第4話 狂想手記

 夕刻。

 ドルチェ先輩との喫茶店デートを終え、帰宅。

 

 自分の部屋のベッドで、仰向けに寝転がる。

 すると、ジーンズの臀部に違和感があった。

 

 ポケットを漁ってみる。


「……何だこれ」

 

 ポケットから出てきたのは、見覚えのない黒革の手帳であった。

 紙に予定やメモを記す習慣のない僕が、こんなものを購入するはずもない。

 いったい、どこで。


「……ああ」

 

 そうだ、思い出した。

 この手帳は、喫茶店のトイレの前に落ちていたのだった。

 特に何の理由も目的もなく無意識に拾得しただけであったため、すっかり存在を忘れていた。

 

 僕は、部屋の天井に手帳をかざすようにして、その真っ黒な何も書かれていない表紙を眺める。

 それにしても、こんなギリギリ文庫本として通用するくらいの厚みを尻に敷いたまま、よく喫茶店では平然と出来ていたものだ。目の前のドルチェ先輩に神経を集中していたから、気にならなかったのだろうが。

 このままただ捨てるのも忍びなく、僕は手帳の一ページ目をめくり、内容に目を通し始めた。


『私は眼球スプライト。


 眼球スプライトは、かくれんぼがしたい


 眼球スプライトは、収穫のゲームを始める


 どうして眼球スプライトに、いまさら収穫の機会を与えたのか


 店には自然と、収穫の獲物が惹かれやってくる』


 冒頭から、意味の掴めない文章が続いた。

 眼球スプライトという謎の単語が主語として頻出している。

 一読した限りの印象は、何かしらのポエム。

 次のページをめくる。


『眼球スプライトは、田中好美を見つけた』


 田中、好美。

 急に登場した人名に、どこか聞き覚えがあると思った瞬間。

 僕は、自分の背筋に電流が走るのを感じた。


『真夜中の河川敷のことである。眼球スプライトは、遊び帰りの田中好美が、いつものように自転車で通りかかるのを待ち伏せする。田中好美は細い女だが、眼球スプライトも細い女である。だが、眼球スプライトは悪の種を摘む者でもある。すれ違いざまに自転車に横からぶつかって横転させる。スタンガンは一瞬で田中好美を気絶させた。私はハンマーとスプーンをバッグから取り出した。四年もの間、私はこの収穫を夢見ていたのだ。田中好美の頭を殴りつけた。田中好美は気絶から蘇ったが、殴られたことにより、頭が狂い、もう眼球スプライトに抵抗できるまともさは、残っていなかった』


 以降、眼球スプライトが田中好美という少女を暴行し、頭蓋骨を破壊し、眼球をくり抜くさまが、延々と描写されている。

 田中好美というのは一週間前にこの街で殺された少女の名前であった。 

 手帳に書かれた内容を、最後まで読み進めてみる。

 読了。手帳を枕元に放り出した後、天井を見つめたまま思考を巡らせ始める。

 

 この手帳は内容通り、異常殺人者による殺人の記録なのか。もしくは、陰惨な殺人事件に影響を受けた多感な誰かが犯人を賛美するために書いた創作なのだろうか。

 問題となるのは当然、前者であった場合である。

 この手帳は、喫茶店で拾ったものだ。

 ならば、僕とドルチェ先輩が談笑していた時、すぐ傍に犯人がいたということになる。

 僕たちが入店するずっと前……例えば午前に喫茶店を訪れた犯人が落とした可能性は低いだろう。

 というのも、犯人がこの手帳を落としてから僕に拾われるまでの間に、それ程の時間は経っていないはずだからだ。

 犯人は、手帳を、落とした。つまり、犯人は手帳を携帯していた。

 そもそも、この手帳が作られた理由は何だろう。犯人は、自身の犯した殺人の記録を頻繁に振り返りたいと考えていたのではないか。殺人の記憶を想起し自慰的な快楽にふけるためかもしれないし、殺人の衝動を最小限に抑制するためのストレス発散用だったのかは分からないが、この手帳が犯人にとっての宝物でなかったとは考えにくい。

 だとしたら、手帳を落としたこと自体は、すぐに気が付いたはず。

 僕は、店にいた人間たちの顔を、一人一人思いだしていく。何か、怪しいことをしていた人間はいただろうか。後ろめたいところがある人間は、特定の刺激(今回においては、犯行記録の紛失)に対して大多数の人間とは異なる反応を示す性質をもつことを利用した捜査方法などもあるというが。しかし、目に見えて店の床を見つめながらうろうろ物探しをしていた人間など、さすがにいなかったはず。犯人も、喫茶店の手洗いを利用した際に手帳を落としたのだろうが、さすがに他の客たちのうちトイレに立った人間を正確に把握してなどいないし、特定のしようがない。勿論、喫茶店にいた時点においては手帳の紛失に気が付いておらず、店を出てから……もしかしたら丁度今頃になってあたふたし始めているというような可能性だってゼロとは言い切れない……。手帳の中に出てくる店、というのは、あの喫茶店のことだろう。犯人はあの店をよく利用する人間であり、日常的に、獲物を他の客の中から物色しているのだろうか。

 

 眼球スプライトという自称の由来も、気になるところではある。どこかファンシーなネーミングからは、警察の言う怨恨の線より快楽殺人的なニュアンスを感じるが……。そもそも、どうして頭蓋を叩き割り眼球を抉りだすような死体損壊をする必要があったのか……死体を用いて人間の尊厳に対する冒涜を表現するならば、他にも方法はいくらでもあるはずで、とすれば何かしらのフェティシズム、執着が、犯人の中に存在するはず……。

 

 普段の僕なら、こんな手帳はすぐさま処分して、見なかったことにしていたはずだ。

 だが、そうするわけにはいかない理由が二つあった。

 

 一つ目は、田中好美に対する凶行の記述が終わった後から始まる内容。

 

『藤本真中が店に訪れた。制服から通っている学校がわかった。その学校の最寄り駅であるS駅にて待ち伏せし、明るく話しかけると、彼女は容易くついてきた。私は廃ビルの陰にまで彼女を招き、スタンガンで―――』


 以降、田中好美に行ったのと同様のおぞましい蛮行が描写されている。

 ニュースは、此度の事件を殺人事件だとだけ報道している。連続殺人事件だとは、報道されていない。

 藤本真中という名前も、ネットに流れたりなどしていない。

 つまり、そもそもの懸念であった、手帳に書かれている内容は真実なのか、という疑問を確かめる方法があるということだ。

 そして、二つ目の理由こそが、僕の今後の身の振り方を決定づけるに至った。


 最後のページには、本日の日付と共に短くこう記されていたのだ。

 

『かくれんぼの新しい遊び相手を見つけた』


 犯人は、かなりの高確率で、あの時店内にいた誰かに次の狙いを定めている。

 勿論、誰かは分からない。手帳の中に繰り返し登場する、収穫といったフレーズがヒントになっている気もするが、それだけでは見当もつけられない。

 だがもし、犯人の求める何らかの条件に、たまたまドルチェ先輩が当てはまっていたとしたら。

 僕の心を、強烈な不安が襲った。

 僕は、自分のやるべきことを自覚した。

 気乗りはしないが、まずは明日の日曜日、藤本真中に会いに行ってみよう。


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