習が出来なかった俺は、次の授業で散々な目にあった。

 集中攻撃からの集中攻撃。

 クラスメイトからも笑われ、一番大爆笑をしていた恭弥には、授業終わりにヘッドロックをかけておいた。


 これも全部、彼のせいだ。

 魂が抜けたように机に体を預けていると、恭弥がちょっかいを出してくる。

 頬をつつかれるのは、地味に痛いから止めてほしい。


「なーなー。今日はもう帰ろうぜー」


「駄目。昨日サボったから、今日は部活行く」


「えー、マジで。別にいいんじゃねえの。どうせ、行ったところで部員は一人しかいないだろ」


「その一人を、昨日は待ちぼうけにしていたんだから。さすがに今日は行く。そこまで遅くまではやらないから、先に家に帰っておいて」


「分かった。裸エプロンでの出迎えがお望みだな」


「絶対に止めろ。いいか、絶対にだから」


 恭弥の裸エプロンなんて、想像しただけでも鳥肌ものだ。

 俺は念を押して止めるように伝えたけど、拒否されればされるほど燃える面倒な性格だから、帰ってきた時が恐怖の時間の始まりになるかもしれない。


「んじゃ。俺は有希の帰りを健気に待っているから、早く帰ってきてね。ダーリン」


「いい子にして待っていてね。ハニー」


 くだらないやり取りをして別れると、俺はのろのろと立ち上がり、今日も一人で待っているだろう健気な後輩のところへと足を進めた。


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