第2章 ── マリスと子狐

第2章 ── 第1話

 世界樹から旅立って数時間、マリストリアは既にイライラしはじめていた。


 絡まる草や蔓、隠れた木の根、目の前を遮る灌木。

 そして歩くたびに思わぬところで足を取られてひっくり返る。


 既に鎧は泥や土で汚れ、鎧の関節部は砂を噛みギシギシと音を立てる始末だ。


「ムキーーー!!!」


 もう数え切れないほど転倒した。

 立ち上がったマリストリアは顔を真赤にして地団駄を踏んだ。


 いつもなら、マリストリアが癇癪を起こせば、小さい生物であれ家族であれ、マリストリアのご機嫌を取りに来るモノが必ずいた。

 しかし、ここは外の世界。そんな事をしてくれる者は誰もいない。


 一頻り地団駄を踏んだマリストリアが冷静さを取り戻した頃には、もう陽が陰り始めた。


 マリストリアは、既に疲れ切っていた。

 鎧を脱ぐのも面倒で、近くにある大木の下に移動して座り込んでしまう。


「ううう、冒険ってこんなもんじゃろか……」


 寂しさに襲われ、目頭に涙が溢れて来る。

 だが、兄竜に大口を叩いた以上、こんな早く戻るわけにはいかない。


 マリストリアは無限鞄ホールディング・バッグを漁り、トリ・エンティルの物語を取り出してページを捲った。


 森を行くトリ・エンティル一行の話を繰り返して読む。


『森は人の征く所ではない』


 森について言うトリ・エンティルセリフの部分に目を留める。


『森には数々の危険が伴う。

 隠れた肉食獣の襲撃、方向感覚の消失、毒を含む植物たち。

 エルフに対しても木々は味方ではない』


 仲間に注意をするトリ・エンティルは、そう仲間たちに言った。


「確かにのう。今日、何時間か歩いただけで、この始末じゃ」


 マリストリアは無限鞄ホールディング・バッグから取り出した手拭いで汚れた顔を拭きつつ頷いた。


「これを読む限り、危険はまだまだあるようじゃ」


 マリストリアは野外生存術教本も取り出して読み始める。


 既に薄暗くなりつつある森の中で、安全に夜を明かす方法を知らなければならない。


「夜の森は昼間よりも遥かに危険が増すようじゃ。

 まずは火を起こさねばならないとな」


 マリストリアは疲れた身体に鞭打って立ち上がると周囲を見回す。


「まずは燃やすモノが必要じゃが……」


 マリストリアは燃えるモノが何なのか知らない。

 教本には「枯れ枝」というモノが燃えると書いてあったので、木の枝を探そうと周囲を歩く。


「おお、いっぱいあるのう」


 休んでいた大木を基点として周囲を隈なく歩くだけで、大量に枝を集めることができた。

 マリストリアはフフンと鼻を鳴らす。


「もしかしたら野営の才能が開花したに違いないのじゃ」


 先程の大木に戻り、拾ってきた枝を教本通りに組み上げて焚き火の準備をする。


 枝を組み上げ終わって火を付ける段になり、マリストリアは困った。


「火はどうやって付けるのじゃ? ブレスか?」


 しかし、ブレスを吐くには人の姿では炎を吐くことはできない。

 真なる姿になるには鎧を脱がなければならないし、面倒この上ない。


 再び教本を開いてみると、火打ち石というモノを人間は使うらしい事が解った。

 しかし、無限鞄ホールディング・バッグを引っ掻き回しても、それらしい道具は見当たらない。


「うむう……」


 既に辺りは暗くなりはじめ、教本を読むのが難しくなってきている。


 マリストリアはドラゴンなので夜目はきくが、ドラゴンの目は暗い中で文字を読むようには出来ていない。

 ドラゴンの目は、暗い中では温度を感知して対象を捉えるからだ。

 人型ではその能力もかなり低下してしまう。


 焦りながらもマリストリアは読みにくい文字を必死に読んだ。


 そして幾つか解決策を見付けた。


 木と木を擦り合わせる事で火を起こすことができると教本にはあったのだ。

 幾つかの解決策の内、これが今、手にしてる材料でやれそうなモノだ。


 マリストリアは早速、木の枝を二本取り上げて擦り合わせてみた。

 だが、いくら擦っても煙一つ出てこない。


「何でじゃ? やはり擦り合わせる時間が足りぬのじゃろうな」


 マリストリアは手に持った枝を丹念に擦り合わせる。

 ゴシゴシとこすり合わせていると、枝の皮が剥げて中身の白い部分が剥き出しになる。

 だが、やっぱり火は点かない。


 教本に嘘が書いてあったのじゃろか?


 その時だ。

 周囲の低木の方からガサゴソという音が聞こえた。


 マリストリアの身体が無意識にビクリとする。


『森には数々の危険が伴う』


 トリ・エンティルの言葉が脳裏を過る。


 マリストリアは小剣ショート・ソードの柄に手を掛け、大盾タワー・シールドを構えた。


 音のした方を大盾タワー・シールドの覗きからジックリと見つめる。


 どうやら音は移動しているようだ。

 右から左へ。


「誰じゃ! 我に何か用かや!?」


 マリストリアは灌木を移動するモノに鋭く言い放つ。


──ガサリガサリ……


 灌木を揺らし、音は大木を中心に裏側へと回った。


 どうも自分の様子を窺っているように感じるのう……

 ただの動物ではないじゃろな……


 マリストリアは音の主に知性的なモノを感じた。


 音は大木の裏から再び自分の前にやってきた。


 マリストリアは大盾タワー・シールド小剣ショート・ソードを再び堅固に構える。


──ガサッ!


 目の前の灌木が大きくなり、何かが出てきた。

 それは大きな頭だった。


 二つの目は赤く輝いており、目の縁には黒い模様があった。


 むむ?


 マリストリアは首を傾げた。

 見てくれは恐ろしいが、目に敵意を感じない。


「だ、誰じゃ!?」


 マリストリアは大きな頭に声を張り上げる。


 大きな頭のそれは頭の上にある耳をピンと立てた。


──ガササッ


 頭がにゅうと前に突き出され全身が灌木から出てくる。


 マリストリアは小剣ショート・ソードを持つ腕に力を込める。


 灌木から出てきたのは大きな狼だった。

 二メートルはあろうか。


 マリストリアの背中に冷たい汗が流れ落ちる。

 ドラゴンの姿であれば餌にしか見えなかったかもしれないが、今のソレは人型のマリストリアの何倍もあるのだ。


 マリストリアはいつ襲いかかられても良いように、盾を全面に押し出す。


 だが、狼は襲ってくる気配がない。

 出てきた灌木の前でちょこんと座り、首を横に向けて大きな欠伸をしている。


 何なんじゃ? あの態度は……


 マリストリアは良く狼を観察してみる。

 灰色の毛なみに、黒い模様が綺麗に入っている。

 そして、首の部分に何かが下がっていた。

 それは大きな黒い石に紐を通してある装飾品だった。


「オニキスじゃな」


 ドラゴンは貴金属や宝石には鼻が利く。それに価値を見出すかどうかは別として、それらに対する知識もある程度は修めている。


 オニキスを加工して首に下げるのは、人族と接触があるのではないかとマリストリアは思った。


「おぬし、我を襲う気はないのかや?」


 マリストリアは緊張を少し緩める。

 しかし、完全に警戒を解くつもりはない。


 得体のしれない狼に気を許すほど、このマリストリアは能天気ではないのじゃ。


 ふと、狼が頭上を見上げた。

 マリストリアも釣られて上を見上げる。


 既に太陽は沈み、木の枝の隙間には大きな月「ザバラス」が輝き始めている。


 マリストリアはハッとして狼に視線を戻した。


 見れば、狼は伏せの姿勢をしてハァハァと大きな息をしていた。

 身体を震えさせ、四肢を踏ん張っている。


 何だか凄く苦しそうに見える。


「何じゃ!? どうしたのじゃ!?」


 マリストリアは慌てて狼のところに走っていくと、苦しげに震える狼の背を撫でる。


 狼がチラリとマリストリアの顔を見たが、直ぐにきつく目を閉じた。


「グググ……」


 マリストリアは困惑した。

 目の前にいる狼の身体がギシギシと嫌な音を立て、どんどん歪になっていく。


「何じゃ……これは……」


 しばらく見ていると、狼の身体から体毛がどんどん抜け落ちて、太かった四肢は長く伸びる。


「ハァハァ……」


 狼はそこには既にいなかった。

 肩で息をして伏しているのソレは人間種だった。


 耳がピンと立っているところを見ると、人間種の中でも妖精種、トリ・エンティルと同じエルフのようだ。


「エ、エルフなのかや?」


 マリストリアは同様しつつも、目の前の人物に声をかけた。


「ハァハァ……背中を撫でてくれてありがとう。ヴァリス・シェリヴィンです」


 エルフは漸く息を整えて、上半身を起こした。


 褐色の肌が美しいエルフだった。

 目には悲しげな色を浮かべているが、仄かに微笑んでいる。


「狼がエルフに変化するとはのう。ビックリじゃ」

「いや、私は人狼の呪いを受けているのですよ」


 聞いたことのない呪いの名が飛び出した。


 マリストリアは首をかしげる。


「人狼の呪いとな? 人狼は人を呪うのかや?」

「私はずっと東にあるダーク・エルフの村の者でした。

 人狼に呪われ、己が人狼化するようになり、村を出て森を彷徨っているのです」


 満の月が上がる度に、狼と人の形を入れ替えられる。

 そんな呪いに掛かっていると、ヴァリスは語る。


「難儀じゃなぁ。我も変化はできるのじゃが、自分の意志とは別に変わってしまうのは困るじゃろうのう」


 マリストリアは自分の意思で変化できるので全く困らないし苦しみもしないが、意思と反して変化させられると苦しいモノなのだろうと推測する。


「して、我の所に来たのは何でじゃ?」

「その出で立ちから冒険者様とお見受けしました。

 一夜をご一緒させていただきたく思いまして……」


 ヴァリス曰く、この森の中では人の形で夜を明かすのは非常に危険なので、冒険者と一緒にいた方が安全だろうと判断したとのこと。


 マリストリアはニコリと笑う。


「良かろう。今宵は一緒に過ごして進ぜようぞ」

「ありがとうございます。ところでお仲間はどちらに?」


 周囲を見回すヴァリスは首をかしげる。


「いや、仲間はおらぬ。我は一人じゃ。ところでお主、火の付け方を知ってるかや?」


 その言葉にヴァリスが衝撃を受けたのは言うまでもない。


「ソロで冒険をなさっておいでなのですか?」

「そうじゃ。今日の昼頃、住処を出たばかりじゃからな。右も左も解らぬ」


 わははと豪快に笑うマリストリアを見て、ヴァリスはポカーンと大口を開けた。


「でじゃな。今、焚き火なるモノをこしらえたのじゃが、火が点かぬのじゃ。

 木を擦り合わせると点くと書いてあったんじゃが」


 マリストリアは先程までやっていた作業をヴァリスにして見せる。

 それを見たヴァリスは、また信じられないモノを見るような顔になった。


「あの……それでは火は点きません」

「なん……じゃと……」


 見つめ合う二人の視線は対照的。絶望と呆れ。

 これから一体どうなるのか……世間知らずと苦労人が出会った瞬間だった。

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