第102話 破滅する者たち 2

 ロッシ家の領都に向かっていたネーベイア軍は、奇妙な訪問者を迎えていた。

 その訪問者とは現在絶賛敵対中であるはずのゲルゼルであった。

 もちろん護衛は伴っていたが、ゲルゼルはほとんど身一つで、アーリアの前に現れたのである。


 急遽場所を整えたアーリアであったが、この期に及んでゲルゼルが何をしに来たのかよく分からない。

 ここまで事態が悪化した以上、アーリアとしてはゲルゼルの提供出来るものなどには一切興味がない。

 せいぜいが降伏を申し出るか、自らの命を引き換えに配下の安全を願うとか、そういったものだろうか。


「いや~、そんな殊勝なことは言わないでしょうね~」

 いつの間にか会談場所のセッティングを手伝っていたガイウスが、アーリアの呟きに反応する。

「前はどうだったか知りませんけど、遠征に失敗してから人が変わったようでしたね」

 人間の本性は逆境において発揮されるという。

 だが実際のところ、逆境になって追い詰められるまでは、発揮されないのかというと、それも違うだろう。


 アーリアの婚約者であったロベルトは、かなり分かりやすい愚か者であった。

 ゲルゼルの素質が確信出来るようなものであれば、やり手だった前大公が、嫡男を変えていただろう。

 もちろんそれに伴う混乱や反発はあっただろうが、強行してまでそうしようとしない程度に、ゲルゼルにも限界を感じていたのだ。

 権力者とは本来保守的なものである。

 ならば正室の息子を嫡男とするのが無難だと、ある程度有能な貴族であれば考えるのが自然だ。


 ちなみにネーベイア家ではそうではない。辺境伯の統治というのは大変な仕事なので、出来るだけ頭のいい兄弟に爵位は譲り、その他は前線に出るのが楽だと考える家風である。

 そう、アーリアの父ゼントールは、アーリアやハロルドと比べると脳筋であるが、それでもネーベイアの中では考える方なのである。




 仮設の天幕の中、アーリアは来訪を待つ。

 アーリア一人が椅子に座り、その後ろにはブライトが立ち、諸侯が居並ぶ。

 まるで女王のように振舞うアーリアであるが、諸侯もノリノリで舞台を作っている。

 ここに通されたゲルゼルがどう反応するのか、かつては彼を旗頭と考えた者もいるだけに、なかなか複雑な表情をしている者もいる。

 だが大半は、これで事態が終わるという期待を持っていた。


「ゲルゼル殿が参りました」

 騎士に案内されたゲルゼルは、二人ばかりの供回りを連れているだけだった。

 憔悴した顔の中で、瞳だけが異質な光をたたえている。

「お久しぶりですね、アーリア殿」

 表面は慇懃な態度を崩していないが、その様子に余裕がないのは明らかだ。

「で、ご用件は?」

 アーリアには今更、ゲルゼルに気を遣う必要はない。命の保証さえする必要はないのだ。立ち上がることもなく促す。

「提案がある。私にとっても君にとっても、意義があるものだ」

 さっさと首を渡してくれと言いたい気分で、アーリアは促した。

「ネーベイアが東方の覇者となるのは、もう間違いないだろう。だが実力がともかく正当性においては、充分であるとは言い切れない」 

 それを力任せに押し切るのがネーベイアなのだが、ゲルゼルは結局それを分かっていなかったようだ。

「だが、ネーベイアとロッシの間に婚姻が成されれば、それも解消される。つまり私の――」

 言葉の途中でアーリアは剣をゲルゼルの喉元に突きつけていた。

 それに気づいたゲルゼルの反応は鈍い。


 アーリアはつくづくロッシ家の男共に幻滅する。

 謀略家の先代や、ネーベイアを頼ったレックスは、上澄みの一部であったのだろう。

「父や弟を殺した人間と婚姻? 正気を疑うな。もういい。せめて決闘で殺してやろう」

 アーリアの視線を受けて、居並ぶ貴族の中から、ゲルゼルと同じぐらいの体躯の男が、剣を抜いて渡す。

 そしてアーリアもまた、立ち上がって剣を抜いた。

「は? 何を言っているのだアーリア殿。これは貴方にとっても――」

「黙れと言った」


 アーリアの剣の切っ先が、ゲルゼルの皮膚につぷりと刺さる。

 ゲルゼルは錆びた歯車のようにぎこちなく動き、剣を取る。もはや正気を失っているだろう。

「アーリア殿が相手なのか? 私も貴族のたしなみとして、剣の腕には自信があるぞ」

 失笑したのはアーリアではない。

「ゲルゼル殿は結局、その程度のことも知らなかったのだな」

 アーリアが片手で構えた剣が、ぴたりと静止する。

「ネーベイア一の戦士は、父でも兄でもなく、この私だ」

 鋭い刺突の一撃が、ゲルゼルの首を貫いた。




 ゲルゼルの死体が片付けられ、大公家の領都によく統率された軍が進入した。

 人通りはなく、街中が息を殺している。

 ネーベイアを主力とする軍は、戦場近辺での蛮行を全て禁じられている。もし問題を起こしたら、蛮姫自身が首を刈りにやってくる。

「逃亡しようとした者は?」

「全て捕獲しております。早めにこちらに連絡を入れた者は、そのまま屋敷に押し込めていますが」

「反ゲルゼル派に対しては?」

「既に解放するように動いていますが、生かしておくと面倒な相手は、殺されているかもしれませんな」


 ブライトとの会話に出てきた生かしておくと面倒な相手とは、ゲルゼルにとって面倒だった相手ではなく、今後のネーベイアにとって面倒になりそうな相手だ。

 それを先んじて処刑しておく。ブライトの気配りだが、黒い気配りである。

「抜け目ないな」

「うちの家風です」

 それをアーリアもあっさりと受け流す。こういった汚れ仕事は、父や兄たちには不可能である。

 蛮姫とまで呼ばれている自分なら、今更いくら汚名をかぶっても構わない。むしろ変な求婚者を遠ざけるために、悪名は高ければ高いほどいい。


 アーリアの命に従い、規律正しくネーベイア軍は都市を掌握していく。

 ゲルゼルの死以前に、後ろ暗い貴族は全て逃げ出していた。おかげで抵抗などはほとんどなかったのだが、兵士などをかなり失っていたため、治安が全域で悪化していた。

 アーリアの基準で言えば、支配者の最大責務は統治である。

 そして統治する上で一番大切なのが、治安の維持である。


 食料の確保やインフラの整備などは、治安の維持に比べればさほど重要なことではない。

 むしろそれらを行う前提条件として、治安の維持が必要なのだ。

「貴族の私兵が本人と一緒に逃げ出していたのは幸いだったな」

 アーリアはロッシ家の館で報告を受け、そして命令を下していく。

 元々そのために作られた執務室なのだが、今のような場合は手狭なため、大広間を使って仕事をしていた。

 ロッシ家の官僚とネーベイアの官僚が混じって働く環境だが、今のところ衝突などは起こっていない。

 まあアーリアが事前に、そのあたりの問題点を潰しているからだが。


 街に残存していた衛兵などに通常の任務を与えると、代表者は不思議な目でアーリアを見つめた。

 言いたいことは分かる。こういう場合支配者は、自分の手勢で全てを掌握しようとするのだ。

 だがアーリアの経験上、占領した土地は基本的に、そのままの体制を出来るだけ残した方が上手くいくのだ。

 正確には統治者層を変えず、さらにその上位の支配者になるのだ。もちろんこれまでの統治が失敗していればそれは改めなければいけない。




 手元に二個軍団を残して、アーリアは有力貴族に軍を分け、いまだに抵抗している領地へ派遣した。

 この段階になれば、もはや逆転の余地はないし、降伏したところでそれを受ける意義がない。

 使えそうな貴族に理由を付けて残すのが大変である。


 そんなアーリアだが睡眠時間は確保してある。

 正確に言えば、寝室に篭る時間だが。

「というわけで、王都周辺からは難民が押し寄せてきてるよ」

 護衛の必要がなくなったティアは、一晩でロッシ家の領地まで来ていた。

 彼女自身は昼間に動けないという決定的な弱点を持つが、動物を眷属として昼間に情報収集することは出来る。

 鳥の目から見たアルトリア国内の様子は、ティアの報告が一番正確で早かった。


 難民問題。実のところ王都のみならず、貴族家の領土境では、よくあるものなのだ。

 防衛力のある街であればともかく、貴族同士の紛争に借り出された逃亡兵が、集団で農村を襲うということは多い。

 それでも治安維持に手が回っていれば、農民の避難は一時的なもので済む。備蓄を放出することによって、農村は維持される。

 だがそれも何度も繰り返されれば、村人は都市へ流入するか、他の領地へと移動する。

 難民問題はこの両方のパターンである。治安の維持が最優先というのは、それさえ出来れば農民などは自前の食料ならなんとかするものだからだ。

 ネーベイアでまずアーリアが食糧増産を考えたのは、余剰人口を兵士として専門化させるためもあるが、こうやって難民が流入してきた場合に、ちゃんと養って治安の悪化を防ぐためである。


 よく勘違いされるが、餓死と言うのは食料が不足して起こるものではない。

 充分にあるところから、ないところへと送られない。輸送コストが高ければ、商人による自発的な食料輸送などは期待出来ない。

 そして難民などにはろくな財産がない場合が多く、食料を買うのもせいぜいがなけなしの財産と引き換えになる。


 だがアーリアはそれもちゃんと見越して、軍を輸送に使っている。ネーベイア領内であれば食料不足で民衆が餓死することはありえない。

 だがそれはネーベイア領内のことであって、ネーベイア勢力内のことではない。

 ロッシ大公家やネーベイアを旗頭とあおぐ諸貴族の領土は、根本的に輸送力が劣っている。

 今回の戦争でネーベイアはわずかながら海に面した領地も手に入れたが、基本的にアルトリアは内陸国だ。

 海や川を使った輸送では、間に合わない可能性が高い。


 街道整備と並行して食料輸送をするという、人と物と金の莫大な消費。

 アーリアによる内政チートが、それを可能にしている。

「ああ、あとこっちに来てるよ」

「レオンが?」

 それはやや不可解な情報である。レオンは傭兵に近い仕事もしていたようだが、今の彼の目的は迷宮の攻略が最優先であったはずだ。

 まあ詳しいことは実際に会ってから聞けばいい。戦記物と迷宮攻略、どっちもやらなければいけないところは、アーリアにとっての頭の痛いところである。


 だが今は、戦記物の方を優先するしかない。王都の混乱、もし王が死去すれば、それでもぎりぎりのところで保たれていたバランスが、完全に崩れることになる。

 そのアーリアの判断は正しく、そしてネーベイアではなくロッシ領にいる彼女には、それがより早く届けられることになる。

 そしてそれを届けたのは、人間離れした移動力を持つレオンであるのであった。

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