第100話 キンメル子爵家の男達 3

 それはともかくとして、アーリアはブライトに相談したいことがあった。

「ブライト殿はもう分かっているかもしれないが、私はとりあえず、ネーベイア家でアルトリア王国を乗っ取るつもりでいる」

 それは味方にさえ聞かれたらまずいことで、咄嗟にブライトは周囲を見回した。

 天幕の向こうには歩哨が立っているはずだ。アーリアの声はよく通るので、夜の静けさのなかでは聞こえただろう。

「心配はいらない。魔法でこの中の音は遮断している」


 アーリアが高度な魔法を使うことは、おおよその人間が知っている。

 だがこんなにもさりげなく魔法を使うのは、ブライトとしても驚きであった。

「出来るだけ穏便に、禅譲という形式を取りたい」

「それは……現勢力を、ある程度温存すると?」

「いや、貴族は出来るだけ減らすし、権力は出来るだけ王に集まるようにしたい。今の体制では王の力が弱すぎる。とても大規模な遠征に耐えられない」

 ブライトは少し考えこんだが、やがて頷いた。


 ブライトは先代のロッシ大公をはじめとして、大きな貴族家の当主を何人も見てきた。

 しかしその中でもアーリアは飛び抜けて異質だ。そして飛び抜けて有能だ。

 ネーベイアが簒奪するとしても、彼女がいる限りそれは成功するだろう。

「まあ実際のところは、婚姻でアルトリア王家の血を取り込むことになるんだが……」

 そこが少し、アーリアの頭の痛いところである。


 ブライトは貴族の縁戚関係などもかなり知っているが、ネーベイアについてはあまり知らない。最近調べたばかりである。

「確か一番上のエドワード殿は結婚したのですな」

 アーリアは苦い顔をする。

 エドワードは長男でありながら、結婚に政治を持ち込まなかった。

 その妻は幼馴染の平民だ。

 父親はネーベイア一の鍛冶師と呼ばれる人物で、アーリアもその点では世話になっている。

 だが貴族家の次期当主が、そう簡単に平民と結婚をされては困るのだ。

 しかも正室として迎えている。あの無骨な兄が二人以上の女性との関係を、上手く構築出来るはずはないので、それは仕方がないのだが。


 エドワードもそのあたりは分かっているのか、なんならアルフォンソかハロルドの息子が、自分の次のネーベイア家の当主となっても構わないと言っている。

 妻であるリリーもそれはそうだろうと言っている。ただ浮気は許さないらしい。

 出来ればエドワードに限らずネーベイアの男は嫁をたくさん抱えて、血族を増やしてほしいのだが。

 ちなみにガラハド遠征の折、エドワードは極めて不吉なことを言っていた。

「俺、この遠征が終わったら結婚するんだ」

 まあ相手もいい年だし、それはいいのだが、フラグを立てられたアーリアは内心で戦々恐々としていた。


 とりあえずエドワードはそんなわけで、王族とつながることはない。

「するとアルフォンソ殿が?」

「二の兄上も、相思相愛の恋人がいる」

 相手は侯爵家の令嬢なので、身分的には釣り合いが取れている。

 だが問題は相手が未亡人で、その夫が死んだのはロッシ家の遠征のせいだという点だ。

 しかも腹の中には前夫の子供までいるのだ。昔から互いに意識していたが、侯爵家の都合により果たされなかった愛が成就したのは、まあいいと言えばいいのだろう。


 ブライトはどこか遠い目をしていた。

「ネーベイア家はその……恋愛に関しておおらかなのですな」

「恋愛におおらかなのは構わないが、結婚にまでおおらかなのは困るんだ」

 そういうアーリアが本当に苦々しげな顔なので、この世間の荒波を渡ってきたブライトも、思わず笑ってしまうのである。

「まあ三の兄上はそのあたり貴族的なので、面倒な政略結婚も我慢してくれるだろう」

 それはつまりハロルドが、アルトリア王国の王になるということでもあるのだろうが。

 ネーベイア家の自由すぎる思考に、若干ついていけない気分のブライトである。


 しかしその話をするなら、アーリア自身はどうなのか。

 そう考えたところで、ブライトはアーリアの結婚というのが難しい問題だと分かった。


 ここまでの軍の動きや、ネーベイアから送られてくる書類などを見ていたブライトには、アーリアという存在がネーベイアにとって不可欠なものだと分かる。

 そんなアーリアを他家に出すわけにはいかない。変則的だが婿に来てもらうしかないだろう。

 この場に残され、そういった話をしていただけに、ブライトは察することが出来た。

 ネーベイアはアーリアを使うことによって、他家の優秀な次男以降の男子を取り込むことが出来る。


 他家の、優秀な。

「マルシス殿とガイウス殿も、まだ結婚されていないのだったな」

 マルシスは戦死したブライトの兄の娘、つまり従姉との結婚が決まっている。

 この結婚を決めたからこそ、ブライトがキンメル家を継承出来たとも言える。

「マルシスは婚約者がいますが、ガイウスはまだ何も」

「うん」

 アーリアは珍しく、口澱んだ。

「ガイウス殿は17歳か……」

 15歳のアーリアとなら、まさに年齢の釣り合いが取れている。

 アーリアがガイウスだけでなく、キンメル子爵家全体に好意を抱いているのは、叔父の言葉からも分かっていた。


 密かに期待するブライトに対し、アーリアは困ったように尋ねた。

「年上の未亡人で、しかもそれなりの年の子供がいては、なかなか適任者はいないかな」

 誰のことだ?


 直前まではガイウスのことを話していたのだが、どうやらアーリアの思考は飛躍してしまったようである。

「それなりの年齢の子供とは?」

「いや、レックスの母親を、ネーベイアの縁戚と、結婚させられないかと思って」

 アーリアの思考のえげつなさと、それゆえの現実感に、ブライトはぞっとした。

 つまりこの、恋に恋する年頃の少女は、ロッシ家を支配するために、レックスの義理の父親を世話したいらしい。


 貴族にとって婚姻は政治であるが、ネーベイア家の他の人間とは、アーリアの思考の価値観は違いすぎる。

 その意図するところは明らかで、貴族の中ではいくらでも前例のあることだが、少女の頭から出てくるような案ではない。

「私もちゃんと考えてるんだ。ネーベイアが王権を取るには、ロッシ家の勢力を縮小させるか、吸収しなければいけない。ただ決定的なことが思い浮かばなくてな」


 アーリアは異常だ。天才とか英雄とか言う以前に、ひたすら異常だ。

 ブライトはそれに気づいたが、異常なアーリアであっても、全知全能にはほど遠い。

「貴方がレックス殿と結婚するという選択肢はないのですか?」

 単にロッシ家を掌握するというなら、それが一番簡単だろう。

 年齢的にもアーリアの方が年上ではあるが、この美しい少女は戦場に立っていなければ、間違いなく絶世の美少女であるのだ。


 アーリアは力なく笑った。

「私は駄目なんだ」

 そう、それは遠い記憶の中にある。

「私は愛せないんだ。好きになることぐらいはある。誤解を承知で言うなら、キンメル家の方々は皆好きだ」

 その言葉は、おそらくアーリアの本心なのだろうとブライトは思った。

「だけど、駄目なんだ。性を感じさせる関係が、どうしても構築出来ない。まあ逆に、嫌うことはあっても憎むことはなかったりもするんだが」


 アーリアの性質は、非性愛者に近い。

 前世が男だからとかどうとかではなく、はるか昔から、感情の一部が欠落している。

 救える限りの者は救うが、どれだけ恐ろしい敵であっても、憎しみから殺すことはない。

 この肉体に宿った魂は、最初から特別であったのかもしれない。それこそ最初の転生を果たす前から。


「一番いいのは父上が結婚して、レックスの父親になることなんだけどな」

 策謀の意図を感じさせないその口調に、ブライトはわずかに怖れを抱いた。

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