第78話 ネーベイア辺境伯領 3

 意外と言ってはなんだが、遠征計画は堅実なものだった。

 かつてアーリアが考えた計画では、国境の砦を落とすのに、五万の兵力が必要だと試算されていた。

 精鋭であるネーベイア軍を中枢に集めて五万なので、実際にはもっと多くの兵が必要だったろう

 今回の動員兵力は七万。そして作戦は二段階に分けられる。


 第一段階。国境の砦の攻略。これは地元であるネーベイア辺境伯軍と、その友好諸侯によってなされる。

 第二段階。国境の砦から、ガラハド王国への侵攻。砦を拠点としてさらに要塞化し、ガラハド軍の動きを見定めてから、侵攻のルートを考える。

 この第二段階においては、ネーベイア辺境伯やその与党は、兵站を主に管理する。


 もちろん戦争で重要なのは、こちらの体制を整えると共に、敵の状況を見極めることにある。

 そして地味な情報収集の結果、ガラハド王国の軍は今、大きく北に向かっていると分かっている。




 ガラハド王国を北に向かうと、一部は峻険な山岳部だが、残りは高原となっている。

 ここに住むのが遊牧生活を送る、いわゆる蛮族だ。

 蛮族の定義は様々だろうが、アルトリア王国の常識で言うと、後継者の確立が野蛮である。略奪と放火を喜ぶ精神性の低さ。概念的な思考を持たない無教養さあたりになるだろうか。

 アーリアにとっては、アルトリア王国自体でも、彼女の知識から言うと既に蛮族なのだが。

 蛮族の教化をしたことのあるアーリアには、ガラハド側の言い分は、正直どうでもいい。


 問題は、だから安全保障になるのであろう。

 もしもアーリアがガラハドの権力者であれば、蛮族に対しては懐柔策を取るだろう。

 蛮族は思考の幼稚な無法者だが、基本的に無駄に人を殺すわけではない。

 目的は略奪だ。牧畜という生産手段が、生存に不可欠な食料を生み出せない場合が多いのだ。

 単純に農耕を教えるという手段を試みてもいいだろうが、アーリアなら一度徹底的に叩いた後、戦力化する。

 蛮族は蛮族ゆえに、命が軽い。

 規律を守らないので治安維持には使えないが、戦場では勇猛なので、それなりには役に立つ。

 傭兵として雇って食わせ、その戦力が必要とされる間に体制に組み込み、不安因子であることをなくす。


 まあそんな手段を思いつくのは、この世界レベルの文明の人間にはありえないだろうし、思いついたとしても実行はしないだろう。

 なにしろ、面倒くさい。

 貴族の半分ぐらいが、人間とは放っておいても増えていくと考えているのと同じように、強固な政治体制を文明的だと考えている者には、蛮族など害獣程度にしか思えない。

 アーリアにしても将来的にガラハド王国を併合した時のことは考えているが、今の時点で敵対するとしたら、壊滅させる以外には選択肢はない。


 遠い将来のことは別にしても、現状蛮族を支配することに、メリットは感じられない。

 いやそれよりも、ガラハドは蛮族との戦いで、どれだけ消耗するのかが大きな問題点だ。

 先の戦いでガラハドが失った兵力と将校は大きいが、防衛戦であるからには民衆を徴収して数だけは揃えることが出来るだろう。

 蛮族が相手ということで、逆にある程度の士気は保てるかもしれない。


 それにしてもこの時期にガラハドを攻めるというのは、微妙な戦略の気がする。

 単純に戦果を上げられる確率は高いが、それを活かす視点はどうなっているのか。

 ロッシ大公の考えは、純粋に自勢力の拡大と、ネーベイアの封じ込めにあるのかもしれない。

 だがそのためにガラハドの土地を支配下に置こうというのは、どうも視点が低い気がする。


 現在の政略の最大の目的は、次世代のアルトリア国王を自分の派閥から出すことにある。

 そのために必要なのは、新たな領地ではない。既に領地を持っている貴族の、自勢力への取り込みだ。

 ロッシ派の貴族がガラハドに領地を持ったとしても、アルトリア本国との間にはネーベイア領をはじめとする、微妙な領地が存在する。

 そして先日まで敵対していた国家の支配を、ガラハドの民衆は許容するのだろうか。

 侵略戦争である以上、敵が民衆を兵としてくることは確実で、それを殺せば恨みが残る。

 治安維持に必要な兵員は多くなる。領地の維持のために、アルトリア本国からの持ち出しが多くなるのではないだろうか。


 他にも色々と危険性があるが、アーリアはそれを口にしない。

 ロッシ家が勢力を弱めることは、今のネーベイアにとってはむしろ好都合だ。

 国境の砦を攻略後、アルトリア軍はガラハドの領土に進出、拠点となる街を落として占領する。

 無茶とは思えない程度の目標が改めて確認され、軍議は終わった。




 執務室に戻って二人きりになると、途端にゼントールは相好を崩した。

「良く戻ったな。少し背が伸びたか?」

「いや、髪は伸びましたけど」

 アーリアの身長はこの半年変わっていない。男子よりも早い第二次成長は、少なくとも身長においては終わったのだろう。

 帰宅の挨拶もそこそこに、二人は情報を共有した。


 アーリアの報告は簡潔だった。また西でも騒動に巻き込まれたのかとゼントールは苦笑いしたが、想定内である。

 思えばこの娘の父親をやっているのだから、彼もたいした男なのだ。

 ゼントールの話も簡潔と言うより短かったが、逆にアーリアは細かいところまで質問をする。

 この父は脳筋であるが、戦争においてはちゃんと数字や情報を大事にする。なので忘れた部分もちゃんと記録はしてある。

 ちなみにこのメモに使った紙も、アリウスの産業の一環だ。


 質疑応答が終わり、アーリアは考え込んだ。

 情報が足りない。

 ゼントールも娘の表情から、それを察した。

「どんな情報が必要だ?」

「……ガラハドの国内事情ですね。東の同盟、北の蛮族の侵攻度合いも気になるし、あと指揮官がどうなってるかが……」


 ガラハド王国の最大の武力は、ゴルゴーン将軍の指揮する軍であった。

 他国への侵攻というのは、基本的に最精鋭で行うものであり、これが多く失われたのは、ガラハド王国にとっては致命的に思える。

 弱った獲物を見て、北の蛮族と東の協商連合が攻め込んだ。そこまでは分かっているが、どこまで戦局が変化しているのかは分からない。

 ガラハド王国への侵攻は、ネーベイア主導ではない。なので積極的な情報収集までは行っていなかった。もちろんまるで行っていなかったわけではないが。

 だがそれでも、ほぼ確実に分かっているこもある。

「砦は取れるかな」

「ああ、儂もそう思う」


 東の国境の砦。これがガラハド王国の手にあることにより、アルトリアはいつも受身で戦わざるをえなかった。

 ここを確保出来れば、緩衝地帯になっている土地が利用出来るようになり、実質的に領土が増えるという試算はしてある。

 正攻法なら五万の軍勢と、大規模な補給、そして時間が必要である。

 実のところアーリアは、南の海を利用して迂回し、そこから攻め込む方が楽だと考えていた。

 だが水運による移動は、不確定要素も多い。現在の航海技術は、主に風を利用したものだ。

 ネーベイア領には海も大きな湖もないため、アーリアの改革の対象になっていない。


 アーリアの戦略的な順序は、先にアルトリア王国の内乱を収束させることにある。

 海運の重要性はもちろん分かっているが、それは海を手に入れてからだ。

 大河と呼ぶほどの巨大な川もないため、船舶については手を入れていない。


 今回国内の権力事情で、ガラハドへ侵攻することが決まった。

 アーリアにとってもそれは、悪いことではない。東の国境の砦を確保しないと、敵軍の侵攻を防ぐために、より多大な兵力をそちらに張り付かせておかなければいけないからだ。

「その後はどうなると思う?」

「そうですね。ガラハド王国の領地をある程度占領することは可能でしょう。ただ、その統治はなかなか難しいかと。下手をすればロッシ大公から独立した勢力になるかもしれません」

 ゼントールも戦略的に、ネーベイア勢力が挟み込まれることには気付いていた。

 だがそれが計算通りにいくかどうかは別だ。ガラハド王国からの反撃を受けた場合、ガラハド王国内のアルトリア勢力を助けるのは、ネーベイアになるからだ。

 名分は現実の前に敗北する。そう考えると、この遠征はかなり大きな戦果を残さないと、新たな領土は重石になるだけだ。


 父と娘は、人の悪い笑みを浮かべた。

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