第77話 ネーベイア辺境伯領 2

 根本的なことを言うと、アーリアは働きすぎた。

 ネーベイアがほんの数年でその勢力を増大させ、さらに東方の危険因子であったガラハド王国が、名将ゴルゴーン将軍と共に、多くの指揮官を失った。

 背後を固めることが出来れば、ネーベイア軍は東の国境を越えて、ガラハド王国に侵攻できるかもしれない。


 実のところ、それは出来る。

 現在ネーベイア領は他領や他国からの人口の流入が多く、それを軍で引き受けているという面がある。

 まだ練兵も終わっていない状態だが、一年もあればかなりの兵力を動かすことが出来るだろう。

 そしてこれ以上のネーベイアの拡大を望まない勢力が出てきた。

 かつてネーベイアと婚姻関係を結ぼうとしたロッシ大公家である。


 ロッシ大公家は王国東方の大貴族であり、王家との縁戚ということもあって、長年東方の支配者であった。

 その威勢は東方では「代王」とまで呼ばれたほどである。

 だが近年、この家に財力と武力で迫る家があることに、周囲がようやく気付いた。

 アーリアの富国強兵が成功したネーベイア辺境伯家である。


 ネーベイア辺境伯家。この辺境伯という少し珍しい爵位は、実質は侯爵と同じなのだ。

 そして重要なことだが、他国や辺境と接し、軍事力を持つ多くの家が、ネーベイア家の東方の覇権を認めつつある。

 ロッシ大公家もそこはしたたかなもので、それごとネーベイア家を取り込もうとした。

 しかしその企ては、愚かな息子と短慮な令嬢の手によって、灰燼と化した。


 そのロッシ家が計画したのが、ガラハド王国への遠征だ。

 アルトリア王国の中でさらに力を求めるのは、政局が混乱しすぎていて難しい。

 ならば他国の富を我が物にしようという選択も、ないではない。


 実際のところガラハド王国はまだ混乱している。

 国内一どころか、大陸でも有数の将軍が討たれ、多くの指揮官級の軍人が失われたのだ。

 そして東と北からは潜在的な敵性国家と敵性集団が侵略を開始している。

 これはもう、詰んだのではないだろうか。




 ネーベイア領の領都の名は、分かりやすいネーベイアである。逆に時々分かりにくくもなってしまうが。

 その近世的な街並に、レナやヴァリシアは愕然としていた。

 ヴァリシアも驚いた。何しろ、全ての街路が舗装されている。

 街並の区分けはかなりしっかりとしていて、大きな道によってはっきりと大量の通行人を動かしている。

 街区は幾つかに分かれ、商店などからは威勢のいい呼び込みの声がする。

「姉ちゃん、前世チート使いすぎだよ……」

 レナが呟いたが、知識だけで産業を育成できるわけではないのだ。


 ダイタンは土地が限られたゆえに、高層建築が多かった。

 しかしネーベイアは土地がまだ余っているにもかかわらず、中央には高層建築が目立つ。

 別にそんなに高くする必要はないだろうと父は言ったが、アリウスは強硬に主張した。

 いずれネーベイアはさらに発展し、土地が多く必要になると。

 そして利便性を考えても、一つの建物に一つの業務が集中している方が効率がいい。

 もちろん耐震設計もされており、火事などにも強い魔法で強化がされている。

 地味に魔法開発の分野でも、ネーベイアは進んでいる。

 これはアーリアの考えたことではなく、王都の政争から逃れてきた学者や魔法使いが、強力な庇護者を求めたということでもある。


 とにかくネーベイアの領都はすごいのだ。

 人口でこそ王都には劣るが、ぶっちゃけ生産力では圧倒的に優る。

 特に商業の中継地としての役割は大きく、また領内の他の街に行くにも、上手く街道を張り巡らせている。

 この街道こそが、まさにネーベイアの血流である。

 ネーベイアと強固な同盟関係、もしくは実質的な主従関係を結んだ領には、ネーベイアから工兵や職人が出張し、街道とその周辺の開発を手がける。

 もちろん料金は払ってもらうが、そもそもここまでの街道を作る技術はないし、メンテナンス程度の技術は伝授してくれる。

 ネーベイアの主導による、東方の一元化。これがアーリアの狙っていたことだ。


 婚約破棄により、ロッシ大公家とのつながりはほぼ切れた。

 東方の諸侯は、国境を他国に接する領主ほど、ネーベイアとの関係を強くしている。

 戦乱の時代だ。武力が最も重要な安全保障となる。




 そんな状況でロッシ家が、ガラハド王国への侵攻を開始した。

 開始したと言っても規模が大きすぎるため、まだ準備段階である。

 そして国境までの土地は既に名目上ネーベイア辺境伯領であるため、実質的にネーベイア領は増える。

 問題はその後だ。


 今回の戦争において、ネーベイア及び周辺の家は、補給を担当することとなっている。

 そして遠征に成功し領地が増えれば、それはロッシ家の影響下の貴族に配分されることとなる。

 すると不思議なことにネーベイア家は東西から、どちらかというと緊張関係にある貴族の勢力に挟まれることになるのだ。


 それが問題になることは、誰にでも分かった。だからオイゲンがやってきたのである。

 アーリアならばこの状況でも、迂回路を通って敵の意図を挫くことが出来るだろう。そう判断したのはオイゲンの独断ではない。

 父である辺境伯はもちろん兄たちも、戦術レベルではともかく、戦略的な視点には欠けるところがある。

 それがネーベイア家をこれだけ恵まれた状況にありながら、長年その勢力が伸張しなかった理由である。

 まあアーリアの他世界由来の農業知識は、それだけでも十分にずるいことではあるが。


 ちなみにネーベイア家の首脳部でアーリアの思考をちゃんと理解出来ているのは、下の兄のハロルドだけである。

 だが逆に彼は、あまり武力には自信が無い。実際のところ剣などを扱わせたらそれなりに見えるのだが、どうも生来肉弾戦には適性がないようだ。

 それでも内政に関しては、アーリアの残した資料から、ちゃんと領地管理はしていたようだが。

 筋肉担当のネーベイア家の中では、彼の発言力は低い。当人がおとなしいせいもあるが。

 後方の担当官としては、充分以上に重要な働きである。




 都市内部を微行する際の拠点とした家で、アリウスは着替えた。

 と言ってもドレス姿ではない。貴族のご令嬢たちを悩殺するような、イケナイ男装の騎士服である。

 ちなみに胸には勲章が下げられている。一応ネーベイア家では一番権威のある勲章だ。

 他にもいくつかあるのは、山賊退治や魔物退治によるものだ。

 アグレッシブすぎるアーリアは、色々とおかしいのだ。


 領主館に到着したアーリアは、ちょっと驚かれたものの、顔パスで衛兵に通された。

 魔法で姿を似せることなどは出来るのだが、外部との境界はそういった変装を解除するための警備はしてある。

 館の中を大股で歩くアリウスを阻む者はいない。まあ阻む必要もないからなのだが。

 丁寧にノックはしたが、返事も待たずにアーリアは執務室の扉を開けた。

 ……誰もいなかった。

 周囲にいる家臣に聞いたところ、既に現場に出ているそうだ。


 また城館内の備蓄倉庫に向かったところ、ハロルドが書類片手に兵糧の運び出しを行っていた。

 アーリアを目にすると、優しく微笑む。

「やあアーリア、思ったよりも早かったね」

 穏やかな微笑みの背後では、マッチョたちが物資を運搬している。

 うむ、戦争前の緊張感である。ちょっと祭りの前の雰囲気とも似ている。


 アーリアは微笑を返し、帰着の挨拶をした。そして父の居所を訊く。

「会議室で、他領の人と話し合ってるけど」

 踵を返すアーリアだが、視界の端では長兄と次兄が、人足に混じって兵糧の運び出しをしていた。

 貴族の子息のすることではないが、あの脳筋二人はあれで役に立っているのだからいい。


 そしてようやくアーリアは、父達の集まる部屋へとやってきた。

 入室しようという時に、衛兵に遮られる。もちろんネーベイアの者ではない。

「お待ちください。現在会議中です」

 アーリアの前を遮ったのは、見たことの無い顔だった。他領の兵がもう流れ込んでいる。

「アーリア・ネーベイアだ。将軍の権限により入室する」

「しばしお待ちを」


 衛兵は柔軟に対応した。どのみち許可が出なくても押し通るつもりだが、別に無法者を気取るつもりもない。

 残ったもう一人の兵士は、少し及び腰である。アーリアの噂を知っているのだろう。

 間もなく許可を得たアーリアは、二重になった扉を開け、ネーベイア城館の会議室へと入った。




 父とロッシ大公を上座に、有力諸侯が集まっている。

 立っているのは前線の指揮官や参謀か。ネーベイアでは無い光景だ。

 おそらく目標の要諦だけを与えて、あとは任せるというものだろう。そして大概、それは無茶なものとなる。

 ネーベイア派の勢力を守るために、アーリアは動く。そう決めていた。

 一人の人間に全てが救えるわけはないし、全ての人間が一人の人間に救われるべきでもない。

 味方だけを残していくのがポイントだ。


「戻ったか」

 父ゼントールの背後に、アーリアは立った。親子の暖かい会話などはない。

 作戦を立てている以上、ここはもう戦場なのだ。


 ロッシ大公の顔が歪む。まあいきさつを考えれば当然のことだ。

 何か言いたそうな人間もいたが、それよりは議題の方が優先された。

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