第121話 渦

 王都においてネーベイア家の人間は表面上いなくなったが、その意思を代弁する者はいる。

 アーリアたちの母の実家である、セメア家である。

 セメア家は王都近郊に領地を持つ領地貴族であり、宮廷との繋がりも強く、国の要職に就くことも珍しくない。

 それだけに陰謀や策謀、交渉といった分野には強く、ネーベイアの財力や軍事力を背景に、二人の王族の間で中立を保っている。

 中立と言うか、正確にはより王国にとって適切な選択を支持するのだが。



 セメア家の当主は代々、王国においてなんらかの要職を勤めるが、その過程において、似たような貴族とあるいは協力、あるいは対立して関わりを強めている。

 その行動原理は自派の力を、最大限に維持するか拡大するかである。

 よってその行動は保守的であり利己的でありながら、最大多数に配慮したものとなる。



 つまり、調停者の位置に、セメア家は立った。



 二人の王族が自派の勢力を拡大しようとする中、どうしても政争とは独立して、すぐに裁可すべき書類はあったし、必要とされる役職もあった。

 その必要性を理解しながらも、相手に与えるわけにはいかないと考えた二人が、中立派として存在するセメア家の派閥に、それを与えるのは仕方のないことであった。

 この勢力は小さいながらも、王族の二人とは独立した勢力として認識されたのを、当の二人とその近臣は、気付きもしなかった。







「いい具合に煮詰まってきたなあ」

 王都の神殿の屋根の上で、にやにやしながらアーリアは眼下の光景を眺めていた。

 既に日は没し、魔法の灯火が神殿をゆったりと照らす中、夜に行われる儀式が中断され、二つの集団が争っている。

 さすがに武器を抜いてはいないものの、いつ手が出てもおかしくはないという雰囲気だ。



 元々は単に神殿の儀式の準備をしていただけであったが、誰がどの部門を差配するかで、異論が出てきたのだ。

 神殿は基本的には王族の争いになど参加しないのが建前であるが、あくまでも建前であるにすぎない。

 神を祭るというその行為が、一般の民衆ならず貴族にとってもどれだけ大切か、ネーベイア家でもアーリア以外はそれなりに尊重している。

 その役割分担をどうするかというのは、ある意味権力の所在がどこにあるか、明確に示すことになりかねない。



 神殿には中立を保つ必要性があるのだが、しょせん人間の社会の一部。霞を食べて生きているわけではない。人間がいるのだ。

 そして世俗の権力と同じく、神殿の権力闘争も激しい。



 ついに殴り合いの始まった両集団は、神殿の奥から神殿騎士が出てきて鎮圧するまで、その場を荒らしまわった。

 神殿騎士は神に信仰を捧げる騎士であり、たとえばセクトールの聖騎士と立場は似ている。

「そういえばこの国の神殿の一番偉い人って誰なの?」

 屋根の上から足をぶらぶらさせているティアは、今更ながらにそれを尋ねた。

 今日は暗殺のお仕事はお休みで、アーリアと一緒に喧嘩の見物である。

 基本的に人間の社会に興味がないティアは、実は前にも同じ質問をしているのだが、アーリアは溜め息もつかなかった。



 この世界には善の側、あるいは人間を守護する側に、四柱の大神がいる。人間を害そうという一柱と、中立の二柱を合わせて七大神と呼ばれる。

 アルトリア王国の主神は、当然ながらその領地に迷宮が存在する大神、豊饒なる生命の大地母神デリアである。

 その教えは寛容であり、人間を守護するといいながらも、魔物を積極的討伐したりするのを勧めるものではない。

 あらゆる生命を尊重するというこの神は、無駄な殺生を忌避するというぐらいが教義で、あまりがっちりとしたものではない。

「総主教ドメールだな。同時にデリア神の最高神官でもあるんだが、実際に権力が及ぶのはアルトリア国内がせいぜいだ。まあ他国の信徒からも、一定の敬意は払われているが」



 古来より聖職者は世俗から離れているという名目は持つが、実際には権力とがっちりつながっている。

 アルトリアの主神がデリアということで、逆に隣国はデリアを信仰することを避けている。民衆や貴族がデリアを信仰することによって、アルトリアの影響力が強まるのを恐れるからだ。

 まあこの世界においては神は確実にいるのだが、その割には人間への影響はそれほどない。神のいない世界を知るアーリアは少し不思議にも思ったが、いないからこそ神には価値があるのかもしれない。







 乱闘は終結したが、死者が出た。

 あの規模で一人というのは、まあ無事に収めたと言えるものだとは思ったが、一方のみに犠牲が出たというのがまずかった。

 これまで民衆は、顔役の下でなんとなく二つの派閥に分かれているだけであった。

 それが死者が出たことによって、感情的に分断されてしまったのだ。

 王族の権力争いなど、庶民にとってはどうでもいいことだ。実際に治世が始まれば不満も出るだろうが、最初から失望されるというのはまずい。

 まずいにもかかわらず、今回の事件は天上の争いを、卑近なところまで降ろしてくるものとなってくれていた。



 問題なのは犯人が分からないことであった。

 乱闘で倒れたところを何人かが踏んでしまったという、かなり運の悪い出来事であった。 

 普通ならちゃんと司法が介入しなければいけないところであるが、間の悪いところに容疑者の中に顔役の息子がいた。

 被害者の妻は当然ながら犯人の追及を求めたわけだが、顔役がそれを揉み消しにかかる。

 しかしその揉み消し方も、かなり問題のあるやり方であった。



 こういった場合、普通なら損害を被った――つまり家族を失ったその被害者への補償がなされる。

 だが後の面倒を嫌ったり、複雑な事情が絡んでくると、短絡な選択が選ばれる。

 即ち、文句を言いそうな者を全て、消してしまおうというものである。



 まともな頭をしていたら、当然こんな判断はしない。しかしまともに考えることに、混乱する王都の人々は疲れていた。

 治安の乱れというのは、人々の心を荒廃させるものだ。だからこそ国家の最大の役割は、食料の確保でもインフラの整備でもなく、治安の維持と言われるのだが。



 復讐ならばともかく、追い討ちをかけるように命を狙われた遺族を、アーリアは部下に命じて保護した。

 セメア伯爵にネーベイアの代理人としての権力は移譲しているが、王都のネーベイアの軍事力が、完全に消えているわけではない。

 正確にはネーベイアの正規軍は、元から王都には存在しない。

 だが王都周辺の紛争がなくなったことにより、傭兵が余った。それを雇うだけの財源がネーベイアにはあったのだ。







 治安を維持するための兵力を保持し続けるためには、金が必要になる。もっとも簡単に換金出来るものとは作物だ。

 その作物をネーベイア領では増産している。輸送コストを低下させるため、アーリアは自前の工兵のみならず、ネーベイア軍全体でも工兵の専門性を高めた。

 ローマ軍はツルハシで勝つのだから。



 王都に住む平民たちも、わずかながら王族の争いの影響を受けるようになった。

 マルクハットもマルムークも、まだ気付いていない。しかしもはやアルトリア王国の存在は、王都の勢力によって決まるものではなくなっている。

 王都の人間というのはただ王都に住んでいるというだけで、平民でさえも地方出身の貴族をバカにするような傾向がある。

 そういった輩に意趣返しすることもあったアーリアだが、それははるかに以前の前世のことである。



 治安が乱れつつあるが、崩壊とまではいかない。

 だからもう一押ししてやる必要があるのだが。

「人間相手だと、魔物とは違った気疲れがあるね」

 久しぶりにアーリアと会うヴァルシアは、溜め息と共にそう言った。



 彼女は現在、タニア王女の護衛である。レオンのような超戦闘力はないが、女性であればより身近にいることが出来る。

 王族の暗殺ともなれば絡め手が常道なのだが、暗殺者を送ってくる危険もないではない。事実他の王族や貴族には、既にそれらしき死者が出ている。

 カエサルだって暗殺されたのだ。



 事態はおおむねアーリアの期待通りに進捗している。

 王族の権威が失墜し、その正当性に疑問が出てくる。

 王都の法衣貴族はまだ中央の権力に固執し、変化に気付いていない。

 狙い通りではあるのだが、ここまで順調に進捗していると、逆に不安にもなってしまう。



 そのアーリアの読みは正しかった。

 ある貴族の暴走により、タニアを巻き込んだ刃傷沙汰が起こった。

 狙いは他の王族であったようだが、そもそも真昼間にこんな事件が起こる時点で、非常事態である。



 この時レオンは、タニアのすぐ傍にはいなかった。いたのはヴァルシアである。

 女性ということもあって、タニアは威圧感のあるレオンより、ヴァルシアの方に心を許しているきらいがある。まあ常識的な観察眼があれば、レオンは怖いだろう。



 ヴァルシアは暗殺者の足止めをした。驚くべきことに暗殺者の技量は、ヴァルシアと拮抗するほどのものだった。

 冒険者としてのヴァルシアは、魔物を相手とするのを得意としていて、対人戦の技術に優れているわけではない。

 ただ、対人戦以外を想定して腕を磨いてきたことが、今回は幸いした。

 暗殺者は一撃離脱の方法で、毒を塗った刃物を複数投擲してきたのだ。毒を持った魔物の対策をしてあったヴァルシアは、タニアを狙ったそれを弾き飛ばした。

 他の王族に被害者が出たので、ヴァルシアがいて本当に良かった。







 そのような事件もあったので、もはや貴族たちの間でも、王都にいれば安全という意識は消えていた。

 王族の王位継承争いというのは、王族自身だけでなく、それを支持する貴族も巻き込んだものとなる。

 有力な支援者がいなければ、そもそも王位を狙うことさえない。

 その有力な貴族の筆頭とも言えるネーベイア辺境伯家と、ワルトール侯爵家が、既に中立の時点で、事態が泥沼化しているのだが。



 大公家に力はなく、公爵家にも実際的な力はない。

 侯爵家の中で一番勢力が大きいのはワルトール侯爵家だ。

 アンドレがネーベイア家と組んでいる時点で、アルトリアの最大勢力は、他の全てが連合しようと対抗出来ないものとなっている。



 そこまで考えてふと、アーリアは可能性に思い至った。

 アンドレがネーベイアをも打倒して、自らがアルトリア王国を掌握するという路線である。



 それは、不可能だ。なぜならアーリアがいるのだから。

 しかしアンドレがそう考えているかは分からない。軍事力や財力ではネーベイアに敵わないと分かっていても、陰謀や暗殺を駆使すれば、どうにか出来ると勘違いしては困る。

 だが段階的に考えて、ネーベイアを打倒するのは難しいだろう。ネーベイアは当主ゼントールの他にも、三人の息子とアーリアがいる。

 ネーベイア家の中枢を一度に暗殺してしまうぐらいの状況を整えなければ、彼がアルトリア王国を牛耳る手段はない。



 将来的には敵対するかもしれないが、少なくともネーベイア家が簒奪を完了すれば、アンドレのワルトール家も利益を得る。

 国外の情勢にもよるが、ここで策謀を巡らすのは時期尚早だろう。



 貴族的に敵と味方を決める思考を、アーリアは頭を振って追いやった。 

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