第27話 ネーベイアの黄金、あるいは辺境の蛮姫

 アリウスは丸一日眠った後、次の日の昼前にはアッカダ子爵の領主館に帰還した。

「アリウス様!」

「おおっと」

 玄関まで出迎えられたアリウスは、懐に飛び込んできたマリアンヌを抱きとめた。


 ふにょん


「え?」




 鎧を脱いでいたアリウスは迂闊ではあったが、マリアンヌは首を傾げるだけにとどまった。

 貧乳で良かったと、改めて思うアリウスである。

 しかし着実に育っているため、成長をここで止めることも視野に入れておいた方がいいかもしれない。

 その場合、前世ジジイの貧乳男装美少女剣士という、どこに需要があるのか分からないものが爆誕してしまうが。


 そんなどうでもいいことを考えながらも、アリウスはやはりレオンの言葉では足らなかった、迷宮の氾濫の顛末を話したのだった。

「踏破したんですか……本当に」

 そう言ったクレフォスの目は泳いでいた。

「ええ。彼が言いませんでしたか?」

「いや、レオン殿は確かにその、アリウス殿はなにしろ若いですから」

 クレフォスは前世持ちであるために、どうにか納得しようとしている。

 ヘクトルはアリウスの実力を知っているだけに、目の前の少年がまさに英雄であると、感極まったような表情でいる。

 レオンも一緒だと言ったのだが、どうやらレオンの身にまとった雰囲気は、迷宮を踏破してもおかしくはないほどのもののようだ。

 確かにそうではあるのだが、納得いかないアリウスであった。


 その日は領内への通達や、正式に代官から訪れる追加報告などを聞いて、時間が過ぎていった。

 レオンは明らかにアリウスに用があるようであったが、アリウスにもやることがある。

 それにそれを抜きにしても、クレフォスから正式に相談を受けていた。


 怒涛のような一日が過ぎて、夕食の席となる。

 この日はまたさらに例外的に、レオンまでもが貴族と同席して食事をしている。

 意外と言ってはなんだが、彼は食器の使い方などが綺麗だった。

 アルトリア王国の作法とはかなり違うが、他国の作法と言われれば納得するような、洗練された食事の仕方であった。

 というかちゃんと空気を読んで、作法をもって食事を出来る男だったのだ。




「そういえば東方辺境では、ネーベイア辺境伯の軍が、ガラハドの侵攻を撃退したようですな」

 食後のお茶の時間に、何気なくヘクトルがそんなことを言ってきた。

 おそらくアリウスの籍がネーベイア辺境伯にあることを知ってのことだろうが、当事者であるアリウスは一瞬止まってしまった。

 考えてみれば辺境伯領からここまで話が届くのに、これぐらいの時間はかかるはずだった。

「まあ、そうなんですの」

 マリアンヌの反応は薄い。遠い東方辺境の戦争など、確かに貴族家の当主となったばかりの少女には、身近なことだとは考えられないだろう。

「なんでもご令嬢であるアーリア嬢が指揮をし、10倍の敵を打ち破って、あの”不敗の”ゴルゴーン将軍を自ら討ち取ったとか。いやはや信じられないことですが」

 敵の数が倍以上に宣伝されている。

「アーリア様と言えば、ネーベイアの黄金とまで呼ばれる絶世の美少女だと聞いています。それは本当なのですか?」

 聞いているアリウスの背中がかゆくなってきた。

 王都に暮らしていたとは言え、貴族の数は多い。成人して間もないマリアンヌとは面識がなかったのは幸いである。


「まあネーベイア辺境伯と言えば、れっきとした武門の名家ですからな。令嬢と言えど武術の手ほどきはされていたのでしょう。しかし10倍の敵を破るのは話半分としても、あの名将ゴルゴーン将軍を討ち取ったというのは素晴らしい名誉ですな」

 自分の手で討ち取ったとは、さすがにヘクトルも考えていない。それはどうも斜め方向の宣伝の仕方だな、と彼は考えているようだ。

 単なる事実であるのだが。


 ヘクトルの視線がアリウスに向けられる。別に疑いの視線とかではない。

「アリウス殿はネーベイア辺境伯の人間ですが、かの令嬢にお会いしたことなどはあるのですか?」

「いえ」

 設定はどうだったかな、とアリウスは頭の隅で思い出していた。

「もちろん姿を見たことはありますが、会話をしたことはありませんね。剣や魔法の腕は素晴らしいもので、辺境伯が家庭教師を何人も雇って修行させたものです」

 自分の姿を見ることは出来るが、自分と会話をすることは出来ない。嘘は言っていない。

「ほう、アリウス殿と比べれば?」

 常識的に考えれば、迷宮踏破者相手に貴族の令嬢が、いかに腕が立つとは言っても勝てるはずはないのだが。

「どうでしょうね。戦ったことがないので」

 無難な返答にヘクトルは頷いた。


「辺境伯家と言えば、ここ数年領地経営が成功していると聞いています。敵国と接していながら領地を富ますのは、かなりの腕ですね」

 クレフォスが話題の方向性を少し変えた。

「うらやましいことです。アリウス殿は何かご存知ですか?」

「そうですね」

 話してもいいことと悪いことを区分けするのは、案外難しいものである。

「アーリア殿の家庭教師として迎えた方たちの意見を参考に、技術の伝播や産業の育成、経営の改善を行ったようです」

 実際はアリウス自身の知識を、この国の文明レベルまで落としたのだが。


 いや、あれは大変だった。

 いくら知識があってノウハウもあっても、それを共有するのには時間がかかる。

 何よりも背景に、なんらかの力がなければ、どれだけ説得力があっても体制を変えるのは難しいのだ。




 話が一段落し、マリアンヌは部屋に戻る。

「アリウス殿」

 そしてクレフォスが声をかけてきた。

「少し相談があるのだが、いいか?」

 その表情には陰があった。


 離れの東屋で、密談が始まった。

「まずは今回の件、改めて礼を言う。本当にありがとう」

「いや、こっちが勝手にやったことだからな。それに報酬も貰ったし、収穫もあった」

「迷宮主を倒して神と会ったのか。すごい力を得たのだろうな」

 すみません。神はもういません。

 感心したようなクレフォスだが、詳しいことは聞いてこない。彼の関心の範囲にはないのであろう。


 そこで表情を改める。

「さて、改めて確認したいのだが、アリウス殿は一時的にでも、当家に仕官する気はないか?」

「ない。と言いたいところだけど、何かあったのか?」

 クレフォスはそのあたり、ちゃんと弁えていたはずだ。

「ああ、実は……」

 表情を陰鬱に歪めて、クレフォスは話始めた。

「父がマリアンヌの暗殺を考えている」

 想定内だが、実現して欲しくないことではあった。




 領内の混乱は、領主代わりもあったが迷宮の氾濫もあり、かなりのことになった。

 幸い氾濫や魔物の横行はなかったので、単なる一時的な情報の混乱があっただけである。

 しかしそういった時に、小人は悪事を考えるらしい。


 そしてその悪事があっさりばれるのが、なんとも小悪党とすら言えない無能の証明だ。

 いくら息子であるクレフォスが相手とはいえ、そういった計画はもっと隠密に成すべきであろう。

 裏にどういった事情があるのかと考えていたが、本当に短慮な男がいただけということか。これには逆にアリウスも驚きである。

「それで、どうするつもりだ?」

「もちろん暗殺は止めたいが、私だけでは手が足りない。しかし信用が出来て口の堅い者など、そうそう用意できるはずもない」

「いや、そうじゃなくてだな」

 クレフォスは己自身が思っているより、よほど善良だ。

 しかし世の中というのは、おおよそ悪党の方が大きなことを成す。だが幼い命を暗殺するなど、小悪党ですらなく単なる小人であるとしか言えない。

 そんな相手に対して、クレフォスはもっと悪くなるべきだ。


 教えてもいいが、それは自ら学ぶべきことだろう。よってこの場では提案が一つ。

「クレフォス殿、もっと根本的な解決法があるだろう」

 アリウスは柔らかな笑顔で言った。

「父親を殺してしまえばいい」

 クレフォスも固まる笑顔であった。


 親殺し。この世界の価値観では大罪である。

 しかし貴族にとっては、珍しいことではない。特に今は戦乱の時代なのだ。

 親を殺して家を継ぐことなど、珍しくはあるが滅多にないほどでもない。

「私は父親を好きではない。むしろ憎んでいる。いや……そもそもこの領地にとって有害だ」

 そこまで言うからには、クレフォスも考えたことがあるのだろう。

「だが、母が悲しむ」

 そう言ったクレフォスの表情は、貴族の矜持を感じさせないものであった。


 これが平民の価値観だ。

 クレフォスは冷徹な男だ。しかし根本的な人間の部分が、やはり平民なのだ。

「まさか、愛していると?」

「それこそまさかだ。しかし、恩は感じているようだ。感謝しているのだな」

 奴隷が貴族の息子を生み、その息子は貴族となり、自分も穏やかな生活を得られた。

 確かにそれは奴隷の価値観からしたら、とてもありがたいことなのであろう。

「もし正攻法で父を裁くとしたら、父の持ち物である母にも咎が及ぶ。そちらは私が抑えることも出来るが、私自身が訴えなければ今後の私の立場はない。父と争う姿を母には見せたくない」

「なるほど。だがさっきも言ったが、俺はあまりここに長居する気はない。けれど、そうだな。明日の夜まで待ってくれれば、身を守るための魔法具を作ろう。毒などへの対策などもしておけば、あとは通常の護衛で大丈夫だろう」

「感謝する。アリウス殿の知識なら、マリアンヌを守ることもたやすいだろう」

 アリウスが協力する気になったのは、クレフォスが父親のことを、領地にとって有害だと言ったからだ。

 これは平民の思考ではなく、間違いなく貴族的なものだ。

 よってクレフォスが良き貴族になるべく、協力しようと思ったのだ。


 だがその方法は、アリウス流になる。

「しかしアリウス殿は、身を固める気はないのか?」

「急に話が変わったな」

「いや、実はヘクトルがマリアンヌの婿に、アリウス殿を迎えたらどうかと言ったことがあってな」

 苦笑いせずにはいられないアリウスである。

「婿の第一候補は、クレフォス殿だと聞いているよ」

「……マリアンヌは優しい子だ。今でこそそれほどではないが、子供の頃の私は、たいそう肩身が狭かったんだ。その癒しとなってくれたのがマリアンヌだ」


 クレフォスにとってマリアンヌは、母とは別の庇護者であり、そして同時に守るべき妹でもあった。

 父の杜撰な陰謀から、マリアンヌを守ることはそれほど難しいことではなかったのだ。

 もっとも先代の子爵にまでは、その守護の手は伸びなかったわけだが。


 この夜、クレフォスは少しだけ肩の荷を降ろして、安らかな気持ちで眠りに就いた。

 しかし次の日の夜、アリウスが約束の魔法具を渡すことはなかった。

 なぜなら次の日の朝までに、クレフォスの父レウスの命は、失われていたからである。




 腹上死であった。

 状況がそうであって、直接的には心臓麻痺であると、駆けつけた医師は判断した。

 この世界の医療の水準は、アリウスの目から見たらあまり発展していない。

 怪我などの外傷に対しても、またおおよその病気に対しても、魔法で対処することが多いのだ。


 そしてレウスの死は、同衾していた愛人が人を呼んでも、もはや間に合わないものであった。

 就寝中に呼ばれたアリウスも、頭を振った。


 そもそも、殺したのはアリウスだ。

 成人病による循環器系の突発死は、おそらくこの世界でも最も防ぎにくいものだ。

 診断した医者も、突然死ではあるが自然死だと判断した。先代の子爵も卒中の突然死だったので、あまり疑われることはない。

 太った不健康な人間が、激しい運動をして死ぬことはよく知られている。

 実のところレウスはその点、自分なりに気をつけていたのだが、それが適切だったのか判断出来る者は、沈黙を守った。


 翌日から葬儀の準備が始まった。

 一族の恥さらしの人間であったので、親族が集まるということはない。領主館の人間だけで、ひっそりと式は行われた。

 そんな中、初めて見たクレフォスの母が、遺体に向けて深く長く頭を下げていたのが印象的だった。




 全てが終わった翌日、アリウスは子爵家を出発することになった。

 館の門前にまで、世話になったり世話をしたりした、多くの人間が身分の上下なく揃っている。

 その先頭にはマリアンヌの姿があった。

「それではまた。いずれご縁があれば、出会うこともあるでしょう」

「アリウス様、当家に留まっていただくわけにはいきませんか? 私には頼れる人が必要なのです」

 目を潤ませてこちらを見てくるマリアンヌは、まさに恋する乙女であった。

「マリアンヌ様には、頼りにすべき方が他におられます」

 そう言ってアリウスは、複雑な表情をしているクレフォスをに目をやる。


「クレフォス様は兄のようなものです。私には頼れる、他の殿方が必要なのです」

 これは遠まわしな求愛であるが、アリウスにとっては断る絶好の口実がある。

「それでは私はやはり、貴方の力になることは出来ない」

 この断り方は、マリアンヌを少し当惑させた。


 アリウスは乗せているだけの皮兜を脱いだ。

 そして幻術の魔法で、短くした髪をゆるやかに長く伸ばして見せた。

「身分を偽っていたことを謝罪する。私の名はアーリア・ネーベイア。ひとはネーベイアの黄金とも、あるいは辺境の蛮姫とも呼んでいる」

 どちらも自分が言い出したことではない。本当である。


 突然目の前に現れた美貌の少女に、逆にマリアンヌはさらに激しく紅潮した。

 他の面々は呆けたように口を開いている。

「見たことはあると言っていたが……」

「鏡に映して何度も見た。しかし自分自身と会話したことはない」

 クレフォスの疑問にも、アリウスは答えた。

「戦えばどうとかは……」

「自分自身とは戦えない」

 今度はヘクトルの疑問にアリウスは答えた。


 アリウスは嘘は言っていない。偽ったのは名前と身分だけだ。そして真実を偽った。

 それだけでも貴族に対しては罪になるのだが、同じ貴族であれば罪にならないのが、アルトリア王国の不文律である。

 そのまま馬車の御者台に座るアリウスに、わずかに駆け寄ってクレフォスが声をかけた。

「アリウス殿、いやアーリア姫、貴方は我が領の恩人だ。また機会があれば立ち寄ってほしい」

「約束しよう」

 そう言ってアリウスは笑った。

 女だと知れば、確かに女にしか見えない美貌であった。ただクレフォスにはそれでもどこか、男らしいものを感じさせた。おかげで彼はアリウスに恋せずに済んだ。


 まだ呆然とする子爵家の面々から見送られ、アリウスはロバに合図する。

 幌馬車はゆっくりと、本当にゆっくりと、子爵家の館から遠ざかっていった。

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