第5話 運命は突然に

 エルザが食事を手に部屋に戻ってくると、ソフィアがカズキに謝り続けていた。

 カズキは律義に対応しているが、声に疲れがにじみ出ている。だが、手だけは忙しなく膝で寝ている猫を撫で回していた。

 このままでは埒が明かないので、ソフィアを無視してカズキに話しかける。


「お腹すいてない?」


 途端、大きい音が鳴り響いた。無論、カズキの腹の音である。

 カズキは恥ずかしそうな顔で俯いた。


「はい・・・・・・」


 羞恥に顔を染めながら、か細い声でカズキが答えた。

 エルザは膝の猫を取り上げると、代わりに食事を手渡した。

 カズキは未練がましく猫を見ていたが、空腹に勝てずにトレーとスプーンを受け取った。

 トレーの上には、大きめの器におかゆが入っていた。食べやすいように少し冷ましてある。

 その気遣いに感謝しながら一口食べた。久しぶりに温かい物を食べた気がした。何故か涙が出てくる。

 泣き顔を隠すように一心不乱に食べていると、皿は空になっていた。物足りなく思っていると、皿を取り上げられる。

 落胆を顔に出さないようにしてカズキは考える。見知らぬ他人に温かい食事を出してもらえた。それだけで充分だ。これ以上のことを望めば罰が当たる。身の程を弁えないと。

 そんな事を考えているカズキにお代わりが差し出された。


「いいんですか?」


 反射的に受け取りながら、思わず尋ねてしまうカズキ。


「何が?」


 キョトンとした顔で、エルザはそう答えた。

 だが、実のところ見当が付いていた。

 孤児院での奉仕活動中に、稀に見かける表情であった。

 親の愛情を知らず、他人の顔色を窺いながら生きている。いつも怯えていて、人の善意を信じることが出来ない。多くを望まず、諦観が染みついてしまっている。

 悲しい話だが、そういう子供を一人でも減らすのが自分の使命だと思っていた。

 流石に聖女と呼ばれるだけの事はある。だが、彼女は『聖女モード』などと言い出す程の、残念な思考も持ち合わせていた。

 どういう思考の流れでそうなったかは分からないが、エルザはカズキの姉になろうと決意してしまったのだ。

 そんな事は露知らず、お代わりを平らげてすっかり満足したカズキは、今更のようにここが何処なのかが気になりだした。


「あのー。ここは何処なんでしょう?」

「いいのよ。お姉ちゃんに全部任せておきなさい」


 思い切って尋ねたカズキは、予想外の返答に言葉を失った。


「お姉ちゃん?」


 カズキは問い返しただけだったが、エルザは姉と呼ばれたことに感動していた。

 姉と認められた(と、思い込んでいる)エルザは、カズキの疑問に答えず、食器を取り上げてベッドに横になるように促した。

 体が弱っているカズキは抵抗することも出来ない。強制的に横にさせられると布団を首まで掛けられてしまった。

 猫を構っている時は気にならなかったが、食事をして横になった途端に疲労を感じ、強烈な眠気が襲ってきた。抗えなかったカズキは目を閉じる。いろいろな疑問は棚上げしたまま深い眠りに落ちていった。




 カズキがこの世界に来て約二ヶ月程が立った。

 この世界に来てからの経緯は説明したが、エルザやソフィアの意向もあり、召喚された理由は暫く明かされない事に決まっていた。

 この城内の事に限り、ソフィアの命令はセバスチャンのそれよりも優先される。

 その為、比較的平穏なうちに、カズキの新生活は過ぎていった。

 カズキの部屋はソフィアの部屋の隣に決まった。内扉があり互いの部屋への出入りは自由である。

 エルザも城に来た時はソフィアの部屋に寝泊まりしていることもあり、積極的に賛成した。

 『弱った弟の傍に姉がいなくてどうすんの?』という謎の理屈である。

 ジュリアンやクリスも反対しなかった。しても無駄だということが分かっていたからである。セバスチャンに至っては意見も聞かれなかった。

 カズキは一ヶ月で城の住人のほぼ全てと顔を合わせたが、セバスチャンとだけは今に至るまで顔を合わせていない。

 居候させて貰っている以上、家主に挨拶がしたい、と申し入れたが、今日まで叶っていなかった。

 表向きの理由は忙しいから、と聞かされていた。

 実際には、カズキに対して何を言い出すか分からない、という理由で、隙あらばカズキに会いに来ようとするセバスチャンへの妨害工作が行われていたからだ。

 勿論ソフィアの命令である。

 カズキも罪悪感や謝罪の気持ちから、というだけでこの待遇はあり得ないとは思っていたが、誰に聞いてもはぐらかされるだけであった。

 そんな訳で、微妙にムズムズする気分を感じながらも、猫に囲まれた幸せな毎日を過ごしていたカズキであったが、その日はいつもと様子が違った。

 朝の事である。ふと目を覚ますと、枕元にクリーム色の毛の長い猫がいて、耳元で鳴きながら必死でカズキの顔を舐めていた。


「どうしたの? エリー」


 エリーとはソフィアが飼っている猫である。カズキがこの世界に来た時にソフィアが抱いていた猫の事だ。

 カズキが体を起こすとベッドから降りて、内扉の前でまた激しく鳴き出した。扉は薄く開いていて、エリーが通り抜けることは可能であったが、何故かその場を動かない。

 カズキはベッドから出て手早く着替えると、エリーに近づいて行った。

 すると、エリーはするりと扉を通り抜けてソフィアの部屋に入ってしまった。

 勝手知ったるとはいえ、早朝の女性の部屋である。どうしようかと悩んでいると、部屋の中から再び鳴き声が聞こえてきた。明らかにカズキを呼んでいる。意を決して扉に手を掛けようとした時、向こうから扉が開けられた。


「おはよう、カズキ。早くこっちに来て」


 エルザだった。部屋にはソフィアの他に、フローネ、クリス、ジュリアン他メイドも数名いた。

 エルザやフローネは昨晩はソフィアの部屋にいたので不思議はない。だが、ジュリアンとクリスは寝ているところを起こされたのか、眠そうな顔で欠伸を噛み殺していた。エルザの仕業である。

 何が始まるのだろうと思っていると、皆の視線はエリーに向いていた。

 カズキはぼんやりとした頭で思い出した。エリーは妊娠していて、出産が近かった事を。

 一瞬で眠気が覚める。自分が貴重な瞬間に立ち会おうとしている事に感謝した。

 皆の見ている前で、清潔なタオルが敷き詰められた大きめの箱にエリーは横たわった。

 と、エリーを見つめたままソフィアが小声で話しかけてきた。


「驚いたでしょう? エリーは初産だから心細かったのね」

「はい、驚きました。エリーに認めて貰えたみたいで、凄く嬉しいです」

「あの子は私達を起こした後、扉の前で一生懸命に鳴いていたのよ。あなたの部屋に入れろって」

「そんな事が・・・・・・」


 カズキは感動で涙が出てきた。猫に触れなかった自分が、まさか出産に立ち会えるなんて、と。

 この世界に来て良かった。心からこの巡り合わせに感謝したい。気になる事はあったが、この瞬間に全てどうでも良くなってしまった。

 そんな事を考えている間も、カズキはエリーから目を離してはいなかった。

 エリーは甘えたような声で鳴きながらソフィアを見つめている。

 ソフィアが手を伸ばして頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細めた。

 皆が見守る中、陣痛が始まり、体を伸ばしていきみ出した。呼吸も荒くなっている。

 固唾を飲んで見守っていると、さほど時間を掛けずに一匹目の頭部が見え始めた。エリーは顔を近づけて我が子を懸命に舐めている。それから五分程でようやく一匹目が誕生した。

 その後は約一時間かけて、全部で三匹の子を産んだ。

 三匹ともエリーの舌によって清められ、元気に母乳を飲んでいる。

 二匹はエリーと同じ色で毛の長い猫だった。もう一匹は白がベースで、黒と茶がまばらに入った三毛猫であった。

 カズキは三毛猫に目をやった時、不思議な事に気付いた。その小さな体に重なって、文字が見えたような気がしたのだ。


「ナンシー?」


 思わず呟いた言葉に、ジュリアンが反応した。


「カズキ、どうした?」

「いえ、あの三毛猫に重なって文字が見えた気がしたんです」


 その声にその場にいた者たちが反応した。

 いつの間にか全員がカズキを見ている。エリーさえもカズキに目を向けていた。

 何故自分は注目されているのだろう。異様な雰囲気に後ずさりしながら、恐る恐る問いかけた。


「な・・・・・・、なんでしょう」


 その問いにジュリアンが代表して答えた。


「カズキ、それはその子の名前だ」


 意味が分からなかった。


「この世界では魂の結びつきが強い者と出会うと、その相手の名前が分かる。魔術師ならば使い魔の契約の際、名前の分かるものとの契約と、それ以外の場合では能力に格段の差が出る。人間ならば、結婚して子を生すと、能力の高い子供が生まれることが多い」


 そうカズキに教えながらも、他の事を考えていた。動物の名前が分かるのは魔術師だけだと。


「エリーがカズキを呼びに行ったのは、それもあったのでしょうか?」

「そうみたいね。エリーの顔を見れば分かるわ」


 フローネとソフィアが話をしていたが、カズキの耳に入っていなかった。


「そうか、僕はこの子と会うためにこの世界に来たんだ」


 などと自分に酔っていたのだ。

 だが、この言葉を聞いていたクリス、ジュリアン、エルザは顔を引き攣らせた。


「やばい。自分に酔ってやがる」

「今まで説明をはぐらかしてきた手前、それは違うと言うことも出来ん」

「私は嫌よ。あんた達が説明してね」

「いや、ここは身内であるが話した方がいいんじゃないかな」

「私もそう思う。やはりからそれとなく話した方がいいだろう」

「嫌よ! 都合の悪い事ばかり人に押し付けないでよね!」


 などと、猫の首に鈴をつける役目を押し付けあっている所に、が現れた。


「エリーの子供が生まれそうと聞いて駆け付けたぞ!」


 ノックもせずに部屋に入って来たのはセバスチャンである。

 彼は入って来るなり大声を出して、ソフィアに睨まれた。そして土下座した。

 だが、すぐに気を取り直してエリーを探し、産まれている子猫を見て、優しい顔になった。


「エリー、良くやったな」


 そう言って頭を撫でる。

 エリーも嬉しそうに目を細めて、されるがままだった。

 この城に住む者は、ソフィアの影響もあって、皆、猫好きである。セバスチャンも例外ではなかった。

 そして、傍にいたカズキに目をとめた。カズキが挨拶すると、背筋を伸ばした(正座したままエリーを撫でているという珍妙な恰好であったが)。

 そして、初対面にも関わらず、耳を疑うような事をほざいた。


「余が国王セバスチャンである。カズキよ! 王命である! 邪神を倒すのだ!」


 そして、直後にソフィアに連行された。

 突然明かされた事実にカズキは呆然としている。

 件の三人は、たまには役に立つな、などと失礼な事を言って頷きあっていた。

 こうして、カズキは召喚された理由を知ることになったのである。

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