第4話 ソフィア、暴走
カズキが目を覚ますと、胸の上に重みを感じた。視線をそちらに向けると、クリーム色の毛の長い猫が、青い瞳でカズキを見つめている。
なんとなく手を伸ばして頭を撫でてみると、気持ちよさそうに目を閉じた。
「夢か・・・・・・」
ぼんやりした頭でカズキは思った。
なにしろ咳は出ない。呼吸も苦しくない。触っても痒くならない。
ならば、夢が覚めない内に思う存分触っておこう。そう思ったカズキは、猫を刺激しないようにゆっくりと身体を起こした。猫は逃げずに肩に掴まっていた。顔にフワフワな毛が当たって少しくすぐったい。
「柔らかい・・・・・・」
背中を撫でながら猫に顔を押し付けると、お日様の匂いがする。
そして、本格的にモフろうと猫を膝に降ろした時、背後から声が掛かった。
「もう起きても大丈夫?」
「はい・・・・・・」
「言葉は分かるようね」
「はい・・・・・・」
声を掛けたのはソフィアである。
彼女はエルザと共に、隣の部屋でカズキの目が覚めるのを待っていた。
そして、自分の愛猫がいつの間にかいなくなっていた事に気付き、もしやと思って隣の部屋を覗いたら、丁度カズキが体を起こすところだった。
安堵から思わず声を掛けたが、少年の反応は鈍い。
こちらの問いに対する返答はあったが、少年は俯いたまま顔を上げなかった。
よく見ると肩を震わせている。怒りか、悲しみか、理不尽な運命を呪っているのかもしれない。
それも無理はない、と思った。
こちらの都合で強制的に召喚し、直後に苦しみ出して、死へのカウントダウン開始である。
恨まれて当然の事をしてしまったのだ。
これから、どう償えばいいのか。年端もいかぬ少年を戦わせて良いのだろうか。元の世界に還す方法も解らない。自分達は取り返しのつかない事をしてしまったのではないか。
気付けば、そんな事ばかり考えていた。
だが、ソフィアは間違っていた。俯いて肩を震わせていたのは猫をモフる事に夢中になっていたからである。
夢の中の出来事だと思っているカズキにとって、他の事は全て些事。ソフィアへの返答も無意識に行っているに過ぎなかった。
「可愛いでちゅねー。お名前はなんて言うんでちゅかー?」
ソフィアを意識することもなく、熱が入り始めたカズキは、ついに赤ちゃん言葉で話し始めた。
「なにあれ」
考え事をしていたソフィアは、不意に後ろから聞こえた声に飛び上がった。
振り向くとエルザが立っている。戻ってこないソフィアを探しに来たらしい。
「エルザ、あの子が起きたのよ!」
「そうみたいね」
「でもこちらを向いてくれないの! 俯いたまま顔を上げないし肩を震わせているのは怒っているのか泣いているのかそれとも運命を呪っているのか私達は彼に何をしてあげられるの何をしてあげればいいの!」
興奮した様子で、息継ぎなしに一気に捲し立てるソフィア。
それを聞いていたエルザは、『器用な物ね・・・・・・』と感心しながら、無言でソフィアの体をくるりと回転させて、カズキの方へ押していった。
ソフィアはまだ騒いでいたが、エルザには敵わない。力づくでカズキの前まで押して行き、二人は初めて正面からカズキの様子を見た。
そこにはソフィアの想像とは全く違う光景が広がっていた。
「ここが気持ちいいでちゅかー? それともここでちゅかー?」
少年は、幸せそうな顔で見覚えのある猫を撫でまわし、赤ちゃん言葉で話しかけている。
「「・・・・・・」」
二人は無言でカズキを見つめた。エルザは呆れたように、ソフィアは呆然と。
だが少年は気付かない。一心不乱に猫を構うその姿は、鬼気迫るものがあった。
「どうしましょう・・・・・・。心が壊れてしまったのだわ」
この期に及んでも、ソフィアは同情的だった。
しかし、エルザは気付いていた。隣にいる叔母が、しばしば似たような状態になることを・・・・・・。
要は、ただの猫好きである。それも重度の。
このまま放っておくと、いつまでも続くことは明らかだった。そこで、エルザは強引な策に打って出た。
なんと、強引に猫を抱き上げてしまったのである!
「「ああっ! なんてことを!」」
何故か、二人分の声が響いた。
「エルザ、酷い! うちの子があんなに気持ちよさそうだったのに・・・・・・」
「グスッ。初めて猫に触れたのに・・・・・・」
いつの間にかソフィアが敵に回っていた。少年は泣きながら恨めしそうにエルザを見ている。
猫は我関せずとばかりに、エルザに大人しく抱かれていた。
カオスな状況にエルザはめまいを覚えた。それでも話を前に進める事が出来るのは自分しかいない、という使命感から、少年に声を掛ける。
「初めまして。私の名前はエルザよ。あなたの名前を教えてくれる?」
カズキは声を掛けられて我に返った。だがおかしい。これは夢だったはずだ。そう思いながら返答した。
「諏訪一樹です・・・・・・」
「スワカズキ。面白い名前ね?」
「いえ、諏訪は名字です。カズキと呼んでください」
「分かった、カズキね。ねえカズキ、自分に何が起こったのか理解してる?」
どうやら夢ではないようだ。そう思い直してみたが、やはりおかしかった。もしやここはあの世とやらではないだろうか。
「僕は死んだのですか?」
そう思わないと辻褄が合わない。自分が猫に触れるはずがないのだから。
だとしたら、ここは天国に違いない。いや、地獄でも構わない。やっと猫に触れたのだ。他には何もいらない。
思考が暴走し始めた。これからどうしよう。やりたいことは沢山ある。死後の世界に店はあるのだろうか。猫カフェがあればいいのに・・・・・・。などと考えていたが、目の前の女性の言葉に我に返った。
「死んでないわよ?」
危ない所だったけど。と内心で思いながらエルザは答えた。
「何故そう思ったのか聞かせて貰える?」
「だって・・・・・・。僕は猫アレルギーなんです。猫に近づくだけで咳をしたり、呼吸が苦しくなったり、触ったりしたら蕁麻疹ができたり、皮膚がただれたりするんです。そんな僕が猫に触れるなんて」
エルザは部屋に入った時の事を思い出した。猫アレルギーの事は分からなったが、確かに少年は激しい咳をしていた。苦しそうな様子から呼吸も満足に出来ていない様子だった。
儀式の立ち合いにはソフィアもいたはずだ。きっと、猫も一緒だったに違いない。そして、治療中にも猫はいた。これでは、フローネの魔法の効果が一瞬だけだったのも説明がつく。
そんなカズキの言葉を聞いていたソフィアが顔色を蒼白にしていた。
自分の所為で目の前の少年が死にかけたのだから無理もない話である。
「ごめんなさい。私の所為で・・・・・・」
ソフィアはそう言ったが、カズキは何の事か分からなかった。召喚された事さえ分かっていない上に、発作が起きたこと自体よく覚えていないのだから当然である。
だが、理解出来ていたとしてもカズキは許しただろう。理由は分からないが自分は猫に触れた。その事に感謝こそするが、恨む気持ちは全くない。
ちなみに、カズキがこの世界に魔法というものが存在し、それによって治療されたという事を知るのは、だいぶ後になってからの事である。
ともあれ、今はカズキの事だ、とエルザは思った。魔法で病が癒えたとはいえ、失われた体力は戻っていない。それに、話をしている今も顔色は悪くなる一方だ。今は食事を与えてゆっくり休ませた方が良い。
邪神云々なんて事は、それからの話だ。
そう思ったエルザは、隣の部屋で用意させておいた食事を取りに、部屋を後にした。
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