第116話 海に面して 3
軍船を一隻だけ修復し、最低限の人員を乗せて、ハムゼンの軍を故郷に戻す。
彼らを通じてハムゼンの政府、つまり王と交渉するというアーリアの案だが、これはハムゼン兵から話を聞く過程で、頓挫する可能性が高いのが分かった。
ハムゼンは、王権が強すぎるらしいのだ。
アーリアが本来この状況では理想とする専制君主制が、ハムゼンでは神の宗教的権威を背景に成立している。
アルトリアなら王も貴族の影響力を考えないわけにはいかないが、ハムゼンの王は基本的には独裁者なのだ。
つまり貴族の有力者でも、その気にならないと見殺しにする。
そしてだいたい独裁者というのは、失敗に対して容赦しないものである。
まあアーリアの期待通りにいかなくても、それはそれでいいのだ。
身代金や不戦条約などは、特に後者は期待していない。
必要なのは時間だけだ。国内の情勢を整えたら、これまでにかけていた軍の維持を南に向けることが出来る。
海戦の心得には自信のないアーリアだが、海を国境線として防衛するノウハウは持っていた。
そして海の輸送力を手に入れるのは、アルトリア王国掌握後の一手である、ガラハド侵攻のためにも必要なことだ。
アルトリア王国がガラハド王国との戦いで、主導権を握れなかったのは、単純に事象だけを見れば、国境の砦が原因であった。
しかしその砦を落とし、逆に難攻不落の前線基地としたところで行った侵攻で、またもや敗北した。
論理的に見ればその原因は、兵站線の構築の失敗である。
ウェルズの立てた迎撃作戦も、兵站線を切ったことにより完遂された。
国境の砦を落とす以前から、ずっとアーリアはガラハド王国を征服する計画を練っていた。
そのために必要なのが、大量の余剰食料の生産と、その輸送手段であった。
海路というのは人間を運ぶのには向いていないが、補給物資を運ぶのには向いている。
逆に言えばガラハドを征服するには、海路の確保が必要であった。
それは国境の砦を落とし、街道が整備されて陸の侵攻路が確保された今でも変わらない。
正直ウェルズのような卓越した指揮官が出てくるとは、アーリアにとっては誤算であった。
後から調べればゴルゴーン将軍を討ち取ったのが、彼が台頭してくるきっかけとなっていたのだから、物事は上手くいかないものである。
さて、そこでアルトリア王国南方である。
東方と西方に分類される地域に比べて、北方と南方はその土地が純粋に狭い。
内陸国家であったアルトリア王国が、長年土地を重要視し、海を軽視していたことは事実である。
人種的にも海岸線の人々は、内陸のアルトリア人よりもやや肌の色が濃い傾向にある。
もっとも文化はほぼ同じであるし、言語や度量衡なども変わらない。
南方は珍しいことに、内陸との交流によって、ゆったりと合併したのだ。
それが200年ほど前のことである。
アーリアはパルバーの状況が一段落して沈静化すると、フォッカー子爵と面談することになった。
彼女からの希望であり、フォッカー子爵としても、一人で軍船全てを無力化してくれたアーリアには、借りがある。
そもそもネーベイアのここ数年の勢力の伸張は著しく、友人であるハロルドとの関係からしても、面会を拒否する必要も理由も全くなかった。
「改めて今回の戦争については、感謝するしかない」
ある程度まともな休息を取ったフォッカーは、以前とは全く違った人物に見えるほど、精気に満ちていた。
忙しいことは変わらないのだろうが、やはり戦場の指揮官と行政官では、得意とするところが違うのだ。
どちらもいけるアーリアのようなタイプは珍しい。
本人はどちらでもなく、研究をするのが一番好きなのだが。
深々と下げられたフォッカーの頭に、あえてアーリアは鷹揚な口調で言った。
「ネーベイアは武門の家。兄の友人に頼られたなら、応えざるをえません」
まあ今回の戦いは本当に、ほとんどアーリア一人で戦況を変えてしまったものだ。超人レベルの魔法使いが一人いると、戦争はこうも変わる。
もっともそれが明らかになってしまえば、暗殺者がダース単位で送られてくるだろうから、あまり人には言えないのだが。
実際、アーリアが将軍としても文官としても、また技術者としても有能であることを知っている人間は多いが、人間を超えた戦闘力を持っていることは明らかになっていない。
そんなわけでフォッカーとの話にも、そこらへんのことは出てこなかった。
だが忙しいフォッカーがわざわざ向こうから、これまたそろそろ西方へ向かわなければいけないアーリアを呼び出したのだから、挨拶程度の話で済むわけがない。
お仕事大丈夫ですか? ええ、まあなんとか。そんな会話の後、フォッカーは切り出した。
「今後の南部の統治に関して、ネーベイアかその影響下の家から、助力を願うことは出来ませんか?」
カモネギという言葉がアーリアの頭をよぎった。
ネーベイアはというか、アーリアは今まで、アルトリアの東西を重視してきた。
それはそもそもネーベイアが東にあるというのと、西には大神の迷宮があることが理由である。
だが途中過程のキリである、アルトリア王国の簒奪と中央集権化が見えてきた今、南と北にも意識を向ける必要が出てきた。
特に南だ。北は中小国家諸群があるだけだが、南は海を挟んでハムゼン王国がある。
そしてそのハムゼン王国には、アルトリアのものとは違った大神の迷宮がある。
この大陸にはアルトリア王国の他に三つの大神の迷宮があるが、距離的には海を渡った大陸の迷宮の方が近い。
当初の予定では大陸の迷宮攻略が優先であったが、うち二つの迷宮がエグゼリオンとジーナスのお膝元にある現状では、他の迷宮の攻略を優先すべきかもしれない。
もっとも最優先すべきは、ダイタンの迷宮であるのには変わらない。
そんなわけでアーリアは、南部への進出を考え直す必要に迫られた。
元々南部は商業の盛んな地帯で、軍事力で支配すべき地域だとはアーリアはあまり考えていなかった。
彼女の気質からして、本来は軍事的に勢力下に置くというのは、あまり好みではない。かといって経済的に侵食するのも好みではない。
ネーベイアの力の源泉は軍事力だと思われがちだが、本当に優れた部分はアーリアが最も優先的に行った、農業による食糧増加である。
次に手をつけたのが工業部分で、金属生産と機械生産で、ネーベイアはさらに天然素材由来の加工品にも手を出している。
貴族間の紛争が絶えなかった時期は、ネーベイアの食料と武器は絶大な効果をもたらした。これらの輸出によって、ガラハドの侵攻を防ぐだけの軍資金を得たと言ってもいい。
ネーベイアで成功したことを、アルトリア全土に広げるつもりは、今のところない。だが地理的に考えても、早いうちに鉄道に準ずる輸送機構を確立したい。
それもふまえて考えると、やはり優先順位は低くても、南に手を広げるのは悪くない。
長くも感じる時間であったが、実際はほんの数秒であった。
「ネーベイアの力を、必要とするということですね?」
「はい。ハロルド殿と話していても、ネーベイアの特殊さは分かります。特にここ最近は、その勢力の伸張も著しい」
フォッカーは素直にそう言うと、それまでとは違う色をした目で見つめてきた。
「アーリア嬢、貴女は不思議な人だ。おそらく歴史に出てくるような英雄達も、貴女のような卓越した人間だったのでしょう」
それは、どうだろうか?
アーリアは自分が本当に若かった頃のことを、もうほとんど憶えていない。人間の脳の記憶容量には限界があって、おそらく数千年単位を生きているであろう間に、必要と思える記憶以外は消してきた。
だがそれでも、若かった頃の手痛い失敗は憶えていると思う。
「今回の戦いもそうですが、貴女はまるで、恐怖を知らないかのように、果敢に最善手を選んでいく」
「それは違います」
アーリアは明確に否定した。
「私も何かを恐れることはあります。ただ恐怖に縛られることがないだけで」
何かを恐れるということは、その脅威を正しく評価することだ。
それは生物が生きていく上で、最も大切なことだろう。
しかしアーリアは、恐怖に支配されることはない。
恐怖に立ち向かい、自分の制御下に置くということが出来るということもあるが、そもそも恐怖に縛られていては、余計に悪い結果を招きかねないからだ。
アーリアは慎重さも持っているが、それよりもさらに、動かずに事態が悪化することを恐れる。
そのあたりの見極めは、おそらく経験によるとしか言えない。しかし経験だけを重視して、過去の経験から選択を狭めるのも危険だ。
「ハムゼン王国を攻め、海路の安全を確保したいですね」
優先順位は間違えない。まずは東だ。
そのための準備として、南を攻める。
攻撃することによって相手を叩き、こちらを攻める余力を失わせる。おかしいことではない。
そんなアーリアの眼光を見て、フォッカーは背筋を震わせた。
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