第117話 嵐の海 1
アーリアは自分が、運のいい人間だと思っている。
だが同時に、凄まじく間が悪かったり、不遇な人間だとも思っている。
運がいいという理由は簡単だ。運が良くなければ死んでいたという状況を、前世以前に何度も経験してきた。
間が悪かったり不遇だったりというのは、そもそもそんな致命的な状況に何度も遭遇しているからだ。
そう考えると今の状況は、まだマシな方だと言えよう。
つまり、成すべきことが複数あり、そのどれもが自分に有利で有価値だということだ。
しかしそのうちのどれを優先的に攻略するのかには、悩む。
王都で残りの王族と対決するか、西部を強い支配下に置くか、南部を政治的に併合するか。
(リスクとリターン、それに費用対効果を考えないといけないな)
主に三つの選択肢があるわけだが、西部の再編成は、ハロルドが主導して行っている。
協力者も多いし、王家の権力は確実に弱まっている。
アーリア自身が表に立つ必要はないが、ティアとレオンは回収しておきたい。
つまり王都で工作するか、南部の支配力を高めるかだ。
南部に関しては、今までに得ている情報が少ない。だが重要度では王都を優先するのが当たり前だろう。
今、王都は王位を巡って二人の王族が争っている。
前王の長子の長子と、前王の次子だ。
完全に三すくみの関係が崩れた以上、決定的な形で決着がつくことは間違いない。
そして生き残った方も排除する。
アーリアは覚悟を決めているし、ハロルドも理解している。
父や他の兄たちは、現在の宮廷全体を嫌っているので、面倒なことをアーリアとハロルドがやってくれるなら、思うままにやれというスタイルである。
おそらく一番大変なのは、アーリアの中でネーベイア朝初代国王となるハロルドなのだが。
彼はなんだかんだ人の使い方も上手いし、適材適所を心得ているので、能力的には心配していない。
心配するとしたら、何かの拍子でうっかり殺されてしまうぐらいであろうか。
(レオンに護衛を依頼すべきだな)
搦め手を考えればティアの方が向いているが、彼女には大きな制約がかかっている。
吸血鬼とは本来、人間とは敵対するものなのだ。いや、ティアでさえアーリア以外は、捕食対象にしか思っていない節がある。
考えた末に、アーリアは決めた。
まず第一に、王都でも政争に関わる。
これは最優先だ。簒奪さえ成功してしまえば、南部と北部も時間をかけて手に入れればいい。
しかしとりあえずは、南部に応急処置をしておかなければいけない。
考えるための材料としてアーリアは情報を集めたのだが、南部の街や村は、時折海賊の被害に遭っているらしい。
ハムゼン王国と違ってアルトリアは海軍に力を入れていない。だから海の治安はハムゼンに頼っているところもあった。
だが今回の件でハムゼンが敵であることに変化し、自国の治安は自国で守らなければいけないことになった。
そもそもハムゼンが国家規模で、アルトリアの沿岸を荒らしまわれば、それだけで南部は大ダメージを受ける。
陸の輸送力がまだ未発達なこの文明では、海を制する者は世界を制するのだ。
「というわけで、海賊対策をしたいのですが」
「難しいですね」
アーリアの提案にフォッカーは、すぐさま反応を見せた。
「戦力は足りていると思うのですが」
海軍の軍勢はそれほどでもないが、南部の軍船や傭兵を動員すれば、かなりの戦力となるはずだ。また、それを維持するための物資などは、いささか遠いがアーリアが自前で用意出来る。
そんなことをアーリアが言うと、フォッカーは盛大に眉をしかめた。
「その足りているはずの戦力が問題なのです」
詳しく訊いてみると、納得すると同時に呆れてしまった。
そもそもその海賊というのが、アルトリア王国の海軍も含んでいるのだ。
詳しく言うと海軍と海賊の境界が曖昧で、海賊が半独立しているということが問題なのである。
情報収集の間にも、どこかおかしいとは思っていた。
情報が集まらないのではなく、どうでもいい情報が大量に集まっていたからだ。
つまり海賊は反政府的な存在でありながら、一定の治安を保つための装置としても機能している。
予算の足らない王国の正式な海軍では、治安の維持が行き届かないのだ。
(海を利用したらガラハドに攻め込めるはずなのに、それが許されなかったのはそれでか)
単純に海軍の規模が小さいとは思っていたが、それだけではなかったわけだ。
南に大公家があるのも、南方が王国の完全な制御下にはないことゆえのものなのだ。
アーリアは困っていた。
海を支配するのは、南方との貿易、あるいは海賊への対処、また東西への軍の移動においても、必須であった。
しかしそれを行うだけの海軍を、アルトリア王国は持たない。
存在する戦力は、商人が自前で持つ護衛艦。また大小の海賊がアルトリア王国に服従していることによる、海賊達の戦力。
対するアルトリア王国の戦力は、海賊達の一割にも満たないだろう。
海賊は辺境の半独立豪族とでも言うべきか。
多島海の大小の島に、それぞれの本拠地を持っている。
それに劣る戦力しか持たないアルトリア海軍としては、各個撃破が基本なのだろうが、それすらもない。
今から海軍を拡充しようとしても、それはすぐに出来ることではない。軍船も足りないし、それを動かす人材もいない。
こういう時にどうするべきか、過去の膨大な記憶と記録から対処法を思い浮かべる。
すぐに動かせる人間は、手元にはいない。
ならばすぐに動かせる人間と伝手をつければいい。
どういった人選をすればいいかは、経験上分かっていた。
アーリアの要求した人材について、フォッカーは心当たりがあった。
「しかしいささか迂遠な気もするが……」
そう言ってフォッカーは腕を組むが、アーリアも経験則でそれがいいと考えているだけで、実際には上手く行かない可能性もある。
今回求めた人材というのは、まず第一に有能であること。
だがその有能さを上手く活かせていないこと。それにより不遇なこと。
現状に不満を持ち、それを変化させようという意思もあるが、伝手や地盤が弱く、機会を求めているということだ。
潜在的に地方では名士の出であるが、次男ということもあり家を継ぐこともなく、人柄は魅力的であってもそれを支える背景がない。
それにアーリアが全てを与えてやろうというのだ。
ナインデモン。それが男の名前だった。
代官屋敷にてアーリアと対面したナインデモンは、仏頂面にもかかわらず、目はくりくりとして明るく、どこか海の男特有の陽気さを持っていた。
男は貴族ではないが、土地や船を多く持つ、いわゆる豪族の出身であった。
平民ではあるが並の貴族よりも金や勢力を持つ、簡単に言えば富裕階級だ。
こういった手合いは、ネーベイアでも地方にいけば多い。山賊などへの対策で自衛のための戦力を持つ者さえいた。
ネーベイアの場合はそういう者を、積極的に騎士にして、体制に取り込むと共に戦力としていったが、普通の貴族は成り上がりを好まない傾向にある。
今回のアーリアもまた、ナインデモンを取り込むことを決めていた。
もっとも海の男というのは、なかなかそういった束縛を嫌うものが多いのだが。
アーリアは率直に言った。
「多島海の王になりたくはないか?」
事前にアーリアはナインデモンの情報を集めていた。
巨大な赤銅色の皮膚を持つこの男は、子供の頃には「海賊王に、俺はなる!」と宣言していたそうだ。
もっとも現在は家自体も周囲の海賊連中に抑えつけられ、彼自身も自由に使える船は少ないそうだが。
アーリアの挑発的な物言いにも、ナインデモンは唇を歪める。
「貴族のお嬢ちゃん、海の上じゃあどんだけ金があろうがコネがあろうが、嵐に遭ったらどうしようもなんねえんだよ」
「分かってる。だからそのために、専門家を大将に据えたいんだ」
ナインデモンは海の男である。生まれた時から数えても、船の上で過ごした時間の方が長いかもしれない。
餅は餅屋というわけで、アーリアもそのあたりは任せるつもりだ。
「だが船を作るにも、人を集めるにも、先立つ物が必要だろう? それは全てこちらで集めるから、海を支配するのは任せたい」
その言葉にナインデモンはわずかに表情を歪めたが、アーリアの隣のフォッカーに目を向ける。
それに対してフォッカーは力強く頷いた。
今度は眉根を寄せるナインデモンだが、溜め息をつく。
「ネーベイアの姫将軍の噂は自然と聞いていたが、さすがに海は専門外だろ?」
「確かに疎い部分はあるが、そもそも私はガラハド王国の攻略には、海路での補給を並行して行うことを、子供の頃から考えていたぞ」
ゴルゴーン将軍を討ち、国境の砦を奪取し、街道を整備した今は、もうそこまで必須の要素ではない。
だが補給線を複数確保することは、戦争における戦略的優位の大原則である。牛に荷を運ばせて、いざとなればその牛を食べればいいというような、机上の空論でいいはずはない。
目をきらきらとさせながら戦争の話を始めるアーリアを、やばいやつだとナインデモンは悟った。
わずかな説明の間に、両手を上げて降参する。
「分かった、姫さん。あんたの話に乗るよ」
苦笑するナインデモンに対して、にっこりと笑ったアーリアは手を差し伸べた。
それはもちろん接吻を促すためのものではなく、がっちりと握手をするためであった。
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