第3話 スタンガンとエンゲージ
アクラツというのは僕のニックネーム……というよりは蔑称であり、主に、孤立している僕をクラスメイト達がからかおうとするときに使用される。
この名の歴史は意外にも古く、小学六年生の頃に遡る。
当時、僕は家族とともにこの街に引っ越してきたばかりであったが、早くも新しく通い始めた小学校で浮き始めていた。卒業まで残り四か月となった季節に入り込んできた異物に対し、周囲は容赦なかった。前の学校ではそこそこうまくやっていただけに、ショックを受けたものだ。そんな折、国語の授業でたまたま登場した「悪辣」という小学生には馴染みのない言葉と、僕の本名が似ていたことから化学反応が起き、僕の意志は無視される形で、以降「アクラツ」となった。中学校、高校と環境が変わっても、このあだ名は続いた(小学校で同級生だった奴らもたまたま同じ学校に進学していたので、しつこく伝播され続けた)。
ただ、ドルチェ先輩だけは純粋に語感を気に入っている様子で、僕を「アクラツ君」と呼ぶ。
僕も彼女からだけは、この渾名で呼ばれても嫌な気持ちにはならない。
第三視聴覚室での映画鑑賞を終えると、丁度雨が上がっており、雲も薄くなっていた。
ドルチェ先輩から、ずっと気になっていたカフェがあるのと誘われた僕は、一も二もなく承諾し、土曜日の午後を彼女とのデートに費やすことにした。
カフェがあるという商店街の入り口まで来たところで、ドルチェ先輩が不意に足を止めた。
どうしたんですか、と尋ねても、彼女は僕の言葉に反応を返さない。
彼女の視線の先には、地域に密着することで生き残っているタイプの小さな電器店があった。
より具体的に言うなら、その店頭に展示されている液晶テレビを、彼女は見つめていた。
「次のニュースです。〇県×市で発生した―――」
女性キャスターが口にしたのは、現在、まさに僕達が住んでいる街の名前である。
加えて、全国区のニュースで報道される内容となれば、もう決まり切っていた。
「―――殺人事件についての新しい情報です。同市内の高校に通う女子高校生が行方不明となった後、河川敷で遺体として発見され、一週間が経過しました。遺体に激しい損傷が見られたことから、警察は強い怨恨が動機である可能性が高いと……」
ドルチェ先輩は、空中に蠅を見つけた猫のように食い入っている。
僕は、彼女がこのニュースに強い興味を抱いていることを前々から知っていた。
ドルチェ先輩は、人間の持つ暗黒面、残虐性に強く惹かれてしまうという気質を持っていた。大多数の人間が聞いただけで鉛のような気分になる事象を歓迎しているところがあった。
彼女が愛するコンテンツは、何も映画をはじめとするする創作物に限った話ではない。
現実において発生した陰惨な事件にも、彼女の好奇心は強烈な反応を示す。
ただ、誰かの空想にしろ現実の事件にしろ、彼女の興味を引くにはある条件を満たさねばならなかった。
ドルチェ先輩は、飛行機が墜落して百人が死んだり、金銭トラブルで衝動的に人を刺してしまった男などには、関心を示さない。
彼女が求めるのは、人の死を発生させた何者かの中に存在する、暗い認知のズレだった。見知らぬ誰かの中に生まれてしまった、理性の光が照らし御することのできない芸術的な暗闇に、ドルチェ先輩は常に触れたがっていた。
そう、例えば、今ニュースに読まれている殺人事件の犯人像などは、彼女の嗜好にうってつけだろう。
キャスターがテレビの報道基準から「遺体に激しい損傷」とぼかした部分だが、遺体の第一発見者がSNSの自身のアカウントに投稿した写真のせいで、いまや公然の秘密となっている。
パイ包みのシチューみたいな、死体だった。
執拗な殴打によって大きく砕かれた頭頂、椀の形となった頭蓋の中で、灰色をした脳のミンチと、白く細かい骨のかけら達が浮いていた。
それだけでもショッキングな画像。だが、さらに印象的なのは、被害者の両目だった。瞼の上から無理やりくりぬかれたかのように、空洞になっていたのだ。
アップロードされてから投稿者のアカウントが凍結されるまでの二十三分間で、この画像は日本中に広まった。そこから始まり、被害者の名前(田中なんとかさん)も、学校の同級生だかがネットにリークしてしまうような事態になってしまっていた。
そして、あらゆる人間がこの事件の犯人に対し、頭部を殴って殺した後の死体から眼球を抉り奪い去った狂人だという認識を持った。
ドルチェ先輩が、小さく声を漏らす。
「……こんなエッチなニュース、昼下がりに大丈夫なのかなぁ」
「大丈夫じゃないのは先輩の頭ですよ」
「ひどい! ……あっ、でも今のはもしかして、私の知能と被害者の子の破損箇所である頭部をかけていたのかしら……とってもすごいわ、アクラツ君!」
僕は彼女の腕をつかむと、無理やり電器店の前から引っ張っていった。
当初の目当てだった喫茶店へと、僕たちは入店する。
手狭な個人経営店は、いかにもお洒落で女子好みな感じだった。
アンティーク調木製テーブル、オープンキッチン、店の壁に設置されたフラワーアレジメント。
ドルチェ先輩から教えられていた前情報によると、安定の公務員を退職した女性が一念発起して作ったお店らしい。
店内のテーブルは二つ既に埋まっていて、僕たちはオープンキッチンに近い席を選んで座った。
自家製のケーキが有名だということで、コーヒーの他、僕はベリーの乗ったチョコ、ドルチェ先輩はフルーツたっぷりのシフォンを、それぞれ頼んだ。
僕たちは第三視聴覚室で鑑賞した本日の映画について、他の客に聞かれぬよう小声で、されども熱く語り合った。
「今日の映画も、良かったね」
「僕も、そう思います。唇にメンソレータムと間違えてアロンアルファを塗ったまま恋人にキスしてしまった女が、何もかも男のせいにして逆恨みする展開が、非常識すぎて面白かったです」
「うんうん! 殺し合いに発展する前の設定で魅せるのは良かったよね!」
「腸まではみ出たのに、ラストには何事もなかったかのように結婚しましたからね」
「やっぱり、登場人物が幸せになってくれた方が嬉しいもんね」
そこでケーキが運ばれてきたため、僕たちは一旦、会話をひそめた。
一人で店を切り盛りしているらしい女店長(まだ若く二十代後半くらい。木製フレームの眼鏡をかけた、いかにも「アタシらしい生き方!」を追求してそうなタイプ)だったが、忙しさを垣間見せることもせず、優雅なサービスであった。
穏やかで、ゆっくりとした時間が流れていた。
僕はトイレのために、一旦席を立った。
トイレに行く途中、床の上に、誰かの落とし物だろうか、黒革の手帳が放置されていたので拾ってポケットに仕舞った。
雨模様のせいか、有名店であるにも関わらず客入りが良くない日であるようで、僕とドルチェ先輩の入店以降、新しい客は入ってきていない。他に埋まっているテーブルは二つだけ。
店の中央付近にあるテーブルでは、知らない高校の制服を着た髪色の明るい女子たちがケーキを囲みながら担任教師の物まね(「ミぃーテぇークダサイ。コぉノー文章ノ、アタマ、シカシ、ガぁ、ツイテルデショぅ、ココ、作者ノ、イイタイコトヨぉー」)をして盛り上がっている。それとは対照的に店の隅の小さなテーブルでは髪も服も真っ黒な少女(僕と同じ高校一年生くらいに見える)が、一杯のブレンドコーヒーと、じっと見つめあっている。
「アクラツ君は……私とあんなことになったら、どうする? あの映画みたいに唇と唇が、さ」
「……好きにすれば、良いと思います」
「うふふ」
「何です」
「かわいい」
ドルチェ先輩との会話とケーキを存分に堪能した後、そろそろ店を出ようという空気になる。
僕と彼女は、交互に奢りあうような形でデートを重ねていたが、今日は何となく僕がお金を出さなければいけない日であるような気がした。「会計を済ませるまでの間、先に外で待っていてください」と、ドルチェ先輩に伝える。
ちょうどそのタイミングで、黒い少女が急に立ち上がり、レジに向かった。少し待ってね、とキッチンの中から言う店長に対し、黒い少女は、電車の時間が迫っていることにたった今気が付いたのだと恥ずかしそうに弁明した。
僕はレジが空くのを待ちながら目を閉じ、空調の風と、店内に流れるジャズだかボサノバだか判断がつかない曲を、最後に楽しんだ。
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