第1章 ── 第2話

 一度目を覚ませば二年ほど眠らなくてもいいドラゴンは、ティエルローゼに生きる他の生物とは生活のサイクルが全く違っている。


 そんな理由で、ドラゴンの眠りは非常に長い。

 一度眠ると一年は目をさますことはない。


 これは幼竜のサイクル。青竜や成竜になると、また違った生活サイクルになる。

 なので、他の生物と比べて家族と顔を合わせる機会が少ない。


「ふわぁ」


 祖父竜ヤヌスと話した食事後に眠りについたマリソリアは漸く目を覚ました。

 マリソリアが大きな欠伸をしつつ目を開けたのは、例の小さい死体を発見してから一年後の事だった。



 マリソリアは食事場で腹を満たしてから祖父竜ヤヌスの私室へと足を運んだ。


「おじじー。起きてるかや?」


 祖父竜の部屋に頭を突っ込んで、祖父を呼ぶ。


「マリソリア、起きたようじゃの?」

「うむ! もう食事も終わったのじゃ!」

「よしよし。では、例の技を教えようかのう」

「変化じゃな! 楽しみにしておったのじゃ!」

「では訓練室へ行こうかのう」


 祖父竜と連れ立って訓練室へと向かう。


「兄者は起きておるのかや?」

「起きておる。研究室で何やらひねくっておるな」

「兄者も変化できるのかや?」

「勿論じゃ。二〇〇〇年も前に教えたわ」


 ふむ。変化を覚えれば外に出られるやもしれぬのう。



 訓練室でヤヌスと対峙する。


「ええかの、マリソリア」

「いつでもいいのじゃ!」


 マリソリアは格闘のポーズを取るが、ヤヌスは構えない。

 戦い合うわけじゃないのだから当然だ。


「マリソリアや。そんなにりきんではならぬ。もっと心を穏やかに保つのじゃ」

「りきんじゃダメかや?」


 マリソリアは身体の力を抜き、だらりと両の手と尻尾から力を抜いた。


「うむ、それでよい。脱力が変化の基本になる」


 ヤヌスが変化の技の極意を教えてくれる。

 マリソリアには変化の技の資質が高いと褒めてくれた。


「次は何じゃ?」

「まずは頭の中にどのように変化するかを想像しなければならない。

 これは『イメージ』と呼ばれる作業になる」

「なんじゃ? 我は聞いたこと無い言葉なのじゃ!」

「これはのう……古代魔法語じゃな。神々が使っていた言葉だと言われておる」


 俗に古代魔法語と言われている言葉で、創造神と呼ばれる神がティエルローゼにもたらした言葉と父と母から聞いた。


 魔法の術式の後に使う言葉だとか。


 マリソリアも幾つかの魔法を教えられたが、自分に魔法の才能はないと彼女は思っていた。

 兄者のゲーリアに比べ、威力や規模が安定しないからだ。

 マリソリアは身体を動かす方が好きだったから、悔しくは思ったことはない。


「魔法が苦手でも変化はできるのかや?」

「勿論じゃ。これは原初魔法に近い。

 原初魔法は古き技じゃて、魔法とは別物じゃ」


 なるほどとマリソリアは納得する。


幻霊使い魔アストラル・ファミリアに近い感じじゃろか?」

「そうじゃ。それに近い」


 マリソリアは|幻霊使い魔 アストラル・ファミリア 》が得意だった。

 自分の精神から切り離して自由に思った所に飛ばせる幻霊使い魔アストラル・ファミリアは、幼馴染たちとの連絡を取り合う手段として、マリソリアが最初に教えてもらった技だった。


 マリソリアは幻霊使い魔アストラル・ファミリアを一〇日程度でマスターしてしまった。

 教えていた母竜もビックリだったようだ。


 通常、幻霊使い魔アストラル・ファミリアを覚えるには三年近く掛かるらしく、幼竜には不可能だと言われていた。

 それをいとも容易く習得したマリソリアを父竜も母竜も天才だと言ってくれた。


「原初魔法なら楽ちんじゃな!」

「ははは。マリソリアは原初魔法使いになるかもしれぬのう」


 嬉しげに祖父竜ヤヌスは目を細める。


 原初魔法使いという立場は、氏族の長になるための資格だった。

 長老古代竜エルダー・エンシェント・ドラゴンたちは大抵使うことが出来るらしい。

 伝説の三成竜といわれているベヒモス、リヴァイアサン、ジースなど、は原初魔法の精妙な使い手だという。


「早く変化を教えてたも!」

「よしよし。では、見ておれ」


 ヤヌスが「ふんぬ!」と顔を顰めると、するすると小さく縮んでいく。

 しばらく見ていると、白く細いしわくちゃの小さい生物になった。


「これが人間変化じゃ」

「人間変化?」


 どうみても触れば吹き飛んでしまうような弱々しい生物にしか見えない。


「人間に変化する技じゃな。

 外界にはこの人間と呼ばれる生物が多数住んでおる。

 外の世界に出るには、このように人間に変化せねばならぬ」

「我もやってみるのじゃ!」


 マリソリアは人間という者に変化するため、脳内で『イメージ』を膨らませる。


 ぐぬぬ……とわー!


 マリソリアは目を開けて自分を見た。

 何も変わっていない。

 ドラゴンの姿のままだった。


「ほほほ。そう簡単には行くまいな。

 マリソリアは人間を見たことなかろうからのう」


 見たこともないのに『イメージ』できるわけ無かろうが!


「知らぬものは『イメージ』出来ぬのじゃ!」


 プリプリと怒るマリソリアを見上げる祖父竜が肩を震わせて笑っていた。


「そりゃそうじゃ! 良かろう。ワシが見たことある人間の絵を見せようかのう」


 ヤヌスは何かブツブツと言い始める。


 何じゃろ? 聞いたこともない単語が並んでおるの?


『……スフェン・ラクリス・ヘル・ウィンディア。幻しの映像ファンタズマル・イメージ


 すると祖父竜の周囲に何人もの人影が現れた。


「おお、魔法じゃな!」

「そうじゃ。自分が知っている幻影を周囲に出す魔法じゃ。

 見るが良い。これが人間じゃよ」


 祖父竜が指差す人影に鼻を近づけて観察する。


 祖父竜の変化に似ているが、しわくちゃじゃない幻影ばかりだ。

 小さいの、大きいの、痩せてるの、太ってるのと色々いた。

 それぞれの大きさのものに二種類いるのも解った。


「何かいっぱいおるのじゃが、我はどれになればいいのじゃ?」

「そうじゃのう。マリソリアはこれじゃろう」


 ヤヌスが指し示した幻影は、非常に小さく、そして長い金色の糸のようなものの束が頭に付いている。


「これかや? 小さいのじゃなぁ」

「今のマリソリアでは、この大きさの人間にしか変化できまいの」


 ヤヌスが言うには、幼竜のままでは変化は小さい人間にしかなれないのだそうだ。

 青竜や成竜と認められなければ、大きいのや年老いた姿に変化はできないという。

 これは、最初の古代竜たちが一族に課した制限なのだそうな。

 祖父竜に何故そんな制限を掛けたのか聞いても肩を竦めるばかりで答えは駆ってこなかった。


「まあ、いいのじゃ。このちっこいのに変化するように『イメージ』してみるのじゃ!」


 マリソリアは脳内に『イメージ』を膨らませていく。

 さっきは知らなかったから出来なかったが、今度は簡単に『イメージ』できた。


 むむーん……とわー!


「おおお! マリソリアは天才じゃ! じじいもビックリじゃ!」


 祖父竜の声が聞こえてきたので、マリソリアは目を開けてみた。


 目の前に自分よりも大きい祖父竜が見えた。


 ぬぬ? おじじ、随分大きくなったのう……


 見上げねば顔が見えないほど祖父竜は育っていた。

 いや、育ったわけではない。

 マリソリアが縮んでしまったのだ。


 先程の幻影たちも自分たちより大きくなっているし、下を見れば地面が異様に近い。

 それと自分の身体が白くて弱々しい肌色の何かに変わっていた。


「おお? 成功したのかや?」

「成功どころか、大成功じゃ!

 一度で成功する子をワシは見たことがない!」


 祖父竜は飛び上がりながら喜んでいる。


「我が孫は天才じゃ! これで我が氏族の未来は約束されたようなもんじゃ!」


 あまりの喜びようにマリソリアもドン引きする。


 そんな大層なもんじゃないと思うのじゃが。

 兄者も天才じゃと聞いておるが、我も天才なんじゃろか?

 でも、長とかになるのは嫌じゃのう。


 マリソリアに氏族の長になる気は更々なかったし、自由に面白おかしく暮らせればいいと思っていた。

 長老とか長とかは話に聞くと、他の氏族とのやりとりが面倒だし、何かあるたびに呼び出されて問題の解決に奔走しなければならないようだ。


 ニーズヘッグ氏族には幾つかの一族がいる。

 筆頭の一族は正当なるニーズヘッグの後継。一族名は氏族名と同じニーズヘッグ。

 第二位の一族がニズヘルグ。マリソリアたちが所属する一族だ。

 ヤヌスはニズヘルグ一族の長で古参の古代竜なのだ。

 第三位はニールヘル。第四位はニルベック。

 その他にも下位の一族がいるが、全てがニーズヘッグ氏族となる。


「これで我が一族が氏族の最上位に付けるやもしれぬ」


 じゃから、そんな事に我は全く興味がないのじゃが?

 面白くなさそうじゃしのう。


「おじじよ! この姿で豚や牛を食ったら、腹いっぱいになるのじゃなかろうか!?」


 長などよりも、よっぽどこっちの方が重要な問題だ。


「そうじゃな。それも一つの手じゃ。

 この身体は栄養をそれほど必要とせぬ。胃袋も小さいのでな。

 食料が足りなくなった時には、人間変化で時を過ごす事も昔はあったのう」


 やはり! それは試してみねばならぬな!


「では食事場へ行くのじゃ!」


 とてててとマリソリアは走る。

 しかし、いくら走っても訓練所の扉が近づいてこない。

 直ぐに息が切れてしまった。


「はぁはぁはぁ……何じゃ……? いつものように動けぬ……」


 後ろから祖父竜が大爆笑しているのが聞こえる。


「ぐははは、マリソリアよ。その身体は非常に弱い。

 そんなに走っては直ぐにスタミナが切れるぞよ」


 なんじゃと! そんなに弱い身体になる意味が解らぬ!

 食料を思いのままに食べられるだけなのかや!?


 マリソリアは心底ガッカリしてしまう。

 この身体では食らう事しか利点がないらしい。


 マリソリアは変化を解く。

 直ぐに巨大なドラゴンの姿に戻った。


「移動に面倒じゃから、元の姿でいいのじゃ」

「ほほほ。そのうち人間に変化して訓練をすると良い」

「暇があったらの。我は忙しいのじゃ。そういう面倒な事は後回しでよいのじゃ」


 マリソリアは優しく自分を見つめる祖父竜を置いて訓練室を出た。


 変化の技は結構簡単じゃったが、我のやりたい事は他にあるのじゃ。

 長になる訓練なぞ、まっぴらゴメンじゃ!

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