第101話 破滅する者たち 1

 全軍合わせて四万の人数が会戦を行うには、この辺りは適当な平野が少なかった。

 それでもぐるぐるとあたりをつければ、それなりの広さの台地にたどり着く。 

 昼前に戦場に立った両軍は、陣形を整えて対峙した。


 ネーベイア軍は中央にアーリア。そして副将としてブライトがいる。

 左翼は大将をマルシスが務め、その補佐としてブライトの叔父であるフロドがいる。先鋒はガイウスと、フロドの息子であるアンクスが務める。まさにチーム・キンメルである。フロドとアンクスはもうキンメル家から出ているのだが。


 右翼はそれに比べて弱く、諸侯軍の混成だ。有力者である侯爵が大将を務めるが、実戦で役に立つかは微妙である。

 まあ寄せ集めという点では、ゲルゼルの軍の方がひどいであろう。正規の兵は半分もいない。

 徴収した兵の訓練さえ、この短期間ではなされていない。これに負けたらよほどの無能である。

 それでも負けそうな時のための、策もちゃんと考えている。


 太陽が南中する。

「前進」

 アーリアが抜いた剣を前に示し、ネーベイア軍は鬨の声を上げた。




 中央のネーベイア軍は、乱れることなく前進する。

 一定の距離となれば、矢合戦が始まる。対して木盾を立てるのも同じだ。

 ゲルゼル軍もここで負ければ後はないと分かっているので、少なくとも指揮官レベルの士気は高い。

 しかしいかんせん人材に欠けているのか、陣形はほぼ一体の横陣であり、矢の斉射も揃っていない。


 少しばかり高い大地に位置するアーリアからは、ガイウスがわずかに左に大回りしてから、斜め方向に敵と当たるのが見えた。

「速くて上手いな」

「まことに」

 アーリアが感心して、ブライトが追従する。多少親バカが入っていても、確かにその動きは見事だった。

 勘がいいと言うのか、敵の隙になる角度から、こちらの軍が当たっていく。

 ゲルゼル軍の右翼は、大きく歪んだ。

 まだ崩れていないが、それは時間の問題だろう。


「さて右翼は……」

 ブライトが見るに、右翼はまだ接触しただけで、膠着している。

 この知謀に優れた男は、ごくわずかな期間で、アーリアが指揮出来る規模の軍の動きを、全て理解出来るようになっていた。

「予定通りですな」

 アーリアは無言で頷いた。


 咳払いを一つして、ブライトが命を下す。

「押し込め」

 指揮はブライトが行うと事前に言われていたが、周囲の武官は一度アーリアの方を確認する。

 アーリアは無言でうなずいた。




 ゲルゼルとの決戦は、ブライトが指揮を執る。

 これは以前の軍議でアーリアが宣言したことである。

 相談でも提案でもなく、アーリアの命令であった。


 アーリアの戦歴は凄まじい。ガラハドとの戦いにおいて、彼女は圧倒的な劣勢を覆し、また堅実に勝利を収めることもした。

 ネーベイア家の人間ということもあるが、アーリアはアーリアであるがゆえに、この軍の司令官となっている。

 それをすぐ傍にいるとはいえ、子爵家の、当主になったばかりの人間に委任するというのは、かなり無理筋であった。


 だが反対意見に対して、アーリアはこう言った。

「ではこの規模の軍を率いる責任を、どなたか持ちますか? いらっしゃるならその方に、今回の指揮権を与えます」

 ここで手を上げるほどの戦巧者など、辺境以外の貴族にはいなかった。


 アーリアは自分以外にも、軍を率いることの出来る人材がもっと欲しかった。

 いずれはアルトリアは、多方面の敵と戦うことになる可能性が高い。その時のために方面軍を設立し、力量のある者をそれに任じたかった。

 冷徹な彼女は自分の兄たちでは、巨大な有機的構造体となった軍を、遠征で率いるのは無理だと考えていた。少なくとも参謀は必要だと。

 アーリアの目から見てそれが可能であるのは、今のところ父であるゼントールぐらいしかいない。

 そのゼントールも高齢だ。体力の衰えを感じさせない父だが、それでもアーリアの幼少期と比べると、持久戦には向かなくなっていると思う。


 ブライトがそのための将軍の一人となってくれるのが、アーリアの願いであった。しかしキンメル家の厚遇は、彼女の予想を超えた結果を出している。

 ブライトは情報の大切さを知っていて、知略に優れている。泥臭い生き延びの方法も身につけている。

 フロドとその息子のアンクスは、アーリアが直接何度も会っていた。フロドは間違いなく隠れた名将だし、アンクスもその薫陶を受けているだろう。

 ガイウスの前線指揮官としての感覚は、まさに天才的なものがある。彼は戦場で直接敵と戦うほど接近しても、ぎりぎりで負傷を避けるほどに感覚が鋭い。


 そしてその兄のマルシスだ。

 正直なところマルシスだけは、まだアーリアは測りきれていない。

 だが愚兄賢弟という言葉は、この兄弟には当てはまらないだろう。小規模な遭遇戦は何度も重ねている。

 アーリアは知らないがマルシスもまた部隊指揮官としては充分な力量を持っているそうだ。

 確かに面会した時のマルシスは、懐の深そうな大物感があった。




 そんなマルシスの指揮する左翼は、ガイウスが突出して傷口を広げていった敵軍を、更に薄く膨らんで包囲しようとしていた。

「上手いな~」

 素直に感嘆するアーリアであるが、息子を誉められたブライトは、厳しい目で戦場全体を見ている。

 台地の中でも比較的高所を取れた時点で、この戦闘はかなり有利になっていた。

「三小隊、迂回して右翼を横から援護」

 ブライトの指揮に従い、近衛の騎士が兵を連れて右翼の援護に向かう。

 単純に増援を加えても意味はないが、迂回して横から攻撃するというのは、まさに今左翼で行われていることである。


 やはりブライトにも、ちゃんと戦術の基本が分かっている。

 こういった会戦方式での戦いでは、敵を包囲した方が勝つのだ。少なくともこの技術レベルでは。

 左翼は既に本隊だけで、敵の右翼を無力化しようとしている。右翼はほぼ互角であるため、敵の脇腹から攻撃すれば、陣形が崩れて、敵は壊滅する。


 問題は中央だけだが、そもそも中央は、左右が絶対的な優位を獲得するまで、敵の中央を固定するために存在する。

 敵に応じて押してはいるが、まずはこの場所を堅持するのが大事なのだ。

 逆に両翼が包囲に失敗すれば、単なる消耗戦となる。アーリアはそれは絶対に避けたい。

 たとえ勝っても消耗戦を行うぐらいなら、最初から戦わずに調略を繰り返した方がよほどいい。

 しかし今回の戦いは、そういった心配は無用のようだが。


 先に左翼が敵の右翼を半包囲し、押し出された敵が中央へと割り込んでいく。

 隊列を崩した敵は、中央からも押されて完全に崩れた。

 この状態で左翼だけが無事なわけもなく、崩れる兆しを見せる。

 ほぼ勝敗が決したと言ってもいいこの状況で、徴兵された兵士がまず逃げ出した。

 一部が逃げると全てがその勢いに飲み込まれるというのは、この練度の兵士の特徴である。

 かくして戦闘の趨勢は決した。




 戦いは追撃戦となる。

 殿軍がちゃんと機能しているならともかく、そうではない場合、もっとも戦果の拡大するのが、この追撃戦である。

 なぜならば互いに対面していた戦場と違い、追撃戦では逃亡する兵を、背後から襲うだけで足りるからだ。

 もっとも今回の戦いの場合は、敵があまりに損害を出しすぎるのもよくはない。

 この戦いが終われば、ロッシ家の戦力はネーベイアが吸収するのだ。ただ勝つだけでいい戦争とは違う。


 ブライトもそれは知らされているため、離散して逃げる兵にまでは追撃をかけない。

 重要なのは戦力を散らばらせることだ。中核となる戦力を持ったままでは、また軍を集めかねない。


 いや、もうここまで情勢が傾いていれば、そんなことをしても無駄だと分かるであろうが。

 それでも余分な貴族を潰し終えた今、ゲルゼルの力を残しておく意味がない。

 篭城しようにも援軍のあてはないだろうし、そもそも離散した兵力では、ロッシ家の要塞を守るだけの人員を確保出来ない。

 味方を集めようにも、裏切ってゲルゼルを差し出すだろう。状況はもう決着している。


 事実、ロッシ家との戦いはもうなかった。

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