第19話「おかえりなさいませご主人様」

いつき、来週の土曜日暇か?」

「ん? 暇だけど」


 ある日の放課後。鬼塚おにづかのコンビニバイトあるあるを聞いてやった後、俺と海斗かいとはいつも通り帰路に就いていたところだった。

 飲みかけのパックジュースを片手に、海斗が俺にそんなことを訊いてきた。

「ならよかった。実はな、いいものを入手したんだよ」

「お? なんだなんだ?」

 そう言って海斗はスクールバッグのポケットをごそごそと漁り、出てきた二枚のお札よりは小さいぐらいの紙切れを差し出してくる。

「……映画のチケットか?」

「いや、違う。よく見てみるんだ」

 もったいぶって、何だと言うのだろう。

 いぶかるように、俺は差し出された一枚の紙切れを受け取って、まじまじと見る。

「メイド喫茶、『にゃんにゃんハウス』?」

「そう、メイド喫茶『にゃんやんハウス』だ」

 —そう言えば、最近噂でちらっと耳にしたことがある。どうやら駅前にメイド喫茶ができたらしいのだ。この間野暮用やぼようで駅の前を通ったときも、猫耳を付けた可愛らしいメイドさんがビラとスマイルを配っていたのも目撃した記憶がある。なるほど、あれが噂の『にゃんにゃんハウス』。

 そして海斗が持って来たこのチケットは、その『にゃんにゃんハウス』とやらのドリンク一杯無料券だ。

「樹、俺らは立派なオタクだ、そうだろう?」

「あんまり豪語するようなことでもない気がするけど、まぁ、そうだな」

「ゲームやアニメ、ラノベや漫画、そういうのはだいたい齧ってきた俺たちだが」

「そう言えばメイド喫茶は行ったことがないよな」

「俺の台詞を先に言わないでもらえると助かるんだが」

「悪かったな、俺は勘のいいタイプのガキなんだ」

 腐れ縁というのもあって、海斗の言いたいことはとりあえずなんとなく察せてしまうものだ。逆もまたあり得ることなのだが。

 しかし、ここで「いいな! 行こうぜ!」といういつものノリに持っていけないのは俺と海斗の性格の差でもあるのだろう。なにせメイド喫茶だ。そりゃあメイド喫茶ともなれば可愛いメイドさんはたくさんいるし、目の保養にもなるいい機会だ。特に下半身のあの眩しい絶対領域は、もっと近くで拝みたいものだと、この世のオタクの誰しもが思うことだろう。

 しかしメイド喫茶。あのメイド喫茶だ。

「海斗、これってふつーに飲み物出てくるわけじゃないよな?」

「何言ってんだ樹、寝ぼけてんのか? 美味しくなるおまじない付きってそこに書いてあるだろ。それを含めてのサービス券だ。無茶苦茶お得だろ?」

「いやぁでも」

「……?」

 ——なんというか、俺という人間は、あれはあれで見ていていたたまれなくなってしまうのだ。

 店員さんも仕事でやっているのだろう。お客さんを相手にしている以上、お店の名前を背負っている以上、こちらの想像をはるかに超えてノリノリでそのおまじないとやらをかましてくるはずだ。それがはっきり言って俺の場合、こっちが恥ずかしくなってしまうのだ。

 自らお店に足を運んでおいて、全力でおまじないを注いでくれる店員さんに白い眼を向けるのはあまりにも質が悪いと思うし、誰よりも店員さんが可哀そうだ。

 興味はあるが、そういう理由があってなかなか足を運ぶ気にはなれない。

 何度も言うが興味はある。当たり前だろ。メイドさんだぞ。そして俺はオタクなのだ。

「え、ひょっとして樹ってメイドはあまり趣味じゃない?」

「バカ野郎んなわけ」

「即答かよ。まぁならよかったけど」

 このように海斗がつい一歩引こうとするぐらいに、行くか行かないかを決めあぐねては唸ってしまうのだ。

 でもまぁ、これもいい経験かもしれないし、意外にハマるかもしれないし。

 何より言い出しっぺの海斗は当然ながらすでに気合が入っている。俺が困るようなシチュエーションを目の前にしても、きっといい具合にキモオタぶりを発揮して周りのオタクたちと遜色ないぐらいに、勝手に盛り上がるだろう。だとすれば、少々のむず痒さは飲み込むとして、なんとなくそれに合わせてしまえば、全力の店員さんに不快な思いをさせることも無くなるし、結果俺も普通に満喫してしまうだろう。

 ということで、腹は決まった。

「うし、来週の土曜な。ランチタイムって書いてるし、昼頃行くか」

「流石樹、俺が認めたオタクの中のオタク。うむ、そうしよう」

 あまりうれしくない響きで歓迎されてしまったが、まぁそれはいいとしよう。

 受け取ったピンク色のチケットを財布にしまい込み、俺はそれを制服の尻ポケットに滑り込ませた。


 迎えた土曜日。

「あれぇ? 店員さーん、声ちっちゃくないっすかぁ? それじゃあこのコーラはおいしくならないにゃ~」

「い、樹……それぐらいにしてやれって……」

 噂のメイド喫茶に入店するや否や、俺たちを出迎えてくれたのは新人にして人気ナンバーワンを勝ち取ったというこの店イチオシの看板娘的メイドで、それはそれはよく見知った赤髪ロングヘアの女の子だった。


「お、おいしく、にゃ~れぇ……にゃんにゃん……っ!……」


「うーん、あんまり味が変わんねーんだよなぁ」

「……さっきから黙って聞いてれば……あんたねぇ……」

「ん? 『あんた』? 『ご主人様』の間違いでは?」

「ご、ごめんにゃさい……ご、ご主人様……」

「……」

 いやはや、最高だな。メイド喫茶というものは。通い詰めたいぐらいだ。

 顔もスタイルも普通に良いし、おそらくこういうのも似合うんだろうと思ってはいたが、実際ここまで様になっているとは。

 黒を基調としたふりふりのメイド服も、細いおみ足を包んだニーソックスと鬼塚らしくない短すぎるスカートの丈が織りなす絶対領域も、眩しい。可愛い。素晴らしい。

「お、鬼塚さん、俺の分はいいから……はははっ」

「おいなにもったいぶってんだよ海斗。今日はこのサービス券で、ドリンクもおまじないも無料なんだぞ? しかも相手はこの店人気ナンバーワンの新人メイド『あかにゃん』だぞ?」

「にゃ、にゃにゃ~、それではごゆっくりなのにゃ~」

 くるりと短いスカートを翻し、逃げるように別のテーブルの注文へと向かう鬼塚の後姿を脳に焼き付けるように凝視する。なんだ、ちゃんと尻尾まで着けてるじゃないか。

「樹、俺も多少なり鬼塚さんのいじり方はわかってきたけどな、流石にそこまではできん」

「いじりもなにも、ここにあるのは同級生としての距離感じゃない。そんなものは取っ払ってお仕事をして、お給料を頂いているんだよあいつは。だからな、今の鬼塚と俺たちの間にあるのはいわば主従関係だ。ご主人様と猫ちゃんなんだよ。だから生意気な猫ちゃんはちゃんとしつけてやらねば」

「来週どうなっても知らないからな……」

 あれだけ乗り気だったのに、こいつは何を今更躊躇っているのか。

 鬼塚はというと、最近コンビニのバイトにも慣れてきたらしく、土日に新しいバイトを始めてみたということをぽろりとこぼしていたが、まさかそれがメイド喫茶だとは。

まぁ確かに、時給は良さそうだからな。

「海斗、お昼だしフードも頼もうぜ。俺はこのにゃんにゃんオムライスが良い。ケチャップで好きなメイドさんにメッセージ書いてもらえるらしいし」

「……後が怖いから俺はこのふつーのサンドイッチにするよ」

 お互い注文の品は決まったということで、俺はテーブルの脇にあった肉球型のボタンを押した。


「は~いご主人様ぁ! ただいまお伺いするにゃぁーん!」


 この店人気ナンバーワン猫メイドの元気な返事が店内に響き渡り、店内中のオタクが無言でウンウンと頷いているのであった。

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