いじめを近くでみている君へ



もし、あなたが近くでいじめを見ていたり、身の回りにいじめがあることを知っているならば。


そこに介入してくれ、なんて私は口が裂けても言えません。だって、それでもしかしたらあなたが辛い思いをすることになってしまうかもしれないから。


あんな思い、誰にもして欲しくないですし、する必要も無いと思っています。いじめは本当に何がきっかけになるのか分かりませんし、積極的に関わった結果いじめのターゲットになってしまった、なんて話は何度も聞いた事がありますから、「いじめられている子を助けてやってくれ」なんて、とても言えません。


でも、そんなあなたに、言いたいことがあります。それは、「いじめられている人を気に掛けてくれ」ということです。


いじめでは、「いじめられる側にも問題がある」という風に周囲が考えることが往々にしてある様です。言い方を変えると、「いじめられる方にも責任はある」と考えることですね。

 福井ら(2017)によれば、「大学生にいじめ被害者と加害者の責任の比率を尋ねた結果,被害者にも 20%弱の有責性を認知している」との結果が得られたそうです。これより下の世代、すなわち高校生以下の方々の比率は全くこれと一致する訳ではないでしょうが、比較的近い傾向にあると考えて話を進めたいと思います。



先に私の考えを率直に言わせてもらうと、「いじめの責任は100%加害者側にある」、です。だって、何が原因でいじめが始まるかなんて分からないのですから。


「気にくわないから」とか、「ムカつくから」、場合によっては「嫉妬して」なんて理由もあるかもしれませんね。ただ、それが「いじめても良い」、「いじめられても仕方が無い」理由にはなり得ません。なぜなら、そういった判断基準は全て「加害者側の定規に従っている」ものだからです。つまり、いじめている理由は所詮、「いじめている側にとって」の理由でしかないのです。


それなのに、これ程までに「被害者にも責任がある」なんて考えが蔓延っているのは、「加害者の方が被害者よりも圧倒的に支配力・発信力がある」からだと私は思います。いじめられる側は声を上げることすら難しい場合も多いのですから、発信力が弱いのは明らかでしょう。そして、いじめにおいて立場が強いのは間違いなくいじめる側。だから、周囲が染まりやすいのはいじめる側の論理でしょう。しかも、いじめる側の意見に刃向かうことをしなければ、自分に火の粉が降りかかることも避けられる訳ですから。半ば盲目的に、「いじめられる側も悪いのだ」なんて考えに行き着く人が一定数いるのではないでしょうか。


だから、いじめを近くで見ている皆さんにはそれをせず、被害者の側に立って考えてあげて欲しいのです。出来ることなら、いじめっ子がいない隙に声を掛けるとか、何でも良いからいじめられている子にそういった意思表明をしてあげてほしい。何が出来る訳ではなくても、孤立していないんだと感じられるだけでいじめられている人にとっては大きな救いとなります。もしそれも難しいのであれば、せめてこの考えを持っていて下さい。そうすれば、少なくとも同調圧力みたいなものが広まって、いじめられている人が孤独を感じる機会を少しは減らせるはずですから。






参考文献

福井 義一, 小山 聡子「PD005 いじめられる側にも問題があるって本当ですか? その3 : いじめ被害者への有責性認知判断における理由の分析」,2017年,第57回総会発表論文集, 日本教育心理学会

https://www.jstage.jst.go.jp/article/pamjaep/57/0/57_351/_article/-char/ja/ 

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