第118話 嵐の海 2

「それはそれとして、情報収集くらいはやっておこうか」

 そんなことを呟くアーリアは海上を飛行し、多島海の地図を作っていた。

 もちろんアルトリア王国にも地図はあるのだが、多島海は名前の通り島が多く、小さいものは洩れていたりもする。

 そんな小さな島にも海賊の港があったりして、村とまでは行かないまでも、補給基地としては機能していたりする。



 ナインデモンに海を任せるとは言ったものの、アーリアは全てを彼に任せるつもりはなかった。

 信用の問題ではなく、純粋に戦力が足りないという事実があるからだ。

 彼の伝手にネーベイアの財力が加わっても、戦力がすぐに備えられるわけではない。

 かといって育つのを待つ暇はない。ガラハド王国を倒すためには、海路からの侵攻が必要なのだ。



 育てるのが無理なら、既にあるものを使うしかない。

 幸いと言ってはなんだが、海賊は海に出るから海賊であり、その手段を奪われては何も出来ない。

 そして今アーリアは、海賊の人員を求めてはいるが、船自体は新調できる財産がある。

 ならば海賊の船は沈めてしまえばいい。陸の上の海賊は、ただのならず者である。船がなければ商売も出来ない。







 夜になるとアーリアは、こっそりと港の施設や船に、魔法で火を放っていった。

 目的は海賊の無力化であるので、ちゃんと乗員の安全まで確認してから、火を放っていく。

 そうやって数日のうちに、大きな戦力を動かせる海賊はなくなっていた。



 多島海の海賊を封じたアーリアは、一っ飛びしてハムゼンの港までやってきた。

 ハムゼンの王都ロムデルは海に面して存在する。そう聞くと海から攻められたら一巻の終わりのようであるが、実際は複雑な港と莫大な船舶により、かなり強固な守りとなっている。

 歴史上この都は幾つかの王朝の首都となっているのだが、それが滅びる時は内乱で陸から攻められている。

 アーリアの目から見ても現在の文明からなる兵器を前提とするなら、海から攻めるにはよほど要因が重ならなければいけない。



 ロムデルは海上流通の重大な拠点であり、ここを下手に攻めると多くの国から圧力がかかる。

 そしてその圧力は砦の築きようがない海を通り、ハムゼン王国の援軍として登場するのだ。

「まあそれも、非正規戦闘の前には無力なわけだが」

 そう呟いたアーリアは、ロムデルの港の倉庫に放火を続けていった。

 放火は殺人よりも重い犯罪ではあるが、それはどこかの世界のどこかの国の話である。

 それにこれが戦争であるとすれば、アーリアのしていることは立派な作戦の一つである。



 ハムゼン王国は食料の輸出で潤っている国だ。

 大河とその支流の豊かな水量によって、自国が食べていけるだけの食料は充分に生産出来る。

 今ではそれを輸出すると共に交易の中継地として、莫大な富が流れ込んでくるというわけだ。



 さてそんなハムゼン王国は、国内の人口の農業に従事する割合が多い。

 だが富が流れるのは王侯貴族を除けば、外国の商人であることが多い。 

 商人への利益を流すと共に、国もまた利益を享受するが、国民の生活が向上するわけではない。

 港や船を壊されて流通が停滞しても、農民はそれほど生活苦に陥らないということだ。



 アーリアの行動理念の一つに、民衆の不利益を小さくする、というものがある。

 戦略的に大局を見て、あえて民衆の犠牲を許容することもあるが、精神衛生上良くないと思うのは確かだ。



 そういった心の中で正当化をしながら、ハムゼン王国の港と船を焼き払っていった。

 これでしばらくの間は、アルトリア王国を攻める余裕はなくなるだろう。

 ひょっとしたら設備の再建などで民衆に重税が課されるかもしれないが、正規軍の陸兵が弱いハムゼンでは、農民一揆で王朝が滅ぶ可能性もある。

 なんにしろアルトリア王国の沿岸部に手を出す余裕はなくなるだろう。捕虜になっている者には気の毒だが、殺されないだけマシだと思ってもらうしかない。







 明け方近くまで破壊工作を続け、さすがにもういいだろうとアーリアがふよふよと北へ向かおうとした時だった。

 こちらへ急接近する存在を感知する。移動手段はおそらく徒歩。しかしその速度が尋常ではない。

(超人レベルか)

 アーリアやレオンといった、普通の人間ではどうやっても到達できない境地。

 アルトリア王国の大陸にもいるのだから、ハムゼン王国にいたとしてもおかしくはない。

(逃げるか? いや、相手を見極めてからでも遅くない)



 万一アーリアの逃走を許さないほどの手練という可能性も考えたが、切り札を切ればどうにかなるだろう。

 危険性と情報収集の必要性を比べれば、手の内を見ておくのは間違いではない。



 アーリアは外套を着替えて、仮面を付けた。体格と顔を見られなくても、歩き方で誰かは分かってしまうものだが、気分的な問題だ。

 剣を抜いたアーリア。燃える倉庫街の火と、明け方の燭光。闇を切り裂いて、彼は現れた。

「好き勝手やってくれたな!」

 突進しつつ剣を抜いたのは、まだ少年と見える年頃の騎士であった。



 こちらを感知してやってきたのだから、それなりに探査能力はあるのだろう。

 アーリアの測定によると、魔力はかなり高い。おそらくレオンと同じく、強化系の戦士だと思われる。

 魔力をそのまま肉体の強化に使うのは、あまり魔法の教育を受ける機会のない階層の出自であり、そして肉体的な素質にも優れているということだ。

 鎧の具合を見るに、下級の騎士といったところだろう。だがハムゼンの兵制を考えれば、この年齢の騎士というのは若い。

 おそらくアーリアの考えるとおり、超人レベルの力を既に発揮していると思われる。その戦闘力によって、叙勲されているのだろう。



 アーリアは判断に迷った。

(殺すべきか? 見逃すべきか?)

 自分が負けることはありえない。それが傲慢だとさえ思わなかった。

 次の瞬間、目の前にまで間合いを詰められていた。

(速いな!)

 魔剣と打ち合ったあちらの剣は、それだけで刃こぼれする。

 だが刃こぼれだけで済んだのも、少年騎士の魔力が装備にまで及んでいるからだ。素質としては非常に高い。



 ここでアーリアは彼女の欠点を出してしまう。即ち、もったいない精神である。

 この少年はアーリアに敵対しているが、それはアーリアがハムゼンにとっての賊であるからである。立場が変われば敵対する理由もなくなる。

 殺してしまうには惜しい。超人的素質を持つ普通の人間とは、ほとんどいないものなのだ。



 だからアーリアは魔法で宙に浮かび、剣を回避しながら間合いの外に移動した。

 飛び上がっても届かない。しかし少年は、何もない空間を蹴ってアーリアに襲い掛かった。



 ほとんど反射的に、アーリアはそれを迎撃する。

 魔法の火球を連射したが、少年はそれを全て剣で切り裂いた。



 アーリアは紙一重で斬撃をかわすと、さらに上空にまで退避する。

「こらくそっ! 逃げんじゃねーぞこら! 降りて勝負しろ!」

 まるで子供の言い分に、アーリアは警戒しながらも失笑してしまう。

「私は騎士ではないのでね! 届かないところから一方的に攻撃させてもらうよ!」

「っふっざけん――」



 アーリアの放つ火球が、連続して着弾する。

 たとえ剣で魔法を切るとしても、周囲の地面に激突させて爆発させれば、その土くれが少年を叩く。

 アーリアは無道な戦い方は好まないが、卑劣とか小賢しいとか言われる戦い方は大好きだ。

 いつの人生かは忘れたが、防御をがちがちに固めた陣地から、一方的に遠距離攻撃を加えて、数倍の敵軍を無傷で崩壊させたこともある。

 対人戦闘でもその心構えは変わらない。



(というか正面から戦ったら、負けるかもしれないしな)

 超人同士の戦闘では、隠していた初見殺しの奥の手で、勝負が決することは珍しくない。

 その数の多さでは、アーリアはこの世界のどんな超人よりも優る自信がある。だからエグゼリオンとの戦いでも絶望したことはない。

 だが逆にそういったものをなしで考えれば、普通の一撃で勝負の行方が決まってしまうこともある。

 不死性に富んだティアでさえ、レオンの神剣の解放された一撃を食らえば、その存在の根本から消え去るのだ。



 しかし、ここで戦うとしたら、不利ではない状況で、相手の手の内を見れる可能性が高い。



 危険は承知。だがあえて、アーリアは地面に降り立った。

「かかってこい、少年。男の子の意地を見せてみろ!」

 その挑発に対して少年騎士は、無言のまま突進した。







 剣筋を見る。打ち合うことなく、アーリアは回避する。

 その回避する先を、少年の剣は封じていく。明らかに研鑽された太刀筋。計算された流派の型。

 アーリアはふとこの少年の人生背景に興味を抱いてしまう。



 おそらくは下層か中層階級の出身。貴族としても没落した家系だろう。

 それに比して身につけた剣技は一級。理に適ったという点ではレオンの我流よりも、対人戦闘では上回る。

 そんな少年がわずかに力を溜める仕草をして、アーリアは回避に意識を向ける。



 光が走るような高速の剣であった。しかしアーリアはその準備動作で、剣の軌跡を予測していた。

 あっけなく避けられた少年は、苦しそうな表情を浮かべながらも、アーリアに連撃を加える。

 だがアーリアは少年の動きの予備動作で、全てを先読みしていた。

 型の決まった剣術というのは、その理を突き詰めていくため、無駄を排する。

 その無駄にこそ、戦闘の真髄があるのだが、それは基礎を固めてからの話だ。



 そろそろ終わらせるか、とアーリアが思った瞬間、少年の動きが変化した。

「!?」

 あやうく首を飛ばされるところだった。それだけの殺気と気迫の篭もった薙ぎ払いだった。

 そこからの剣閃も、型にはまらないものだ。この少年は正規の剣術の他に、自分の剣術を持っていたのだ。



 そう判断したアーリアは、また宙に飛んで少年の攻撃範囲から逃れた。

 それでも油断はしなかったが、やはり少年はこれ以上の遠距離攻撃手段は持っていないようだ。

「驚いたよ少年! その年でその力、おそらく大陸にもそうはいないだろう!」

 歯噛みしている少年に向かって、アーリアは続ける。

「私の名前はアリウス。君の名はなんという?」

「ハムゼン王国遠征騎士団ロット!」

 素直に名乗り返すロットに、アーリアは仮面の下で苦笑した。



「騎士ロット、君の騎士としての忠誠は、誰に向けられているものかな? 主君? それとも民衆?」

 煽るアーリアだが、この先のハムゼン王国の流れを考えれば、そういった疑問を持つことは間違いない。

「言ってることの意味が分からんぞ! このくそったれ!」

 どうやら少年にはまだ、早すぎた理屈のようである。

 まあこれだけ怒らせた人間の言葉だ。全く残らないということはないだろう。



 それはそれで。

「私はもう目的を果たしたので帰るよ。頑張って消化したまえ、少年」

「ふざけんなよ! こらあっ!」

 石礫を投げてきたロットであるが、当然そんなものにアーリアが当たるわけはない。そのまま上昇して、雲の中にまで移動した。







 空を飛べば、ほんの数時間でアルトリアに到着する。船しか移動手段がないこの文明圏では、海はかなりの障壁となる。

 アーリアは空も飛べるし、飛行機という道具も知っている。また騎乗する魔獣などもいるが、この辺りでは見当たらない。

 そんなわけであっさりと帰ってきたアーリアだが、空を飛びながらも色々と考えることはあった。



 ハムゼン王国は、安定していた。海賊を使ってアルトリア王国にちょっかいを出すほどに。

 だが今回それによって、アーリアに南の情勢に対する認識を生まれさせた。

 まさに薮蛇。アーリアに目をつけられたハムゼン王国は、既に大きな混乱の中にある。



 船を使えばほんの一週間。距離を考えれば、海の向こうの飛び地としてアルトリア王国への併合が可能かもしれない。

 ハムゼン王国を手に入れるということは、多島海の覇権を握るということだ。

 多島海を支配すれば、東西への海の流通を支配出来る。地政学的にも経済的にも、これは大きい。

 今までアルトリア王国の存在する大陸を第一に考えていたが、考えを根本から改める必要があるかもしれない。

(向こうの大陸にも大神の迷宮は一つあるし、順番だけの問題か)

 ハムゼンと海賊の根拠地をこれだけ掻き回したのだから、そうそうアルトリアを狙ってくることはないだろう。

 その間にこちらは、海軍を拡充して強化する。



 アーリアはパズルを組み替えるように、リソースの割り振りを考えていた。 

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