第96話 暗殺者 2

 頭が春っぽい魔王の襲来は、結局のところアーリアの胸の内にのみ秘されることとなった。

 相談すべきことではあるのかもしれないが、では誰にと問われると、少なくとも軍中にはいない。

 ネーベイアに戻れば、父とティアには話すべきだろうが、そもそも向こうの目的さえはっきりしないのだ。


 大陸の戦乱から逃れている、大国から刺客が放たれた。

 その意味は魔人帝国が安寧の中に埋没していないことを示している。


 そもそも魔人帝国の魔族たちは、ヒューマンと比べると圧倒的に寿命の長い種族が多い。

 そんな種族が治める帝国ですら、安定したのはこの数十年前である。

 噂によると大魔王が息子に王位を譲り、半分摂政のような形で国を運営しているらしいが、権力の移譲には良いのだろう。

 そして大魔王ジーナスが統治から手を引くということは、その圧倒的に強大な力が、個人として振るわれることを示している。


 この大陸には四強とも言える存在がいるが、その中でも神を殺したことがあるのは、魔人帝国建国の過程におけるジーナスと、普通に神殺しの異名を持つエグゼリオンの二人である。

 放浪賢者と真祖吸血鬼は、力はそれに匹敵するのかもしれないが、実績としては落ちる。 

 かと言ってその異常な戦力を無視出来るわけではないが。


 それにしても、どうしてアーリアが注意を引いたのか。

 アルトリア王国をネーベイア家は、徐々に掌握しつつある。

 またそれ以降のプランも、アーリアの脳内にはある。大陸の安寧のためには、エグゼリオンはともかくジーナスの魔人帝国とは、戦争になる可能性は確かにあるのだ。

 しかしそれにしては、中途半端な接触であった。

 まだまだ先のことだと思っていたが、魔人帝国の情報収集を、もっと行っていくべきかもしれない。




 個人的に気になることは起こったが、ネーベイア軍の活動自体は順調だった。

 その日もアーリアは、東部の有力諸侯であるフロント伯爵家の歓待を受けることになっていた。


 アーリアの知る限り、フロント伯は話の通じる貴族である。

 つまり理性的であり、計算が出来る貴族ということだ。

 ネーベイアよりはよほど古い家系ではあるが、アーリア相手にもそれを匂わせることもなく、到着したその日には挨拶をし、共に晩餐を供されることになった。


 アーリアは騎士服だが、武装はしない。相手に対する礼儀ではあるが、そもそも大概の鎧や盾よりは、アーリアの肉体の方が強靭である。

 武器であるシャムニールは、自前の魔法倉庫の中にある。仮に襲われてもアーリアの敵となるような脅威は存在しない。

 そう思っていた。




 晩餐は当主の他に正夫人、成人した家族が席を共にする。

 フロント伯は成人した息子を二人持つが、現在は王都に出ているとのこと。

 どちらも官僚として働いていて、長男の方はそろそろ領地に戻り、伯の補佐から領地経営を学んでいこうかということらしい。


 伯爵との会話は弾んだ。

 有能な貴族としての領地経営や、交易などについて話が合う。

 夫人とは女同士でありながら、アーリアに全く素養がないため、ゆっくりと話してくれるのに頷くばかりだ。


 アーリアは老若問わず、女性にモテる。

 前世までの人生経験の差もあるが、同じ女ということで、男にしてほしい配慮などを聞かされるからだ。

 ならばそれに応えるようにすれば、自然と好感を得られるわけだ。

 席を同じくしていた令嬢などは、アーリアをきらきらした目で見つめてくる。

 こういった視線には慣れている。アーリアは男性に対しては好戦的だが、女性に対してはそうでもない。

 まあ男社会の軍などにいれば、気が強くなければやっていけないものだが。


 料理が進み、酒なども出されて和やかな雰囲気のまま会話が弾む。

 どうやらフロント伯との協力関係は、無事に築けそうである。

 最後に運ばれてきたのはデザートである。

 笑顔でケーキを配るメイドに、伯爵家一家の顔が綻ぶ。

「アーリア様、マヘリアの作るデザートはとっても美味しいんですのよ」

 令嬢が無邪気な顔で自慢げに言う。それに対してワゴンを運んできたメイドがにっこりと笑う。


 違和感。

 上座から置かれていくケーキに、令嬢と夫人の目は引き付けられている。

「彼女はまだ若いですけど、お菓子作りがとっても上手ですのよ」

 夫人はにこにこと笑っている。他の家族にも変わった気配はない。


 伯爵もだ。何も警戒していない。

「どこで料理を習ったのかな?」

「どこ、というわけでもないのですが」

 髪を短くしたそのメイドは、目を伏せたまま答えた。

「姉や妹の手伝いをしているうちに、自然と」

「ここに来る前はどこで?」

「王都の商人の家で働いていたのですが、あちらも物騒になってきましたので。若君様とも面識がありましたので、こちらに推薦状を書いていただいて、働かせていただいております」


 伯爵家御用達の商人の家なら、確かにそれなりに身元がしっかりしているのだろう。

 目の前の一つの事実を無視すれば、特別に不審なところはない。

「なるほど、ではどうして私と伯爵のデザートにだけ、毒が入っているのかな?」


 ぴん、と凍りついた空気の中で、マヘリアは微笑んだ。

 その最後の瞬間まで、彼女から殺気が放たれることはなかった。


 次の瞬間、マヘリアは長いスカートを翻し、太ももに吊るした二本の短剣を両手に構えた。

 アーリアも椅子を蹴飛ばしながら距離を取り、シャムニールを取り出して構える。

 伯爵家の一行が突然の状況に対応出来ないのを横目に見つつ、アーリアはマヘリアの隙を探る。


 最初からおかしいと思っていた。

 マヘリアの身のこなしは、レオンなどと同じく熟練の戦士のものだった。

 貴族家のメイドとしての品の良さもあったが、その動きが明らかに体術に優れた者のものだったのだ。

 そして注意して色々と調べていたら、自分と伯爵のケーキに毒が入っているのを感知したのだ。

 その潜入方法と、メイドとしての擬態。重ねて毒という手段から考えられるのは、暗殺者としての顔。

 しかしこうして対峙して感じるのは、凄まじいまでの圧力。

 ――まさかとは思うが――レオンよりも強いかもしれない。


「狙いは私の命なのか?」

「それは秘密だよ」

 毒が仕込まれたのはアーリアと伯爵の皿だが、今彼女の注意はアーリアのみに向けられている。

 考えてみればアーリアはともかく、伯爵は後からでも簡単に殺せるだろう。

 殺気を向けてくるがその中には、少しこちらも試しているような稚気も感じる。


「何をしている! 早く取り押さえろ!」

 ようやく正気に返った伯爵が、使用人たちに命を下す。中には刃物こそ持たないが、制圧用の棒を持った兵士もいた。

「ま――」

 アーリアの制止の声が届く前に、マヘリアが動いた。

 瞬き一瞬の間に、彼女に向かっていた伯爵家の人間が、全て倒れていた。


 速い。

 おそらくは加速の魔法を使ったアーリアにも匹敵するだろう。

 しかも手加減している。倒れた人間の生命反応は確かに感じる。

「場所を移すぞ」

 アーリアの提案に、マヘリアは不敵な笑みを浮かべながら頷いた。


 食堂の窓を開き、アーリアは飛び出す。

 それを追ってマヘリアも、空に向かって跳躍した。

 後には伯爵家の人間だけが残された。

 アーリアの部下達にどう説明していいのか、伯爵は頭を抱えることになる。




 街の上空を高速で離脱し、アーリアは脳内にあった地図から、戦闘に適した場所を探す。

 農地や街道から少し離れた丘陵。大規模な魔法戦闘を行うならともかく、白兵戦の戦場としては充分だろう。


 アーリアは追ってくるマヘリアを感知する。飛行しているが、どうやらそれは彼女の魔法ではない。

 おそらく魔法具の類であろうが、アーリアのこの速度についてこれる魔法具など、そうそう手に入る物ではないだろう。


 目的地の丘へ着地した瞬間、アーリアは鎧を瞬着していた。

 魔物素材の革鎧。それに対してマヘリアは、ロングスカートのメイド服のままである。

 いや、違う。

 メイド服であるが、明らかに先ほどの物とは違う。

 武装メイド? そんなアホな単語がアーリアの脳内で浮かんだ。

 足元もしっかりとしたブーツに変わっている。手にした短剣も、隠蔽していたのであろう状態から、魔力を発する通常状態へと変わっている。


 改めて判断する。強い。

 どこの誰かは知らないが、世界にはまだこんなにも、知られていない強者がいるのか。

「なぜ私を狙う?」

 伯爵への毒は、おそらくついでだろう。明らかにその注意はアーリアに向けられていた。

「さあ? 命令されただけの人間が、そんなこと知ってるはずもないでしょ?」

「ではその命令した者とは誰だ?」


 マヘリアは笑った。

 それまでよりはやや酷薄な笑みだった。

「それは自分で調べなさい!」

 踏み込む。アーリアが構えを微調整する間に、懐に飛び込まれた。

「くっ!」

 ぎりぎりで加速の魔法を発動し、アーリアは距離を空けようとする。だがマヘリアの追撃の方が速い。

 シャムニールの一刀に対して、マヘリアはリーチは短いながらも、二刀で対応する。


 アーリアの知る限りでは、この世界で最も近接戦の強い人間は、レオンである。

 彼の動きは速く、重く、正確でありながら裏を書き、何より力強い。

 それに対してマヘリアは、速く、速く、とにかく速く、そして単に速さに先読みで対応しようとすると、そこからトリッキーな動きにつなげてくる。

 パワーと重さ以外は明らかにレオンより上だ。特にアーリア以外では対応できなかったであろう初見殺しを、何通りも攻防の中に入れてきた。


 短剣二振りの暗殺剣術。アーリアの知識の中にはない動きだ。

 だがそれは、この世界の知識の中の話である。アーリアが膨大な戦闘経験を持つ転生者でなければ、最初の攻防で勝敗は決していただろう。

 わずかな隙に距離を取ると、驚愕の表情を浮かべるマヘリアの顔があった。

「なんでかわせるの?」

「……経験値かな?」

 レオンとマヘリアが戦えば、おそらく神剣の効果なしでは、マヘリアの方が勝つだろう。

 しかしアーリアからしたら、マヘリアの方が戦いやすい。


 レオンの強さの蓄積は、ある意味愚直なまでの戦闘経験による。

 対してマヘリアは、小手先の技が多い。暗殺者としては、一度見られた技が二度通じなくても問題ないのだろう。

 つまりは相性の問題なのだ。数千年の戦闘経験の蓄積があるアーリアにとって、初見の技などほとんど存在しない。




 戦闘の中で、空隙が生まれた。

 マヘリアは構えを変える。息も乱さず体力は充分であったが、正直アーリアに対しては恐怖を感じ始めていた。

 彼女の主から、アーリアの戦闘力に関しては、ある程度の予測を与えられていた。

 それを考えた上で、派遣されたのが彼女だったのだ。しかしその予測は、これまでの攻防の中で否定されている。


 アーリアは強大な魔力を持つ魔法使いであると予想されていた。

 もちろん剣の腕もそれなりだろうが、だからこそ近接戦でも、特に速度を重視するマヘリアが派遣されたのだ。

 しかし実際には、魔法の補助も使っているのだろうが、速度では主以外に並ぶ者なきマヘリアと、対等に渡り合っている。

 何より彼女が脅威に思ったのは、これまでに開発してきた初見殺しの技が全て通用しなかったことだ。


 マヘリアは確かにアーリアの排除を命じられていた。

 だがそれは多くの前提条件がつくものであり、現在の状況と照らし合わせれば、命令を果たせなくても仕方がないとも言える。

 何よりアーリアが、考えていたよりもはるかに強い。しかもマヘリアの戦闘スタイルと噛み合っている。

 不死に近い己の肉体を考えれば、相討ち狙いで倒せるかもしれない。しかしアーリアの戦闘力を見誤ったのと同時に、その異能力も見誤っているかもしれない。

 たとえば、自分と同じぐらいに不死に近い肉体を持っているとか。


 一方のアーリアも、どう手を打つべきか判断に迷いがある。

 マヘリアの正体。消去法で考えていけば、ある程度の予測はつく。

 だがどうしてそれが自分を殺そうとするのか、その狙いが知りたい。

 しかしマヘリアはその戦闘力に反し、自分がただの手足であるというような口調であった。

 この強敵を相手にして、戦って勝利したところで、何を得られるというのか。


 両者共に、迷いがある。

 互いの強さを認めるが故に、さらなる切り札を切れない。

 もっとも本当の最終兵器を使うなら、圧倒的にアーリアに分がある。

 しかし自分に暗殺をしかけてくるような存在が、魔人帝国以外にも存在するのは放置しておけない。


 アーリアは転生者で、圧倒的な戦闘力と精神力を持っているが、健全な人間関係を築くためには、脆い部分も必要なのだ。

 今はその部分が、彼女の弱さとなってしまっている。

 しかしその弱さを切り離した時、アーリアは世界の敵へと変わってしまうだろう。


 決め手がない。

 だが引くにも、何かきっかけがほしい。


 その両者の願いは叶えられた。


 感知したのはアーリアが一瞬早く、大きく後退する。

 遅れてマヘリアも後方へ跳躍した。


 両者の間で炎の花が咲いた。

 丘陵の半蒸発させるほどの熱量。それが放たれた天空を、二人は見上げる。

 銀色に輝く鎧に身を包んだ、白衣の騎士。

 それはこの大陸で、戦いに身を投じる者なら誰でも知っているだろう。


「セクトールの……聖騎士?」


 なぜここに、という疑問が浮かぶ。だがそれを言うなら、なぜこの短期間に立て続けに、人を超越した強者がアーリアの前に現れるのか。


 威風を身にまとった男は、まだ灼熱のままの大地の上空に浮かんでいる。

 その視線はアーリアとマヘリアの間を行き来し、そしてマヘリアを向いて止まった。

「邪神の使徒め。まだ生きていたか」

 さほど大きくもない声が、なぜか低く遠くまで聞こえた。

「頭のおかしな狂信者。お前の方こそこの世から消え去れ!」

 殺意と侮蔑を含んだマヘリアの叫びも、アーリアにはよく聞こえた。


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