二幕 EverLasting

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不確かなユメはやがて実像を伴い踊り狂う。



終わらない夢は、はたして悪夢か、妄想か。

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+brunch+


 裕介は目を覚ます。ここはいつもの通り、簡素な部屋の真ん中。太陽がその最大高度に達する寸前に彼は目覚めた。

「ふあぁ、あ。よくねたよくねた。ほんと良く寝たわー、っと」

 ひとつあくび欠伸をして、バッと勢い良く体を起こす。立眩たちくらみもなく、言葉通りの目覚めの良さがうかがえる。

 裕介はそのままキッチンのほうに向かい朝昼兼用の食事の準備を始める。

「昼だし、寝起きだからまぁ適当なもん見繕みつくろって食うとしますかねぇ」

 普段とそう大差ない寝癖頭を抑えながらキッチンに向かう。

 あたりをくるり、と一望して適当な材料を選定する。友人の親などの十年単位のキャリアには劣るものの、自分もなかなか悪くない、と裕介は自画自賛する。冷蔵庫を空けると、買い置きの焼きそばの麺があった。まさにこういうときのための買い置きである。

「賞味期限……よしっと」

 ついでにコクをつけるためのバター(洋菓子を作った余り)と野菜室からキャベツやら人参やらをひったくって調理場に立つ。無論、買い置きを消費したため、次に買い置きする予定をメモにとることも忘れない。生活がかかっているからか、裕介が神経質だからか、またはその両方か。

「ご馳走様」

 誰にともなく手を合わせて食事を終える。食器を片付けて、台所で洗う。

 ふと、台所の窓から雲ひとつない蒼穹そうきゅうを目にした。あまかける鳥も、心なしか翼をいつもより大きく広げているようだ。

「おー、快晴かな快晴かな。蒲団干すには絶好の天気だな」

 と、皿を洗いながら口にする。温度もさほど寒くはない。まさに絶好である。


 洗い物を終えた裕介はパタパタと寝室へ駆けて行き、そこでふと昨日の羽根のことを思い出した。

 裕介が昨日羽根があった所に目をると、当然のように最後に見たままの姿でそこにあった。


 そう、最後に見たままの姿で。


「ここまできて、アレを嘘だの妄想だのとは言わないよな」

 裕介はぞくり、としつつもその羽根を手にとって首にかけた。やはり重量はゼロに等しく、物理的存在感は希薄きはくそのものだった。しかし裕介にとってのその存在は重く、悪夢から救い出してくれたこの羽根を手放す、という行為は恐怖以外の何物でもなかった。

「これなら学校に持っていっても問題ないな。服の中に入れてりゃばれないし、大体貴金属じゃないし」

 そんなことを思いながら、裕介は支度を続ける。蒲団を干し、洗濯物の残りを干し、私服へと着替える。昨日とは大違いの朝、もとい昼である。

 鏡を見て髪型を整えながら裕介は思考する。

(昨日のコ、えーと、守山……何だっけ、あぁ千春だ。いきなり名前の方呼ぶからなんかびっくりつーかなんつーか…)

 水神、という苗字は珍しい方なので、大概の人間は裕介を苗字で呼称する。名前で呼ぶのは親戚か幼馴染の江藤亜輝位のものである。ちなみに悪友である榎本勇次も裕介を名前で呼ぶが、彼は誰にでもそうなのでカウントしないことにする。

 とくに意味があろうはずもないその行為に妙に彼は動揺していた。

(うー、どうなんだろ。俺もやっぱ名前のほうで呼ぶべきか、でもそれじゃ勇次とおんなじだし。でもなんか折角名前呼んでくれてるのにこっちがよそよそしいってのもアレだし……うー)

 考えつつも手は動いていたようで、髪は整え終わり、裕介は不足分の買い置きやらなにやらを調達するため家を出ることにした。戸締り、ガス、忘れ物のチェックも完璧にこなし、裕介は悠々と家を出る。

「よしよし。財布も持ったし、買い物リストのメモもある。おっけ。それじゃ、いってきますっと」

 ほんの少しずつ変わり始めた裕介の生活。ドアの閉まる無機質な音だけが、昨日と同じように残響していた。



+幻夢+


 裕介の通いなれた大型デパートの、ここは地下。ありとあらゆる食材が所狭し、かつ消費者心理を考え抜いた配置でひしめき合っている。休日とはいえ夕方時ではないので、試食コーナーに群がる親についてきた少年少女は見受けられない。裕介も小さいころは親代わりの親戚についていって、試食品を食べ歩いては一喜一憂していたクチだとか。

「変わんねーなあ、ここも」

 と言いつつメモに目を通して必要な品物を購入していく。このデパートの食品売り場は朝夕にセールがあるが、裕介が朝に弱いため朝のセールには行けず、かといって夕方の混雑時に必死こいてわざわざ遠出する気にもなれないので、(気分次第だが)たいていセールには間に合わない。要するにその分裕介の娯楽費が減るわけだが、本能的な快楽欲求には勝てない。

 一つ一つ、メモと価格とを見比べながら、安い品は優先し、高ければ保留。不足した買い置きの日付を見つつ、好物のプリンをかごに入れる。

「やっぱ焼きプリンが多いなー、好きなんだけど。個人的には普通のプリンのバリエーションも増やしてほしい所……ん?」

 ふと目を逸らした視界の中に見覚えのあるショートヘアが舞った。

「―――あ」

 見間違いとは思わなかった。見紛みまがう筈がない。自分をあの光の先へ導いてくれたそのカタチを、一片たりとも忘れていよう筈がない。しかし。

(―――なんて、声をかければいいんだろ。『やぁ』とか『よう』とか言うわけにもいかないし、かといって名前を呼ぼうにも何て呼んだら良いんだろ。まてまて、それ以前に別に用事があるわけでもないから確かに呼ぶ必要なんて無いんだけどやっぱりこれは―――――)

 裕介が一人で思考の堂々巡りをやっているうちに彼女(であろう、恐らく)は視界から消えてしまっていた。流石さすがに荷物を持って探し回るわけにもいかず、彼なりの男心としてメモをもって品物とにらめっこしながら買い物する高校二年の男子生徒ってどうよ、という思いから、彼女を探すことは断念せざるを得なかった。

「まぁな。会おうと思えばいつでも会えるし」

 睡眠は裕介にとって宝であり特技である(いつでもでもどこでも快眠できる)。確かに言葉通り、裕介はいつでも彼女に会うことが出来るのだ。

 

 しかし、口にした言葉ほど簡単には裕介の心は割り切ってはくれなかった。


 その後の裕介は突然後ろを振り返ったり、溜息を吐いたりと、挙措きょそが不自然である。明らかに彼女の姿を追っていた。言葉とは裏腹に気になっているようだ。裕介自身はただ普通に買い物をしているつもりだろうが、心の片隅に引っ掛かるものがあるのだろう。無意識に彼女の姿を追っていた。

 結局そのまま必要なものの買出しは終わり、家に着くまで再び彼女の姿を視界に捉えることが出来なかった。

 その事実に落胆していることに、裕介は帰途に着くまで気がつかなかった。

「はぁ、全く。何のぼせあがってんだか」

 自嘲し、短く息を吐く。

 彼を漆黒の闇から引き上げた存在。くびげた羽根と案内人の少女。

 彼にとって、その存在の大きさは計り知れない。十と余年。悪夢ユメを見る時間、累計で一年にも満たないだろうその苦痛は、誰に理解されることも無く解消もされぬまま、ただ彼の中におりを作るだけだった。その澱をすくい上げ、苦痛を取り除いてくれた唯一(二?)ともいえるその存在は、まさしく一人の人間を狂わすに足る存在であった。

 かといってその苦痛が解消された今、彼女の影を追う道理も無いのだが、夢の中だけの存在だとおぼしきその姿を現実に見てしまえば、驚きもするし、気になりもするだろう。既視感デジャヴのようなものだ。

「いいや。今日もあっちに行って、問いただしてみればいいことだし」


 さんざ悩んで言い訳を探した挙句の結論は、至極単純なものだった。



 一つの答えが出た所で、裕介は食事、風呂、明日の準備等を終え、早速夢幻の庭園ネバーランドへ向かった(要するに就寝した)。

 

 意識が落ちて、暗闇が訪れる。程なくして見えてくる光と闇の境界に彼女は立っていた。

「いらっしゃい。また来たね裕介くんっ」

 名前を呼ばれて瞬間、顔が火照る。狼狽うろたえる裕介は「あぁ、うん」としか返せなかった。

「それじゃ、早速深夜のおデートといきましょっか」

 ――――最早、裕介に返せる言葉はなかった。


「えっと……ほんとに、いいの?」

「うん、いいよ。裕介くん。そうそのまま……」

 ここは先日とは違う喫茶店。というか装いこそ喫茶店だが、正しくはレストランか、軽食屋か、もしくは居酒屋か。思えば来た道も周りの風景にも見覚えはない。案内人・守山千春によれば、これこそ夢幻の庭園ネバーランドの特性で、ランダムに道や店が変化することで毎回違った土地に来たような気分を楽しむことが出来るのだそうだ。そのための案内人であり、パスポートを持つ各人ごとに個別に『の世』から派遣されてくる。ちなみに他の『彼の世』の住人も、娯楽目的で夢幻の庭園ネバーランドに来ているそうだ。

 それで、彼等はその喫茶店(仮)で何をしているのかというと――――


 ザバーっ。


「………ちょっと待てよ」

「なにかな?」

「ホンキか? ホンキでこれで良いのか?」

「わっはっは。案内人のこのわたしに、間違いなんてないよっ」

 そこには、スープ状の物がかかった、固形物(何かは判別できない。米でもなければパンでもない。見た目には米に近しい気がするが、どうか)が目の前に置かれている。

 ちゃき、とスプーンのようなものを裕介に突き出して、猫のような顔で千春が言う。

「さぁ」

「う」

 裕介は唸る。目の前に見たことも聞いたこともない夢幻の庭園ネバーランド限定の食事を出されてからこの調子だ。

「さぁ、さぁさぁさぁ遠慮せずにっ!」

 妙な芝居のかかった千春に、押される裕介。湯気が出てるし、いいにおいがするので不味まずくはなさそうだが、それにしても見てくれがなんともはや。

 しかし、裕介もおとこ。女のコに勧められた料理を食べないほど甲斐性なしではない。千春からスプーンを受け取り、構える。

「……いただきます」

「ドウゾ召し上がれー」

 

 ぐっ。


「……」

「…どお?」

「………」

「……ねぇ。どうなのかな?」

「……………」

「………ねぇ」

「…………どうしてフツーに美味いんだこんちくしょう」

 残念ながら、裕介の舌はこの限定品を、『美味』と捉えたようである。見てくれの先入観を越える、とあればやはり美味なるものなのだろう。

「んふふ。わたしの勝ちだね」

「いつからなんの勝負になった」

「裕介くんカタイー」

 一瞬裕介の頭を阿呆なことがよぎったが、相手が相手なだけに、自粛じしゅくすることにした。勇次や貴記なら別だろうが。

「……どしたの。顔赤いよ。高血圧? 塩分控えめ?」

「こほん、ん、なんでもない。それより、えーっと、あのさ。今日、なんか似た人見たんだけど。現実世界で」

 ここで裕介は今日の本題に移る。本来なら最初に話しておくべきことなのだが、千春の勢いに流されて今まで話を切り出すことが出来なかった。

 ――――もっとも、裕介自身が冷静になるまで時間を要した、とも言えるが。

「誰? わたし?」という千春は裕介の質問に対して質問を返す。その問いに裕介はこくり、と首肯しゅこうで答えた。

「んー。多分わたし本人だと思うな。二時過ぎから三時くらいでしょ」

 その時間はちょうど裕介が買い物に行っていた時間と符合する。千春の言う通り、本人で間違いなさそうだ。

「ちょ、じゃあ一体どうやって」

 裕介はもっともな疑問を口にする。

「んとね、簡単だよ。わたしたちの世界が次元的に上だから。上から下は簡単だけど、下から上は難しいの。すべり台みたいなものかな。夢幻こっち側から現実そっち側への出入りはほぼ完全に自由だからこのたとえはちょっとおかしいけど。ちゃんと出入りという概念があるから、紙に絵を書いたり、お話を作ったりするのともちがうよ」

「それじゃあ、来てたことは来てたわけだ。理屈云々うんぬんはいいとして」

「うん。そういうことだね」

現実したも楽しい?」

「うん。やっぱりこっちとは違った楽しさがあるよね。さっきの食べ物も現実したには無いって話しだし」

 話ながら、千春は頬杖をつく。イヤーカフの先に付いたプレート状のアクセサリが揺れる。

「あ、その耳のヤツ」

 そのアクセサリに裕介が興味を示した。髪に隠れて今まで見えなかったのである。

「あ、これ? お父さんに貰ったのよ。いいでしょ」

 派手ではなく、きらびやかでもないが、柔らかく控えめに輝くそれはまるで彼女のようだ、と裕介は漠然と思う。

「わたしね、お母さんが上で、お父さんが下に住んでるんだ」

「え?」

 裕介の声をよそに、千春は続ける。

「だから今日はね、お父さんとデートしてたの」

「……」

 彼女は、複雑な環境にいるようだ。あまり他人ひとの家庭環境を詮索しても仕方が無いが、その状況をかんがみるにあまり気持ちのよくない出来事が過去に起こったのだろうと推察できた。

「あ、ごめんねっ。気にしないで。わたしも気にしないから」

「なんだそりゃ」

 ふっ、とお互い小さく笑いあい、同時に話題が変わって再び雑談が始まった。


 二時間後。

「わぁ、ごめん。もうこんな時間だよっ。明日の部活朝からなんだよね?」

「うあ、しまった。寝不足になっちまう」

 す、と裕介は目を閉じる。意識を落としかける直前に千春から声がかかった。

「部活、がんばってね」

 裕介は、その声に「おー」とだけ答えて、夢幻の庭園ネバーランドを後にした。


 そして明くる日の日曜。裕介は部活の疲れを癒すため(休日はたいていハード)、夢幻の庭園ネバーランドには行かなかった。



+転入+


 ここは県立澄崎高等学校、二年五組の教室――――ではなく、学校長の部屋の前。二人の少年が声を潜めて中の様子をうかがっている。

「だー、もうっ。見えねーぞ畜生」

 短髪の少年、榎本勇次が小さく開いた戸の隙間を広げようと手をかける。

「ちょーっと! だめだよ勇次っ」

 それを少女のような顔つきの少年が引き止める。その顔つきとは裏腹に、彼の力は短髪の少年に勝っている。

「……っく、止めてくれるな、貴記。これは俺に課せられた使命という名の試練! いや、試練という名の使命! いや――――」

「もうっ、どっちでもいいから早く教室に戻るよ。このままじゃ遅刻になっちゃうよ」


 事の経緯いきさつは、十分ほど前にさかのぼる。


「ねぇねぇ榎本君? 知ってる、今日ウチの学校に転入生が来るんだって」

 情報通の女生徒が、嬉々として勇次に話しかけた。そもそもの発端はここにある。

「あん? そりゃまた時期はずれだな」

「あ、僕もそれ聞いたことあるよ。この間から噂には上がってたっぽいし」

 少女のような少年、中野貴記が横から話に加わる。容姿のためか、男女分け隔てない友人関係から、彼も情報には強い方だ。

「んで、どうなんだ」

「どうなんだって、どうなのさ」

「決まってるだろう、時期はずれの転入生! よもや高校に入って味わえるとは思わなんだぞこの感情」

 存在する時代を誤ったかのような勇次の口ぶりに、貴記は閉口する。

「なーるほど。つまり榎本君は転入生の性別が気になるわけね」

 先程の女生徒が言う。情報通と銘打たれるだけあって、心の機微には人一倍敏感なようだ。

「この女好きめ。亜輝ちゃんはどうしたんだよ」と、これは貴記の言葉。実際は亜輝と勇次の交際関係は無いのだが、学生特有の噂、というものである。ちなみに勇次のほうは満更まんざらでもないらしい。

「フッ、あのようなドリル。期待と焦燥の入り混じったこの特殊な感情の前では、もはや只のストレートに等しいわ!」

「へーぇ、『あのようなドリル』が何だってー?」

 背後から『あのようなドリル』呼ばわりされた江藤亜輝がゴゴゴゴゴ、という効果音を背負って近づいてきた。

「フワハハハハハハ、さらばだ明智君っ! また会おうではないかっ」

「あ、ちょっと勇次っ」

 逃げ出すついでに転入生を見ようという魂胆こんたんがありありと見える勇次を引きとめようと、貴記が後を追っていく。 

「こーらぁっ、待ちなさい勇次っ!」

「あぁ亜輝。ちょっといい?」

「へ? あ、あぁうん」

 亜輝も追いかけようとしたのだが、友人に引きとめられた上、予鈴も近いということで断念せざるを得なかった。


 ―――――さて、ここで時間軸を元に戻して。


「…っ! ちょ、勇次」

 後ろを振り向いて驚いた貴記が勇次に声をかける。

「あぁもう、なんだバカ。もうちょいで顔が見えそうなんだよ」

「ほっほーう、勇次くん。ブタ箱に入るための予行演習かい? 精が出るねぇ」

「るせぇバカ、バレたらどうすんだよ」

「んー、そうだな。罰として一日ウチの部でシゴかせて貰おうかね」

「へ、お前何いって、ヒィッ!」

 振り向いた勇次は、今まで自分が会話していた相手を確認して、愕然がくぜんとする。

「せ、せせせせせせ、先生」

「君は確かに文武両道できているが、どうやら情操教育がかけてるようだね?」

 言葉こそ丁寧だが、その笑顔に見える表情の奥は、決して明るいものではないことが分かる。

「え、あ、いやー。おい、貴記。……あれ、貴記?」

 気付けば、貴記の姿はそこには無い。

「ふむ。友人の姿が気になると見える。彼なら私に『悪いのは榎本君です、僕は彼を引き止めにここまで来たのです』と言ったのち、教室に駆けていったが? いやぁ、良い友達を持ったものだ勇次くん」

「畜生、貴記め、後で覚えていやがれー!」

「はっはっは。明日はそんなこと忘れるくらいあげるから、ありがたく思いたまえ。はっはっは!」

 獲物をとった猟師のようなほがらかさで、担任である彼女はホームルームへ向かう。

 ずるずると、獲物のように勇次を引きずりながら。


「とまぁ、約一名のバカのおかげでちょっと遅れてしまったが、ここで君たちに朗報だ」

 朝のホームルーム。うなだれる勇次。それに笑顔で謝る貴記。亜輝は勇次を見て、口の端に「ざまあみろ」という笑みを浮かべていた。遅刻魔呼ばわりだった裕介も今日は遅刻せずに出席しいて、魔女・北原沙雪も柔らかい笑みをたたえて着席している。

 他の生徒達もほぼ全員出席していたが、不自然に席がひとつ余っていた。

「前々から噂には上がってたと思うが、ウチに転入生が来ることになった。それもウチのクラスで、しかもオンナノコだ」


『うおぉぉぉぉおぉおぉぉっ!!』


 野太い声で男子群が雄叫びを上げる。

「おいおい、のっけからそんな興奮するなヤローども。彼女が入ってこれないじゃないか」

 しん、と突如として異様な静寂に教室が包まれた。期待やら不安やら嫉妬やら呆れなどが交じり合った特殊な空気がこの場を満たしている。

「さて、静かになったトコで。ほら、入っといで」


 ……ガラガラガラ。

 トコトコトコ。


 扉を空けて教室に入ってきたその転入生は、教卓の横で立ち止まり、黒板を背にしてひとつ深呼吸をした。


「……ん。えーと、わたし守山千春って言います。何でも楽しいのが好きなので、みんな仲良くしてくださいっ!」


 自己紹介を一息に言い終えた彼女は、夢に出てくる案内人の少女に間違いなかった。



「――――――――――っ」

 裕介の中に、その心境を言葉に出来る語彙ごいは存在しなかった。

 その事実は知っていた。彼女が現実したに存在できることは前日に確認している。しかし現実したにいるというだけでも驚いたというのに、あまつさえ自分の通う学びに転入までされてはもう、口をあけてほうけるしかない。

 文字通り、開いた口が塞がらない状態で、裕介は千春に顔を向けていた。

 その惚けた顔に、千春は笑顔で手を振って返す。驚かない、ということは間違いなく確信犯である。しかし茫然自失状態の裕介にはそれすら判断することが出来ない。無論、その行為が起こすであろう弊害へいがいも―――――

「なんだ、水神。おまえ知り合いだったのか」

 と、不意に担任から話を振られる。急に話を振られた裕介は「へ」とか「は」とかを発音するだけで混乱は解けていなかった。

 そんな状態の裕介などお構いなしに教室中が騒がしくなる。

「なになにー、水神くんの彼女なのー?」

 とか、

「おいおいっ、来るって知ってるんなら教えてくれたっていいじゃねぇかー!」

 とか、

「きゃー、かっわいいー! 水神くんには勿体無いーっ」

 とか、褒めてるのかけなしてるのか分からない言葉がそこらじゅうを飛び交っていた。中にはちょっとアヤシイ発言も混じっていたようだが。

「おいっ、お前等少し落ち着けっ! 私が話せないだろうがよっ」

 その騒動も担任の鶴の一声で、無音、とはいかなくとも、教室は大分静かになった。

「と、ゆーわけで。休み中に密かに運び込んでいたそこの席に、この―――守山に座ってもらうから。近くのヤツはよろしくしてやれよ。ほら、守山。席に着きな」

 守山が座った席は裕介の隣――――ではなく、勇次の隣だった。それに彼女が落胆したかどうかはうかがえない。

「よろしくね。えっと……」

「勇次だ。榎本勇次。こっちこそよろしく。千春」

 勇次はシニカルな微笑みで挨拶を交わす。

 いきなり名前を呼び捨てにされたが、千春は不思議と嫌悪を覚えなかった。彼特有の親しみやすさが為せるわざか。

「よし、と。それじゃあま、今日も一日、勉学に精を出したまえ」

 千春が席に着いたのを確認した後、担任はそう残して教室を出て行った。


 ――――――言うまでも無く、再び教室は喧騒に包まれる。いつもの四割増で。


「なぁ、みんな。今日って部活休みだよな?」

 その喧騒の渦中、いわば中心部分で勇次が言う。流石に高校生にもなって転校生に全員で質問攻め、は無かったようだがそれでもやはり人は集まる。

「そうね。今日は職員会議が臨時であるそうよ。代わりに水曜が部活の日になっちゃうけど」

 とこれは魔女・沙雪。転入生が来るとなると、学校側の対応も難しいのだろう。

「じゃあさじゃあさ、みんなでどこか食べに行かない? 転入の歓迎―――みたいな感じでさ」

 これは貴記の言葉。現在、千春と勇次の席の周りに裕介・貴記・亜輝・沙雪が集まって話している。いつものグループに一人増えただけで、倍賑やかになる。友人は多ければ多いほど楽しいものなのだろう。

「ねぇね、それじゃあ裕介ん家なんかいいんじゃない? お菓子作れるでしょ、裕介」

「んまぁ、確かに材料もあるっちゃあるんだが……」

 亜輝に勝手にプランを立てられた裕介は、どうも気が乗らないようだ。お菓子作りをするメルヘンな自分を見られたくない、というのが本音か。

「それじゃ、みんな一旦家に帰ってから来よう? ゆっくり行けば丁度いいくらいじゃないかな」

「やーんっ、千春ちゃんさえてるぅ!」

 最初こそ千春のことを苗字で呼んでいた亜輝も、ものの五分もしないうちに名前で呼ぶようになっている。こうも早く打ち解けられるのは女の子の特権か、もしくは亜輝だけのものか。

「それじゃあ決まりね。もうすぐ授業も始まるし、詳しいことは休み時間に決めましょう」


 キーンコーンカーンコーン。


 と、沙雪の締めで丁度予鈴がなった。まさか話し合いの最中に時計の秒針まで確認してたとは思えない。流石、二つ名は伊達ではないということか。

 そして始まった授業は、大体とどこおり無く進んだ。クラスが全体的にうわついた雰囲気だった以外は。

 もちろん、一番浮ついてたのは裕介である。眠ることも無く、かといって授業に集中しているわけでもなく。ただ頭の中で必死に午後の予定を整理していた。


 ――――五分休み、昼休みをフルに使って、本日の予定を立てた。実際は八割方雑談で終わったのだが。

 ともかく、今日。学校が終わり次第全員帰宅し、裕介は自宅でお菓子の準備、守山を送る役は、自宅が裕介の家とは逆方向の貴記と沙雪、比較的現地に近い勇次と亜輝は直接集合、ということで決定した。


 また後で、と誰かが言って、それぞれが帰途に着く。何人かは途中まで一緒だったが、途中でみんな分かれてしまった。


○北原沙雪の場合


「さて。今日は水神君のおうちで守山さんの歓迎会ね。お菓子は水神君が用意してくれるそうだけど、ここはやはり、女として手土産くらい持っていくべきよね。何かあったかしら………あら。こんな所にこの間のアレがあるじゃない。常人に使うのはちょっと……なんだけど十分希釈きしゃくすれば問題は無いはずだし、そもそも人命に関わるようなものではないものね。ああ、そうだわ。ついでだから処分……こほん、使用し忘れていたコレやソレやアレもついでに持って行ってあげましょう。間違えさえしなければ楽しめるものだものね。うふふ。きっと貴記君もよろこんでくれるわ。うふふふふふ。うふふふふふ。ふふ。ふふふ。おーっほっほほー!」


○中野貴記の場合


「ただいまーっと。ふう。やっぱり制服って肩凝るなぁー。学ランじゃないだけまだましか。さーって、今日は水くん家にお出かけだから何着て行こっかなー。あ、これもいいな。ううん、だめだめ。この間着たばっかりだし。どうせなら同じようなやつじゃなくって新しい感じので……あ、これとかいいかも。これなら上にこれとこれを合わせて……うんうん。いい感じ。えーっと、何もって行こうかな。お菓子とかは持っていかなくていいかな。手作りには勝てないし。じゃあトランプとか。水くん家にはパーティーゲームなかったし。うん。それじゃ、これとこれとこれっと。そうだ。学校じゃないからこれ着けてっても大丈夫なんだよね。ん……よしっと。髪型…オッケー。服…オッケー。笑顔もバッチリッ! さて、準備ができた所で、そろそろ行こうかなっと」


○江藤亜輝の場合


「歓迎会か。我ながらナイスアイディアよね。さりげなく、裕介の長所をしっかりアピールしつつ、かつ千春がみんなに溶け込める完璧なイベント。その実行を話の流れにそってさりなーく挿入することによってわたしの真の目的に気付く人はいない筈だわ。これはやっぱり幼馴染というステータスあってこその計画ね。裕介がお菓子作りしているところにわたしが乱入! 『ごめんね。ちょっと早く来すぎちゃった』、『いいや、いいんだ。俺も早く亜輝に会いたかったし』、『やだぁ、もう。裕介ったら』、あははうふふ、み・た・い・なッ! 完璧よ! わたしの計画に今さら抜かりが有った所で勢いで押し切れるとこまで来れたわ。待ってなさい裕介。鈍感な貴方にろりぃなわたしの魅力をたーっぷりと教え込んであげるわっ!」


○榎本勇次の場合

 

「たーだいまー、っとくらあ。よう婆さん今帰ったぜ。あぁ、今日な、学校の友達ん家に行って来るからちょっくら遅くなるかも知んねぇ。煎餅せんべいならそこの戸棚ん中入ってっからおやつにでもして食ったらいい。ああ、茶ぁと一緒に食えよ。のどに詰まったら洒落しゃれじゃすまねぇからな。ん? あぁあぁわーってる。飯時めしどきまでには帰ってくるから、親父とお袋にもそう言っといてくれ。あ、もういいよいいよ。お菓子ならその友達ん家で出してくれんだからさ。ああもう、いいんだって。ほら、婆さん。チビすけが泣き出したぜ。行ってやんなよ。もう菓子は要らねぇから。……おう、起きたかチビすけ。兄ちゃんはちょーっと友達んとこ遊び行って来るからなー。帰ったら遊ぼうな。…よし。それじゃ行ってくる。婆さん。チビすけ頼むぜ」


○守山千春の場合


「……んっしょっと。やっぱり緊張するな。久々の学校だもん。でもみんなが優しくてよかった。今日も歓迎会開いてくれるみたいだし。……お父さんから貰ったこの耳飾りイヤーカフ。学校には着けてっちゃ駄目みたいだけど……そうだ! 着けなかったらいいんだ。それじゃあこうやって、キーホルダーみたいにしちゃえば……うん。可愛い可愛い。あっと。今から学校には行くけど目的地は裕介くん家なんだから着けて行ってもいいのか……なんだか現実こっちで会うのって妙に緊張するなぁ。……って、何やってるのよわたし! まだ行く準備何もしてないじゃないの。服も着替えてないし、持ち物の整理もしてないし、あーどうしようどうしようっ、このままじゃ約束に遅れちゃうよーッ!」


○水神裕介の場合


「亜輝の奴め。何のつもりでわざわざ俺に菓子作りを頼んだんだ。まったく、迷惑ったらない。だいたい冷静に考えればまったく手作りである必要なんかないじゃないか。まぁ、せっかくの歓迎会だから、ってことで分からなくもないんだが。っとこうしてる場合じゃない。準備準備。最近手作りお菓子のレシピも集めてたしな。練習と実践を兼ねる、ってことで精一杯もてなしてやろうか。そうだな、クッキーだけじゃアレだし、紅茶くらいは出せるよな。んーと、あ、ドーナツくらいならいけるかな? 女子もいるけど量は結構作っても大丈夫だな、人数いるし。紅茶駄目な奴って居たっけ。一応緑茶とコーヒーも用意しとくか。よしと、準備完了。さあて、料理せんとう開始といきますかね」

 


+歓迎+


 そんなこんなで、本日のイベント。守山千春の歓迎会は満を持して開始される。

「きゃっほーっ、裕介! お手伝いに来たよー」

 亜輝が颯爽さっそうと裕介の家に駆け込んでくる。上はコートだが、下はスカートを穿いていた。ニーソックスをしているとはいえ、寒くはないのだろうか。無論、トレードマークのスカーフは忘れない。カウボーイ風ではなく、マフラーのようにして首に巻いている。

「よう、亜輝」

「……って、何であんたがここに居んのよ」

 そこには、黒いパーカーにジーンズ姿の勇次が居た。てっきり裕介一人とばかり思っていた亜輝は、もう一人の現地集合者、榎本勇次の存在を頭から忘れ去っていた。

「俺が居ちゃ悪ぃかよ。だいたい、料理してる裕介を出迎えに出すのは問題だろうが」

「そりゃ……そうなんだけど……」

「ほれ、いいから上がるぞ。中の方がちっとはあったけぇから」

「え? わたたたっ」

 勇次は亜輝の手を引っ張って、文字通り裕介の家に引っ張り込んだ。

「ちょ、痛いでしょ、このバカっ! もうちょっとレディには優しくできないのっ?」

「残念だったな。生憎と俺は人をバカ呼ばわりするやつを淑女レディとは認めないのさ」

「むぅ……」

 亜輝がうなる。それに被せるように続けて勇次が言う。

「大体な、頭が良い悪いでバカだどうだと言うんなら、悪いけど俺のほうがお前よりもはるかに成績が上だから。悔しかったら俺のしかばねを越えてみせろ」

「もう、何よそれ……」

 言いつつも、亜輝の顔は緩んでいた。終わったことを引きずらない性格なのだろう。勇次のおかげ……でもあるが、皮肉なものだ。

「勇次ー、亜輝ー。俺の部屋行っててー。蒲団ふとんは片付けてあるからー」

『はーい』

 台所に居る裕介に言われて、二人は部屋へと向かった。

 裕介の部屋は、もともとあまり物がないからか、整っているように見えた。布団は箪笥たんすの中にでもしまっているのだろう。本来布団があるべき位置には、電気カーペットが敷かれていた。なにせ六人もいるのだ、炬燵こたつでは誰かがあぶれてしまうのだろう。良い選択といえる。裕介が炬燵を所持していない、という可能性もあるが。

 二人はそこで談笑を再開する。玄関先での険悪な雰囲気はなく、ただ色々なことを話しては、かすかな笑い声が漏れていた。台所のほうからはじゅう、という揚げ物をする時独特の音がする。ドーナツを揚げているのだろう。食欲をそそる柔らかい香りが漂ってくる。

 揚げ物の音が止んで、今度は(クッキーを焼いているのであろう)バターの香りが漂ってきたところで後続の学校集合組がやってきた。

『こんにちはーっ』

「はいはーい」

 と、なぜか亜輝が玄関へ向かう。裕介が台所に居るからだろうが、人の家で接客をするというのはどうなのだろう。

 ―――――玄関を空けた先には、女性らしき姿が三つあった。

「え? 三…人」

 亜輝は二人には見覚えがあった。沙雪と千春だ。私服を着ているからか、少し判別に困ったが判らなかった訳ではない。

 問題は三人目だ。謎の三人目を前にして戸惑う亜輝に、その三人目が口を開いて言った。

「えーと、江藤さん。僕だよ、中野」

「ええぇえぇえぇ!?」

 亜輝が珍妙な声を上げる。無理もない。その謎の三人目、見た目にはとても男性には見えない。女性の―――どちらかといえば綺麗なほうに属する――――ようにしか見えない。言われてみれば顔は貴記(のよう)に見えるし、声も彼のそれである(女の声に聞こえなくもないが)。

「えと、まぁ、小さいころからこんな格好してて、要するに、その、趣味……なんだけど」

「可愛いでしょう、亜輝。男の子にしとくなんて勿体無いわよね。いっそ私のオクスリで女の子にしちゃおうかしら」

 と沙雪が言った。本気でそんなことをするつもりなのだろうか、彼女の言葉には冗談ではない何かが含まれていた。

「……さっきも言ったけど。僕は別にこーゆー格好が好きってだけで、女の子になりたい訳じゃないから。フリはしたいけど」

 語尾に問題発言をつけて貴記が返す。横の二人と比べてみると、千春はTシャツに重ね着で下はジーンズ、沙雪はデニムのジャケットに巻きスカート、貴記は膝丈のプリーツスカートにフリース、となんら大差ない。むしろ色合い的に貴記のほうが女性じみた服装ですらある。

「わたしも最初はさっきの亜輝ちゃんみたいに驚いたんだよ。北原さんは平然……むしろ喜んでたみたいだけど」

 千春が言う。江藤さん、ではなく、亜輝ちゃん、と呼んでいるあたり、亜輝とはかなり打ち解けたようだ。学校での雑談のお陰だろうか。

「驚かないユキがおかしいのよ……。これじゃあまるで別人じゃない。ウィッグに、おまけに眼鏡までかけちゃって。もう女装って言うより変装の域ね」

「そういえば貴記くん、どうして眼鏡なんかかけてるの? 学校じゃかけてなかったみたいだけど。コンタクトだったりとか」

 鋭い千春の問いに、貴記は間髪入れずにこう答えた。


「だって、眼鏡かけてるほうが可愛いでしょ?」


 場に奇妙な静寂が訪れる。

「……」

「……」

「……よくわかってるじゃない、貴記君」

 約一名、違う意味で沈黙していたやからが居た様だ。

「…ふぅ、とにかくこんなとこで話してるのもなんだし、一旦みんな家に上がりましょ」

 こめかみを押さえながら亜輝が言う。あんまりのことに当初の迎えに上がるという目的を忘却していたようだ。

「それじゃ、お邪魔するわね」

「水くん、お邪魔だよー」

「えと、お、お邪魔します……」

 三様の挨拶をしながら、それぞれが家に上がる。ともあれ、これでやっと全員集合となった。いろいろとハプニングはあったが。

 後続組の三人に、亜輝を含めた四人が玄関から裕介の部屋に向かう。そう広い家ではないので、台所からのいい匂いが玄関先まで漂っていた。

 四人が裕介の部屋に着くと、

「よう」

「やあ、いらっさい」

 と、男二人が(いつの間にか用意されている)円卓の中央にドーナツを乗せた大皿を置いて座していた。裕介はシャツの上に厚手のカッターとジーンズという格好で、隣にエプロンを畳んで置いていた。さっきまで掛けていたのだろう。

「わあ、すごーい。これ全部裕介くんが?」とこれは千春。

「まぁ、一応ね」

「すごーい。すごいすごーい」

「千春、さっきから『すごい』ばっかだぞ」

 目を輝かせながら恍惚こうこつとする千春を、正気に返すように勇次が言った。

「ねぇ、裕介。ドーナツだけしかないの? 胃にもたれちゃうんじゃない」

「御安心を。みなさまのために暖かい飲み物各種を取り揃えております。茶器も暖めておりますし、ドーナツのほかにクッキーも用意してありますから少しは御満足いただけるかと、!?」

 裕介はわざわざ丁寧口調で亜輝に不満をぶつけた。その丁寧な口調に反して、顔は笑っていない。

「……うぅ、悪かったよう……」

「頼むから次はもう少し前に言ってくれ。そうじゃなきゃマトモなものなんて作れっこない。今回はたまたまタイミングが良かっただけなんだからな」

 嘆息して、裕介が言う。そこまで怒るつもりもないらしい。どこまで言えば相手に通じるか分かる、というのは幼馴染だからこそだろうか。


 キコーン!


「お、クッキー焼けた」

 言って、裕介は台所へ駆けていく。と思いきや、

「あ、皿。もうこっちのデカイやつにみんな入れちまおう」

 というと、ドーナツのたくさん乗った大皿をもって、再び台所へ向かった。

「……」

 勇次の寂しそうな視線が、裕介(の持った皿)を追う。その表情を見て、亜輝が言う。

「……なによ、アンタそんな裕介と離れたくないわけ。気持ち悪いわね」

「は、お前なに言ってんだバカ。俺はドーナツに恋してんだ。お菓子の彼女募集中だコラ。悪ぃか」

 あぁん? などと言いながら、物凄い形相で勇次は亜輝を見やる。心外ここに極まれり、とでも言おうか。

「はん、何よアンタ。女の子には興味ないわけ? 華より団子、ってそっちのほうが不健全よ」

 どうも亜輝は、恋をする、を別の意味で捉えてしまったようだ。この分では華より団子、の意味も取り違えている可能性がある。

「バカだな。俺は花束なんぞに興味は無ぇ。一輪あったら十分だ」

 勇次は何を思ってか、その質問に生真面目きまじめに答えた。要するに、一人の女以外には興味は無い、と言いたいのだろう。格好つけている様だが、その必要性はどこにあるのだろう。

「あら、意外にもロマンチストなのね、榎本君。その一輪は誰なのかしら?」

 明らかに答えを知った上での疑問を、沙雪が口にする。ちなみに、この中でその問題の回答を知っているのは千春と亜輝以外全員である。 

「え、な、あ……ちょ、沙雪…」

 勇次は明らかに狼狽しながら、赤くなっていく顔を隠すように押さえている。

「私ならお断りよ。そこに許婚いいなずけがいるから」

「……!」

 ビクッ、と貴記が反応する。勇次とは対照的に、青白い。

「え、え?」

 千春は回答を知らない。でも状況から察するに、女の子の好きそうな会話がなされているのは間違いない。千春もその例に漏れず、嬉々として勇次と亜輝を見比べている。

「さぁ、 吐きなさいっ! わたしが恋のきゅーぴっとになってあげるからっっ!」

「う、うるせぇバカ! 余計なお世話なんだよっ!」

「バカとはなによバカ! いいからさっさと吐きなさい!」

 胸倉をつかまれ、ぶんぶん振り回しながら亜輝が言う。その顔は、さながら猫科の肉食動物のような笑顔に満ち溢れていた。ある意味、いい笑顔とは正にこの事である。

「もう……勘弁してくれ……」

 亜輝に振り回される勇次は、もう泣いてしまいそうだった。     


「出来たぞー!」


 突然、というか必然、というか。収拾がつかなくなる前にちょうどよく裕介が大皿にドーナツとクッキーを満載して部屋に戻ってきた。

「おぉ、待ちわびたぞドーナツとクッキーよ」

「なんだそりゃ」

「誤解を招かないための俺の配慮だ。気にしてくれるな」

 先の会話の内容なだけに、聞こえていなかった裕介には分かりにくい説明である。

「みんな、飲み物は? 紅茶かコーヒーか緑茶」

「えっと、わたしは紅茶をお願い」

「私も守山さんと同じものを頼むわ」

「じゃあわたしはコーヒー。砂糖とミルクた~っぷりで」

「はん、お子ちゃまが。俺はブラックな」

「じゃあ僕はお茶にするね。誰もいないみたいだし」

 と、それぞれ千春、沙雪、亜輝、勇次、貴記の順で返答をする。

「よーしわかった。俺もお茶にするから丁度二つずつだな。ま、ウェイター役が俺一人だから、もし間違えても文句言うなよ」

 そういうと裕介は再び台所に戻った。


 すっ……。


「勇次」

「!」

「すぐ戻ってくるから、つまみ食いするなよ」

 勇次の行動は、どうやら予測されていたようだった。


 言葉通り、三分もしないうちに裕介は帰ってきた。

「ほい、インスタントで悪いけど。我慢してくれな」

 コトコトと、それぞれの席の前にそれぞれのカップと取り皿を置く。全員が丁度真ん中のクッキー&ドーナツを囲むような形になって座っていた。

「そのかわりお代わりならすぐ出してあげるから、多少遠慮しつつ言ってくれ」

 き、と勇次に一瞬視線を向けて裕介が言う。釘を刺したのだろう。効果があればいいのだが。

「さて、モノもヒトもそろったところで……」

 ちらりと、今度は千春のほうを見遣る。視線に気がついた千春は裕介の意図を読んで言う。

「え、えっと。今日はわたしなんかのために、わざわざみんなありがとう! も、もう今日はぱーっと遊んで楽しんじゃいましょう、いえーっ!」

 千春はぐーに握った手を、振り上げた。と、

『いえーっ!』

 と言って全員が千春の真似をして手を振り上げた。


 ぱちぱちぱちぱちっ。 


「待たせたな。挨拶も終わったとこで、早速食べようとするか」

 という裕介の一声で、全員一斉に大皿に手を伸ばす。お預けを食らっていたのは、勇次だけではないのだ。

「おいしー!」

「まぁまぁなんじゃない?」

「美味しいわ、水神くん」

 三つの華から、それぞれの賛辞を受ける裕介。「どうもありがとう」といって自分もドーナツに手を伸ばす。

「美味しいついでに私からもプレゼントよ」

 と、沙雪は懐からなにやら小瓶を取り出す。裕介はまた余計なコトを、と思ったが口には出さずにおいた。自分に必要以上のとばっちりが食らうからである。

「お酒の代わりよ。アルコールではないし、酔っても三十分もすれば元に戻るわ。ちなみに毒性はゼロよ。一度自分の身で経験してるから大丈夫」

 沙雪はそういうと、返事も聞かずにその液体を一滴、二滴とそれぞれのカップに入れる。

「摂取過多になると常習性が出てしまうけど、これくらいなら問題ないわ。みんな、酔っ払って楽しんじゃいましょう」

 にこりと笑って、沙雪はその液体が混合された紅茶を飲んだ。

「ほら、ちゃんと私も飲んだわ。みんなも安心して飲んで。安全は保障済みよ」

「本当かよ……」

 といって勇次はコーヒー(混合後)を飲む。『本当かよ……』は『お酒の代わりよ』にかかっていたようだ。

 それを機に、全員がその混合後の飲み物に口をつけた。

「なんだ、味は全然変わらないんだね」

 と貴記が言う。

「安心して、貴記君。効果はすぐには出にくいものなのよ?」

 魔女と化した沙雪は、貴記の不安を一層あおるような科白せりふを口にした。


 

 ……そして、二十分後。

「裕介ぇ、わたひのものに、なりなひゃーい」

「亜輝ぃ……うっ、う……いかないでくれぇ……亜輝ぃ」

「うふふふふ、貴記君可愛い……可愛いわぁ……うふふふふふ」

「はうぅ、北原さぁん。なんだか体が火照って暑いよぅ。お洋服脱がせてぇ」

「裕介、くぅ~ん。んふふふふふ。裕介くぅ~んっ」

 そこには、五人の酔っ払いがいた。

「どうして、どうして俺だけシラフなんだ。正直、酔いの廻ったこいつらのテンションについていけねぇ……」

「裕介くぅ~ん? なにゆってるのぉ~?」

「あぁもう、頬を摺り寄せてこないでくれっ、ちょっと……色々と困るっ!」

「貴記君…うふふ。脱ーぎ脱ーぎ、しましょうねー♪」

「うんー、脱ぎ脱ぎー♪」

「脱がすなっ! 服を着ろ!」

「裕介はぁ、わらひにょ、ものにゃのぉ」

「うううっ。亜輝ぃ……ひっく、ひっく。うぅ……行くなぁ……ひっく」

「いいからその腕を放せ亜輝! 苦しい! ついでに泣くな勇次!」

 なぜかシラフの裕介を一人取り残して、絵に描いたように五人は泥酔していた。分かりやすいくらい悪い酒癖である。こいつらは社会に出たら飲酒をすべきではない。

 ちなみに大皿の上のお菓子類はもうほとんど食い尽くされていた。いつの間にこんなことになったのかシラフの裕介にすら分からない。  


 くらり、と。


 不意の眩暈が裕介に降りかかる。

「お、やっと俺にも…酔いが回ってきたか。エライ…遅効性だな、俺……だ……け………」 


 パタン。


 裕介は、その眩暈に任せて体を横に倒し、そのまま眠りに就いた。



 ……それからさらに二十分後。

「おかしいよ、もうすぐお薬が切れてもいい時間じゃないの?」

 千春が言う。

「薬によって眠っているわけではなくて、薬を使用した結果眠りに就いたの。効果が切れても睡眠は持続するわ」

 問いに、沙雪が解説を加えて答える。

「どうする、コイツ」と、勇次。

「このまま眠らせてやって。わたしが無理させちゃったから疲れてるんだよ」

 淋しそうな表情で亜輝が言う。もう全員、沙雪の薬の効果は切れているようだ。

「それじゃあ、後片付けをみんなでやって、そーっと帰ろうか」

 貴記の言葉に全員頷いて、従う。ごみを捨て、簡単に掃除と片付けをして、全員で裕介の家を去る。もう外では星がまばたきをしていた。


『おやすみなさーい』


 一斉に、静かな声でそう言って、家の扉は閉められた。ガチャリというドアの閉まる無機質な音は、裕介の耳には届かなかった。



+labyrinth+


 "我思う、故に我在りcogito, ergo sum"―――――古代の哲学の偉人、デカルトの言葉である。

 自己の存在証明を考え続ける思考そのものが、実は自己を証明するものに他ならない、というものだ。


 さて、するとここにおける夢の世界、夢幻の庭園ネバーランドではどうなのだろう。

 答えは、"それは直接的に影響を及ぼす″、である。


 心象世界・夢幻の庭園ネバーランドは人々のイメージというで構成されている。心に描いた画像や動画を瞬時に表示、再生、リンクをすることによって世界を構築している。

 行くか行かないかの選択権は自由である。睡眠に入ったまま上昇をイメージすれば夢幻の庭園ネバーランド、下降、および進行でそのまま睡眠が続行されるが、それは個人差が多少あるものの、大体統一されている。その説明は案内人がその相手に始めに行っており、裕介もその例に漏れてはいない。故に日曜日は夢幻の庭園ネバーランドに行かない、という選択が出来たのだ。


 さて、ここで先の問いに焦点を戻そう。

 夢幻の庭園ネバーランドではイメージは直接的に影響が出る。逆に、イメージが何も無い、無意識だった場合はどうなのか。

 それは夢幻の庭園ネバーランドでの存在を許されない、そこに存在できないのである。つまり、無意識下では自分自身を心象世界に固着こちゃくさせることが出来ないのだ。

 以上の点を踏まえた上で少し前に戻る。裕介は沙雪の薬により、酔いを感じた。それにより眩暈を覚え、横になると同時に眠りに就いた。

 ――――否、眠りに就いた、ではなくこの場合は、気を失った、となる。つまり―――――


 ―――――水神裕介は、今現在、どこに行ってしまったのか。



 落ちる。

 まだ落ちる。

 暗く、底へ、もっと深く。

 止まらない落下は感覚を消去し、上も下も右も左も、もはや判別できない。

 やがて運動は終局する。

 終着した空間も、やはり上下左右の定義など出来ない。


「――――ミイラ取りは生きて還る」 


 裕介は、まだ意識を取り戻さない。


「水神裕介。このれが、お前の歯車をまわしてやろう――――――」


 裕介はまだ、意識を取り戻さなかった。


+++++++


 二幕 EverLasting / end


next /  幕終 Dreamer

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