第122話 混乱の王都
王都の治安が急速に悪化してきた。
原因は一つ、食料の値上がりである。
続けて起こった王族間の争いの暗殺の繰り返しに、王都の検問が厳しくなったことによる、輸送の渋滞である。
もちろん普段から貴族や王室の御用達商人は、特に問題もなく入ることが出来る。
だが争いあう王族二者の連名により、王都への出入りが厳しく検査されるようになったのだ。
実のところ、こんな検問には全く意味はない。
本気で暗殺者を呼び込むのなら、全ての出入りを厳重に検査するべきだろう。そしてそれを行っても、レオンのような超人には、城壁が意味を持たない。
事実警備の厳重な王宮の中で、ティアは簡単に首を刈っている。大国だけにアルトリアにも、超人レベルの戦闘力を持つ者はいるのだが、一人で全ての護衛対象を守れるはずもない。
もう一人超人レベルの騎士がいるのだが、そちらは国内を巡回して、各地の魔物対策を行っている。
報復に次ぐ報復で、別に王宮内部でのみ暗殺が横行しているわけでもないのに、既にアルトリアの宮廷は、血まみれの王宮などと呼ばれていたりする。
こんな情報は、本来手の届かないところにいる庶民にまで伝わり、食料の盗難などの現実を含めて、王家への失望が王都全体に満ちていくことになった。
護衛として割り当てられた部屋にて、レオンとアーリア、そしてヴァルシアが軽食を摂っていた。
レオンとヴァルシアはともかく、アーリアは無断侵入である。彼女にとっても厳戒態勢の王城は、さほど侵入に苦労する場所ではない。
「いつ終わるんだ、これは」
珍しく苛立ちが素直に出た声で、レオンが問うた。
彼の目的は迷宮の制覇である。アーリアもそうではあるのだが、寿命を操作出来るアーリアにとっては、普通の人間とは時間に対する考え方が違う。
いざとなれば不老の魔法をレオンにかければいいのだが、彼自身がそれを望むのかは微妙である。
人生の目的探しをしているヴァルシアは、特に何も言うことはない。だが冒険者としてはやはり、ダイタン迷宮を踏破するという夢は持っている。
その視線を受けたアーリアは剣の手入れをしながら、のんびりとも感じられる声で応じた。
「今のままなら、二ヶ月以内に決着がつく」
全て計算通りなのである。計算外なこともあったが、想定の範囲内だ。
「その根拠は?」
「王都内の食料の備蓄だ」
そう、アーリアの計算は、現実に基づいて考えられている。
王都の食料の倉庫は、主に二箇所に分けられている。
城壁の近くにある、流通のための倉庫と、王城内にある、備蓄のための倉庫である。
本来なら王都を中継して各地に食料が運ばれることもあるが、基本的に王都周辺だけでは、巨大都市の人口を食べさせることは出来ない。
街道を使って陸で運ばれるルートと、王都の東部を流れる河の水運によって、王都の食は保障されている。
王城内は支配者階級、城壁近くは庶民階級もしくは商業備蓄である。
巨大な行政機関である王城内は、豊富な備蓄によって賄われている。しかし庶民階級の主食穀物は、徐々に値上がりを始めていた。
治安の悪化と、物価の上昇。王都の兵士などの中には、不穏なものを感じている者もいるだろう。
だが今の時点では、それはアルトリア王国にとって重要な問題ではないと、為政者たちは判断していた。もちろん下級官僚の中には、危険性に気付いている者もいただろうが。
どこで最後の一刺しがくるか。
あるいは自分でその最後のきっかけを作るか。
日々街中を歩いて雰囲気を確かめるアーリアにも、迷うところである。
民衆が蜂起しても、王制の打倒にまで至る可能性は低い。
それは軍がまだ基本的に、政府側についているからだ。
兵士などは平民出身の者もいるだろうが、それらには優先的に食料も配布されるだろうし、率先して行動の指針を立てられる者もいない。
アルトリア王国の支配者階級には、教育機関を経て地位に就いた富裕階級もいるが、それでもとても庶民を扇動するなり軍部を蜂起させるなり、可能な人物はいないだろう。いたら良質の人材として獲得したいぐらいである。
そしてそんなアーリアの目の前で、食料品店に貧困層らしき民衆が押し寄せている光景が出現した。
何がきっかけなのかは知らないが、この辺りは低所得層の住む場所だ。食料の値上がりは、即座に飢餓に結びつきかねない。
商人が値上げをするのは、仕方のないことだ。そうしなければ商人自体が破産しかねないし、そもそも貴重な物が高くなるというのは当然の理だ。
アーリアは何度にも渡る人生の中で、商業活動を軽視したことはない。
だが資本主義経済や自由主義経済を放置したこともない。
正確に言えば最初の方に試して、大失敗した記憶があるのだ。
経済は政治の下で制御されなければいけない。それがアーリアの出した結論だ。
それが正しいかどうかは分からない。ただアーリアの経験上、そうしなければ国家を管理しきれなかったのだ。
特に金融が発達すると、実体以上に数字上の金が動くことになり、国家が破産することもあった。
この世界レベルの文明ではむしろ経済活動は活発化させた方が短期的にはいいのだが、将来的にも経済に枷をはめないのは、少なくとも彼女の知識の上では危険だ。
そもそも根本的に、彼女の得意分野は科学技術系であって、金融系はどうしても理解が及ばないものがある。
他にも経済を自由を許しすぎると、平気でアーリアの緩い道徳を突破する事態が頻発するからでもあった。
目の前のこの事態は、今後の王都の縮図かもしれない。
元はよほどのことがない限り、王都への出入りは自由であった。
それが検問によりかなり時間がかかり、場合によってはなんらかの手続きが必要になったりしている。
すると王都を迂回して、他の都市へと荷を運ぶ選択が出てくる。王都はアルトリアの中心であるが、街道はそれ以外の場所もそれなりに整っているのだ。
アーリアは結局、最後まで事態を静観した。
本来ならこんな場所の店が襲われた場合、裏社会の人間がそれを止めるはずである。そのために商店もそれなりの金を渡している。
それが機能しないのは、裏社会もこの動きを容認したということだ。まあ以前にアーリアが組織を潰して以来、その力が弱まったということもあるのだろうが。
店は荒らされ、商品は盗まれた。
この店の人間が今後どうなるか、助ける能力を持つアーリアだが、助けるという選択はしない。
万能に近いアーリアでも、リソースは限られている。
より大切なもののために、弱者を見捨てるそれは、なんと言えばいいのだろう。
だがこの小さな事件は、無駄にはならなかった。
アーリアの決断に、最後の一押しをしたからである。
王都は眠らないと言われることもあるが、それは歓楽街の話である。
大多数の人間にとって、夜は休息の時間だ。衛兵などのような不寝番はいるが、それは王都の規模に比べて少なすぎる。
まして、アーリアが暗躍するとなれば。
その日もまた、ティアの暗殺は続いていた。
それは衛兵の数がより重要な部分に回されるということであり、その分他の施設が手薄になる。
何が重要かを判断するのは支配者層であり、そして彼らは民衆向けの食料庫の存在を、あまりにも軽視していた。
アーリアは城壁の影に潜みながら、燃え盛る炎を眺めていた。
内部に人はいなかったので、そのまま魔法で貴重な食料の保管倉庫を焼いていく。
一斉に発火開始したので、水の魔法で鎮火させるのも難しいだろう。
延焼しないように魔法の防壁は張ってあるが、それは同時に外からの魔法も防いでしまうものである。
市民の食糧事情を悪化させるこの策は、アーリアの好むものではない。
ただ彼女は、大義とかの綺麗ごとを抜かさずに、最も効果的な手段を選ぶことをためらわない。
食料の不足は、王都の民衆を恐慌に陥れるかもしれない。それでも治安を悪化さえ、王族達の権力争いを知らしめることになればいい。
そもそも検問さえなければ、すぐに充分な食料は運び込まれる用意はしてあるのだ。
消火のためにやってきた魔法使いも、アーリアの防壁を抜くことが出来ない。
「誰だこんな防壁張りやがったのは! さっさと解除しろ!」
延焼防止目的のものと考えたのか、指揮官らしき者が怒鳴っている。
だが単純にアーリアの作った防壁は強固だ。おそらく時間経過以外に消えることはない。
消すことが出来るほどの人間はいるが、おそらく持ち場を離れることは出来ないだろう。
「これであとは、民衆の先頭に立つ人間がいればいい」
自分でしたことながらわずかに憂鬱になりつつも、アーリアはその場から消え去った。
王女であるタニアが、王都から消えた。
その事実はある程度の衝撃をもって受け止められたが、前後の仔細が分からないので、周囲にも困惑をもたらした。
もちろんアーリアの手配である。
政治的影響力を持たないタニアの失踪は、王座を争う二人の王族にとっては、さほど重要なことではない。
おそらくその意図には死ぬまで気付かないだろう。
これでアーリアは、ヴァルシアはそのまま護衛として付けながら、レオンという戦力を自由に動かせることになった。
もちろんティアほどの潜伏能力のないレオンを、暗殺要員として使うわけではない。そもそも彼はアーリアの協力者であって、部下ではない。
だがこの内乱が終わらないと、アーリアを迷宮に連れて行くことは無理だとは分かっているので、それなりの協力はしてくれる。
自派閥の要人を暗殺者から護衛するという点では、レオンはヴァルシアよりもさらに適している。
ヴァルシアは人間としてはその年齢を考えても凄まじいほどの戦闘力を持っているが、所詮は人間の範疇である。
レオンは違う。人間の姿をしていても、その実態は戦略兵器に近い。
下手をすれば一人で城を落としてしまえるような人間には、人間を想定した戦術など意味を持たない。
そのレオンをどう使うか。
アーリアは答えを出している。
宮廷内での暗殺の応酬が、ついに庶民の住む街にまで影響を与えるようになった。
一般庶民であれば雲の上の争いなど、戦火に晒されるまではむしろ楽しみでさえある。
民衆というのは弱者であるが、一方的に弱いだけではないのだ。
問題は食料価格、特に穀物の高騰である。
アーリアの行った完全犯罪であるが、この結果は庶民の生活に大打撃を与えた。
犯人は捕まらない。アーリアの隠蔽工作が完璧に近いこともあるが、宮廷がこの事件の解決を優先事項だと考えなかったからだ。
万一にもアーリアの所業を看破出来るような魔法使いたちは、王族や貴族の戦力として温存されている。
それでも検問を緩めたら、この問題は解決出来た。
人間はとりあえず生きていけたら、他の欲望は我慢出来るし、抑圧にも慣れるものだからだ。
革命などというものは高尚な学問から生まれるものではない。後付でそれを正当化しようという、打算や保身からなされるものだ。
フランス革命が生んだのは、皇帝ナポレオンだった。
もちろん歴史的な意義はあるが、民衆が支配層になるというのは幻想だ。
直接民主制は原始共産社会には存在していただろうし、科学が発展してからの民主主義は、実のところ権力を握った者を、独裁者にする道具でもあった。
長く、そして多くの記憶を持つアーリアであるが、その彼女をもってしても、最後のきっかけを自ら生み出すことは難しい。
何度も行い、結果的に成功するというぐらいだ。それならば待っていればいい。
待つ。
その受動的な態度は、彼女にとってそれほど退屈なものではない。
「装甲の予備は出来た。弾性を増して、物理的な防御力よりも、魔法で力場を作ることを重視」
それは目の前に存在する、一つの王朝の終焉を見るものではない。
その後に続く、大神の迷宮の攻略。
この世界を変えるために、アーリアの力はある。
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